All Chapters of 夫を賭けた勝負に、私は負けた: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

リビングの照明をつけたまま、正樹は車庫から玲奈にもらった誕生日プレゼントを持ってきていた。青いベルベットの箱に指を添え、ふと手を止める。その重みを測ってみても、中身が何なのかまるで分からない。玲奈はこれまで、プレゼントをそのまま手渡してくることが多かった。こんなふうに、丁寧にラッピングされたものを渡すのは初めてだった。何が入っているのだろう。そう思うと、正樹は少しだけ興味をそそられた。箱を開けようとした、その時だった。テーブルの上に置いていたスマホが、不意に震えた。画面に表示された名前は――「花織」。暖かな光に包まれていた部屋の空気が、スマホの白々しい光によって、突然壊されたような気がした。正樹は、しばらく画面を見つめる。やがて、電話に出た。「正樹……どこにいるの?」電話の向こうから聞こえてきた花織の声は、少し舌足らずだった。まだ酔いが残っているらしい。「家だよ。どうした?」花織の声を聞いた途端、正樹は無意識に声を柔らかくした。そして――開けかけていたプレゼントの箱から、そっと手を離した。「なんだか気分が悪いの。すぐ来てくれない?」甘えるような声が耳に届く。正樹は箱をテーブルに置いた。電話を耳に当てたまま、もう片方の手で上着を取り、車のキーを掴む。「分かった。今行くから、いい子にして待ってて」花織の家に着く頃には、空がうっすらと白み始めていた。それから正樹は花織を寝かしつけたり、水を飲ませたりして過ごした。すべてが終わった頃には、もう疲れ切っていた。正樹はそのままソファに横になり、上着を掛けたまま眠りについた。目を覚ましたときには、すでに午後になっていた。ちょうど風呂から上がってきた花織が、ソファに座る正樹を見つける。寝ぼけたような顔をしている正樹の隣に、花織は部屋着のまま腰を下ろした。手にしていたタオルを差し出す。「正樹、髪乾かして」正樹は我に返ると、素直にタオルを受け取った。そして、花織の髪を優しく拭いていく。ある程度水気が取れると、今度は立ち上がって洗面所へ向かい、ドライヤーを持って戻ってきた。花織の髪を丁寧に乾かしていく。「花織。昨日、パーティーで言ってたことなんだけど――」髪を乾かし終えたところで、正樹がようやく口を開いた。けれど、その先を言う前
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第12話

金色の糸のような陽射しが、故郷から遠く離れたこの土地を柔らかく照らしていた。離婚でできた心の傷は、まだ治っていない。けれど、それ以上に強く感じていたのは――これから始まる新しい人生への期待だった。長い結婚生活を終えた玲奈は、日常から遠く離れた南の国――クラーシアへ、一人で旅に出た。初めて降り立ったこの国は、穏やかな陽気と色とりどりの花に彩られていた。通りを歩けば、そよ風が髪を揺らす。道端の花々が風に揺れ、木々の葉の隙間からこぼれた陽射しが、石畳にまだらな光を落としている。どこを切り取っても絵になるような景色だった。玲奈は、そんな街を気の向くままに歩いた。大きな植物園にも足を運んだ。広々とした温室には、見たこともない珍しい植物が並び、色鮮やかな花々が咲き誇っている。異国の文化を紹介する展示館では、さまざまな土地の暮らしや風習に触れた。一つの場所にいながら、世界を旅しているような気分になる。気づけば、玲奈は久しぶりに心から笑っていた。思えば、ここ何年もの間、玲奈の世界には正樹しかいなかった。自分が何をしたいのかなんて、いつの間にか考えなくなっていた。だから今は、離婚をきっかけに取り戻した自由を、思いきり楽しもうと思った。せっかくなら、ずっと行ってみたかった場所へ行こう。そう思って、最初の旅先に選んだのが、この遠く離れた南の国だった。正樹と付き合っていた頃、玲奈は何度も「旅行に行きたい」と話していた。特に、一度でいいからクラーシアを訪れてみたかった。古い街並みが残る街を歩いて、湖から吹いてくる風を感じてみたい。そんな話をするたび、正樹は決まってこう言った。――仕事が忙しいから、行けそうにない。一度も、玲奈の願いを叶えてくれたことはなかった。けれど、あの同窓会で玲奈は知った。「仕事が忙しい」というのはただの言い訳で、時間ができると、正樹は花織に会いに、海外へ飛んでいた。次に訪れたのは、様々な形の岩が連なる広大な場所だった。足を踏み入れた瞬間、まるで石だけで作られた世界に迷い込んだような感覚に襲われる。天に向かってそびえ立つ岩。寄り添うように並ぶ岩。人や動物の姿を思わせるものまであり、自然が長い年月をかけて作り上げた造形には、不思議な生命力があった。玲奈はその間をゆっくり歩きながら、岩
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第13話

玲奈は湖畔のベンチに腰を下ろし、静かに水面を見つめていた。湖に浮かぶ小舟が、波に揺られてゆっくりと岸へ戻ってくる。やがて波紋が消えていくように、今はまだ落ち着かない玲奈の心も、いつかきっと静かになるのだろう。気づけば、夕暮れが近づいていた。空の端が茜色に染まり、夕焼けが一面に広がっている。まるで誰かが空に絵筆を走らせたようだった。玲奈は湖畔を歩いた。足元の砂は夕陽を受けて金色に輝き、長く伸びた玲奈の影が、どこまでも続いている。その姿はまるで――運命が新しく書き始めた物語の、一ページ目のようだった。正樹と花織のことは、もう過去のこと。あれほど苦しかった記憶も、今では薄いベールを被ったようで、輪郭がぼやけ、少しずつ遠ざかっている。やがて玲奈は、古い町並みが残る街へと足を運んだ。広場は夕方になっても賑わっていて、通りの両脇には雑貨を販売する店がずらりと並んでいる。玲奈は古びた石畳の道をゆっくり歩きながら、店先に並ぶ手仕事の品々を眺めた。異国情緒の漂う街並みも、行き交う人々の表情も、これまで暮らしてきた場所とはまるで違って見えた。広場の一角では、晴れ着を身につけた年配の人たちが輪になって踊っていた。楽しげな音楽に合わせて、手を取り合い、笑い声を弾ませる。その顔には、穏やかな幸福が浮かんでいた。玲奈も、いつしかその輪のそばに立っていた。流れる音楽に合わせ、見よう見まねで身体を揺らす。自然と笑みがこぼれた。――こんなふうに笑ったのは、いつ以来だろう。夜になると、街並みは無数の灯りに包まれた。軒先の明かりが細い水路に映り、揺れる水面で幾重にもきらめいている。玲奈は川沿いの小さな店に入り、窓際の席に腰を下ろした。静かに流れる歌声に耳を傾けながら、旅先の酒を少しずつ味わう。胸の奥が、ゆっくりと満たされていった。ここしばらく、正樹と花織のことを考えていない。――それは、とてもいいことだ。少し酒が回った玲奈は、ふわりとした心地よさを感じながら席を立った。夜風に当たれば、酔いも覚めるだろう。そう思って店を出た。しばらく歩いたところで、空からぽつりと雨粒が落ちてきた。やがて、それは細かな雨へと変わっていく。玲奈は古びた木造の家の前で足を止めた。斜めに降る雨が、黒々とした屋根を濡らしている。酒のせい
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第14話

玲奈を宿まで送り届けてから、雅紀はスマホを取り出し、秘書に電話をかけた。――なぜ、玲奈が一人でクラーシアへ来たのか。それだけを調べるよう頼むと、雅紀は電話を切った。けれどその夜、雅紀は、なかなか眠りにつけなかった。玲奈の前では、平静を装っていたが、本当は、高鳴る鼓動を必死に抑えなければならないほど、胸が騒いでいた。あんなにも激しく心臓が鳴っていては、玲奈に聞かれてしまうのではないか。そんなことまで考えてしまう。やがて――スマホが、短く通知音を鳴らした。秘書からの連絡だった。雅紀はすぐに画面を開く。そこに書かれていた内容を目にした瞬間、思わず口元が緩んだ。【先日の須賀正樹さんの誕生日パーティーで、正樹さんの幼なじみ、水野花織さんが、正樹さんと玲奈さんが離婚したことを発表したそうです。その場で正樹さんに告白もしたとのこと。詳しい事情については、明日までに改めて調べ、ご報告します】――玲奈が、離婚した。今こそ、自分のチャンス。こんなに嬉しい知らせは、久しぶりだった。……玲奈は、久しぶりに夢を見た。夢の中にいたのは、正樹と出会う前の自分だった。まだ大学生だった頃。食堂で昼食を買おうとして、財布を持っていないことに気づいた。しかも、スマホもちょうど電池切れ。どうしようもなく途方に暮れていた、そのとき。目の前に、すっと綺麗な手が差し出され、代わりにお金を払ってくれた。白くて細い指。すっきりとした骨格。玲奈の好みに、まさにど真ん中だった。玲奈は昔から、少し手フェチなところがある。あまりにも綺麗な手だったから、思わず見入ってしまった。我に返って「ありがとう」と声をかけようと振り返ったときには――もう、その人の姿は遠ざかっていた。玲奈はそこで目を覚ました。ぼんやりと天井を見つめながら、昨夜のことを思い出す。雨宿りをしたあの場所。そして――タオルを差し出してくれた、雅紀の手。「……綺麗な手だったな」無意識に呟いてから、玲奈はハッとした。どうして自分は、昨日会ったばかりの男性のことを考えているのだろう。頬が、じわりと熱くなる。玲奈は恥ずかしさを誤魔化すように両手で頬をパンと叩いた。余計なことは考えない。そう自分に言い聞かせてから、身支度を整えて外へ出た。宿を出ると、
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第15話

花織は、玲奈にどれほど傷つけられてきたか、涙ながらに訴えていた。正樹は、落ち込む花織を笑顔にしたいと思い、旅行の計画を立てた。それから何日も、正樹は昼夜を問わず仕事をこなした。自分がいない間も会社が滞りなく回るよう、抱えていた仕事をすべて片づけ、部下への引き継ぎまで徹底的に済ませる。そうしてようやく、丸々1ヶ月の休みを作った。「1ヶ月間、旅行に行こう」そう告げると、花織は目を輝かせた。そして、「今晩は私の家で夕食を取ろう」と、正樹を誘った。翌日は花織の家からそのまま出発する予定なので、正樹は、久しぶりに玲奈と暮らしていた家へ戻った。旅行の荷物を取りに来ただけだったが、リビングに入ったところで、ふと目に入ったものがあった。テーブルの隅に置かれた、あのギフトボックス。玲奈からもらった誕生日プレゼントだった。そういえば、まだ開けていなかった。正樹は足を止めた。何となく手に取り、包装を解いていく。そして、箱を開けた瞬間――表情が強張った。中に入っていたのは、離婚届の受理証明書と新しい戸籍謄本だった。誕生日プレゼントが、これか。随分と「素敵な」贈り物だ。正樹は苛立たしげに箱を脇へ放り、寝室へ向かった。旅行の荷物をまとめるため、クローゼットを開ける。以前は玲奈の服で埋まっていたスペースが、半分ほど空いている。ベッド脇に置かれていた写真立てもない。洗面所へ行けば、玲奈が使っていた化粧品も、歯ブラシも、スキンケア用品も――何も残っていなかった。そこで正樹の脳裏に、あの日の光景が蘇った。玲奈が黙々と荷物を整理していた、あの日。何をしているのかと尋ねても、玲奈は曖昧に笑って誤魔化した。玲奈は、あのときからもう、この家を出る準備をしていたのだ。さっき箱の中身を見た時に感じた苛立ちが、さらに強くなる。――玲奈、お前はとんだ薄情者だ。俺が花織と過ごす時間が少し増えただけで、俺と別れたのか?俺を愛しているって言ったのも、俺がいなければ生きていけないような顔をしていたのも……全部、嘘だったのか?それとも――お前は、本当に花織が言っていたような人間だったのか?あれほど俺を愛していると言っていたのに。その愛は……こんなにもあっけなく消えてしまう程度のものだったのか?考えれば考えるほど、
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第16話

広場へ続く石畳には、まだ朝露が残っていた。玲奈のカシミヤのショールを腕にかけ、雅紀は玲奈のずれていたブレスレットを優しく直している。そのとき、背後から「ガシャン」とガラスの割れる音が響いた。「玲奈?」聞き覚えのある声。それと同時に、懐かしい香水の匂いが、甘い果実酒の香りと混ざって玲奈の鼻先をかすめた。玲奈が振り返る。そこにいたのは――正樹と花織だった。正樹は花織の肩に腕を回し、2人並んで楽しそうにこちらへ歩いてくる。その姿を見た瞬間、忘れかけていたはずの痛みが、まるで昨日のことのように鮮明に蘇った。車の事故で負った傷まで、突然疼き始める。すでに治ったはずの傷口が、無理やり引き裂かれたような痛みだった。玲奈は思わず、正樹の左手へ目を向ける。薬指には――真新しいプラチナのペアリング。その指輪を見た瞬間、別の記憶が蘇った。結婚していた3年間、正樹は、一度も結婚指輪をつけてくれなかった。指輪が嫌いだと思っていたが、そうではなく、ただつけたくなかっただけなのだと、玲奈はようやく気づく。旅行だって同じだった。時間がなかったわけじゃない。自分と旅行する時間が、なかっただけなのだ。胸の奥から、逃げ出したいという衝動が込み上げてくる。それでも玲奈は、必死にそれを押し込め、冷静な顔で2人を見る。「……何か用?」そのとき、玲奈の肩に、雅紀の手がそっと触れた。震えを感じ取ったのだろう。何も言わず、ただ支えるように手を添えてくれる。その仕草を見た瞬間、正樹はわずかに目を細めた。「1ヶ月も消えていたと思ったら、こんなところで男を作ってたのか」そして、挑発するように花織を連れてこちらへ近づいてくる。「久しぶりに会ったんだ。挨拶くらいしたらどうだ?」その言葉の裏には、雅紀を侮辱する意図があった。同時に、玲奈まで貶めようとしている。けれど――「男を作った、という言い方は少し違うんじゃないかな」雅紀が、ふっと笑った。指先が、玲奈の手首へ伸びる。そこには、昨夜雅紀が玲奈のために編んだブレスレットが結ばれていた。「だって、君たちはもう離婚してるんでしょう?」正樹を見た瞬間、雅紀は秘書から聞かされた報告を思い出した。玲奈がこの3年間、どんな結婚生活を送っていたのか。その詳細を知れば知るほど、怒りが込み
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第17話

正樹たちの姿が見えなくなると、玲奈はすぐに自分の手を引き抜いた。「……さっきは、ありがとうございました」どこか気まずそうに礼を言う玲奈を見つめながら、雅紀は自分の手へ目を落とした。少し寂しい。それでも、ここで諦めるつもりはなかった。「ううん、気にしないで」正樹と鉢合わせたことで、雅紀の中にあった迷いが消えていた。もともとは、少しずつ距離を縮めていくつもりだったが、やはり、正々堂々と玲奈のそばにいられるようになりたい。「玲奈さん、実は……」玲奈だって、鈍感なわけではない。ここ最近、一緒に過ごす時間が増えるにつれて、雅紀が自分に向けている気持ちは嫌でも伝わってきた。優しくしてくれたのは、きっと自分に好意を持っているからだ。もしもっと早い段階で告白されたら、きっぱり断るつもりだった。けれど雅紀は、ただ彼女のそばにいるだけで、一度も真正面から想いを口にしたことはない。だから玲奈も、いつの間にか彼の存在に甘え、その優しさを受け入れてしまっていた。もちろん、雅紀に対して何も感じていないわけではない。ただ――あまりにも早すぎる。もし恋愛をするのなら、今度こそ、ゆっくりと時間をかけて愛を育んでいきたい。だから玲奈は、雅紀が少しずつ自分の生活に入り込んでくることを、あえて止めなかった。けれど、今はまだ――彼に答えを返す準備ができていない。玲奈は、雅紀の言葉を遮るように、明るく笑った。「あ、ご飯を食べに行きません?ずっと歩き回っていたから、お腹が空きました」あからさまに話を逸らされたことくらい、雅紀にも分かっていた。胸の奥が、少し痛む。けれど、彼はもともと煮え切らない性格ではなかった。言おうと決めたのなら、最後まで伝える。それに――もう何年も、玲奈を想い続けてきた。これ以上、待つつもりはなかった。今度こそ、玲奈のそばにいたい。「玲奈さん。僕、玲奈さんが好きだよ」その告白に、玲奈は言葉を失った。沈黙する玲奈を見て、雅紀はゆっくりと続けた。「新入生歓迎会で、僕は玲奈さんに一目惚れした。その後、玲奈さんに声をかけて、友達になろうって思ってたけど……ちょうど家族が経営する会社を引き継いだばかりで、毎日が忙しかった。やっと落ち着いて、玲奈さんに会いに行こうと思ったときには……もう、玲奈さんの隣
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第18話

玲奈にとって、自分はもう大した存在ではない。そう思い知らされた正樹は、胸の奥にずっと苛立ちを抱えていた。その苛立ちは、宿に戻ってからも消えなかった。ベッドに横になっても、頭に浮かぶのは偶然再会した玲奈の姿ばかりだった。今の彼女は、自分と一緒に暮らしていた頃とは、何もかもが違っていた。認めたくはないが――玲奈は、前より綺麗になっていた。自分のそばにいた頃より、ずっと。一目見ただけで目を奪われるほど明るく、眩しくて、人を惹きつける。夕方、通りすがりの人にスマホを借りて、何度も玲奈に電話をかけた。けれど、一度も繋がらなかった。その夜一晩中、玲奈の顔が正樹の頭から離れることはなかった。花織と一緒にいても、玲奈と、その隣にいた男のことを考えてしまう。そして――花織もまた、同じ男のことを考えていた。あの男、立ち居振る舞いからして、普通の人間ではない。正樹と比べても、引けを取らないどころか、それ以上に見えた。どうして自分より下だと思っていた玲奈が、自分よりいい男に出会えたのか。それが納得できなかった。2人とも、それぞれ別の人間を考え、悩んでいた。だからこそ――互いの上の空な態度に、気づくことはなかった。……その頃、玲奈と雅紀の間には、どこか甘い空気が漂っていた。玲奈は照れやすい性格で、少しでも恥ずかしくなると、すぐに自分の殻に閉じこもろうとする。けれど、雅紀はそんな玲奈を、決して逃がしてはくれなかった。玲奈が恥ずかしがって距離を取ろうとするたび、雅紀は冗談めかして彼女を引っ張り出す。そうやって少しずつ、玲奈の心に入り込もうとした。宿に戻ってからしばらくして、玲奈はふと気づいた。――そういえば。自分は雅紀に、離婚したことを話していない。なのに、どうして彼は知っていたのだろう。一人で勝手に考え込むより、気になることはちゃんと本人に聞いたほうがいい。そう思った玲奈は、迷わず雅紀に電話をかけた。「もしもし、玲奈さん?どうしたの?」電話に出た雅紀の声は、嬉しさを隠そうともしていなかった。「私、瀬尾さんに離婚したこと話してませんよね?」玲奈は単刀直入に尋ねる。「……どうして知ってたんですか?」電話の向こうで、雅紀が一瞬黙った。誤魔化せると思っていたが、玲奈にこうして聞かれてしまえば、も
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第19話

長い長い眠れない夜。いつもなら、眠れない夜に数えていた羊たちも――今夜ばかりは、全部玲奈の姿になっていた。翌朝、夢の中から目を覚ました雅紀は、昨夜のことを思い出す。玲奈と互いの想いを伝え合った。そう思っただけで、頬が緩んだ。一刻も早く玲奈に会いたくて、雅紀は急いでベッドを抜け出す。そして部屋の扉を開けた、その瞬間だった。「……え?」目の前に、玲奈が立っていた。その腕には、白いクチナシの花束が抱えられている。甘く清らかな香りが、扉を開けた雅紀のもとへ一気に押し寄せてきた。クチナシの花言葉は――永遠の愛、一生の守り。けれど、どれほど見事に咲き誇った花でさえ、雅紀の目には玲奈の笑顔のほうが、ずっと美しく映っていた。「瀬尾さん、おはようございます。昨日、一晩ずっと考えてたんです。今すぐあなたのくれた愛と同じくらい、強い気持ちを返すことはできないと思いますが……あなたと一緒にいたいって思いました。これからは、私も自分の気持ちを全部あなたに向けていきたい。いつか、あなたが私にくれるものと同じくらいの愛を感じてもらえるように、ちゃんと頑張ります。これから先もずっと、手を取り合って……一緒に人生を歩いていけたら嬉しいです」昨夜から何度も頭の中で言葉を組み立てていた。けれど、扉が開いて雅紀の顔を見た途端――玲奈は、用意していた言葉を全部まとめて口にしてしまった。言い終えると、恥ずかしさに耐えられず俯く。あとは、彼の返事を待つだけだった。……なのに。いつまで経っても、何も聞こえてこない。玲奈が不思議に思って顔を上げると――雅紀は、呆然と立ち尽くしていた。普段はどこまでも冷静な彼の目が、赤く潤んでいて、今にも泣き出しそうだった。「……えっと、瀬尾さん?」玲奈は慌てて慰めようとする。けれど、何と言えばいいのか分からない。そんな玲奈より先に、雅紀が彼女を強く抱きしめた。「……ずるいよ」胸元に顔を埋めたまま、くぐもった声が響く。「こういうの、本当は男の僕がするものじゃない?僕が玲奈さんにしてあげたかったこと、全部先にやられちゃった……これから僕、どうすればいいの?」玲奈は腕の中で小さく笑った。「だって、私が瀬尾さんが好きだから。花を贈るのに、男じゃなきゃいけないなんて決まりはないでし
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第20話

玲奈と雅紀に会ってから、正樹と花織の関係には、少しずつ変化が生まれていた。正樹は、以前のように花織を甘やかさなくなった。きっかけは、あの宴会の日だった。花織が些細なことで拗ね、正樹に甘えようとしたとき――正樹は無意識のうちに、こんな言葉を口にしていた。「わがままはもうよせ。玲奈を見習って、少しくらい大人しくしていたらどうなんだ?」その言葉を境に、正樹の中で何かが変わった。それまでなら、花織のわがままさえ「可愛い」と思っていたはずなのに、なぜか妙に癇に障るようになったのだ。そして、それをきっかけに、正樹は何かあるたび、玲奈と花織を比べるようになっていった。出張に出るときもそうだった。玲奈は、正樹が必要とする身の回りのものを事前に揃え、移動中につまめる菓子や軽食まで用意してくれていた。「仕事は大変だったよね、お疲れ様」というふうに、いつも自分を気にかけてくれた。一方、花織は正樹の荷造りを手伝うことなどない。そのくせ、出張先へ行くならと、あれこれブランドバッグを買ってきてほしいと頼んでくる。玲奈と暮らしていた頃、正樹がどれだけ帰りが遅くなっても、玲奈はいつも、彼が帰ってくるまで起きて待っていた。けれど、花織は違う。正樹が帰ってくるのを待つことなどなく、むしろ夜遅くに帰ってくれば、「うるさい。静かにして」と、迷惑そうに注意してくる。……正樹の生活が、思うようにいかなくなったのは――玲奈がいなくなってからだった。いつの間にか、花織のちょっとしたわがままさえ、可愛いとは思えなくなっていた。何かにつけて「自分勝手だ」と感じてしまう。自分の都合ばかりを押しつけて、正樹が嫌がることまで付き合わせようとする。一方の花織も、正樹の変化に気づいていた。以前なら、何を言っても笑って許してくれた。何かを頼めば、嫌な顔一つせずに応じてくれた。それなのに今は、頼み事をするたびに、正樹は面倒そうな顔をする。そんな正樹を見るたびに、花織の胸には、ある不安が芽生えていった。――もしかして、正樹はもう自分のことが好きじゃないのではないか。欲しかったものも、いざ手に入れてしまえば、その価値を忘れてしまう。正樹も花織も、まさにそうだった。玲奈がいなくなり、2人だけになったことで、それまで見えなかった互いの欠点が、少しずつ目
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