黒木はきっちり約束の十分で二人を切り上げさせると、雪乃を促してスタジオを後にした。 スタジオを出た黒木は、車に乗り込む前に一度だけ携帯を取り出し、指を滑らせた。 『はい、問題なく戻りました』 その一文を打ち終えると、黒木は僅かに眉を寄せた。 文字を消して『問題ありません』と打ち直す。そして、送信ボタンを押してすぐに画面を消して車へと乗り込んだ。 雪乃は羽織っていたジャケットを黒木へと返した。身体を覆っていた重みと温もりが離れ、急に身体が軽くなった気がした。けれど、どこか肌寒く感じる。 (エアコンもついていないのに……変ね) 体調を崩す前触れかもしれない――雪乃はカーディガンの前をしっかりと握り前を閉じた。 エンジン音が静かに響き、車は動き出す。窓の外を流れていく見慣れた街並みは、行きに見たものと何一つ変わらないはずなのに、どこか色を変えて映る気がした。 後部座席に座る雪乃の胸の中には、自分の作った音と湊の言葉が合わさった興奮と、ソロデビュー曲という信じられないような打診を受けた熱が未だに残っていた。暗闇の中にいた自分が、再び誰かと音楽で繋がれたという高揚感のまま、雪乃はつい前席の男へと視線を送り、口元を動かした。 『湊の元に行かせてくれて、ありがとう』 彼が自分の我儘を聞いてくれたから、湊と話すことができた。雪乃は彼に感謝を告げた。 黒木は前方を見据えたまま、何も答えなかった。ルームミラー越しに視線が動いた気配はあったが、読み取れていたのかどうか、雪乃には分からなかった。 それでも、胸の熱を抑えきれない雪乃は、つい続けて口元を動かしてしまう。 『アーティストに曲を提供するの、どう思いますか?』 前方の道路を見据えたまま、黒木は感情の籠もらない声で淡々と応じた。 「私には分かりかねます」 『そうよね……』 突っぱねるような言い方に、雪乃はしゅんと肩を落とした。興奮に任せて口を動かした軽率さを恥じる。 ルームミラー越しに、小さく縮こまる雪乃の姿を目撃した黒木だったが、ただ一言短く告げる。 「運転に集中しますので」 視線を前へと戻す黒木に、雪乃は車内でそっと手を合わせた。 『ごめんなさい』 それきり、車内には静寂だけが落ちた。雪乃は窓に額を預け、流れていく外の景色をただじっと眺め続けた。 ※
Última actualización : 2026-09-20 Leer más