All Chapters of 皇后を殺したのは寵妃様です。下級宮女の私は犯人を知っていますが、姉を殺され、母に売られたので後宮ごと地獄に落とします: Chapter 41 - Chapter 50

57 Chapters

第四十話 阿梨の腹は、誰のものでもない

阿梨の寝所に、何者かが向かっている。 その報せを聞いた瞬間、阿梨の手から小梅の指が離れた。「私の、寝所……?」 顔から血の気が引いている。 小梅のそばで泣いていた目が、今度は恐怖に見開かれた。「行かなきゃ」 阿梨が立とうとする。 けれど、足に力が入らない。 寝台の縁へ手をついたところで、体が大きく揺れた。「阿梨!」 蘭々が駆け寄り、肩を支える。「駄目、立たないで!」「でも、私の部屋に……私の物が……」「物より阿梨の方が大事!」「違うの!」 阿梨の声が裏返った。 普段は弱く、遠慮がちに話す子だ。 小梅を守る時でさえ、声を震わせながら必死に言葉を選んでいた。 その阿梨が、蘭々の腕を振り払おうとした。「返してもらわなきゃ……あれを見られたら、私の子まで……」 私の子。 その言葉で、部屋が静かになった。 小梅の赤子――灯の細い泣き声だけが聞こえる。 阿梨もまた、子を宿している。 流れかけた命。 薬と香で弱らされ、古い産屋へ隠されていた女。 梁氏の帳面には、小梅の子を失った場合、阿梨の胎を使うと書かれていた。「阿梨」 私は台車の上から呼んだ。「寝所に何がありますか」 阿梨の目が、こちらへ動く。 答えようとして、唇が震えた。「腹帯……」
last updateLast Updated : 2026-09-17
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第四十一話 父を名乗る資格

「その子の父を知りたいなら、私に聞けばいい」 景蘭様は、阿梨の寝所の外に立っていた。 黒い衣。 その下から覗く紫金の袖。 右足をわずかに引いた姿勢。 笑っている。 けれど、いつものように余裕だけで作られた笑みではなかった。 右手が、かすかに震えている。 月琴の言葉と一致する。 紫金の衣。 薬の匂い。 震える右手。 阿梨の腹帯に残された記録が示す特徴は、景蘭様にも当てはまっていた。 景黎様が、私たちと景蘭様の間へ入る。 剣は抜かなかった。 けれど、柄へ置いた手には力が入っている。「一歩でも近づけば斬る」「怖いな」 景蘭様は笑った。「久しぶりに会った身内へ、最初に言う言葉がそれかい?」「お前と身内話をする気はない」「では、子供の話をしよう」 景蘭様の目が、阿梨の腹へ向いた。 阿梨は反射的に腹を両腕で覆った。 その顔から血の気が引いている。 けれど、景蘭様から目を逸らさなかった。「あなたが……父親なの?」 阿梨の声は震えていた。 部屋にいる誰も、代わりに答えなかった。 これは阿梨の問いだ。 本人が聞くべき問い。 景蘭様は、少しだけ首を傾けた。「私が父親だったら、どうする?」「質問に答えて」「産む?」「答えて!」 阿梨の叫びが、荒らされた寝所に響いた。 景蘭様の笑みが薄
last updateLast Updated : 2026-09-18
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第四十二話 廃庭の赤蓮

景蘭様の招待は、夜だった。 皇后宮の廃庭。 そこに、皇后様が外朝を裁くために残した最後の帳面がある。 罠だと分かっている。 景蘭様自身が、罠だと隠そうともしていない。 それでも、行かなければならなかった。 皇后様が何をしようとしていたのか。 梁氏を止めるだけだったのか。 それとも、梁氏に関わった者をまとめて斬り捨てようとしていたのか。 私を使った人が、他にどれだけの人を使うつもりだったのか。 見なければ、皇后様を美しい犠牲者のまま残すことになる。 けれど、景蘭様の言葉だけを信じれば、今度は皇后様を冷酷な策士として決めつけることになる。 どちらも嫌だった。 だから、自分の目で見る。 皇后様に選ばれた目としてではない。 明霞姉様の代わりでもない。 私が、見たいと決めたから。     ◇ 廃庭へ向かう前に、私は医療房へ戻った。 小梅は眠っていた。 灯は、小さな籠の中で布に包まれている。 あまりにも小さい。 息をするたび、胸がわずかに上下する。 生きている。 それだけで、胸が詰まった。 阿梨は寝台へ戻されていた。 腹帯は、春燕の記録ごと証拠箱へ入れられている。 梁徳は拘束された。 朱燕と月琴も別室にいる。 それでも阿梨は、自分の腹を両腕で抱いていた。 誰かがまた奪いに来るのではないか。 そんな顔だった。「行くの?」 阿梨が私を見る。「はい」「景
last updateLast Updated : 2026-09-19
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第四十三話 死なせてもらえない男

赤い蓮が、次々に燃え上がった。 火は花弁の形など守らない。 油を吸った赤布を舐め、枯れた茎へ移り、割れた石灯籠の隙間から噴き上がる。 さっきまで美しく並んでいた灯籠は、もうただの火種だった。「西の排水路へ!」 蓮貴妃様の声が飛ぶ。 蘭々が台車の取っ手を掴み、勢いよく押した。「行くよ、鈴花!」「待って、帳面!」「白瑛さんが持ってる!」 白瑛は皇后様の帳面を胸へ抱き、濡らした外衣で包んでいた。 景黎様は景蘭様の腕を掴んでいる。 景蘭様は抵抗こそしていなかったが、炎の向こうを振り返っていた。 まだ、燃える廃庭を見ている。 自分が死ぬはずだった場所を。「景蘭、歩け!」「帳面は無事か」「お前より無事だ!」「それは何より」「今それを言うか!」 景黎様の声が怒鳴り声になった。 景蘭様は、いつものように笑おうとした。 けれど、うまく笑えていない。 毒のせいか。 火の熱か。 右手だけでなく、足も震えていた。「景黎様、景蘭様を背負ってください!」 私が叫ぶと、景黎様がこちらを見る。「こいつを?」「歩けていません!」「歩けるよ」 景蘭様が言った直後、膝が崩れた。 景黎様が腕を引かなければ、そのまま燃えた蓮灯籠へ倒れていただろう。 蘭々が、台車を押しながら叫ぶ。「それ、歩ける人の倒れ方じゃないです!」「洗衣局の女に言われると、妙に傷つくな」
last updateLast Updated : 2026-09-20
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第四十四話 皇帝を裁く帳面

 皇后様の帳面には、皇帝陛下の名があった。『景耀』 赤い印。 三本の線。 赤は、自ら利益を得て、人を害した者。 三本線は、外朝より永久に退ける者。 皇后様が毒で殺された事件を調べていたはずなのに、その被害者である皇后様は、夫である皇帝陛下まで裁きの鎖へつないでいた。 誰も、すぐには口を開かなかった。 燃えた皇后宮からは、まだ黒い煙が上がっている。 景蘭様は毒を抜くため医療房へ運ばれた。 沈烈も梁徳も拘束された。 夜は明けた。 けれど、帳面の中だけは、まだ夜より暗かった。「……同じ名の者ではないのか」 最初に口を開いたのは、皇帝陛下だった。 声は落ち着いている。 落ち着かせようとしている、と言った方が正しい。「景耀という名の官吏が、どこかに」 白瑛は帳面を見たまま答えない。 答えられないのではない。 皇帝陛下が、ご自分で分かっているからだ。 この帳面に、官吏の諱だけが書かれることはない。 官位。 所属。 関係した事件。 必ず何かが添えられている。 その名の下にも、小さな文字があった。『皇帝』 見間違いではない。「陛下です」 私は言った。 皇帝陛下の目が、ゆっくり私へ向く。「断じるのが早いな、鈴花」「字がございます」「字が偽られている可能性は」「帳面自体は白瑛が本物と確認しました」「一部だ
last updateLast Updated : 2026-09-21
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第四十五話 玉蘭妃の最後の質問

玉蘭妃様の部屋へ向かう廊下は、朝なのに夜の匂いがした。 薬。 汗。 血を拭いた布。 焦げた皇后宮から流れてきた煙。 それから、甘い香。 玉蘭妃様の部屋には、まだ花の香が焚かれている。 毒を吐き、髪を乱し、罪人として見張られているのに、部屋だけは寵妃の部屋のままだった。 人間は、最後まで何かを飾る。 母の顔。 聖女の顔。 忠臣の顔。 毒妃の顔。 そして、美しい寵妃の顔。 私は台車の上で、皇帝陛下の背中を見ていた。 陛下は歩くのが遅かった。 逃げているわけではない。 けれど、一歩ごとに何かを踏んでいるように見えた。 母を疑わなかった日。 皇后様の帳面を開かなかった夜。 玉蘭妃様の涙を信じた記憶。 その全部を踏みながら進んでいる。 景黎様は隣にいる。 肩の傷を庇っているくせに、顔には出さない。 出ているけれど、本人だけが出ていないと思っている。「景黎様」「何だ」「痛いですか」「痛くない」「嘘ですね」「少しだ」「少しではないと思います」「今は兄上の方を見ていろ」「見ています」「なら俺を見るな」「目は二つあります」 景黎様は、何か言い返そうとして諦めた。 蘭々が後ろで小さく笑う。「黎星様、負けた」「勝負ではない」「でも負けた顔」
last updateLast Updated : 2026-09-22
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第四十六話 母を許さない娘

 慈寧宮からの報せを聞いた時、私は台車の縁を握った。『鈴花の母を売った本当の相手を教えてやる』 太后様は、そう言ったらしい。 その言葉は、私の喉の奥へ冷たい針のように刺さった。 母を売った相手。 母が私を売った相手ではなく、母を売った相手。 それが言葉遊びなのか、本当に別の意味があるのか。 太后様なら、どちらもあり得る。 あの人は、最後まで母の顔を捨てきれない。 いや、捨てたくないのだろう。 自分が母であることを盾にする。 誰かの母であることを餌にする。 今度は、私の母を使って私を動かそうとしている。「行きません」 私は言った。 廊下にいた全員が、こちらを見る。 老医官様だけが深く頷いた。「よろしい」 蘭々は驚いていた。「え、行かないの?」「行きません」「鈴花が?」「はい」「本当に?」「何回確認するの」「だって、鈴花なら『行きます』って言って、老医官様が怒って、黎星様が怒って、私が台車押す流れかと」「私を何だと思っているの」「鈴花」「そのままですね」 否定できないのが腹立たしい。 景黎様は、少し眉を寄せた。「罠だと分かっているからか」「はい」「だが、太后様が本当に何かを知っている可能性もある」「あります」「なら」「その前に、母に聞きます」 自分で口にして、胸の奥が少し痛んだ。
last updateLast Updated : 2026-09-23
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第四十七話 白家の古い帳面

父の名が、足元へ落ちてきた。 死んだはずの人。 借金を残した人。 母を追い詰め、私が後宮へ売られるきっかけになった人。 私の中では、もうぼんやりした影だった。 顔も、声も、年々薄れていた。 それなのに今さら、その影が白家の帳面に手を伸ばしてくる。『鈴花の母を最初に白家へ売ったのは、あの子の父親よ』 太后様は、そう言った。 私は寝台の上で、母の顔を見た。 母は眠っている。 眠っているのに、眉間に深い皺が寄っていた。 苦しそうだった。 父の名を聞いたのか。 聞いていないのか。 どちらにしても、母の寝顔は穏やかではなかった。「鈴花」 蘭々が、私の肩を押さえている。「起きない」「まだ何も」「起きようとした」「考えただけです」「鈴花の考えるは、もう半分起きてる」 ひどい言い方だ。 否定できないのが、さらにひどい。 私は息を吐いた。「白家の古い帳面を確認しないと」「誰が?」「私が」「駄目」「まだ最後まで言っていません」「言う前から駄目」 蘭々は真顔だった。 釜の蓋を磨く手を止め、私を睨む。 その蓋には、まだ少し焦げ跡が残っていた。 何度磨いても落ちないらしい。 太后様の茶を止め、沈烈の矢を受けた焦げ。 蘭々はそれを嫌がりながら、どこか大事そうに残している。 傷は、消すものと残す
last updateLast Updated : 2026-09-24
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第四十八話 父の顔をした商人

父が生きているかもしれない。 その言葉は、毒より遅く効いた。 最初は、ただ頭が白くなった。 次に、胸が冷えた。 それから、思い出が勝手に動き出した。 市場で買ってもらった甘い餅。 肩車された時に見えた屋根瓦。 母に叱られている父の横顔。 私の膝についた泥を、笑いながら払ってくれた手。 その手が、母を白家へ売った。 その手が、母が戻ってきた時、さらに銀を受け取った。 その手が、私を「観察対象」として白家の帳面に残した。 優しい記憶が、嘘だったとは思わない。 でも、優しい記憶だけで父を守ることもできなかった。 人間は、本当に面倒だ。 優しかった人が、ひどいことをする。 ひどいことをした人が、優しく笑ったりする。 だから、記憶は刃になる。 私は寝台の上で、じっと天井を見ていた。 老医官様の命令で、起き上がることは禁止。 会議も禁止。 尋問も禁止。 移動も禁止。 何なら、考えすぎも禁止されそうな勢いだった。 けれど、考えるなと言われて止まるなら、人は苦労しない。「鈴花」 母の声がした。 隣の寝台からだった。 細い声。 まだ喉が痛むのだろう。 でも、さっきよりはっきりしている。「寝ている?」「起きています」「でしょうね」「なぜ分かるのですか」「あなたは昔から、寝たふりが下手だった」 そんなことを言われると、困る。
last updateLast Updated : 2026-09-25
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第四十九話 毒の上で育った家

私は、毒の上で育った。 父は、そう言った。 私が眠った部屋。 母が粥を炊いた台所。 父が私を肩車した庭。 その下に、白家の地下香庫がある。 還子茶。 女帳。 梁氏の本帳。 慈寧宮へ流れた金。 皇后様を殺す毒の、もっと古い根。 それらが、私の家の下に眠っている。 私はしばらく、何も言えなかった。 言葉が喉の奥で詰まった。 怒りでも、悲しみでもない。 もっと気持ちの悪いものだった。 自分の幼い記憶の底が、急に腐った水で満たされるような感覚。「鈴花」 蘭々が、私の肩を掴んでいた。「息して」「しています」「してない顔」「顔で呼吸は」「屁理屈言えるなら大丈夫」「大丈夫ではありません」「うん。じゃあ、大丈夫じゃないまま息して」 蘭々の言葉は、時々乱暴で、時々変に正しい。 私は息を吸った。 白家の古い帳面の匂い。 父の衣についた香の匂い。 母の薬湯の匂い。 洗衣局の灰と湯気の匂い。 全部が混ざって、吐き気がした。「地下香庫とは何ですか」 私は父を見た。 父――柳昭は、縛られたまま座らされている。 白啓と名乗っていた男。 死んだはずの父。 その顔は、少し楽しそうだった。 自分がまた場の中心にいることを、楽しんでいる。 そういう顔だった
last updateLast Updated : 2026-09-26
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