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last update publish date: 2026-08-24 15:56:33

8月のスペイン。

燃えるように熱く、そして、情熱的な……日本とはまるで違う国。

嫌な記憶を捨て去るように、足がくたくたになるほどあちこち回った。

念願のサクラダファミリアには圧倒された。

無駄の塊なんて、とんでもなかった。

私は大きなものが好きだ。自然でも生き物でも、建物でも。

自分があまりにもちっぽけだから、逆に心惹かれるのだろう。

(来て良かった)

そう思う。

 一通り観光を終えた私は駅前公園のベンチに腰掛けた。

近くには大道芸人がいて、超絶テクニックのジャグリングを繰り出している。

私の拍手に頭を下げる大道芸人。

帽子に5ユーロ札を投げ込む。笑顔のサムズアップが返ってきた。

日本だったら、私は極度の恥ずかしがりやで、見知らぬ芸人とコミュニケーションなんて絶対に出来ない。

変わらなきゃ……。

これからは、強引に引っ張ってくれる人も、背中をおしてくれる人もいないのだから。

と、背後で、誰かが笑う声がした。

振り向くと目が合う。

若い男女が、大道芸人を指差して、鼻をつまんでいた。

(どういうこと?)

彼らは私の前に回り込むと、小馬鹿にした様子で、帽子に何かを入れた。

そして、ケラケラと顔を見合わせて笑ったのだ。

その乾いた音が達也たちのそれと重なり、私は帽子を覗き込む。

そして……ガムの食べかすを見つけた。

 (なっ……)

 大道芸人は悲しげに肩をすくめている。

その姿が、ごみ処理女と言われてしまった自分と重なり胸がいたんだ。

(わざわざ侮辱する意味がわからない…………この人は……きっと誰かを喜ばせたくて……芸を披露しているだけなのに……)

私だって……。

ただ、真面目に生きていただけなのに……。

いつしか私は拳をぎゅっと握りしめていた。

「あの!」

私は立ち上がり、無法者を呼び止めた。

振り向かない。

追いかけようとした時、目の前に誰かが現れて……私は思わずつんのめる。

「あっ。すみません……」

ぶつかりそうになったのを謝ろうとして、まじまじとその背中を見つめた私は、その広くて逞しい背中にはっとした。

(……大きい……!)

多分、180センチは超えてそうな……だけどスリムなその男性に、何故だか釘付けになってしまう。

その人は腰をかがめ、帽子からゴミを拾うと、たたっと無法者たちを追いかける。

「落とし物だよ」

英語だった。

無法者カップルたちは気づかない。

男性は白人男性の肩へ手をあてて、振り向かせた。無法者は一瞬眉根を寄せてムッとしたような表情を浮かべたが、声をかけたその人の、自分より頭一つ分高い身長差におそれをなしてか、受け取りそのまま去っていく。

「……OH」

大道芸人が感心したようにつぶやく。

 ゴミを拾った長身の男性……白いTシャツにカーキ色の帽子を被り、真っ青なジーンズをスタイリッシュに着こなした彼は振り向いた。

瞬間、心臓がドキンと大きく跳ねる。

帽子から少しはみだしているさらりとした黒髪に、涼し気な目、まるで彫刻のように美しい鼻梁と顎、男っぽい雰囲気。灼熱の太陽を背負った彼はまるでアポロンの生まれ変わりのように、ひどく美しかったのだ。

大道芸人は笑顔で彼に何やら話しかけている。

彼はスペイン語で芸人に何かをリクエストしたようだった。

芸人はOKと親指を立て、ジャグリングを開始した。男性は満足そうに腕を組み、その姿をじっと見ている。

そして、芸が終わると、お札を何枚か取り出し、大道芸人に手渡した。

彼が凄まじい美形だったということを除けば、なんてことのないやり取りだったかもしれないけれど……私は目が離せなかった。

ただ揶揄する目的だけに、他人にゴミを投げる人もいれば、そのゴミを取りはらってくれる人もいる。

その事実が……。

この上なく嬉しくて。

 と、男性がふとこちらを見た。

黒曜石のような瞳とばっちり目があい、盗み見がバレたような気まずさを覚える。と、彼はこう言った。

「……なんかついてる?」

ぶっきらぼうな低音が鼓膜に響く。

「あっ。日本語……日本人……!?」

「そうだよ。わかって見てたんじゃないのか」

私はぶんぶんと首を横に振った。

「いいえっ。全然……ただ、綺麗な人だなあって……」

どうしよう。さらっと正直な感想を語ってしまった。

恥ずかしさに、顔が真っ赤になっていくのを感じる。

「見た目を褒められるのは正直慣れてる。しかし君はずいぶんストレートだな」

全く表情を変えずに淡々と彼は言い、シャープな顎をなぞっている。

(自信家だわ……でも、まあ、そうよね……)

 異国にいてさえ、目立つルックス。これで謙遜したら、逆に嫌味に感じるかも。

「本当に……失礼しました」

もう一度頭を下げ、立ち去ろうとすると、

「待て」

よく響く声で呼び止められた。

「え?」

振り返ると、彼は何か考えているように顎のあたりに指をつけたまま、私の全身を眺めている。

「あの……?」

「動くな。集中力が削がれる」

集中って……何の?

見られたからやり返す……というわけでも無さそうだが、スキャンするみたいに鋭い視線が私の全身を舐めていく。

丸裸にされているようで恥ずかしい。でも、自分が先に見ていたから、何も言えない。

「君、連れは?」

スキャンが終わったらしく、彼はポーカーフェイスのまま尋ねてきた。

「いません」

「……女の一人旅か。危険だな。君、舐められやすいだろ。いかにもカモられそうなオーラが出まくってる」

舐められやすい……!

一瞬で、達也たちの顔が脳裏に浮かんだ。

呆然としている私に、男性は続ける。

「それなのに、無鉄砲なところもある。さっき、注意しようとしただろ。ここは日本じゃないんだぞ。簀巻きにされて沈められたらどうする」

「……あ…………」

「まあ、この先は、気をつけろ」

経理とはいえ、海外旅行を扱う会社に勤めている。

異国ではいつも以上に慎重に。そんなの、新人時代から叩き込まれているはずなのに。

「本当ですね……すみません……あなたがいてくれなかったら、大変な目にあってたかも……」

私は深く頭を下げた。自分の軽はずみな衝動でこの人にまで迷惑をかけてしまうところだった。

(もしかして……私を助けてくれたの?)

ふとそんな言葉が頭をよぎる。

(そんな……まさかね……)

この人は大道芸人のプライドを守ってくれる、優しい人。だからと言って私にまで気遣ってくれていたのかも、なんて。

自意識過剰もいいところだ。

どちらにしても、私の身を案じて忠告してくれた。

きっと、とても親切な人なんだろう。

「あの、どうしたら舐められずにすむんでしょう。何かコツがあれば教えてください。あなたは、その……とても自信があるように見えるから」

すると、彼は、意外そうな顔をした。

「怒らないんだな」

「え?」

「初対面の男に散々言われて……普通は怒るだろ」

「そんな……。ありがたいです。私……自分を変えたくてここに来たから」

黒曜石のような目が、じっと私を見つめている。

心の奥底まで見透かすような、鋭く、そして美しい瞳……。

「そうだな。まずは背筋を伸ばせ」

「え?」

「隙をなくす方法だ。早くやれ」

前振りもなく、レクチャーが始まり、私はのけぞるほどに背筋を伸ばす。

「こう……ですか?」

「やりすぎだ」

「……すみません」

「息を吸うように謝るな。ああ、それじゃ、さっきと変わらん」

男性は真剣そのもので、私も自然に前のめりになる。

しかし、とうとう諦めたらしい。

「ああ、まあ、付け焼き刃じゃ、そんなもんか。嘘でもいいから自信ありげに振るまえ。カモられたくなかったらな」

旅先で、たった今会った人にさえ自信のなさを見抜かれる私。

そんな私に寄り添ってくれたのに……がっかりされたくない。

自然にすっと背筋が伸びる。

「ああ。掴んだな」

と、彼は、フフッと楽しげに笑った。

彫刻みたいな顔に浮かぶ、どこか屈託のない、少年のような笑顔。

「ありがとうございます。新しい自分になれるよう頑張ります」

私は笑顔でそう言った。

と、彼は真顔になり、少し頬が赤らんだ。

「ん? あの、どうかしました?」

「あ、いや……」

と、彼は腕時計に目をやった。垣間見えた、戸惑うような表情が消え、キリッとしたものに変わっている。

「いつが帰国?」

「明後日です……」

「そうか。明日の20時、何か予定ある?」

「特には……」

「じゃあ」

彼はポケットからカードを出し、私に手渡した。バーの名前が書いてある。

「気が向いたら来い。せっかくの縁だ。新しい門出を祝ってやる」

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