「おめでたですね」 医師がモニターを指差しながら告げた言葉に、私は内診台の上で凍りついた。 (赤ちゃんが……? 嘘でしょう) 一瞬の戸惑いの後、電光石火のようにスペインの生あたたかい空気が蘇る。灼熱の夜。シーツが汗でぐっしょりになるほど、熱く激しく抱き合った。まるでギリシャ神話に出てくるアポロンのように彫りの深い美貌が脳裏をよぎり、心臓が甘い音をたてた。私は本当に愚かな女だ。名前も、住んでいる場所も、何も知らない相手なのに。まるで、愛する人を思い出したみたいに、ときめくなんて。「おめでとうございます」看護師の笑みは柔らかく、私はそっとまだ平らなお腹に手をあてた。命が、今、ここにある。特別な夜の忘れられない輝きが、否応なしに私の心を震わせて……。私は「ありがとうございます」と小声で答えた。 ◆ あれは二ヶ月ほど前のこと。出張先の業務が思いの外早く終わり、私は恋人、白石達也の待つアパートに一日早く帰宅した。驚かせようと、玄関ドアをそーっと開ける。赤いハイヒールが目に入った。(あれ? こんな靴、持ってたっけ)一瞬そう思った私は、本当に鈍感だったと後から思う。ベッドルームから、女性の嬌声が聞こえてきて、やっと私は気がついた。恋人の留守中に浮気相手を部屋に引っ張り込む。そんなドラマみたいなことが、己の身に降り掛かっているのだ、と。不安をかきわけるようにして廊下を進む。ベッドルームのドアは大きく開かれていたが、直視する勇気を持てず、部屋の前で立ち尽くした。これは、夢だ。悪夢を見ているんだ。私は自分にそう言い聞かせた。一言、今から帰るとメッセージを送っておけば、こんな場面には出会わなかった。最近、あまり……してなかったから……きっと、彼も魔が差して……。甘い言い訳に逃げ込みそうになった私を、睦言が現実へと引き戻す。「……ねえ、いいでしょ。私……百合とは全然違うでしょ」「当たり前……っ。あいつ、女としては終わってるから」吐息と嬌声、ベッドの軋む音、そして……小馬鹿にしたようなクスクス笑い。え……?スマホカメラを立ち上げて、恐る恐る中を覗いた私の前に、衝撃的な場面が飛び込んできた。仰向けになった達也の体に馬乗りになり、のけぞっている、アッシュピンクの巻き髪姿。|田中直美《たなかな
Last Updated : 2026-08-24 Read more