تسجيل الدخول「おはようございます。長い間、休んでしまって申し訳ありませんでした」
頭を下げる私に、どこか周りはよそよそしい。 (迷惑をかけたから仕方ない) そう思おうとしたけれど、何かが変だ。 急だったとはいえ、休暇は許されているし、うちはメンタルの不調による休職にも寛大な会社だ。なんと失恋休暇まで設けられているほどなのだ。 理由は人事部への呼び出しで判明した。 「実は、君にハラスメントの申告がでてる。しばらくはメインの仕事を離れてもらうよ」 私は両目を見開いた。 「そんな……一体誰が……」 「本人の許可をもらってるから言っておこう。営業部の白石達也くんだ。つきあっているんだろう?」 「……達也……あ、いえ、白石さんが?」 「一週間前から会社を休んで心療内科に通ってる。君からメッセージ一本で振られて傷ついたそうだ。それだけじゃなく日常的に暴言もあったんだろ? 実際やつれているからね」 そんな……! わなわなと全身が怒りに震える。 「言いがかりです」 「まあ、やってる方は無自覚って場合が多いからね」 なんということだろう。 私は確実に疑われている。 ただ生真面目に生きてきた。達也と比べれば、確実に私が信用されていると思っていた。 甘かった。 「とにかく一度話し合ってみるように」 釈然としないまま部屋を出る。 ゴミ女呼ばわりする彼が、私に未練があるとは思えない。 このまま私がフェードアウトしたら、邪魔者がいなくなって大喜びのはずなのに……。 達也の気持ちがわからない。 「ゆーり」 と、誰かに背中を思いっきり押された。 よろめいたが、転ぶ前にブレーキをかけ、思わずお腹をおさえながら視線を向けると、そこにはいたずらっぽい笑みを浮かべた直美がいた。 (……この嘘つき。よくも平然と私の前に出てこれたわね……!) 怒りに全身の血が沸騰する。 直美はくねくねしながら私を上目使いに見た。 「ねえ。どこに行ってたの? メッセージ、ブロックするなんて、私、何か悪いことした?」 私はマジマジと彼女を見た。 白々しすぎて吐きそうだった。 「失礼します」 わざと丁寧な口調で言う。 直美の表情が一瞬で変わった。 「もしかして、本気で怒ってんの? なあぜ?」 「自分の胸に聞いてみれば? 心当たりがあるはずよ」 そう言って彼女の傍らをすり抜ける。 「待ちなさいよ!」 強い口調で呼び止められた。 振り向くと、直美が怒りのためか真っ赤な顔で私を睨みつけていた。 (鬼みたいな顔……) 親友だと思っていた頃は、コロコロと表情が変わる彼女の癖を愛らしいと感じていたのに。 まるで憑き物が落ちたように、今は嫌悪しか浮かばない。 「あんた、さっきから何様のつもり? この私があんたなんかに、わざわざ優しくしてあげてるのに!」 「あげてる?」 「そうよ。あんた、ずっとひとりぼっちだったじゃない。私だけがそばにいた。その恩を忘れたの?」 そうね。確かにあなたはいつもそばにいた。 「でも、もう必要ないわ」 心からの軽蔑をこめて直美を見つめる。 彼女の目が左右に揺れ始めた。 言い返しなさいよ、と心の中で思う。 そうしたら、私も覚悟を決める。 学生時代からの親友と戦う覚悟を。 静かにファイティングポーズをとった私の前で、なぜか彼女はにっこり笑い、私の肩に手を伸ばす。 避けようとしたが間に合わず、ポンポンと肩を叩かれてしまった。 「もう。やだなあ。シリアスにならないでよ。冗談冗談」 どうしよう。今ので一気に鳥肌がたち……もう何も言い返せなかった。 「落ち着いたら達也に連絡してあげなよー。彼、あんたに嫌われたって、病みまくってるから。じゃ」 彼女はそう言うと去っていく。 ……どういうこと? また何かの罠だろうか。 人事部長のお説教は、言いがかりだと聞き流せたが、本当に彼は苦しんでる、なんてこと、ある? わからない……。 悪いのは彼らのはずなのに、責められると己の落ち度を探す、情けない私。 しかし、そんな事が、全て棚上げされるような出来事が待っていた。 お昼休みが終わり、急遽社員が講堂に集められた。 数年前に世代交代した若社長が、緊急帰国したのだという。 20代という若さでの就任と、多少のお家騒動があったとのことから、ゴシップめいた噂が飛び交っていたものの、新人だった私は業務を覚えるのに必死で、ほとんど覚えていない。「これからは毎日あの顔が見られるの? 信じられない」
「日本嫌いって言ってたのに……ねえ」 「どの国に行っても芸能界にスカウトされる顔面、それに文武両道。なんたって独身!」 「玉の輿を狙っちゃう?」どうやら、かなりのハイスペックらしい。
仲良さそうなおしゃべりを羨ましく感じつつ、私はひとりごちた。 (イケメン……か……) すぐにスペインの彼が脳裏に浮かび、心臓が甘い音を立てた。 いや、違う。 本当は、あの夜からずっと彼のことばかり思い出していた。 忘れられるはずがない。 私に、沢山の幸せをくれた優しい人。 そっとお腹に手をあてる。 (産もう。あの人の子どもを) まだ、何の覚悟もないけれど……。 その決意が、さっきまで曇りがちだった心を少し明るくさせてくれた。 と、壇上に、ふらりと背の高い男性が現れた。 何の前触れもなかったのに、ごく自然に注目が集まり、講堂はしん、と静まり返る。 すらりとしたモデル体型に覚えがあった。 え? 待って。 そんなこと……。 舞台の真ん中に立つと、彼は演台に両手をつき、マイクに顔を近づける。 女性社員たちのため息がそこここから聞こえる中、彼はゆっくりと口を開いた。 「社長の「おはようございます。長い間、休んでしまって申し訳ありませんでした」 頭を下げる私に、どこか周りはよそよそしい。 (迷惑をかけたから仕方ない) そう思おうとしたけれど、何かが変だ。急だったとはいえ、休暇は許されているし、うちはメンタルの不調による休職にも寛大な会社だ。なんと失恋休暇まで設けられているほどなのだ。理由は人事部への呼び出しで判明した。 「実は、君にハラスメントの申告がでてる。しばらくはメインの仕事を離れてもらうよ」私は両目を見開いた。「そんな……一体誰が……」「本人の許可をもらってるから言っておこう。営業部の白石達也くんだ。つきあっているんだろう?」「……達也……あ、いえ、白石さんが?」「一週間前から会社を休んで心療内科に通ってる。君からメッセージ一本で振られて傷ついたそうだ。それだけじゃなく日常的に暴言もあったんだろ? 実際やつれているからね」そんな……!わなわなと全身が怒りに震える。「言いがかりです」「まあ、やってる方は無自覚って場合が多いからね」なんということだろう。私は確実に疑われている。ただ生真面目に生きてきた。達也と比べれば、確実に私が信用されていると思っていた。甘かった。「とにかく一度話し合ってみるように」釈然としないまま部屋を出る。ゴミ女呼ばわりする彼が、私に未練があるとは思えない。このまま私がフェードアウトしたら、邪魔者がいなくなって大喜びのはずなのに……。達也の気持ちがわからない。「ゆーり」 と、誰かに背中を思いっきり押された。よろめいたが、転ぶ前にブレーキをかけ、思わずお腹をおさえながら視線を向けると、そこにはいたずらっぽい笑みを浮かべた直美がいた。(……この嘘つき。よくも平然と私の前に出てこれたわね……!)怒りに全身の血が沸騰する。直美はくねくねしながら私を上目使いに見た。 「ねえ。どこに行ってたの? メッセージ、ブロックするなんて、私、何か悪いことした?」私はマジマジと彼女を見た。白々しすぎて吐きそうだった。「失礼します」わざと丁寧な口調で言う。直美の表情が一瞬で変わった。「もしかして、本気で怒ってんの? なあぜ?」「自分の胸に聞いてみれば? 心当たりがあるはずよ」そう言って彼女の傍らをすり抜ける。「待ちなさいよ!」強い口調で呼び止められた。振
4お姫様抱っこで運ばれたのは、最上階のスイートルーム。とても広く……ロマンティックな部屋だった。カーテンのない全面窓から、バルセロナの夜景が一望できる。こんなところに、宿泊してるなんて……一体彼は何者なんだろう。「あのっ。本当に、大丈夫ですから……下ろしてください」彼の首筋に縋りながら、私は早口でそう告げた。「馬鹿……他人のことなら擦り傷一つで涙目になってたくせに」「だって、血が……」「だから、自分のことを心配しろって言ってんの」ソファに下ろされると思いきや、彼は素通りすると、奥にある重厚なドアを開けた。キングサイズのベッドが目に入り、心臓が激しく波打つ。「あ、あ、あ、あ、あのっ」彼の香りが濃くなった気がする。獣のような……。ドキッとした。「私、そんなつもりじゃ……」今更ながらに慌てた私は彼の腕の中で身じろぎした。彼は、ベッドに膝を乗り上げて、そっと私を仰向けに横たえる。逃れようとして、頭の中に鋭い痛みを覚え、また私は動けなくなる。背中がマットにつくと同時に、黒い影が私の上に覆いかぶさる。(どうしよう……私……このまま……?)ドキドキが止まらない。彼の端正な顔が近づいてきて……。逃げなきゃと思うのに、体が全然動かなかった。彼の香りが鼻腔を満たし、私はギュッと目を閉じた。後頭部に、何かが差し込まれる。「よし」妙に落ち着いた声。目を開けると、彼がベッドから片足を下ろしたところだった。(枕を……調節してくれただけ……!?)頬が一気に赤らむのを感じる。(キス……されるのかと思っちゃった…………!)「じっとしてろ」彼は厳しい顔でそう言うと、部屋から出ていった。(まだ……安心できないわ……)今私はスイートルームのダブルベッドに横たわっている。逃げなきゃと思うのに、体が緊張で動けない。やがて、彼がコップを載せたトレイを運んで戻ってきた。彼はもう一度枕を調節すると、私の口にコップを近づけ、水を飲ませてくれた。「……ありがとうございます……」手慣れた様子に爆発しそうだった心臓が落ち着きを取り戻す。「……悪かったな」地を這うような低音で言うと、彼は項垂れた。「俺が誘ったせいで、こんな……迎えに行くべきだった」彼は申し訳なさそうに顔を歪める。「今夜はここにいろ。朝になったら部屋まで送ってやる」心
誘われた……。名前も知らない、美しい人に。それからの私は、明日のことしか考えられなくて、いても立ってもいられず、ブティックをはしごして、バーで着る洋服を調達した。スペインらしいデザインや、大胆なデザインのドレスなど、色々試着した挙句、結局いつも着ているような清楚なワンピースを購入する。そして翌日。眼鏡をはずし、いつもはまとめている髪を下ろす。ただそれだけで、戦場で鎧を脱いだような心細さを覚えるけれど……。(変わっていたい……少しでも……)私はそっと背筋を伸ばした。少し早くバーについてしまった私は、あちこちから投げられるどこか熱い視線に、戸惑っていた。自意識過剰かもしれないけれど、背筋を伸ばすだけで印象が変わるのは本当なのかも。「ヘイ。一人? 一緒に飲まない?」30歳くらいの外国人男性が笑顔で話しかけてきた。「あ、連れがいます」と言った瞬間、厚かましかったかな、と反省する。名前も知らない人を連れだなんて……。バルセロナの熱気が私を少し大胆にさせているのかも。「だよね。君みたいな美しい人が一人なんて有り得ない」褒め言葉に、私は頬を赤らめる。地味なワンピースだけど……自分には合ってるのかも。あの人の目にも、少しは綺麗に……映るといいな……。胸が高鳴る。「一杯だけ、どう? 旅の記念に」時計を見る。待ち合わせまでまだ30分以上時間がある。つまり、あと30分で彼が目の前に……。ドキドキが止まらなくなり、私は緊張を紛らわせようと頷いた。「じゃあ、一杯だけ……」それが大きな間違いだった。生まれてはじめて酔ってしまった。たった一杯のカクテルに。 「……すいません……ちょっと……お手洗いに……」ふらつきながら立ち上がる。しばらくしてお手洗いから出ると、さっきの男が待っていた。「大丈夫?」顔を近づけてくる。駄目だ。男のつけている香水に気分がさらに悪くなる。「すみません。少し……離れて……」そう言うと、腕をがっちりと握り込まれた。「部屋で休もう」そんな。とんでもない。「いえ……」身じろぎしたが、男の身体はびくともしない。笑顔でホールドされていて、そのままズルズルとどこかへ引っ張られる。「助け……」か細い悲鳴は乱暴にあてがわれた手のひらに吸い込まれる。恐怖が這い上がってきた。この人……やばい……。「ほ
28月のスペイン。燃えるように熱く、そして、情熱的な……日本とはまるで違う国。嫌な記憶を捨て去るように、足がくたくたになるほどあちこち回った。念願のサクラダファミリアには圧倒された。無駄の塊なんて、とんでもなかった。私は大きなものが好きだ。自然でも生き物でも、建物でも。自分があまりにもちっぽけだから、逆に心惹かれるのだろう。(来て良かった)そう思う。 一通り観光を終えた私は駅前公園のベンチに腰掛けた。近くには大道芸人がいて、超絶テクニックのジャグリングを繰り出している。私の拍手に頭を下げる大道芸人。帽子に5ユーロ札を投げ込む。笑顔のサムズアップが返ってきた。日本だったら、私は極度の恥ずかしがりやで、見知らぬ芸人とコミュニケーションなんて絶対に出来ない。変わらなきゃ……。これからは、強引に引っ張ってくれる人も、背中をおしてくれる人もいないのだから。と、背後で、誰かが笑う声がした。振り向くと目が合う。若い男女が、大道芸人を指差して、鼻をつまんでいた。(どういうこと?)彼らは私の前に回り込むと、小馬鹿にした様子で、帽子に何かを入れた。そして、ケラケラと顔を見合わせて笑ったのだ。その乾いた音が達也たちのそれと重なり、私は帽子を覗き込む。そして……ガムの食べかすを見つけた。 (なっ……) 大道芸人は悲しげに肩をすくめている。その姿が、ごみ処理女と言われてしまった自分と重なり胸がいたんだ。(わざわざ侮辱する意味がわからない…………この人は……きっと誰かを喜ばせたくて……芸を披露しているだけなのに……)私だって……。ただ、真面目に生きていただけなのに……。いつしか私は拳をぎゅっと握りしめていた。「あの!」私は立ち上がり、無法者を呼び止めた。振り向かない。追いかけようとした時、目の前に誰かが現れて……私は思わずつんのめる。「あっ。すみません……」ぶつかりそうになったのを謝ろうとして、まじまじとその背中を見つめた私は、その広くて逞しい背中にはっとした。(……大きい……!)多分、180センチは超えてそうな……だけどスリムなその男性に、何故だか釘付けになってしまう。その人は腰をかがめ、帽子からゴミを拾うと、たたっと無法者たちを追いかける。「落とし物だよ」英語だった。無法者カップルたちは気づかない。男
「おめでたですね」 医師がモニターを指差しながら告げた言葉に、私は内診台の上で凍りついた。 (赤ちゃんが……? 嘘でしょう) 一瞬の戸惑いの後、電光石火のようにスペインの生あたたかい空気が蘇る。灼熱の夜。シーツが汗でぐっしょりになるほど、熱く激しく抱き合った。まるでギリシャ神話に出てくるアポロンのように彫りの深い美貌が脳裏をよぎり、心臓が甘い音をたてた。私は本当に愚かな女だ。名前も、住んでいる場所も、何も知らない相手なのに。まるで、愛する人を思い出したみたいに、ときめくなんて。「おめでとうございます」看護師の笑みは柔らかく、私はそっとまだ平らなお腹に手をあてた。命が、今、ここにある。特別な夜の忘れられない輝きが、否応なしに私の心を震わせて……。私は「ありがとうございます」と小声で答えた。 ◆ あれは二ヶ月ほど前のこと。出張先の業務が思いの外早く終わり、私は恋人、白石達也の待つアパートに一日早く帰宅した。驚かせようと、玄関ドアをそーっと開ける。赤いハイヒールが目に入った。(あれ? こんな靴、持ってたっけ)一瞬そう思った私は、本当に鈍感だったと後から思う。ベッドルームから、女性の嬌声が聞こえてきて、やっと私は気がついた。恋人の留守中に浮気相手を部屋に引っ張り込む。そんなドラマみたいなことが、己の身に降り掛かっているのだ、と。不安をかきわけるようにして廊下を進む。ベッドルームのドアは大きく開かれていたが、直視する勇気を持てず、部屋の前で立ち尽くした。これは、夢だ。悪夢を見ているんだ。私は自分にそう言い聞かせた。一言、今から帰るとメッセージを送っておけば、こんな場面には出会わなかった。最近、あまり……してなかったから……きっと、彼も魔が差して……。甘い言い訳に逃げ込みそうになった私を、睦言が現実へと引き戻す。「……ねえ、いいでしょ。私……百合とは全然違うでしょ」「当たり前……っ。あいつ、女としては終わってるから」吐息と嬌声、ベッドの軋む音、そして……小馬鹿にしたようなクスクス笑い。え……?スマホカメラを立ち上げて、恐る恐る中を覗いた私の前に、衝撃的な場面が飛び込んできた。仰向けになった達也の体に馬乗りになり、のけぞっている、アッシュピンクの巻き髪姿。|田中直美《たなかな







