雪乃はハッと息を呑み、立ち去ろうとしている柊也の袖を掴んで必死に首を振った。『そんな……! 黒木さんは何も悪くありません!』「雪乃が危険な目に遭った責任を取らせる。それだけだ」 柊也は雪乃の手を冷たく振り払うと、一度も振り返ることなく、靴音を響かせて廊下の奥へと立ち去っていった。 寝静まった病院の廊下に、取り残される二人。 雪乃は震える身を抱え、悲痛な眼差しで黒木を見上げた。言葉にならない思いで、何度も、何度も首を振る。 黒木は雪乃を見下ろし、肩の力が抜けたように息を吐き、ふっと笑った。初めて見る彼の穏やかな笑みだった。『辞めないでほしいです』 黒木を見上げて、切実な目で訴えるも彼は困ったように眉を下げるだけだった。「雇い主の命令には逆らえません」『でもっ』 雪乃は力強く口元を動かし、足を一歩踏み出した。けれど、冷え切って疲弊した体を支えきれず、膝から崩れ落ちそうになる。 すかさず伸びてきた黒木の力強い腕が、雪乃の体をしっかりと支えた。「今日、海に落ちたばかりです。今夜はもう休みましょう」 黒木がそう告げ、病室のドアノブに手をかけた。その瞬間、雪乃は彼のワイシャツの袖を掴み、小さく首を横に振った。 掴んだ指先に力を込め、離そうとはしなかった。これを離してしまえば、彼はもう自分の任務から完全に降りてしまうことになる。 廊下に、黒木の息を吐く音が落ちた。「少し話しますか?」 その誘いに、雪乃は頷いた。 二人は病室に入らず、近くの談話室に移動した。自販機の灯りに照らされた円形のテーブルを挟んで、二人はパイプ椅子に腰を下ろす。雪乃は掴んでいた黒木の袖から手を離し、テーブルの上で両手の指を固く絡ませ、俯いて唇を噛み締めた。「先ほどは庇ってくださりありがとうございました」 雪乃は顔を上げ、目の前に座る黒木を見る。彼は理不尽に柊也から怒声を浴びせられても、一言も言い返さなかった。『どうして言い返さなかったんですか?』「旦那様が仰る通り
Última actualización : 2026-10-09 Leer más