《後悔?そんなの勝手にすればよろしくて?〜悪女と呼ばれた公爵令嬢は絢爛に返り咲く〜》全部章節:第 1 章 - 第 10 章

22 章節

プロローグ

 少女は走っていた。 脇目も振らず、ただがむしゃらに、前だけを見て走り続けていた。 後ろを振り向けば、迫りくる恐怖と絶望に飲み込まれてしまいそうだったからだ。 息が切れても、足が痛くなっても、転んで血が出ても、涙が溢れて止まらなくても、少女は決して動きを止めなかった。 やがて目の前に、見渡すかぎりの草原が広がって。 立ち止まり空を見上げると、太陽が昇り、茜から水へと色が移り変わっていた。 その色彩が変化していく空の中に、一匹の鳥が羽ばたき徐々に小さくなっていくのを少女は見た。「まって……。いかないで……」 再び走ろうとしても、緊張の糸が切れてしまったのか、両足が言うことを聞かない。 酷使したこともあり、ガタガタと震え続けている。 やがて身体から急速に力が抜けた少女は、そのまま地面に倒れ込んでしまった。「……あぁ、だめ……。もう……動けない……。お父さま、お母さま……。……さま……」 少女の翠の瞳にジワリと涙が浮かんだとき、遠くから誰かの声が聞こえてきた。 その声は徐々に大きくなっていき、地面を駆ける足音が近付いてくる。「ねぇ、君! 大丈夫!? しっかりして!」 それは少年の声だった。  程なくして、少女は少年に抱き起こされる。 少女の目に、少年は〝天使〟の姿として映った。 絶望に飲まれた自分を助けてくれた、陽の光を受けて、キラキラと眩しく輝く天使のような男の子。 少女は、その少年の姿を、いつまでも忘れることがなかった――
last update最後更新 : 2026-07-27
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1.さぁ、始めましょう

 ユグドール王国にあるバセロルト公爵領の、公爵家の屋敷内にて。 窓にかかるカーテンがきっちりと閉められ、一筋の光も入ってこない、闇に覆われた部屋があった。 そんな一寸先も見えない真っ黒な空間に、突如指先ほどの小さな灯火が現れた。 微かにユラユラと揺らめく橙色のそれは、ロウソクの火だ。 その光に灯され、ボゥッと妙齢の女性の顔が浮かび上がる。「……ついにやってきたわねぇ、この日が」 間延びした柔らかい口調で、その女性が言葉を発した。 続いて、彼女の右隣の空間にもポッとロウソクの火が現れ、ボワッと壮年の男性の顔が浮き彫りになる。 鼻の下に形の良い髭を生やしているその男性は、ゆっくりと口を開いた。「はい、とうとうやってきてしまいましたね……」 次に、男性の右隣の暗闇にも橙色の光がボッと灯され、スゥッと糸目な青年の顔が現れ出た。「きちゃったねぇ。とっても悲しいよ、ボクは」 言葉とは裏腹に、口元に微笑を湛えている青年はそう口にする。 三人とも顎の下からロウソクを照らしているので、暗闇の中ロウソクの仄暗い明かりに映る彼らの顔は……非常に怖い。 もしも今、誰かが部屋に入ってきたら、盛大な叫び声を上げ腰を抜かしつつ一目散に逃げ出すこと間違いなしだ。「――ふふっ」 すると、どこからか鈴を転がすような女性の吹き出す声が聞こえてきた。 と同時に、シャッと音を立てカーテンが開けられる。 日光が一斉に窓から差し込み、部屋の中がパッと見違えるように明るくなった。「おふざけの時間はもう終わりだ」 溜め息と同時に言葉を出したのは、陽の光を浴びてキラキラと輝く銀色の髪を持ち、目が隠れるくらいの丸眼鏡をかけている青年だった。 彼は部屋の窓のカーテンをすべて開けると、ロウソクを持つ三人を冷めた表情で見る。「だってぇ、ただ集まって真面目にお話するだけじゃつまんないんだもの。真剣なお話ほど、面白みを加えてリラックスしないとよぉ?」 ロウソクの火をフゥッと消しながらニコリと笑うのは、カロリナ・バセロルト。 腰まで届く薄緑色の髪と宝石のような美しい翠色の瞳を持つ、笑顔が可愛い彼女は、バセロルト公爵夫人だ。 「……真剣な話ほど真剣にしなきゃ駄目だろう」「母さんの面白おかしい提案は今に始まったことじゃないしねぇ。いい加減慣れなきゃダメだよ、イグニス?」 母と同
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2.王太子の婚約者

 彼女は、アーベリア・バセロルト。 バセロルト公爵家の長女だ。 ラハンより二歳年下でイグニスより一歳上の彼女は、しとやかな雰囲気を身に纏い、座り方も上品だ。 それは、彼女が幼い頃から礼儀や作法を寸暇を惜しんで学んできた努力の賜物だ。「怪談話はよそでやってくれ。俺は興味ない」「相変わらず手厳しいねぇ、イグニスは。まぁ、だからこの子を任せられるんだけどさ」「アーベリア。本当に行くのですか? 君が少しでも迷っているのなら、私は王に直談判して話を白紙に戻しますよ」 ヒューガが心配そうに眉をひそめて言うと、アーベリアは即座に首を横に振った。「いいえ、お父様。これはわたくしが望んだことなのです。このお話が舞い込んできた時、わたくしは嬉しさで胸がいっぱいになりましたもの。ぜひ行かせてくださいませ」 アーベリアがニコリとヒューガに微笑みかけると、彼は小さく息を吐いて頷いた。「君がそこまで言うのならば……わかりました。ただ、『王太子の婚約者』としての立場は、あの城では苦難を伴うでしょう。ですが、何かあればすぐに私達を頼ってください。君は私達の大切な〝家族〟なのですから」「ありがとうございます、お父様。そのお言葉だけで、わたくしはどんな困難も乗り越えられそうな気がしますわ」 アーベリアはソファからスッと立ち上がると、ヒューガのもとまできて、その温かく大きな手をそっと握った。「あんな『魔の巣窟』に可愛い妹を行かせるなんて本当心配だよ。だってあそこの王妃、溺愛する息子の婚約者候補になった令嬢達に陰険な嫌がらせをして、耐え切れなくなった彼女達は自ら婚約者候補を辞退したって噂があるよ。だから王太子が二十五になっても正式な婚約者ができなかったって」「王も焦ったのでしょうね。今回のうちへの打診も、王妃の許可を得ずにしたものでしょう。アーベリアは〝王家の婚約者〟として所作と教養は完璧ですから。『候補』ではなく『正式』に話がくるのは当たり前のことだったのですが……」「大丈夫よぉ、あなた、ラハン。そのために従者兼護衛役として、イグニスを一緒に行かせるんだから」 カロリナは安心させるようにヒューガとラハンの肩をポンと叩くと、イグニスに向かってパチリと片目をつぶった。「イグニス、アーベリアをしっかりと守るのよ? お城では何があるかわからないから、この子から離れないでね」
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3.いざ、王城へ

 アーベリアとイグニスは、高台にそびえ立つユグドール城の門前で足を止めた。「ついにきたな」「えぇ。ようやくわたくしの念願がひとつ叶いましたわ」 言葉を交わすと、二人は示し合わせたかのように顔を見合わせ、頷く。 二人の姿をとらえ、門番がこちらに向かって声をかけてきた。「そこのお二方。貴族の方とお見受けしますが、御用件をお伺いしてもよろしいですか?」「かしこまりました。わたくし、バセロルト公爵家の長女、アーベリア・バセロルトと申します。王太子殿下の婚約者として、本日登城いたしました。国王陛下から戴きました書簡に書かれております日付が本日となっております。御懸念のようでしたら、陛下へ御確認いただけますと幸いですわ」 アーベリアはニコリと微笑むと、優美にカーテシーをする。 それは、まごうことなき上位の貴族の女性が行う、洗練された美しい礼の仕方だった。「……! あなたが――」 門番は軽く目を見張ると、ある感情を含ませた視線をアーベリアに向けた。 それは、あきらかに『同情』と『憐憫』の類だった。「大変失礼いたしました。本日が登城の日だと伺っておりませんでしたので……」 門番が頭を下げるのを、アーベリアは首を左右に振って止める。「大丈夫ですわ。お気になさらないでくださいませ」「ありがとうございます。国王陛下と王妃陛下は謁見の間におられます。案内の者を呼んでまいりますので、少々お待ちください」 門番が反対側にいたもう一人の門番の方を向くと、彼は頷き城門を開け中へと入っていった。「……門番に姉上の登城を知らせなかったのは、王妃の差し金だな。城に入る前に問答無用で門番に追い返されることを狙っていたんだろう。やれやれ、浅はかな企みだ」「ふふっ」 イグニスが視線を変えず、門番に聞こえない声音でそう言うと、彼女は口元に手を置き可愛らしく笑う。 少し経って門番が連れてきた城の家令は、アーベリアを視界に映すなり『侮蔑』と『侮り』の色をありありと顔に出した。「……こちらへ」 家令はボソリと言葉を投げると、踵を返しさっさと歩き出す。 上位貴族で、そのうえ『王太子の婚約者』であるアーベリアに対し、こちらの様子をいっさい顧みず足を進める家令に、イグニスは小さく息を漏らすと、黙ってアーベリアの後ろに続く。 謁見の間の前に着くと、家令は振り返りアーベリアをジ
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4.王族の者達

「あぁ」 イグニスも扉に視線を向け頷くと、謁見の間の扉をノックする。 ややあって騎士の一人が扉を開けたので、二人は謁見の間へと足を踏み出した。 正面奥にある向かって左の玉座には、くすんだ水色の薄い髪と同じ色の瞳をした太った男がふんぞり返って座っている。 葉巻を口に咥えている彼は、センダン・ユグドール。 このユグドール王国の国王だ。 並んで右側の玉座には、赤茶色のソバージュの髪と同じ色の瞳をした、目つきの鋭い女性が座っている。 色とりどりの装飾で飾られた派手な扇子で口元を隠している彼女は、ルマーサ・ユグドール。 国王の妻であり、ユグドール王国の王妃だ。 アーベリアとイグニスは玉座と一定の距離が開いた位置で足を止め、アーベリアはしとやかにカーテシーをし、イグニスは片膝をつき深く頭を垂れる。 センダンはそれを見て、葉巻を咥えたまま口を開いた。「話すがいい」「寛大なる国王陛下。拝謁を賜り、心より感謝申し上げます」 アーベリアは完璧なカーテシーを保った姿勢で、よどみなく挨拶の言葉を紡んでいく。「崇高で偉大なる国王陛下、ならびに王妃陛下に謹んで御挨拶申し上げます。バセロルト公爵の長女、アーベリア・バセロルトと申します。このたび王太子殿下の婚約者として選ばれましたこと、大変光栄に存じます」「……態度といい言葉といい、噂どおりの令嬢のようだな。しかし、だからといって調子に乗るなよ。これから我が息子の婚約者として恥じない行いをしろ。わかったな」「かしこまりました。陛下のお言葉を深く心に刻み、誠心誠意王太子殿下に献身いたします」 アーベリアがさらに深くカーテシーをすると、ルマーサが眉間に皺を寄せ、嫌なものを見る目つきで彼女を見下ろした。「フンッ、アタクシは認めていないわよ。こんな乳臭い小娘がアタクシの可愛い可愛いライラックの婚約者なんて! アナタもアナタよ。アタクシに黙って勝手にあの子の婚約者を決めて!」「……はぁ、まだ言うのか。ライラックは今年でもう二十五だ。跡継ぎのこともあるし、いい加減正式に婚約者を作らないとどうする。この国で王族の次に地位が高いバセロルト公爵家の娘を選んだのだし、あのとおり教養もある。それに、公爵家と深い関わりを持った方が、こちらとしても都合がいいのはわかっているだろう。いちいち文句を言うな」「……フンッ!」 ルマーサ
last update最後更新 : 2026-07-28
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5.王妃の犬ども

 アーベリアはすぐにライラックの方へ身体の向きを変えると、丁重なカーテシーをする。「あぁ、もう来てたんだね。君がアーベリア嬢かい?」「ライラック・ユグドール王太子殿下に御挨拶申し上げます。はい、わたくしがバセロルト公爵家長女、アーベリア・バセロルトでございます。殿下の婚約者になれましたこと、大変光栄に思いますわ」 そう言い、アーベリアは嬉しそうに微笑む。「こちらこそ嬉しいよ。これからよろしく、アーベリア」「はい、不束者でございますが、どうぞよろしくお願いいたします」「――アナタ達、もう挨拶はいいでしょ! 家令に部屋を案内させるから、アナタはそこの護衛とさっさとここから出なさい!」 ライラックとアーベリアが微笑み合う光景がよほど気に触ったのか、ルマーサは金切り声を上げアーベリアに命令をした。「かしこまりました、王妃陛下の仰せのままに。それでは失礼いたします」 アーベリアはセンダンとルマーサに向き直ると洗練されたカーテシーをする。 そして、迎えに来た家令のあとに続き、イグニスと共に謁見の間を出た。 相変わらずこちらを見向きもしない家令の後ろを追っていると、彼の足が止まり、ようやくアーベリア達の方を振り向いた。「ここがあなたの部屋、隣があなたの護衛の部屋です。王妃に逆らったらすぐにここから追い出されますからね。くれぐれもそのような愚行はせぬよう」「かしこまりました。御心配くださりありがとうございます」 ニコリと微笑むアーベリアを片眉を上げ一瞥し、家令は足早にこの場から去っていった。 イグニスが家令の背中を見送っていると、クイッと袖が引っ張られる。「そんなに睨むと目つきが悪くなりますわよ? さぁ、中に入りましょう」「睨んでない。それに目つきが悪いのは元からだ」 イグニスは淡々と答えると、アーベリアに続いて部屋に入る。 そこはライラックの婚約者候補の部屋だったのか、普通の部屋よりも広く綺麗に整頓されていた。「使用人の上に立つ家令がアレだから、掃除も整頓もしていない荒れた部屋に案内されると思っていたが。バセロルト公爵家を敵に回さなくて命拾いしたな」「ふふっ。そうなりますと、あの家令の首が吹き飛びますわね。もちろん、『職を失う』という意味で、ですわよ?」「兄上に知られたら、文字どおりの前者になるな」「それを冗談と言えないのがお兄様の
last update最後更新 : 2026-07-29
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6.首振り令嬢は今日も首を振る

 アーベリア達が城内を回っている途中、何人もの使用人とすれ違ったが、王妃に傾倒している者は不快な視線で、それ以外の者は憐憫の眼差しでこちらを見てきた。「王太子の婚約者候補だった令嬢達は、よほど王妃に酷い目に遭わされたようだ。兄上の情報によると、令嬢達は嫌がらせをされたうえ、王妃が勝手に罪を作り上げ制裁を加えたらしい。それで皆泣きながら実家に帰ったという話だ」「まぁ、それは怖いですわね」「王妃には隙を見せない方がいい。奴は獲物を刈り取るため、いつでも目を光らせているだろうからな」「えぇ」 頷くアーベリアの後ろで、侍女二人が顔を寄せ合いお喋りしている姿がイグニスの目に入ってきた。 侍女達は小声ではなく普通の声量で話しているので、アーベリアとイグニスの耳にも自然とその会話が入ってくる。「え? あの離れから不気味な呻き声が聞こえてきたって?」「そうなのよ! 急遽夜間の巡回を頼まれた兵士が聞いたみたいよ。あそこは随分前から使われてなくて、誰もいないはずなのに……」「やだぁ、怖い! 魔物か野獣が住み着いちゃってるんじゃないの?」「何言ってんの! 離れは普段鍵がかかってるはずだし、お城の厳重な警備に魔物や野獣が忍び込めるはずないじゃない。きっと幽霊よ! 離れに幽霊が住み着いているんだわ! ここで殺された罪人が怨霊となって、夜な夜な低い呻き声を上げながら――」「キャーッ! やだっ、やめてよー!」 侍女の甲高い悲鳴を背中で聞きながら、イグニスは息をつき肩を竦めた。「よくある怪談だな。母上達が喜びそうな話題だ。今度の土産話にでもするか」「暗闇の中で、顔をロウソクで照らしながらお話ししたいですわね」「そんなところは母上に似なくていい」 城の中をすべて見て回り、重鎮達への挨拶を済ませた二人は、アーベリアの部屋に戻ってきた。「重鎮達の、姉上に対しての無作法な態度が目立ったな。奴らのほとんどが王妃派だろう。あの様子じゃ、王派は極僅かのようだ」「ここには、王妃に逆らう者は誰もいないと見た方がいいですわね。少しでも歯向かえば、即刻このお城から追放されてしまうでしょう」 アーベリアはゆるりと首を縦に振ると、ソファに座りイグニスも隣に座るよう促した。「――それでは、今後についての『作戦会議』をいたしましょうか」✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••
last update最後更新 : 2026-07-30
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7.愛する人のために

「奴ら、姉上が断らないとわかって、どんどんとつけ上がってきているな」「あれくらい、どうってことないですわ」「頼みを断れば、奴らは真っ先に王妃に告げ口し、ここぞとばかりに姉上を責めて城から追い出すに決まっているからな。何もできず、すまない」「いいえ、謝る必要はありませんわ。あなたは重たい荷物をすべて持ってくださるじゃありませんか。それに、いつもわたくしの傍にいてくれる……。それがどれほど心強いことか」「……そうか」 イグニスの無の表情が微かに和らいだ時、ノックの音が聞こえたと同時に扉が開かれ、侍女長のミモザが入ってきた。 彼女は不機嫌な顔つきを隠そうともしていない。 アーベリアが『首振り令嬢』と呼ばれるようになってから、ミモザの態度が一気に悪化していた。「もうすぐ湯浴みの時間ですが、御自分で準備して入ってください。『首振り令嬢』の貴女ならもちろん頷きますよね?」「えぇ、わかりましたわ」「結構。侍女長の立場だと、毎日暇でダラダラしている貴女と違ってあれこれ忙しいんですよ。そんな私にあまり手間をかけさせないでください」 溜め息とともに言葉を吐き出すミモザに、アーベリアは申し訳なさそうな表情を浮かべる。「それは大変失礼いたしました。ところでミモザさん」「は? まだ何か?」 歩き出そうとしていたミモザは、苛立ったようにアーベリアの方へ振り向く。 そんな彼女の態度を意に介さず、アーベリアはニコリと笑みを向けた。「首につけているネックレスとそのイヤリング、とても素敵ですわ。デザインも独創的で目を奪われてしまいました。感性が素晴らしいですのね」「……褒めても何もでませんよ。それでは失礼します」 ミモザはそう言いながら満更でもなさそうな顔つきになり、カツカツと床を鳴らし部屋から出ていった。 イグニスが微かに眉をひそめる。「こちらもこちらで態度がひどくなっているな。王妃が後ろ盾にいるからだろう」「わたくしは自由に湯浴みができて嬉しいですわ」「前向きな思考なのはいいことだ。それにしても、奴の装飾具が気に入ったのか? やけに褒めていたが」「えぇ。とても綺麗で印象的でしたので」 静かに微笑むアーベリアに、イグニスは僅かに眉をしかめる。 しかしそれ以上彼女に言及せず、別の話題に変えた。「こんな状況を父上と兄上が知ったら、穏やかな表情の下に莫
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8.ひとつの大事件

 時が経っても、重鎮達やミモザの無礼な態度は相変わらずだった。 そのうえ、王太子を誑かす〝悪女〟という噂の尾ひれまで付けてきたのだ。 しかし何を言われようと、重鎮達の頼みにアーベリアは決して首を横に振ることなく、笑みを絶やさず縦に振り続けた。 そして――そんなある日のこと、ひとつの大事件が起こった。「王妃陛下のブローチが盗まれた!?」 その話を聞き、城の使用人達が一斉にざわつく。 なんでも、ルマーサが本日つけるブローチを決めるために自室のテーブルに並べたあと、所用を思い出し部屋を離れた少しの間に、一番高級なブローチがなくなっていたというのだ。「王妃様のお部屋に忍び込むなんて……。そんな恐しいこと、私には絶対できないわ……」「まったくだ……。一体誰がそのような命知らずなことを……」 この事件を受け、城の使用人全員の所持品検査を行うことになった。 そこにはアーベリアも対象に含まれていた。「王族と重鎮達は検査除外らしい。それなら王太子の婚約者である姉上も除外していいはずだがな。あからさま過ぎて呆れる」 使用人の一人からその件を聞き、アーベリアの部屋に戻ったイグニスは、その旨を彼女に聞かせた。 ソファに座って紅茶を嗜んでいたアーベリアは、無表情の彼に穏やかな微笑みを向けた。「殿下の婚約者という肩書きは持てど、ここでは余所者ですから仕方ありませんわ。それにわたくしは盗んでいないのですから。堂々としていましょう」「あぁ。当たり前だ」 イグニスが息をつきアーベリアに頷いたと同時に、扉からノックの音が響く。 そして、こちらが返事をする前に乱暴に扉が開かれた。 カツカツと足音を鳴らし入ってきたのは侍女長ミモザで、その後ろから王妃ルマーサも姿を現す。 入り口には野次馬の使用人達が集まり、固唾を呑んで事の成り行きを見守っていた。「城の使用人達とその部屋からはブローチが見つかりませんでした。残りは貴女だけです。王妃陛下の許可は戴いているので、早速貴女とこの部屋を調べさせていただきます」「かしこまりました。では、わたくしの所持品検査からですわね」 アーベリアはスッとソファから立つと、躊躇なくドレスを脱ぎはじめた。 これにはミモザはもちろん、ルマーサも驚き両目を見張る。「…………」 イグニスは視線をアーベリアから外し、こちらをマジマジと見つめ
last update最後更新 : 2026-08-01
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9.犯人は誰?

「……二つほど、お伺いしてもよろしいでしょうか?」 おもむろに、アーベリアの薄紅色の唇から質問の言葉が紡がれる。「なんです? 言い逃れしようったってそうはいきませんよ?」「お時間は取らせませんわ。金庫の暗証番号の変更は、初期状態の『0』四つに番号を合わせ、扉を開いてから変更可能とお伺いいたしましたが、お間違いはございませんか?」「…………は?」 思いもよらぬ問いかけに、ミモザの勝ち誇った表情が怪訝なそれに変わる。「……そうですけど? 以前に私が説明したとおりです」「かしこまりました。続いて二つ目の質問をさせていただきますわ。ダイヤル錠の初期化は、どなたがされているのでしょうか?」「それは……責任ある作業なので、侍女長である私がしていますが……」「まぁ、ミモザさんが――あぁ、申し訳ございません。もうひとつ質問がございましたわ。初期化には本鍵を使用されますか?」「え? それは……初期化するには一度金庫を開ける必要があるので、王妃陛下からお借りして使いますけど……。――ちょっと、さっきから一体なんです? 意味不明な質問ばかりして! それでこの場をあやふやにしようという魂胆ですか!?」 ミモザが苛立ちを隠さず、質問を続けるアーベリアに言葉を投げつける。「そのようなことはいたしませんわ。先日、暗証番号を変更しようと『0』を四つ合わせたところ、扉が開かなかったのです。何度『0』に合わせて試しても開かず――そこでわたくしは考えました。初期化担当者がうっかり初期化をし忘れてしまい、前の暗証番号のままではないのかと」「っ!?」 アーベリアの見解に、ミモザの顔色がサーッと変わった。「え……うそ……。そ、そんな……。私が忘れるはずなんて……あ――」 心当たりがあるのか、青ざめ狼狽するミモザの様子に、ルマーサのこめかみがピクリと小さく動く。「暗証番号をひとつひとつ確かめようとも、組み合わせは一万通りもあるので多大な時間がかかってしまいます。それでしたら前の暗証番号をお伺いしようと、わたくしの前に殿下の婚約者候補だったホルトノ侯爵令嬢にお手紙を送りました。婚約者候補だった間、このお部屋を使用されていたとお聞きしましたから」 アーベリアは机に手を伸ばすと、印璽(いんじ)が捺された封蝋(ふうろう)で閉じられた手紙を取り、この場にいる皆に見せた。「こちら、ホ
last update最後更新 : 2026-08-02
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