All Chapters of 妹に婚約者も名誉も奪われましたが、私は王宮中の弱みを知っています 〜泣き寝入り令嬢の静かな復讐が、冷血宰相の執着を呼びま: Chapter 31 - Chapter 40

70 Chapters

第31話 善意を盾にする者

白羽の会の資料は、美しかった。 それが、リディアの第一印象だった。 王国監査局の資料室に運び込まれた箱は、全部で七つ。 どれも白い封紙で包まれ、角には小さな羽根の印が押されている。 帳簿は紺革で綴じられ、背表紙には金の文字。 支援先一覧は月ごとに整理され、寄付者名簿は家格順ではなく五十音順。 受領証の写しも残っている。 礼状も保管されている。 地方修道院、王都病院、未亡人救済所、退役兵家族会、孤児院。 どこから見ても、几帳面で、清潔で、善良だった。 清潔すぎるほどに。「綺麗ですね」 セオが横で言った。 彼は白羽の会の帳簿を一冊開き、眉をひそめている。「綺麗すぎますね」 リディアは答えた。「やっぱり補佐官もそう思います?」「ええ」「普通、善意で動いている団体って、もっと字が乱れていたり、月末だけ妙に帳尻が合わなかったり、担当者が変わった時に書式が崩れたりするんですよね」「経験則ですか」「監査局にいると、善意も怠慢も筆跡に出ると学びます」「嫌な学びですね」「はい。でも結構当たります」 セオは帳簿のページをめくった。「白羽の会は、まるで最初から誰かに見られることを想定して作られているみたいです」「同感です」 リディアは、支援先一覧を指でなぞった。 配分額。 申請額。 承認額。 受領日。 感謝状の有無。 備考欄。 美しい。 しかし、美しさと正しさは同じではない。「ロザリー、旧印章の照合結果は?」 リディアが尋ねると
last updateLast Updated : 2026-09-08
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第32話 慈善の仮面を剥がす

公開監査は、王宮東棟の小法廷で行われた。 小法廷といっても、普段は重罪人を裁く場所ではない。 王宮内の不正、貴族家の会計問題、官吏の職務怠慢、寄付金の不透明な処理。 そうした、表立っては血が流れないが、放置すれば国の骨を腐らせる問題を扱う場所だった。 壁は白い石で造られ、窓は高い。 飾りは少ない。 薔薇も、香油も、銀皿の菓子もない。 あるのは、長机。 記録官の席。 証言者用の椅子。 監査局の紋章。 そして、傍聴席。 慈善茶会の大広間とは、まるで違う。 その違いが、今日の意味をはっきりさせていた。 ここでは、善意の香りは通用しない。 通用するのは、記録だけだ。 リディアは監査局側の席に座り、資料を整えていた。 隣にはギルベルト閣下。 その後ろにセオとロザリー。 少し離れた証言者席には、シスター・マルタが静かに座っている。 傍聴席には、慈善茶会に関わった夫人たちがいた。 ローデン伯爵夫人。 ミルシュ男爵夫人。 クラウゼン伯爵夫人。 ほか、慈善茶会運営委員の名を連ねた者たち。 誰もがいつもより地味な装いをしている。 宝石も控えめだ。 公の監査の場で華美に飾れば、余計な印象を与えると分かっているのだろう。 その中で、オルガ・ヴェルクレア公爵夫人もまた、淡い灰色のドレスで座っていた。 母は美しかった。 疲れていても、目の下にうっすら影があっても、それでも美しい。 ただ、以前のように完全ではなかった。 扇を握る指先に迷いがある。 背筋は伸びているが、肩のあたりがわずかに硬い。
last updateLast Updated : 2026-09-09
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第33話 悪女審問会の招待状

王宮監査局に届く書状には、いくつか種類がある。 急ぎのもの。 面倒なもの。 開ける前から胃が重くなるもの。 そして、封蝋を見ただけで周囲の空気が少し冷えるもの。 その朝、リディアの机に置かれた書状は、最後の種類だった。 白い厚紙の封筒。 金縁の飾り罫。 封蝋には、王宮式部局の紋章。 交差する月桂枝と、儀礼杖。 貴族の茶会、王宮儀礼、謁見式、公式行事、後援会認定。 人の序列と評判を、もっとも美しい形で並べ替える部署の紋章だった。 セオが書状を盆に載せたまま、妙に嫌そうな顔をしていた。「補佐官。朝一番でこれです」「顔に出ていますよ、セオ」「出しています。これは出していい顔です」「王宮式部局からですね」「ええ。開封前から香水の匂いがする気がします」「紙の匂いでは?」「いいえ、陰謀の香水です」 セオは真顔だった。 普段なら軽口で流すところだが、今朝の彼の声には本当に棘がある。 リディアは封筒へ手を伸ばした。 指先が少し冷える。 式部局。 ベルナール・オルト。 第4章の公開監査で白羽の会の上位名簿にその名が出たばかりだ。 早すぎる。 いや、向こうにとっては遅いくらいなのかもしれない。 慈善の仮面を剥がされ、白羽の会の名が記録に出た。 次は、自分たちが記録される前に、記録する者を傷つけに来る。 そう考えれば自然だった。「開けます」 リディアは封を切った。 中には、折り目まで美しい書状が一枚。
last updateLast Updated : 2026-09-10
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第34話 元婚約者は証人に呼ばれる

 エドガル・クレイム第二王子の執務机の上に、王宮式部局の封蝋が押された書状が置かれていた。 白い封筒。 金の縁取り。 月桂枝と儀礼杖の紋章。 それは、普段なら王宮の宴や公式式典、貴族令嬢の披露目、各種後援会の認可に関する文書で使われるものだった。 少なくとも、王族であるエドガルが、それを見て胃を重くするようなものではなかった。 だが今、その封筒は毒を含んだ菓子のように見えた。 見た目は美しい。 けれど、口にすれば喉の奥で引っかかる。「殿下」 侍従のダリオが、少し離れたところから声をかけた。「お読みになりますか」「……読む」 エドガルはそう答えたが、手はすぐには動かなかった。 読む前から、内容は分かっている気がした。 審問会。 リディア・ヴェルクレアの監査補佐官としての適性と、貴族令嬢としての品位を問う場。 その証人として、自分が呼ばれる。 なぜなら、自分は元婚約者だから。 そして、彼女を最初に悪女にした男だから。 エドガルはようやく封を切った。 書状の文面は、礼儀正しかった。 礼儀正しい文章ほど、人を追い詰めることがあると、最近知った。『エドガル・クレイム第二王子殿下 王宮式部局主催審問会において、リディア・ヴェルクレア嬢の近時の行動および監査活動に関し、殿下のご所見を賜りたく、証人としてのご出席をお願い申し上げます。 特に、婚約解消に至る経緯、リディア嬢のセレスティナ・ヴェルクレア嬢への態度、ならびに殿下の執務補助に関する事実確認について、ご証言いただく予定です。』 エドガルは、そこで息を止めた。 婚約解消に至る経緯。
last updateLast Updated : 2026-09-11
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第35話 妹は被害者席を降りる

王宮式部局からの書状は、セレスティナの部屋にも届いた。 白い封筒。 金の縁取り。 封蝋には、月桂枝と儀礼杖。 それだけで、手紙というより、舞台へ立つための招待状のように見えた。 もちろん、楽しい舞台ではない。 誰かに見られ、誰かに判断され、誰かの望む役を演じさせられる場所。 セレスティナは、机の前に座ったまま、しばらく封筒を見つめていた。 開けなければ、何も始まらない気がした。 けれど、開けなくても中身はもう分かっている気がした。 姉の審問会。 自分はそこへ呼ばれる。 リディア・ヴェルクレアに虐げられた可哀想な妹として。 泣けばいい。 怖かったと言えばいい。 姉は冷たかったと言えばいい。 そうすれば、きっと周囲は頷く。 あの夜会の時のように。 階段の下で泣いた時のように。「お嬢様」 ノーラが静かに声をかけた。「お開けになりますか」「……開けなかったら、なかったことになる?」「なりません」「そうよね」「はい」「ノーラは時々、優しくないわ」「必要な時だけです」「今がその時?」「はい」 セレスティナは、少しだけ笑った。 笑う余裕があることに、自分で少し驚く。 以前なら、もう泣いていたかもしれない。 怖い。 分からない。 誰か助けて。 そう言えば、誰かが代わりに封を切り、代わりに内容を説明し、代わりに自分が傷つかない
last updateLast Updated : 2026-09-12
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第36話 母は最後の鎖を出す

雨上がりの王宮は、石畳の匂いが強い。 湿った灰色の石。 水を含んだ庭木。 馬車の車輪が残していった泥の跡。 遠くで鳴る鐘の音。 リディアは王国監査局の廊下を歩きながら、手にした資料の端を整えていた。 式部局審問会まで、あと二日。 机の上には、山のような証拠がある。 慈善基金の支出記録。 白鳩文具商会の燃え残り文書。 銀梟会の噂操作資料。 白羽の会の旧印章照合記録。 地方へ流された王家不信書簡。 式部局から白鳩文具商会へ出された複写依頼の可能性がある控え。 そして、元婚約者エドガル第二王子の証言書写し。 まだ正式提出前のものだが、王太子府を通じて概要が監査局へ共有された。 リディアは、その一文を読んだ時、しばらく手が止まった。『私は、リディア・ヴェルクレア嬢との婚約期間中、彼女の能力と沈黙に長く依存していた。』 遅い。 あまりに遅い。 そう思った。 同時に、ようやくか、とも思った。 怒りと、疲れと、どこか薄い安堵のようなものが混ざって、気持ちは簡単には名前をつけられなかった。 セレスティナからの返答書の写しも届いている。『私は、被害者の席に座るためではなく、事実を述べるために参ります。』 それを読んだ時、リディアは少しだけ目を閉じた。 妹がまた泣くかもしれない。 言葉に詰まるかもしれない。 昔のように、誰かに守られる席へ戻りたくなるかもしれない。 それでも、出席を決めた。 その事実は、記録に値する。 許すかどうかとは、別に。 リディアは資料を抱え直した。 この二日間で、自分も証言
last updateLast Updated : 2026-09-12
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第37話 悪女裁判、開廷

王宮式部局の大審問室は、美しかった。 それがまず、リディアの神経を逆撫でした。 高い天井。 白い壁。 金細工の施された柱。 中央には、濃い赤の絨毯。 壁際には季節の花が飾られ、窓から差し込む光が、磨き上げられた床に柔らかく反射している。 裁く場というより、祝宴前の控え室のようだった。 だが、置かれている椅子の数と配置だけは、あまりに露骨だった。 中央に、証言台。 奥に、式部局側の長机。 その左右に、貴族や夫人たちの傍聴席。 監査局の席は、少し横へ寄せられていた。 目立つが、中心ではない。 まるで、この場の主導権は式部局にあるのだと示すように。 リディアは、入口で一度だけ足を止めた。 この赤い絨毯。 並ぶ視線。 囁き。 どこか、あの夜会に似ている。 婚約破棄の夜。 階段の下でセレスティナが泣き、自分が悪女にされた夜。 絨毯の色まで同じに見えるのは、ただの偶然だろうか。 それとも、式部局の趣味の悪い演出か。「リディア」 隣から低い声がした。 ギルベルト閣下だった。 黒の礼装。 王弟としての飾緒は最小限。 それでも、彼がそこにいるだけで、周囲の空気が一段引き締まる。「はい」「証拠を見ろ」 言われるまでもなく、リディアの手には資料箱がある。 だが、その一言で、呼吸が戻った。 人の顔ではなく、記録を見る。 声ではなく、証拠を見る。
last updateLast Updated : 2026-09-13
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第38話 泣いた妹の証言

エドガル・クレイム第二王子の声は、審問室の空気を変えた。「リディアは、冷酷だったのではありません。私が、彼女の仕事に甘えていました」 その一言は、美しい大審問室に落ちた小石のようだった。 小石ひとつで湖面は割れない。 けれど、波紋は広がる。 傍聴席の夫人たちが顔を見合わせた。 第二王子府の官吏が息を呑んだ。 ベルナール・オルトの指が、手元の紙の端を一度だけ押さえた。 ほんの一度だけ。 それを、リディアは見逃さなかった。「殿下」 ベルナールは、少しだけ声を柔らかくした。 相手を慰めるような、導くような声だった。「ご自身を責めすぎてはいけません。婚約解消当時、殿下はセレスティナ嬢を守ろうとされた。目の前で涙を流す令嬢を見れば、紳士として、王族として、庇いたくなるのは自然なことでしょう」 まるで救いの手を差し出すような言葉。 だが、その手はエドガルの首にもう一度、綺麗な鎖をかけようとしている。 リディアはそう感じた。 エドガルも感じたのか、顔を歪めた。「自然だったとしても、正しくはありませんでした」 彼は言った。 声はまだ震えている。 だが、逃げてはいなかった。「私は、確認を怠りました。セレスティナ嬢は、リディアに押されたと断言したわけではなかった。私は、それを知りながら、彼女の涙を自分に都合よく受け取りました」 審問室に、小さなどよめきが走る。 セレスティナの肩が震えた。 リディアは、証言台からエドガルを見ていた。 かつて婚約者だった人。 優しい王子だと信じようとしていた人。 そして、自分を悪女にした人。
last updateLast Updated : 2026-09-14
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第39話 元婚約者の遅すぎた謝罪

セレスティナが席へ戻った後、審問室には妙な沈黙が残っていた。 誰もが、どう反応すればいいのか分からない顔をしていた。 泣いた妹が、姉を刺さなかった。 それどころか、自分の涙が姉を悪女にする材料になったと証言した。 それは、この審問会を用意した者たちにとって、想定外だったのだろう。 ベルナール・オルトは笑みを保っている。 だが、その笑みは、最初よりも少し硬い。 柔らかな布の下に、針金の骨が見え始めている。「では」 ベルナールは、ゆっくりと紙を整えた。「エドガル第二王子殿下の証言へ戻りましょう」 エドガルは、席で一度肩を揺らした。 まるで、もう一度水の中へ入れと言われた人間のようだった。 王太子アーヴィンが、隣で何かを囁く。 短い言葉だった。 リディアには聞こえない。 だが、エドガルは小さく頷いた。 証言台へ戻る足取りは、先ほどより重い。 それでも、彼は立った。 元婚約者。 かつてリディアに微笑み、将来を約束し、そして皆の前で切り捨てた人。 彼が今、再び皆の前に立っている。 リディアは、胸の中に古い痛みが戻ってくるのを感じた。 あの夜。 彼の声。 君との婚約を破棄する。 あの一文で、自分の十年近い時間が、まるで役に立たない紙屑のように捨てられた。 その記憶は、まだ消えない。 消えないまま、リディアは証拠を見る。 机の上の書類。 監査局の印。 王太子府から届いた証言書の写し。 ギルベルト閣下が言った通り、人の顔で
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第40話 悪女は帳簿で勝つ

証拠十一。 白鳩文具商会の焼け残った紙片が、審問室の中央に置かれた。 黒く焦げた端。 かすれた文字。 薄く残る羽根印。 それは、美しい王宮式部局の大審問室には、ひどく不似合いなものだった。 白い壁、金の柱、赤い絨毯、花の香り。 その中に、焼けた紙。 だがリディアには、その焦げ跡こそが、この場で一番正直なものに見えた。 紙は燃えた。 燃やされた。 消されるはずだった。 けれど、残った。 人間の言葉より、ずっとしぶとく。「証拠十一」 ロザリーが無表情で読み上げる。「白鳩文具商会店舗裏焼却炉より回収された燃え残り文書の写し。本文一部判読可能。記載内容に『リディア嬢の排除は王家内部の信用低下へつながる可能性あり』との文言を確認」 審問室の空気が、重く沈んだ。 先ほどまでリディアの感情を問うていた場が、紙片一枚で別の顔を見せ始める。 ベルナール・オルトは、相変わらず穏やかな表情をしていた。 だが、指先だけが机の上でわずかに動く。 小さな動き。 しかし、リディアは見た。 ギルベルト閣下も見ている。「リディア嬢」 ベルナールは、ゆっくり口を開いた。「その文書については、まだ出所が完全に確定していないのでは?」「出所は白鳩文具商会です」「白鳩文具商会が独自に作成した可能性もあります」「もちろん、可能性としてはあります」 リディアは認めた。 認めた瞬間、傍聴席の一部が少しだけざわめく。 敵は、その小さな隙を欲しがっている。
last updateLast Updated : 2026-09-16
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