「鷺宮社長。夫婦の話は終わっていません」 正臣が言った。 「ここは夫婦の寝室じゃない。会議室だ」 燎は正臣から離れた椅子を引いた。 「ここに座れ、灯里」 「命令しないで」 言い返した私を見て、白髪の女性の口元がわずかに緩んだ。 「SENOVAで検証を担当する成瀬です」 彼女は莉乃の正面へ座った。 私は燎が引いた椅子に座った。 燎もその隣に腰を下ろし、画面をつけた。 正臣の隣へ戻るつもりはない。 燎に守ってほしいわけでもない。 それでも、彼が隣に座ったことに、ほっとしてしまった。 「会議を始める」 正常値を示す緑の印が並んだ。 正臣の血も、昔の台所も、画面の光に押し戻される。 「その前に」 正臣が榊へ顎を動かした。 榊が一枚の紙をテーブルへ置く。 正臣は、私から目をそらさなかった。 「妻は、開発者として判断できる状態ではありません」 正臣の声は穏やかだった。 妻を案じる夫にしか聞こえない。 診断書。 学校で見せられたものと、同じ医師の名前だった。 私は、この医師に会ったことすらない。 それでも、白い紙に病名が書かれているだけで、会議室の空気が変わった。 隣の株主が、私から椅子を少し離した。 父の代からいる役員まで、私と目を合わせようとしない。 さっきまで開発者を見ていた目が、何をするかわからない女を見る目に変わっていた。 反論すれば、興奮していると思われる。 黙れば、やはり正常な判断ができないと思われる。 何を言えばいいのか、わからなくなった。 燎は診断書に触れなかった。 隣に座っているのに、私をかばう言葉もない。 膝の上で、両手を強く握った。 ここでも、誰にも信じてもらえないの。 正臣の口元が、わずかに緩んだ。 その顔を見た瞬間、悔しさが恐怖を上回った。 「私は、この医師の診察を受けていません」 最初の声は、少しかすれた。 私は診断書を榊へ押し戻した。 「問診も検査も受けていない。家族から聞いた話だけで、どうして私の診断名が決まるんですか」 「ご家族の安全を守るためです」 榊は答えたが、私を見なかった。 「この診断書に、私を会議から外す権限があるんですか」 「……ありません」 「では、私の話を聞いてく
最終更新日 : 2026-09-16 続きを読む