結婚式まで、きっかり3か月。金曜日の夕方、一ノ瀬ホテルズの戦略企画室で決裁書類に目を通していた一ノ瀬紗奈のスマートフォンに、差出人不明のメッセージが届いた。【婚約者が今、誰といるか知りたければ、黒瀬ホテルの3201号室へ。】たった1行。それなのに、紗奈はしばらく画面から目を離せなかった。3201号室は、黒瀬ホテルの最上階にあるロイヤルスイートだ。黒瀬隼人。黒瀬グループの次男であり、6年間、紗奈の婚約者だった男。恋愛から始まった関係ではない。両家のホテル・リゾート事業を結びつけるための婚約だった。紗奈もそれは承知していた。それでも、守るべき一線はあると思っていた。愛し合えなくても、人前で相手を侮辱しない。婚約している間は、ほかの誰かと関係を持たない。その程度の礼儀は、隼人にもあると信じていたのに。紗奈はコートをつかむと、まっすぐ黒瀬ホテルへ向かった。車の中で、一度は隼人に電話しようかとも思った。けれど、画面に表示された名前を見つめた末、そのままスマートフォンを伏せた。嘘なら、確かめてから謝ればいい。本当なら、電話一本で逃げる時間を与えてやる理由などなかった。32階の廊下は、ひどく静かだった。分厚い絨毯が、ヒールの音まで吸い込んでいく。3201号室の前に着くと、ドアは内側のドアガードに引っかかり、指が1本入るほど開いていた。その隙間から、濃いマグノリアの香りと、聞き覚えのある笑い声が漏れている。「隼人さん、本当に3か月後、あのつまんない女と結婚するんですか?」甘える声に続いて、隼人が気だるげに答えた。「紗奈との結婚はビジネスだよ。あいつは体裁が一番大事だから、絶対に婚約を破棄できない。俺が外で誰と会ってたって、結局は見て見ぬふりさ」「私を捨てたりしないでくださいね」「しないって」シーツの擦れる音と、低い笑い声。紗奈はスマートフォンの録音ボタンを押した。不思議なほど、指先は落ち着いていた。胸が張り裂けるような悲しみよりも先に込み上げたのは、6年という時間を丸ごと踏みにじられた屈辱だった。ためらわず、ドアを押し開ける。バンッ。ベッドの上の2人が、同時に振り向いた。シャツを脱いだ隼人と、薄いスリップ姿の三枝莉央。莉央は短く声を上げ、慌ててシーツを引き寄せた。隼人の顔が、一瞬だけこわばる。「……紗奈?」紗奈はベッ
Last Updated : 2026-09-17 Read more