第30話 茨城国運営 常陸、磐城、下総、上総、安房を束ね、領地全体の名を茨城国へ改めた龍之介は、南北に長い国土を一つにつなぐ街道の整備へ力を入れた。 どれほど農地を広げ、港や鉱山を開発しても、そこで生まれた品を運べなければ国は豊かにならない。北の磐城で掘り出した石炭を日立や鹿島の造船所へ送り、房総で取れた魚や塩を水戸へ運び、内陸で収穫した米や野菜を港町へ届けるには、人と荷が安全に行き来できる道が必要だった。 龍之介は、領内の主要な町と城を結ぶ道を広げ、橋を架け、雨が降っても荷車が泥へ沈まないよう、場所によっては砂利や砕いた石を敷かせた。 その中でも特に重視したのが、磐城から常陸を通り、房総半島へ続く海沿いの街道である。 龍之介はこの道を「陸前浜街道」と名づけた。 人や荷を運ぶ幹線道路であると同時に、海辺の集落を守るための境界線として利用する考えだった。「陸前浜街道より海側には、新たな住居を建てることを禁ずる。すでに海辺へ家を構えている者については、順次、街道より内陸か、高台へ移ってもらう」 水戸城から触れが出されると、沿岸の村々では困惑と反発の声が上がった。 漁師にとって海の近くに住むことは、単なる好みではない。夜明け前に船を出し、漁を終えれば、すぐに魚を運び込まなければならない。網や船具を修理するにも、海から離れた場所では不便が多かった。 先祖代々暮らしてきた家を、理由も分からないまま移せと言われれば、不満を抱くのは当然である。「新しい御領主様は、我ら漁師に海へ近づくなと仰せなのか」「港から離れた高台へ住んだのでは、毎朝、船まで歩くだけで日が昇ってしまう」「城や街道を造るために、浜の土地が欲しくなったのではないか」 そのような声が家臣から報告されると、龍之介は領民を命令だけで従わせようとはしなかった。「海で暮らす者が不満を抱くのは当たり前だ。城から触れを出すだけで納得しろというほうが無理であろう。私が直接、村へ行って話す」 家臣たちは、関東管領であり正二位左大臣でもある龍之介が、一つ一つの漁村へ出向く必要は
最終更新日 : 2026-09-24 続きを読む