第1話 六月なのに、息が白かった 六月三日の朝、神崎冬真は自宅マンションを出た瞬間、自分が季節を一か月か二か月ほど間違えたのではないかと思った。 玄関を出るまでは、テレビで何度も「季節外れの冷え込み」という言葉を聞いていた。それでも六月は六月だし、いくら冷えたところで薄手の上着があれば十分だろうと考えていたのだが、エントランスの自動ドアが開いた途端、頬を刺した空気は春先のものですらなかった。「寒っ……なんだよ、これ」 思わず声が漏れた。 吐いた息が、白かった。 冬真はマンションの入口で足を止め、もう一度ゆっくり息を吐いてみた。やはり白い。風に流されながら、薄い霧のようになって消えていく。 六月である。 しかも東京都内だ。 これが北海道の山奥ならまだ分かるが、東京の住宅街で六月の朝に息が白くなるというのは、どう考えても普通ではなかった。 スマートフォンを取り出して気温を確認すると、画面には「現在気温 7℃」と表示されていた。「七度って……冬じゃないか」 自分で言ってから、さすがに大げさかと思ったが、駅へ向かう人々の服装を見る限り、大げさとも言えなかった。 ダウンジャケットを着ている老人がいる。厚手のコートを羽織った会社員もいる。制服姿の高校生たちは、ブレザーの上からマフラーまで巻いていた。 駅前のコンビニでは、入口近くに急ごしらえの棚が置かれ、その上に使い捨てカイロが並べられていたが、残っているのはほんの数個だった。「申し訳ありません、カイロはお一人様二個まででお願いします」 店員が言うと、レジに並んでいた中年男性が呆れたように笑った。「六月にカイロを買う羽目になるとは思わなかったよ。地球温暖化って、いったい何だったんだろうね」「本当ですよね。僕も昨日、冬物を押し入れから出しました」 店員も苦笑いしている。 誰も深刻そうではなかった。 寒いこと自体は確かに異常だが、まだ笑い話の範囲だった。 冬真も同じだった。 そのときはまだ、この寒さが人生を根こそぎ変えるとは考えていなかった。 電車はいつも通り混んでいた。 会社員たちはスマートフォンを眺め、高校生たちは眠そうな顔で吊り革につかまり、駅に着くたびに押し込まれる乗客へ小さな苛立ちを向けていた。 日常は正常だった。 少なくとも見た目には。 冬真が勤めているのは、物流
Última actualización : 2026-09-02 Leer más