All Chapters of 妹に婚約者も名誉も奪われましたが、私は王宮中の弱みを知っています 〜泣き寝入り令嬢の静かな復讐が、冷血宰相の執着を呼びま: Chapter 41 - Chapter 50

70 Chapters

第41話 勝利の食事は味がしない

 勝利の食事、という言葉ほど、今のリディアに似合わないものはなかった。 王宮東棟の奥、宰相執務室に隣接した小さな食堂。 普段はギルベルトが会議の合間に使う部屋らしく、飾り気はほとんどない。 壁には王国地図。 窓際には書類箱。 丸いテーブルの上には、湯気を立てる皿が二つ。 焼いた白身魚、野菜の煮込み、柔らかいパン、温かいスープ。 食後のためらしい蜂蜜漬けの果物まで用意されている。 どれも丁寧に作られていた。 香りもよい。 おそらく、普通なら食欲をそそるのだろう。 だが、リディアは匙を手にしたまま、しばらくスープの表面を見つめていた。 勝った。 悪女裁判は反転した。 ベルナール・オルトの式部局副長官室と、白羽の会、白鳩文具商会、逃亡していたマルク・レイン。 それらを結ぶ糸が見えた。 リディアを私怨の悪女として断罪するはずだった審問会は、式部局と白羽の会を監査対象へ変えた。 元婚約者は謝罪した。 妹は被害者席を降りた。 母は手紙を探すと言った。 傍聴席の夫人たちまで、少しずつ証拠の側へ動いた。 勝った。 そのはずだった。 なのに、スープの匂いが遠い。 味を想像しようとしても、舌がひどく鈍い。「食べろ」 向かいから、低い声がした。 ギルベルトだった。 彼はすでに上着を少し緩めている。 だが、食事中だというのに、目はまだ審問室の続きにいるようだった。 冷たい怒りと、疲労と、どこか抑えた苛立ち。 王弟宰相という役割は、食卓でも彼を完全には離してくれないらしい。「食べ
last updateLast Updated : 2026-09-17
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第42話 逃げた秘書の告白

マルク・レインは、思っていたより小柄な男だった。 白羽の会後援事務局の秘書。 旧印章の最終管理者。 白鳩文具商会と式部局副長官室をつなぐ可能性のある人物。 逃亡中に王都外の宿場で確保された、と聞いた時、リディアはもっと狡猾な男を想像していた。 よく笑い、言葉を選び、問いに問いで返し、証拠の隙間をすり抜けるような男。 だが、監査局の聴取室に連れてこられた彼は、そんな印象からは遠かった。 痩せた頬。 落ちくぼんだ目。 乱れた髪。 襟元は汗で湿っている。 上等な服を着ているのに、着られているという感じがする。 両手は膝の上で落ち着きなく動き、椅子の背にもたれることさえできない。 目の前に出された水にも、まだ手をつけていなかった。「飲んだ方がいい」 ギルベルトが言った。 優しい声ではない。 命令に近い。 マルクはびくりと肩を震わせ、慌てて杯を取った。 水が少しこぼれる。 彼はそれを見て、さらに青ざめた。「も、申し訳ございません」「水をこぼした罪で処刑はしない」 ギルベルトが淡々と言う。 セオが部屋の隅で小さく咳払いをした。 笑いを殺したのだろう。 リディアも、少しだけ気が抜けそうになった。 だが、すぐにマルクへ視線を戻す。 ここは聴取室だ。 そして、目の前の男は怯えている。 恐怖で口を閉ざす者は、無理にこじ開けても本当のことを吐かない。 自分を守るための嘘、相手に迎合するための嘘、逃げるための嘘。 それらが混ざって
last updateLast Updated : 2026-09-18
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第43話 王妃宮の白い扉

 王妃宮は、王宮の北側にある。 王の執務棟や謁見の間、貴族たちが行き交う大回廊とは違い、そこだけ時間の流れが少し遅い。 白い石壁。 細い尖塔。 冬でも枯れにくい常緑樹の庭。 銀色の格子がはまった窓。 そして、正面にある二枚扉。 白い扉。 王妃宮を知る者は、よくそう呼ぶ。 王妃の清らかさを象徴する扉。 王国の母たる方が、静かに祈り、慈しみ、弱き者へ手を差し伸べる場所。 そう教えられていた。 少なくとも、王妃教育を受けていた頃のリディアは、そう信じようとしていた。 だが今は、その白さが怖い。 白いものは、汚れが目立つ。 けれど、汚れを隠すために塗り重ねることもできる。 何度も、何度も。 朝の監査局会議室には、王妃宮に関する資料が積まれていた。 王妃宮の出入り記録。 封書発送簿。 王妃宮専用紙の管理台帳。 女官長私印の使用申請。 白羽の会設立当初の後援者名簿。 王妃名義の慈善書簡。 机の周りにいる者たちの顔は、誰も明るくない。 ギルベルト。 リディア。 セオ。 ロザリー。 王太子府から派遣された若い文官。 そして、少し遅れて入室した王太子アーヴィン。 王太子は、入ってきた時点で疲れた顔をしていた。 王族の疲労は、あまり表に出さないよう訓練されている。 それでも、今朝のアーヴィンは隠しきれていなかった。「王妃宮か」 アーヴィンは資料の表題を見て、低く言った。 それだけで、会議室の空気がさらに重くなる。 彼にとって王妃宮は、ただの部署ではない。 継母で
last updateLast Updated : 2026-09-19
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第44話 優しい令嬢は、場を乱しません

 王妃宮の白い扉は、近くで見ると、思っていたより重そうだった。 磨かれた白木に、細い銀の装飾。 扉の中央には百合の紋。 左右には、無言の女官が二人。 彼女たちはリディアたちを見ると、同時に、ほとんど同じ角度で頭を下げた。 完璧だった。 完璧すぎて、人形のように見える。 リディアは、胸の奥が少しだけ冷えるのを感じた。 王妃教育時代も、そうだった。 この宮にいる人々は、動作の乱れを許さない。 足音。 礼の角度。 視線の高さ。 指先の置き方。 言葉を発するまでの間。 すべてに正解があり、間違えれば、声を荒げることなく訂正される。 その訂正は、優しかった。 だから余計に、逃げ場がなかった。「リディア」 隣から、ギルベルトの声がした。「はい」「呼吸が浅い」「……よくお気づきで」「君は緊張すると、資料を持つ指に力が入る」 リディアは自分の手を見た。 確かに、持参した資料箱の取っ手を強く握りすぎている。「監査対象ですか、私の指は」「重要な状態確認だ」「また重要項目が増えましたね」「君が増やしている」「不本意です」 ギルベルトは、扉を見る。「戻るか」「戻りません」「聞いてみただけだ」「閣下が本当に戻す気なら、聞かずに連れ戻すでしょう」「その通りだ」「認めるのですね」「嘘は言わない」
last updateLast Updated : 2026-09-20
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第45話 役に立つ令嬢ではなく

 王妃宮から監査局へ戻る道は、やけに長く感じた。 実際には、王宮北棟から東棟へ回廊を二つ抜け、庭園沿いの石畳を通り、監査局のある棟へ入るだけだ。 普段なら、書類を読みながらでも歩ける距離だった。 けれど、その日は足の裏に鉛でも貼りつけられたようだった。 白い扉。 白い手袋。 白い茶室。 優しい令嬢は、場を乱しません。 カトリーヌ・メイアの声が、耳の奥にまだ残っている。 彼女の言葉は、刃のようには刺さらない。 むしろ布だ。 柔らかく、清潔で、上品で、気づけば口を塞がれている。 リディアは、それを切った。 切ったはずだった。 聞き分けがよいことと、嘘に従うことは違います。 そう言えた。 台帳も確認した。 白羽の会設立時の代行確認署名として、カトリーヌ・メイアの名も見つけた。 監査としては前進だ。 明らかな前進。 そのはずなのに、胸の奥がやけに寒い。 監査局の階段を上がったところで、セオが少し後ろから声をかけた。「補佐官、歩幅がいつもの七割です」「測っているのですか」「だいたいです」「だいたいなら記録しないでください」「では心証に」「それも最近、便利に使いすぎです」 軽口を返せた。 返せたが、声に力がない。 自分でも分かる。 セオも分かっているのだろう。 それ以上ふざけず、少しだけ声を落とした。「茶室、嫌な感じでしたね」「そう見えましたか」「
last updateLast Updated : 2026-09-21
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第46話 妹からの招待

 セレスティナ・ヴェルクレアからの手紙は、監査局の書類の山の中で、ひどく浮いていた。 王妃宮慈善後援目録。 白羽の会設立記録。 王妃名義慈善書簡の筆跡鑑定依頼。 カトリーヌ・メイア女官長の私印照合表。 マルク・レイン追加聴取予定表。 エレミア・フォルスター侯爵夫人への出頭命令案。 その間に、一枚だけ淡い水色の封筒。 封蝋はヴェルクレア公爵家のものではない。 小さな押し花を閉じ込めた簡素な封。 宛名は、少し震えた文字で書かれていた。『リディアお姉様へ』 監査局臨時監査補佐官でも、リディア・ヴェルクレア嬢でもない。 お姉様。 リディアは、その文字をしばらく見つめていた。 開ける前から、胸の奥が少し騒がしい。 セレスティナからの手紙は、以前にも届いている。 孤児院を見たこと。 ミラが靴下のお礼を言っていたこと。 泣く順番を問うたこと。 被害者席を降りる決意。 あの手紙たちは、謝罪であり、問いであり、報告だった。 今回の封筒は少し違う。 軽い。 中に書類が入っていない。 それだけで、不思議と怖い。 リディアが封を切ろうとした時、横からセオが覗き込んできた。「妹君からですか」「覗かないでください」「覗いていません。見えました」「それを覗くと言います」「すみません。補佐官宛ての私信は、監査局的にはどう扱えば?」「扱わなくて結構です」「緊急性があるかもしれません」「ありません」「開ける前に分かるんですか?」「&helli
last updateLast Updated : 2026-09-22
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第47話 王妃の沈黙

 王妃イザベルの署名は、美しい。 細く、流れるようで、最後の一画だけが少し跳ねる。 まるで、白鳥の羽先が水面をかすめるような文字だった。 リディアは、王妃宮から提出された慈善書簡の原本を机に並べながら、その署名をじっと見ていた。 王妃名義の書簡は、全部で二十七通。 白羽の会設立承認に関するもの。 地方慈善団体への後援推薦。 貴族夫人たちへの礼状。 冬季毛布配布会への祝辞。 聖ルカ孤児院を含む複数施設への支援配分通知。 そして、白羽の会に対する「王妃宮の信任」を示す文面。 どれも丁寧だった。 紙も上質。 文章も優美。 王妃宮らしい、白く静かな言葉。 だが、美しいものほど疑え。 ここ数日で、リディアはそれを嫌というほど学んでいた。「筆跡鑑定官メリッサ・ロウより、一次所見が届きました」 ロザリーが封書を開け、淡々と読み上げる。 監査局の資料室には、リディア、ギルベルト、ロザリー、セオがいた。 机の上には王妃宮の書簡。 壁際には白羽の会の記録箱。 窓の外は曇っている。 雨にはならないだろうが、光は鈍い。「王妃イザベル陛下の既知筆跡と比較した結果、二十七通中、王妃本人筆跡と高い一致を示すものは三通。代筆と見られるものは十九通。そのうち、署名部分まで代筆と推定されるものが十一通」 セオが、思わず顔をしかめた。「署名まで、ですか」「はい」 ロザリーは続ける。「署名代筆疑義の十一通のうち、七通にカトリーヌ・メイア女官長の手控え文字と共通する筆圧、字間、終筆癖が確認される。正式鑑定には追加資料が必要」 資料室が静まり返った。
last updateLast Updated : 2026-09-23
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第48話 冷血宰相の不器用な求婚

 王妃宮の文書庫から見つかった未発送の封書は、監査局の空気を一段冷やした。『王妃様が沈黙を破りました。白羽の上の方へ、至急お伝えください』 短い一文。 それだけで十分だった。 王妃イザベルは、少なくとも沈黙の側から出ようとしている。 そして、その沈黙が破られることを恐れる者がいる。 カトリーヌ・メイア女官長は、王妃の名を利用していた可能性が高い。 だが、彼女だけではない。 白羽の上の方。 マルク・レインの証言にも出たその言葉が、また紙の上に現れた。 つまり、上がいる。 王妃宮の白い扉のさらに奥。 あるいは、王妃宮の外側に立ち、白い扉を便利に使っていた誰か。 その誰かが、リディアたちの次の相手になる。 分かっている。 分かっているのに、その夜、ギルベルトは仕事の話を途中で打ち切った。「今日はここまでだ」 監査局の資料室で、リディアは書簡の写しから顔を上げた。「まだ確認すべき箇所があります」「明日確認する」「ですが、カトリーヌ女官長の私室から見つかった封書と、エレミア侯爵夫人の過去の書簡を照合すれば、白羽の上位連絡先の手がかりが」「明日だ」 二度目の言い方は、ほとんど命令だった。 リディアは眉をひそめる。「閣下。私は食事を取りました」「知っている」「蜂蜜入り茶も飲みました」「知っている」「倒れてもいません」「今後倒れない保証にはならない」「最近、閣下は私の健康
last updateLast Updated : 2026-09-24
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第49話 王妃を黙らせる夜

夜の王妃宮は、昼よりも白かった。 月明かりのせいだろうか。 それとも、王妃宮そのものが、夜になるほど人の気配を拒むようにできているのか。 白い壁。 白い柱。 白い扉。 銀の窓枠。 庭に並ぶ常緑樹の影だけが、黒く沈んでいる。 リディアは馬車を降りた瞬間、肺の奥が冷えるのを感じた。 王妃宮へ向かう間、ギルベルトはほとんど口を開かなかった。 リディアも同じだった。 屋敷の書庫に残してきた婚姻契約草案のことが、頭の隅に引っかかっている。 いや、正確には、その書類ではない。 ギルベルトの言葉だ。『怒る君も、泣けない君も、一粒だけ泣いた君も、食事を忘れる君も、役に立たなければ意味がないと震える君も、子どもの字を見て笑う君も、妹君に困っている君も。全部含めて、隣にいてほしい』 あの言葉は、胸の中に残っていた。 温かくて、重くて、恐ろしくて、今この瞬間には場違いなほど柔らかい。 だが、その直後に届いた知らせが、すべてを夜の王妃宮へ引き戻した。『白羽の上にいる方は、今夜、王妃様を黙らせる』 カトリーヌ・メイア女官長が倒れた後、意識を取り戻して口にした言葉。 王妃を黙らせる。 その一文が、リディアの背中を冷やしていた。 王妃宮の正門前には、すでに王宮警備隊と監査局の保全官が配置されていた。 昼間の王妃宮とは違う。 女官たちの動きは硬い。 廊下の灯りは落とされている。 誰も大声を出さない。 静かすぎる。 静けさとは、時に叫び声よりも不自然だ。「閣下!」 駆け寄ってきたのは、セオだった。 外套の前を乱
last updateLast Updated : 2026-09-25
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第50話 白羽の上の方

ヴァルモント公爵家の紋章は、古い。 ただ古いだけではない。 古すぎて、現在の貴族名鑑では簡略化された形しか載っていないほどだった。 王宮文書庫の奥から引き出された紋章記録帳は、革の表紙が乾き、開くたびに紙が小さく鳴った。 深夜の監査局資料室。 窓の外は、まだ暗い。 王妃宮から戻ってきてから、リディアは一度だけ食事を取った。 取らされた、と言った方が正しいかもしれない。 ギルベルトが見張り、セオが茶を注ぎ、ロザリーが無表情で「摂取確認」と書き留めた。 抗議する気力も、もうなかった。 温かい煮込みを食べ、蜂蜜入り茶を飲み、そして今、リディアは再び書類の前にいた。 ただし、今度は無理をしている感覚ではない。 怒りが体を支えている。 王妃を黙らせようとした者。 王妃の薬湯に、殺すためではなく、声を奪うための香草を混ぜた者。 リディアを悪女にし、セレスティナを被害者席へ座らせ、エドガルを守る王子に仕立て、王妃宮の慈善を支配の網に変えた者。 その影が、ようやく紋章という形を取り始めていた。「これです」 セオが、古い紋章記録帳を机の中央に置いた。 いつもの軽い声ではない。 深夜のせいか、あるいは内容の重さのせいか、少し掠れている。「ヴァルモント公爵家旧従属紋。今は正式な家紋としては使われていませんが、古くから仕える家令筋、外部使者、私的連絡役が使っていた記録があります」 ページには、細い蔦のような線と、小さな冠。 薬湯を持ち込んだ使者の外套留めにあった紋と、リーナ女官が震える手で描いたもの。 完全一致ではない。 けれど、似ている。 偶然で片づけるには、似すぎてい
last updateLast Updated : 2026-09-26
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