Home / 恋愛 / 偽りの幻影 / Kabanata 81 - Kabanata 90

Lahat ng Kabanata ng 偽りの幻影: Kabanata 81 - Kabanata 90

111 Kabanata

第81話 呼び出し

 空に灰色の雲がかかるようになった。樹々は葉を落とし、風が病葉を巻き上げる。 その日は早めに仕事を終え、蒼生は自宅に戻っていた。いつものように一人きりで夕食を終え、書斎にコーヒーを運ばせると、椅子にもたれて窓から外を見る。「……風が強いな」 暖かな風が吹き出す空調の下で、蒼生はブルーマウンテンの香りに包まれて適当な本を開く。季節が変わって夜空が綺麗に見えるようになった。「……間宮が面白いから読めと言ったが……」 デスクに頬杖をついてページをめくる。「……ブラックホールの強い重力が量子的な揺らぎを実粒子として外へ押し出す……」 開いたページに栞を挟むと、蒼生はまた窓から空を見上げた。「……これ、ある程度量子論がわかってないと難しいんじゃないか? 何度読んでもわからない。あいつだって専門外なのに。わかってたのか?」 真っ暗な空で星が一つ瞬いた。「だいたい、経済学部経営学科の俺にこんな本を薦めるなよ。お返しにマイクロエコノミックセオリーを読ませるぞ」 あいつに一般均衡の存在証明をやらせたらよかった、などと考えながらくすくす笑っていると、ノックの音が響いた。 工藤が顔を覗かせる。「……どうした?」 工藤は顔を赤くして、額に汗を浮かべていた。少し目を泳がせて、左右を見る。「何かあったか?」 ……もしかして……麻奈に……何か……? 蒼生は立ち上がった。工藤は、頭を上げ、少し言い淀む。「……あの……会長……が……」 蒼生ははたと工藤を見る。「……親父が?」 工藤はうなずいた。「……どうしても……話したいことがあるとおっしゃいまして……」「俺には話すことなんかない」 椅子に腰かけると、蒼生は脚を組む。「……だが、まあ、どうしてもと言うなら仕方がない。そのうち行ってやるから待ってろと言っておいてくれ」 工藤は額の汗を手の甲で拭った。「……いえ……、それが、今夜来ないのならこちらから行く、と」「ここへ?」「……はい」 蒼生は外を覗いた。風が吹き抜け、ヒョォと音を立てた。「……
last updateHuling Na-update : 2026-10-09
Magbasa pa

第82話 父親

「お前」 徹生(てっせい)は、蒼生の顔を見るなり唸り声を上げた。 「勝手なことをしおって」 「いきなり言われても何のことだか」 欅の大机の向こうの大きな座椅子にどっかりと収まる徹生の前に、蒼生はあぐらをかいた。 「何が気に入らないか聞かせてもらいましょう」 「K&Bなんとかいう会社だ。誰があんな会社を買収しろと言った? しかも我が社とは何の関わりもない他業種中の他業種だ。あの会社に幾ら使った?」 「決めたのは俺です。社長ですから」 蒼生はあぐらの上に組んだ両手を乗せる。 「俺に一言の相談もなく?」 漆黒の目が燃え、唇が歪む。徹生の拳がぶるぶると震えた。蒼生は涼しい目でそれを見やる。 「あなたは会長だ。相談したいときは相談する。だが今回は社長の俺が相談の必要を感じなかった」 「ふざけるな!」 ばん! 徹生が厚い手のひらで欅の長机を叩いた。広い和室に残響が浮く。蒼生は唇の端を持ち上げた。 「その恫喝癖はやめた方がいい。今時は問題になる」 「お前……!」 睨みつける徹生の目を、蒼生はまっすぐに見返した。 「取締役会議にもかけて承認されてます。今更あなたがどうこう言うことでもない」 「……なんだと……?」 「話がそれだけなら、俺は帰りますよ。もう済んだことだ。何もかも順調に終わりました。以上」 蒼生が片膝を立てると、徹生は長机の上に置かれた陶器の灰皿を掴んでいきなり蒼生に投げつけた。蒼生は慣れた様子で黙ってそれを受け止める。 「……なんですか、いきなり」 徹生はぎらりと睨みつけた。 「……お前、何を企んでる?」 蒼生は受け止めた灰皿を畳の上へ置いた。片膝を立てたまま、それを見つめる。 「……別に……何も」 「嘘をつけ」
last updateHuling Na-update : 2026-10-10
Magbasa pa

第83話 受け継いだもの

「誰を俺の妻にするかは俺が決めます」 蒼生は徹生の指先にある短いタバコを見つめる。無闇に吸ったおかげであっという間に短くなったそれは、指が震えると同時に灰がはたりと折れて落ちた。「お前では決められんから俺が決めてやろうと言うんだ。お前の選んだ女はお前を捨てて出て行ったんだろう」「……彼女が自分の人生をどう選ぶかは彼女の権利です。それを俺がどう受け止めるのかも俺の自由だ。あなたが口を出すことじゃありません」 徹生の目がカッと開いた。「何だと?」「言っておきましょう、お父さん」 蒼生はあぐらの上に組んだ両手を下ろし、静かに徹生を見上げる。その目に微かに炎が宿る。徹生と同じ炎の色。「俺はね、麻奈を愛してるんだ」「……愛?」 目を丸くした徹生に、蒼生はうなずく。「そうですよ。あなたには理解できないことでしょうが、世の中には妻や家族を愛する男もいるんです」「そんな凡人の戯言を……」「愛など必要ない、と言う方がよほど凡人の戯言でしょう。否定するのは簡単だ」 徹生の唇が震えた。目を見開いて蒼生を睨みつける。蒼生は目の前の父親を眺めた。……お父さん。今のあなたには何が残っているんでしょう。「おふくろは誰にも愛されないまま死んだ。生涯に一人、誰かに愛されたいと願っていながら、それが叶えられることはなかった」「……子供を一人しか産めなかった女が何を贅沢な」 徹生は吐き捨てる。「……まあ……産んだのが男だったことだけはせめてもだったが。でなければ追い出していた」「俺はね、決めたんだ。愛する女を見つけたら、愛し抜こうって。目の前の妻、一人だけ。それが麻奈です」「……あんな痩せぎすな、どこにでもいるような平凡な……」「俺には世界に一人だけ」 蒼生は徹生に首を振る。「あなたにはわかりません。誰も愛したことがないんだから。……もしかしたら自分すらも」「……なに?」 蒼生は膝の上で組んだ両手に目を落とした。「お父さん。あなたには何を言っても無駄だ。理解なんかできやしない」「……お前……俺を舐めるなよ……」 徹生の目が
last updateHuling Na-update : 2026-10-10
Magbasa pa

第84話 背中合わせ

 麻奈はテーブルの上のスマートフォンを見つめていた。あのニュースを見てから、何度も手を伸ばした。が、蒼生の電話番号を見ると、そこで手が止まってしまう。「……わかってる。私が連絡しなきゃ、蒼生からは連絡がないんだってこと」 唇を噛んでうなだれる。……だって蒼生は……最初にあんなやり方で追いかけて来たんだから……。もう私を追いかけることなんてできないわよね。 麻奈はスマートフォンから目を逸らすと、顔を上げた。唇をきゅっと噛む。「……でも、黒沢さんから連絡してもらってもいいのに」 夕食を片付けて、インスタントコーヒーが湯気を上げるカップだけが乗っているテーブルに目をやる。「……でも……。私が飛び出したんだから……私から連絡するのが筋……なのかな……」 目の端を手で拭う。麻奈はまたうなだれてしまった。……沙雪さん、綺麗だった……。凛として、芯の強い感じで。蒼生とはもうお祝いしたのかな。和解おめでとうって。……二人で……笑い合ったのかな……。「……こんなの惨め……いつまでもどっちつかずのままでいるわけにもいかないのに」 何度も目をこする。涙が一つ、指を伝って手の甲まで流れて行った。「……私がここで迷ってたって……蒼生はもう結論を出してる……きっと」 麻奈は膝を抱えてうずくまった。立てた膝に額をこすりつける。「……優しいから……言えない……? 私が聞かないとだめ……?」 小さくなって体を震わせたまま、麻奈はいつまでも震えていた。 蒼生は寝室のベッドの上でスマートフォンを見つめていた。訴訟の和解とTOBの報道が流れた。沙雪に会い、和解条件の報酬金が入ったのを確認し、間宮の墓に報告をした。弁護士も税理士も紹介した。沙雪親子はもう心配ない。全て終わった。「……麻奈……。出て行ってから……一度も連絡もない」 ため息が漏れる。「俺からは連絡しちゃいけない……そうだよな、この期に及んでまだ追いかけるなんて、あいつがどれほど嫌がるか」 スマートフォンに手を伸ばしかけて、それを止める。「……いつまで待てばいい? 麻奈、どうしても俺を許せないか……?」……沙雪から
last updateHuling Na-update : 2026-10-11
Magbasa pa

第85話 女心

——麻奈だ。 蒼生は慌ててスマートフォンを掴む。取り落としそうになりながら、やっと応答をタップする。「はい」「……麻奈です」 遠くから麻奈の硬い声が耳に届いた。「……うん」 蒼生は目を細めた。……元気にしてるか? 何か困ってないか……?「麻奈……待って……」「離婚届、書くわ」 蒼生を遮って麻奈の声が冷たく響く。「いつまでも、こんな中途半端な状態じゃいられないから。きちんと終わった方がいいと思うの」「待ってくれ」 蒼生はスマートフォンを握りしめた。「待ってくれ、麻奈、俺は……」「ニュース見たわ。蒼生、本当に沙雪さんのこと大事に思ってるのね」……え? 思わず手元を見る。「違う、誤解だ。麻奈、違うんだ」「あんなこと、誰にでもできるわけじゃないでしょ。蒼生だからできた。沙雪さんを大事に思う、蒼生の心がそうさせた。……違う?」「間宮も、だ。麻奈、聞いてくれ。沙雪は今も間宮と一緒に生きてる。沙雪の心には間宮がいる。それは変わらない。ずっとそうだった。俺が変わったんだ。俺は……」「でも、すごく大事に思ってなきゃあんなことしない」 麻奈の声がもう一つ固くなる。蒼生はベッドのシーツをくしゃくしゃに握りしめた。「許せなかったんだ。間宮をあんなふうに使い潰して、沙雪と子どもを貧困に追い落として平気な顔をしてる奴らが……それだけだ。俺は沙雪を……」 握りしめたシーツをぐいと引っ張る。「……大切に思ってた、間宮も沙雪も。だけどお前が考えてるようなことじゃない。俺は……沙雪を……」……麻奈、お前なんだ。俺が今、一番大切なのはお前なんだ。「俺は、沙雪をもう愛してない」 暗い寝室のベッドの上で、握りしめたシーツを放して蒼生は体を震わせた。「……お前なんだ。俺が……大切なのはお前だ、麻奈。もう俺を許せなくてもいい、ただ……」 絞り出すような声が蒼生の喉から漏れる。「お前が……一番大切なんだ……」 電話の向こうが静まり返った。沈黙の後、すすり泣くような息遣いが一瞬聞こえる。「だって
last updateHuling Na-update : 2026-10-12
Magbasa pa

第86話 乙女心

 電話の向こうで息を飲む気配がした。しゃくり上げる息づかいが伝わる。小さな泣き声が漏れた。「……泣くなよ……泣かないでくれ。……麻奈。お前に泣かれたらどうしていいかわからない」 蒼生が膝の上で拳を握ったとき、麻奈が叫んだ。「私のことはずっと知らん顔だったくせに……! 私が大切だって言うなら、言葉じゃなくて、それを見せてよ……!」「……え?」 暗闇の中で蒼生は顔を上げた。思わず立ち上がる。……追いかけても……いいのか? それが嫌だったから、俺に居場所も教えないでいたんじゃないのか?「……いいのか? お前を探しても?」 それには答えないまま、麻奈の涙声が続いた。「……電話も何にもなくて……。メールだって手紙だってなくて……。ただ……ずっと……知らん顔して……」 しゃくり上げる麻奈の声に、蒼生の口元が優しく上がる。クローゼットの扉を開け、コートを掴む。「……いいよ」 ゆっくりうなずく。「お前のアパートに行くよ。探す。お前に会いに行く」 麻奈の声が途切れた。次の瞬間、叫び声が聞こえる。「だめ!」「……ん?」「来ちゃだめって言ったでしょ……!」 蒼生は掴んだコートを引きずり出す。……追いかけろと言うなら、俺はどこまでも追いかけるぞ。だめなんて言わないでくれ。麻奈、お前に会いたい。見つけさせてくれ。「……俺は……どうしたらいい……?」 一瞬間が空いた。蒼生が言葉を継ごうとしたとき、麻奈の声が跳ね返った。「そんなの自分で考えて……! 何でもできるでしょ……」 蒼生は首を傾げた。……どっちだ? 追いかけていいのか、悪いのか。……俺はどうしたらいい?「……何でもって……例えば……?」「……え? 例えばって……」 勢いを失った声がしばらく途切れ、やがて呟きになった。「……沙雪さんにしたみたいに訴訟で勝っちゃうとか……土砂降りの雨の中でずぶ濡れになって『やっぱり君が一番大切なんだ』って叫ぶとか……」 蒼生は暗闇を見つめた。しばらく考える。……訴訟……? 内容にもよるが……。「……お前、訴訟を抱えて
last updateHuling Na-update : 2026-10-13
Magbasa pa

第87話 お好みで

 翌日、麻奈はバナナを一本とインスタントコーヒーを一杯、慎重に体に入れてから、シューズを履いて玄関を出た。 ウエストポーチにはカフェイン入りのエナジージェルとスポーツドリンクを入れてある。……まずは30キロ走の前に体の調子を見ること。 とんとん、と跳ねてから走り出す。……いつものロードワークで補給と給水を試してみる。体の状態をチェックする。30キロ走は本番までに2本入れる。まずはそのための準備。「最初の一本までに体に合うやり方を整えておかなくちゃ」 犬を連れたご近所さんが向こうから手を振っている。「頑張れ! 当日、テレビ見てるから!」「おはようございます」 麻奈は笑った。「嬉しいけど、私、テレビには映らないですよ」「あ、そうなの?」 きょとんとするご近所さんに麻奈は手を振る。「でも、ありがとう! 頑張ります!」 笑顔のまま、また走り出す。……蒼生のバカ……。 きっと前を向いて、足先に神経を集中する。……っていうか、私がバカ。あれじゃ追いかけて欲しいって言ったのも同然じゃない。離婚しましょうって電話したはずなのに。 腕時計に目を走らせるとペースの確認をする。思っていた以上に体が前に出る。足が軽い。……だいぶ整ってきた。本番まで、このまま緩く上り調子を維持できたらいい。 腕の振りを確かめる。上半身をリラックスさせる。……別に……ヘリコプターから飛び降りなくったって……私が帰ったときに蒼生がアパートの前に立っててくれたら……。 麻奈はふっとアパートの方角へ視線を走らせた。……来ちゃだめって言ったけど……でも、蒼生が待っててくれたら……。 少し首を振って、麻奈は視線を戻した。……いいの。今は考えない。目標に集中。頑張れ、私。 目の前の坂道を麻奈は駆け上って行った。 社長室では、蒼生が考え込んでいた。黒沢が蒼生のコーヒーをデスクに置く。「SS案件が終わったばかりなのに、また何かお考えですか?」「……いや、まだ完全には終わってない。事後処理がある」 コーヒーを取ると、
last updateHuling Na-update : 2026-10-14
Magbasa pa

第88話 麻奈の世界

 蒼生は小高い丘を登り切って自分の車を駐車場に停めると、カエラム・ジムを見上げた。一見してスポーツジムとは思えない、黒い石材と鏡面ガラス仕上げの四角い建物。入り口にも派手な看板などなく、「CAELUM」とだけ記されたエンボス加工の金属板が柔らかなクリーム色の照明に照らされている。 入り口をくぐると、メンバー限定のラウンジ、ジュースバーが見える。天井からは小さな案内板が下がり、『スパ・リカバリーエリア』と矢印があった。 カウンセリングと軽い運動機能評価を終え、トレーニングルームへ向かう。「ようこそ」 高い天井と優しい色の壁材に囲まれたパーソナルトレーニングルームへ入ると、専任トレーナーがにこやかに笑顔を浮かべた。「ではまず体をほぐしましょう。それから、少し歩きますか」 トレーナーの補助を受けながら体をほぐし、トレッドミルに乗ると、蒼生は歩き始めた。……まあ……たまにはこういうのもいいか。 歩きながらぼんやりと前を見る。目の前の壁はガラス張りになっていて、小高い丘の上からの夜景が見渡せる。室内には穏やかな音楽が流れている。 周りを見渡そうと視線をずらした途端に、体が少し傾いた。「視線は逸らさないで。足先がブレますからね。まっすぐ前を見てください」……ああ、そうか。 蒼生はまた前を見る。……麻奈。……お前……今、どこで走ってる……? トレッドミルの回転音と自分の足音が部屋に響く。……俺が……ここでトレーニングしたら……一緒に走れるのか? 夜景がきらきら光っている。体を包むような静かな音楽が流れる空間で、それは別の世界のように見える。……お前を追いかけられるか? 一緒に走ったら……お前の望みを叶えてやれるか? 俺の心を見せられるのか?「無理ですね」 トレーナーが首を振った。 蒼生が20分ほど歩いてトレッドミルを降り、軽いプランクをしてからクールダウンに入ったとき。何気なくフルマラソンの話をすると、トレーナーは首を振ったあと、にっこりした。「お忙しいでしょうし、まずは1年くらいかけて体を作りましょう。フルマラソンに挑戦するならそれからです。初めは6時間を
last updateHuling Na-update : 2026-10-15
Magbasa pa

第89話 エナジージェル

 夜の暗さが増し、真っ黒な夜空に星が瞬くようになった。空気はきりりと引き締まり、外へ出るのに上着が一枚必要になる。 ほとんど人影のないカエラム・ジムのサロンで、蒼生はドリップマシンから落としたエスプレッソのカップを片手に、ガラス窓の向こうに広がる夜景を眺めていた。 エスプレッソは悪くない。いつも口にしているブルーマウンテンほどではないが、苦味と香りが心地いい。大理石のカウンターの向こうからスタッフが焙煎して出してくれるナッツも、噛み割れば快い音を立てて口から鼻に香ばしい香りが抜けて行く。 トレーニングを終え、リカバリールームでゼログラビティチェアに横たわり、宙に浮くような感覚に身を任せる。疲労が体から抜け落ちて行くのを楽しんだあと、このサロンでコーヒーとナッツの香りを楽しみ、自宅へ戻る。 最近では週に1度か2度、蒼生はここへ通うようになった。何故か疲れが取れるような気がする。ゼログラビティチェアのおかげだけではないようだ。「……まあ……無理にでもスケジュールを空けるだけのことはある」 カリっと音を立ててアーモンドを噛み割ると、エスプレッソに手を伸ばした。気持ちのいい木の実の香りが口の中に広がる。 ここで真面目にトレーニングした結果、5,000mほどなら軽く走れるようになった。……タイムさえ気にしなければ。「……なんとなく引き締まったような気もするな……」 蒼生は自分の体を見下ろす。……別に今までたるんでいたわけでもないが。……まあ……なんというか……引き締まった……気がする。 頬杖をついて夜景を眺める。……麻奈。今ごろ大会に向けて走り込んでいるんだろうな……。あの山吹色のシューズを履いて。「……無理にアパートを探すのは……邪魔になるだけなんだろうな……」 呟いてエスプレッソを飲み干し、立ち上がると、スポーツバッグを肩にかけて玄関に向かって歩き出す。ふと、ラウンジに隣接するショップのガラスに映る鮮やかな色に目が止まった。……山吹色。麻奈のシューズの色だ。 蒼生は足を止めて覗き込む。そこには鮮やかな色彩に彩られたパッケージの補給食がにぎやかに並んでいた。「……あまり気にしてなかったが……こういうの
last updateHuling Na-update : 2026-10-16
Magbasa pa

第90話 朝のコーヒー

 朝、神崎テクノロジーズの社長室長室に黒沢が顔を覗かせた。「早野室長、よろしいですか」「ああ、いいよ」 早野は、部屋の隅に置かれたカウンターでコーヒー豆を挽いていた。部屋中にブルーマウンテンの香りが漂っている。「黒沢、君も飲む?」「……いただきます」 きらりとメガネを光らせると、黒沢は早野のデスクに書類を置いた。「室長、秘書を選んでいただきませんと……」「……ああ、俺の秘書か……」 挽き終わった豆をフィルターに移し、サーバーにセットすると、沸かしたお湯を一回り注ぐ。細長い注ぎ口が突き出した銀色のドリップポットに黒沢は目をやると、早野の手元を眺める。「……相変わらずご自分でコーヒーを淹れるんですね」「……うん、なんとなくね」 腕時計で時間を測りながら、早野はカップを2つ温める。「そこのソファに座ってて」 振り向かずに手だけでソファを指す。「チョコレートが欲しければ、俺のデスクの上に置いてあるから。さっき取締役の水木さんが持って来た」「甘いものはお好きじゃありませんからね、早野室長」 黒沢はデスクに置かれたチョコレートの箱に目をやる。「……ピエール・マルコリーニ……」「うん、高いやつみたいだな」 早野は蒸らしの終わったコーヒー豆に慎重にお湯を回しかけ始めた。程よく空気を含んだ細かな豆の上に、すぐに褐色の泡が膨れ上がる。「……一ついただきます」 黒沢はチョコレートの箱を取った。「全部持って行けばいい。秘書室のみんなで食べて」 サーバーに滴り落ちる褐色の雫の鎖を見つめながら早野は呟いた。「……俺の秘書……黒沢さんじゃダメかな……?」 黒沢はソファに座ると、メガネをくいっとかけ直した。「私は秘書室長で社長秘書ですので。お断りします」「……そりゃそうだ」 早野はカップを温めていたお湯を捨て、サーバーからコーヒーを注ぐ。「じゃあ誰でもいい。誰か適当に選んでおいてくれ」 黒沢の前にカップを一つ置くと、早野はコーヒーの香りを一度嗅ぎ、一口飲んだ。黒沢はコーヒーカップを手に取
last updateHuling Na-update : 2026-10-17
Magbasa pa
PREV
1
...
789101112
I-scan ang code para mabasa sa App
DMCA.com Protection Status