黒瀬悠真。15年間、あまりにも当たり前に朱里の日常に入り込んでいたから、彼が埋めている場所を「寂しさ」だと思ったことは一度もなかった。けれど、後輩の指輪がもう一度目に入った。きらめく宝石よりも、隣の同僚に結婚式の日取りを聞かれた瞬間、ぱっと明るくなった後輩の顔が妙に残った。朱里は箸を置いた。「私も、やってみようかな」「何を?」「恋愛」沙耶が片眉を上げた。「今回は本気で。条件表を眺めて終わるんじゃなくて、いい人がいたらちゃんと会ってみようと思います」「いいね。その言葉、撤回なしだから」沙耶は待ってましたとばかりにスマホを取り出した。大学の先輩の会社にいる人だと言って、写真と簡単なプロフィールが入ったメッセージを見せてくる。神谷湊、32歳。ITスタートアップの経営企画責任者。登山と美術館巡りが趣味。非喫煙者。黒いシャツ姿の男性は、気取りすぎない雰囲気で、笑うと目元がやわらかかった。「人柄がいいって評判は確か。前に先輩の結婚式で少し会ったけど、話もちゃんと通じる人だった」朱里は写真を拡大しなかった。一枚の写真だけで人を判断したくはない。「向こうがいいって言ってくれるなら、会ってみます」「珍しい。即断らないんだ」「宣言したじゃないですか。今回はちゃんとやるって」口にすると、本当に約束したような気がした。沙耶はその場で連絡を入れ、午後の会議が終わる頃には土曜の夜の予定が決まっていた。プロフィールをもう一度読むと、そこでようやく緊張が押し寄せた。他人の感情線なら話数ごとに分解できる。けれど、自分の初対面には修正会議なんてない。朱里はメッセージ一覧を下へスクロールし、いちばん見慣れた名前を押した。【今日、夜あいてる?】返信はほぼ即座に来た。【20時以降なら】【ジム行く。ご飯食べよう】【お前、また昼まともに食ってないだろ】朱里は社員食堂のトレーの写真を送り、チャットを閉じた。聞いてもいないのに食事から確認するのは、中学生の頃から変わらない黒瀬悠真の癖だった。*20時を過ぎたトレーニングジムは静かだった。最後の会員がシャワールームへ入り、スタッフたちが器具を片づけている。朱里は受付にバッグを置き、奥のストレッチスペースへ向かって手を振った。悠真は片膝を床につき、会員のフォームを見ていた。黒いTシャツの
Last Updated : 2026-09-19 Read more