جميع فصول : الفصل -الفصل 20

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第11話:選択的ボッチと、目指すべき場所

 月曜日の昼休み。トイレに行った俺は自分の席に戻った。 すると、机の上にドカッと置かれた見覚えのある巾着袋があり、思わず大きなため息をついた。 独特の派手な花柄の巾着、そして男子高校生向けにしては無駄にデカい二段重ねのお弁当箱。周りのやつらが見ても、誰が作ったのか一目瞭然だった。 俺はその弁当箱を手に取ると、一歩も口をつけることなく、教室の後ろで友達と話していたリカの席へと向かった。「悪いな、これは食べられない」 机の上にポンと弁当を置くと、リカは露骨に不満そうな顔を作って噛みついてきた。「なんでよ! ちゃんと作ったし!」 「こういうのは彼氏に作ってやれ」 「幼馴染なんだから良いじゃない!」 どこまでも自分の都合で押し通そうとするリカに、俺は呆れて返す言葉もなかった。ふと視線を横にやると、隣の席にいた木村と目が合った。木村はバツが悪そうに苦笑いを浮かべている。 俺は木村に対して、無言で「すまん」と軽く頭を下げた。すると木村も悟ったような表情で、無言でぺこりと頭を下げ返してきた。男同士の、言葉のないやり取り。「もう! なんなのよ! 男同士で! 目と目で通じ合って!」 金魚のフンみたいにキーキー騒ぐリカの声を背中に受けながら、俺は一切振り返らずに自分の席へと戻った。 ◇ 放課後。卒アル委員の打ち合わせのため、図書室に向かうことにした。今日は少し早いのでアヤノさんのいる2組の教室へ寄ってみることにした。 ガラガラとドアを開けて教室の中を覗き込む。賑やかにグループで談笑するクラスメイトたちから離れた窓際の席で、アヤノさんはポツンと一人、文庫本に目を落としていた。クラスでは大人しい子で通っているらしいが、こうして見ると友達がいないように思えた。 俺は手を振って、声は出ない口パクで「如月さん」と声をかけた。俺に気づくとそそくさと廊下に出てきてくれた。彼女は少しうつむいていて、照れているようにも見えた。「なに?」 「いや、ちょっと早く授業が終わったから、如月さんいるかなぁって覗いてみた」「……ちょっと待ってて。荷物もって来る」 「ん」 俺たちは一緒に図書室に向かった。  道中、俺は思わず前々から気になっていたことを口にしていた。「あの……ちょっと聞きにくいんだけど、如月さんってクラスでは友達いない系……?」 ストレートすぎる問
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​第12話:焼き直しではない今

 ​木村とリカが付き合い始めて、ちょうど一ヶ月が経過した。 そして――リカはあっさりと木村を振って別れたらしい。 ​元々、木村が「一ヶ月だけでもお試しで……」と言い出したのが始まりだった。あの時はただの気休めの方便だったはずだが、リカはその言葉を都合よく盾にして、期限が来たからと切って捨てたのだ。 ​そんなこととは露知らず、俺はリカと顔を合わせないよう、いつもより三十分早く家を出る習慣をつけていた。 ……だが、甘かった。 ​ある朝、目を覚まして一階のリビングへ下りていくと、そこには当然のような顔で我が家のキッチンに立つリカの姿があった。 ​「あ、ヨータ! おはよう! ちょうど朝ごはん出来たところだよ」 ​テーブルの上に並べられていたのは、俺の好きな和食の朝食だった。「リカちゃんが朝から来てくれてね……」 母さんは何でもないことのように嬉しそうに言った。リカは幼馴染だから、うちの家族としてもリカを家族の一員のように考えているところはある。それは俺も含まれる。 リカと付き合ったり、結婚しなかったとしても、完全に切り離すことが難しいと考えている。言ってみれば、リカは元々妹みたいな存在だったのだ。八十年近い人生を共に歩んできたこともあり、今では「戦友」みたいな感情もある。だからこそ、リカが木村と付き合ったときに、何かが決定的に壊れたと思う。 一度壊れたガラスはもう戻らないように、こぼれたミルクはもう戻らないように、俺の心ももう戻ることはないのだろう。 一回目の人生で、俺が目覚まし時計をいくらセットしても起きてこないリカの部屋へ起こしに行き、身支度を急かしていたあの頃とは正反対の光景。 早起きして我が家に侵入し、俺の母親より先に朝食を作っている。 ​「……お前、なんでここにいるんだよ」 ​俺は頭をガシガシと強く掻きながら、重い足取りで席に着いた。  向かいの席では、母さんが何やら察したような顔で俺とリカを交互に見つめている。我が家と隣の家との妙な緊張感を感じ取ったのか、空気を読んで何も言わずに静かに味噌汁を啜っていた。 ​俺は目の前の朝食を一言も発さずに食べ始めた。作ってくれたリカに感謝しているからではない。単に食べものを無駄にするのがもったいないからだ。  ​だが、俺が無言で箸を進める様子を見て、リカの表情がパッと明るくなった。 自分
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第13話:目から鱗の魔法と、踏み出す一歩

 ​放課後の図書準備室。俺とアヤノさんは、卒アルのサンプルページを目の前に並べて息を吐いた。​「よし……これで全体のレイアウト案は完成だな」 「はい! すごく見やすくて良いページになりました」 ​アヤノさんが嬉しそうに頷く。今度の全体ミーティングで、このサンプルを使って委員のやつらにプレゼンをする予定だ。 一回目の人生で商社の営業として長年揉まれてきた俺にとって、プレゼンなんてお手の物だった。同年代の高校生相手に遅れを取る気は一微塵もない。 ​ひと段落ついて俺が肩を回していると、アヤノさんが「ねぇ、これ……」と、カバンから取り出した大きな角形封筒をトンと机の上に置いた。​「見てもいいか?」 「どうぞ。沢渡くんに見せたくて持ってきたんです」 ​促されるまま封筒から中身を引き出すと、そこにはフルカラーで印刷された分厚く豪華なパンフレットが入っていた。私立大学ならではの、力が入った立派な冊子だ。​「大学のパンフレット……! 私立だと、こんなに詳細なんだな」 「そうなんです。沢渡くんが興味を持ちそうだなと思って。工学部と一口に言っても、学科が細かく分かれているんですよ」 ​ページをめくると、『機械工学科』『電気電子工学科』『情報処理学科』といった名前が目に入った。 ​「機械、電気、情報処理……。俺がやりたいのって、やっぱり『機械』なのかな」 ​俺が首をひねりながら呟くと、アヤノさんは「ふふ」と楽しそうに笑い、俺の顔を覗き込んだ。​「沢渡くん、スマホ持ってますか?」 「え? ああ、持ってるけど」「ちょっと取り出してみてください」 ​言われた通り制服のポケットからスマホを取り出し、机の上に置いた。​「画面をタップしたら、パッと映りますよね? それは電気部品のタッチパネルやセンサーが働いているからです。これが『電気』の分野です」 「ふーん……なるほど」「で、画面を指で払うと滑らかに表示が動きますよね。これはプログラミング……『ソフト屋さん』の仕事です」 「へえ、ソフトか。普段よく使ってるけど、別々の分野が関わってるんだな」 ​感心する俺に、アヤノさんは「じゃあ、機械はどこだと思いますか?」と問いかけてきた。​「えっ……電気とソフトでほとんど完成してないか? 機械は……なんだろう、この形を作ってることか?」 「ふふ、不満そうですね」
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第14話:擦れ違う距離感と拒絶

 ある日の朝、玄関のドアを閉めて門扉へ向かうと、その陰からひょっこりとリカが姿を現した。 「たまたま同じタイミングになった」という顔をしているが、俺のセンサーは、彼女がここでずっと隠れて待っていたのだと伝えていた。「おはよ、ヨータ」  少し神妙な面持ちで恐る恐る挨拶をするリカ。「あぁ、おはよ」 俺は正直、どんな顔をして接していいのか分からない。  まあ、「勝手にうちに来るな」と言ったのは一応守っているようだし、俺も挨拶すら無視するほど鬼畜にはなりきれない。「がっこいこ♪」 そう言って、リカはいつものにっこにこした笑顔になって、俺の横に並んで歩き出した。 家が隣同士で学校も同じなのだから、朝に一緒になったからといって「一緒に歩くな」と追い払うのも変だ……と俺は諦めて足を動かす。「あのね、私、考えたの」 「ん?」 「木村くんの件、ごめんね」 お? ついに自分の身勝手さに気づいてくれたのだろうか。リカはかわいいだけじゃなくて、頭も悪くない。ようやく理解してくれたのだと思ったのだけど、そう思ったのも束の間――「ヤキモチ妬いてほしかったっていうか、久々に告白とかされて舞い上がっちゃったっていうか……」 「もう、いいよ。気にしてない」 感情のこもらない声で返す俺を制するように、リカはくるりと俺の前に回り込んだ。そして大げさに両手を合わせ、片目をウインクしながら少し笑みを含んだ顔を作った。「ごめんなさい! 私が悪かったの! ごめんなさい!」 「だから、もう良いって……」 ため息まじりに告げると、リカは俺の腕に自分の腕をぎゅっと絡めてきた。「ごめんってー。だからさ、私たち付き合おう♪ 前は大学からだったけど、ヨータが言うみたいに前は前だし、今は今」 「……」  耳を疑った。このタイミングで……!?「ほら、キスとかそういうこともしたいと思うんだ」 甘えるような声で言われた言葉。 一回目の人生の俺なら、舞い上がって受け入れていたのかもしれない。だが、今の俺の胸に去来するのは、ただただ冷ややかな違和感だけだった。 そもそも俺たちは八十年弱一緒にいたんだ。子どもだって二人いた。肉欲としてのそういった行為は俺にとって魅力にはならない。「……やめてくれ」 俺が短く拒絶すると、リカは拍子抜けしたように目を丸くした。「え……」 「や
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​第15話:パーッと弾けて、熱く語って

​「今日、何かありました?」 ​放課後の図書室。卒アルの作業がひと段落したところで、アヤノさんが俺の顔をじっと覗き込んできた。​「え? なんで?」 「なんか、さっきからずっと難しい顔をしてる」「そっか……」 ​今朝のリカとのやり取りが、無意識のうちに表情に出ていたらしい。普段はおとなしいのに、アヤノさんは本当に人のことをよく見ている。​「……なんかさ、パーッとしたい気分なんだよね」 くさくさしてるより身体を動かしたい性格なんだよな、俺。「パーッと、ですか。じゃあ……バッティングセンター? カラオケ? プラモデル?」 ……ん? えーっと、なんか最後に変なのが混ざってなかったか? ​心の中でこっそりツッコミを入れた。でも、俺の態度で伝わったのだろう。  アヤノさんは慌てたように目を泳がせた。普段の落ち着いた雰囲気とのギャップがなんだか可笑しい。​「えーい、全部だ!」 「ぷっ……最高ですね、それ」 ​アヤノさんが小さく吹き出し、図書室の空気がふっと和らいだ。 ​結局、放課後に二人で向かったのは近くのバッティングセンターだった。 ​――キン。キン。 カキーンという心地よい快音とは程遠い、どん詰まりの鈍い音が打席に響く。引っ掛けた感じっていうのかな。 俺は野球経験もないし、バッティングも下手くそだ。どうせ二十〜三十球振って当たるのは数球程度。打ったところでまともに前に飛ばず、手にマメができるのが目に見えている。 だけど、無心でボールに向き合えるバッティングセンターの雰囲気が、昔からなぜか好きだった。 ​打席を出て額の汗を拭いていると、ベンチで見ていたアヤノさんが首を傾げた。​「沢渡くん、バッセン好きでしょ?」 「え、なんで分かったの?」「え? あ、うんと、えっと……」 アヤノさんが慌てて左右を見てる。どうした、どうした。「えっと、……雰囲気で!」 ​ドヤ顔で言い切るアヤノさんだったが、俺がじっと見つめると「あ、決してストーカー的に観察してたとかじゃなくて!」と急に焦り出した。 文学少女は洞察力もすごいらしいが、慌てる様子が新鮮で可愛らしい。​「次は私も行きますね」 ​打席に入ったアヤノさん。華奢な体つきだし、ボールに押し負けるんじゃないかと 心配していたのだが―― ​「タンタン……メーン!」 ​なぜか剣道のよう
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第16話:破られた宝物と、閉ざされた扉

 今日の俺は、少しばかり迂闊だったと思う。 教室の自分の机の上に、城東大学のパンフレットを持ってきてしまっていたのだ。 こんなものは、家に帰ってから一人の部屋でニマニマと将来を想像しながら見ればいいもののはずだ。 だけど、アヤノさんから「沢渡くんに見せたくて」ともらったそれは、俺の中で半ば『宝物』のような存在になっていた。休み時間になるたび、俺は数あるページの中から『工学部』、それも『機械工学科』の紹介ページを何度も何度も眺めていた。 なんかロボットアームが作りかけの自動車を溶接しているイメージイラストが載っている。なんかよく分からないけど、とにかくかっこいい。 アヤノさんとガチャガチャ動く機械の話をするようになってから、俺はあの複雑な構造のどこに物理や数学が使われているのか、無性に興味が湧いてきたのだ。 一回目の人生も含め、物理と数学の授業なんて俺にとっては半ば「睡眠導入用」でしかなかったのだが、三年生になってからは真面目に受けるようになった。 もともと、数学は小学校の頃から大嫌いだった。 思い起こせば、小学校の文章題からして納得がいかなかったのだ。『湖の周りを時計回りに時速十キロで歩く弟と、反時計回りで時速十五キロで追いかける兄』  ――お前ら、仲良く同じ方向に歩けよ。『一個六十円のりんごと、一個八十円のみかんを買いました』  ――お前がよく行くスーパーの物価はどうなってんだよ! あと消費税の計算はどうした!『毎分三リットルの水が入る水槽。しかし底に穴が空いており、毎分一リットルの水が流れ出ています。十年後、水槽の水はどうなっているでしょう』  ――そんなくだらない計算してないで、まずその穴を塞げ! 水がもったいないだろうが! この話を図書室でアヤノさんにしたら、それこそ窒息しそうなくらい大爆笑してくれたのだ。 「ふふっ……」  俺はパンフレットを見ながらそんな出来事を思い出し、思わずニヤニヤと笑いを浮かべていた。 ――すると、いつの間にかチャイムが鳴り、休み時間になっていたらしい。 俺の机の真ん前に、ぬっと一人の少女が立っていた。腕を組んでまさに仁王立ちだった。当然、リカである。「はあーーー!? 城東大~!?」 リカの眉が段違いに歪んでいた。せっかくのかわいい顔が台無しである。「ヨータ、城南大でしょ!? 経済学部でしょ!?
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第17話:男同士のベランダと、届かないバトン

「ちょっといいかな」 「?」 休み時間、教室で不意に声をかけられた。振り向くと、そこに立っていたのは木村タカハルだった。 同じクラスのイケメンで、サッカー部のレギュラー。インターハイへの出場も決めているスポーツマンで、とにかく女子からの人気がズバ抜けている。噂では、木村目当てに集まった女子マネージャーだけでサッカーの1チームが作れるほどの人数になったらしい。 そんな人気者が、これまた学校中のアイドル的な存在であるリカと付き合い始めたことで、彼の注目度はさらに跳ね上がっていた。誰かの恋人になったことで逆に価値が上がる現象でもあるのだろうか。……まあ、そんな心理学的な考察はどうでもいい。とにかく木村が超絶人気者だということだ。 俺たちは教室の外、ベランダへと向かった。 うちの高校は、なぜか各教室にベランダがついている少し変わった構造をしている。普段は窓もドアも締め切られているため、周囲に聞かれたくない内輪話をするには格好の場所だ。 校舎を設計した建築家も、まさか高校生が密談に使うとは思っていなかっただろう。「えーっと……」 手すりに肘をつき、遠くの校庭を眺めながら木村が切り出した。 何を言おうとしているのか、わざわざ尋ねるまでもなかった。どうせリカのことだ。「秋月と……また付き合い始めたのか?」 風に髪を揺らせながら遠目を見る木村。イケメンというのは、どんなポーズをとっても一幅の絵になるからずるい。  ……あ、「秋月」というのはリカの苗字だ。  一回目の人生で半世紀以上も「沢渡リカ」として連れ添ってきたから、俺の脳と口は「リカ=沢渡」と記憶してしまっている。いまや彼女は結婚前の「秋月リカ」なのだから、呼び方に違和感を覚える俺のほうこそどうかしているのだが。「いや、付き合ってないよ。……そもそも、俺とリカは最初から付き合ってなんてなかったし」 「え!? あの感じで!?」 木村が目を見開いて振り返った。無理もない。 一度目の人生の記憶があるリカは、二度目の世界でも平然と俺に抱きついてきたり、腕を絡めたり、手を繋いできた。教室で二人で向かい合って抱き合っていたなんて噂を立てられたこともあったはずだ。 だが、あれには切実な裏事情がある。 リカは俺が自分の席に座っていると、決まって周囲のイスではなく俺の『机』の上に直接座り込んでくるのだ。目の前に
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第18話:モノ消費とコト消費

 ザァァ……と、しとやかに降る雨の音が窓ガラスを叩いている。  休日の自室。俺はベッドの上で寝転がりながら、ぼんやりと天井を眺めていた。 本当なら、机に向かってガッツリ勉強したほうがいいのは分かっている。だけど昨日は木村とのやり取りやパンフレットの件など、色々と考えることが多すぎて寝るのが遅くなってしまった。頭が少し重くて眠い。こんな状態で無理に参考書を開いても、どうせページの上を目が滑るだけで大して頭に入ってこないだろう。 実際、教科書を開いてみたけど、目が滑る滑る。 こういう時は、変に足掻かず思い切って一度寝てしまったほうがいい。起きたあとに頭をスッキリさせてから集中したほうが、結果的に学習効率は上がるはずだ。 こんな「何もない日」はいつ以来だろう……。リカもうちに来ないし、アヤノさんは模試とかで遊んでくれないし。 受験生とは常に心が落ち着かないものだと思うけど、俺には少しだけ心の余裕があった。何しろ、俺には大学受験の経験がある。 なんなら一回目の人生で出題された問題の雰囲気だって、なんとなく覚えているくらいだ。 ……だが、それはあくまで「城南大学経済学部」の問題だった。  今、俺が覚えるべきなのは「城東大学工学部」の問題と、その答えなのだ。 そもそも、文系と理系では『知識の覚え方』そのものが根本から違っている。  歴史の「645年→大化の改新」とか「1192年→鎌倉幕府(最近は1185年らしいが)」みたいな暗記。国語の漢字。英語の「as soon as →possible」といった熟語。 文系の受験勉強は、知っているか、知らないか。「覚えた」か「覚えてない」かという、知識の所有の有無がすべてだった。勉強とは、決められた正解をどれだけ頭の中に買い揃えるかという作業だったのだ。 だが、数学や物理はまったく違う。「質量Mの物体に、質量aの物体が衝突する」なんて文章題、丸暗記したって何の意味もない。 水平にぶつかるのか、糸で吊るされて弧を描きながらぶつかってくるのか、はたまた上から自由落下してくるのか……条件によってパターンが無限に存在しすぎるのだ。 だから「暗記」じゃなくて、「理解」が必要になる。  問題文を読んだ瞬間、頭の中で「物体Mに物体aがぶつかった時のエネルギーの伝わり方」をリアルタイムでシミュレーションしないと解けない。
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第19話:招待状と、当社比五倍の奇跡

 朝、登校して自分の席につき、鞄をしまおうと机の中に手を突っ込んだところで、カサリと紙の感触が指に触れた。 取り出してみると、それは一枚の白い封筒だった。 表には、几帳面で整った美しい文字で、ぽつんと一言こう書かれている。『招待状』「……招待状?」 思わず首を傾げた。この几帳面すぎる字の主には心当たりがある。アヤノさんだ。 また何か珍妙な機械の構造図でも入っているのか、それとも新しいオタク談義の呼び出しだろうか。一瞬「まさかラブレター!?」という男子高校生特有の脳内お花畑が咲きかけたが、表に堂々と『招待状』なんて書くラブレターがこの世にあるはずもない。 手紙を破かないよう慎重に開封し、中には小さなカードが入ってた。『次の土曜日、城東大学のオープンキャンパスがあります。一緒に参りませんか』(……社交ダンスへのお誘いかよ!) 思わず心の中でツッコんでしまった。『シャル・ウィ・ダンス?』みたいなノリで誘ってくるんじゃないよ。 そもそもアヤノさんは城東大学の主催者側でも広報係でもないのだから、「招待」という言葉のチョイスからしてどこかズレている。だが、それが実に彼女らしくて、じわじわと面白さがこみ上げてきた。 まだ朝のホームルーム前で、授業が始まるまでには少し時間がある。 俺は手紙をポケットにしまうと、席を立って隣の2組の教室へと向かった。 2組の前のドアの前に立ち、ノーチャイムで無言のまま、カラカラカラ……と勢いよく開けてみる。 急にドアが開いたことで、朝の読書や談笑に花を咲かせていた2組の生徒たちが「先生が来た!?」と一瞬で静まり返った。教室中の視線が一斉にドア口へと集まる。 俺は静寂に包まれた教室の中に、首だけをひょこっと突っ込んで中を見渡した。 教室の奥、いつもの窓際の席にアヤノさんはいた。 相変わらず「選択的ぼっち」を貫いている彼女は、周りの静寂にもどこ吹く風といった様子で静かに文庫本を開いていたのだが、俺の顔を見ると目が合ったのを確認した。 2組の連中は俺が何をしに来たかは分からない。俺はクラスメイトたちの痛い視線を完全に無視し、誰にも分からないようにアヤノさんに向かって無言でにこりと微笑みかけてみた。 するとアヤノさんは、周囲に気づかれないよう自分の胸の辺りでひそかに右手を出して、無言でサムズアップ(親指を立てるポーズ)を作り、「り
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第20話:巨大な大学とキラーフレーズ

 城東大学のキャンパスに足を踏み入れた瞬間、俺はその圧倒的なスケールに息をのんだ。 とにかくデカい。そして綺麗だ。  ガラス張りのモダンな校舎に、広大な芝生の広場。構内にはコンビニやカフェ、さらには銀行のATMまで完備されていて、大学というよりは一つの独立した街か洗練された高級ホテルにやってきたかのようだった。「すごいな……ここ、本当に大学かよ」  思わず、「最近の大学は……」とか言いそうになったけど、これは俺に前世の記憶があるからに違いない。俺は十七歳、俺は十七歳、と心の中で唱えて十七歳マインドを取り戻した。「ふふ、驚いた? 私も最初にパンフレット見た時びっくりしたんです」 お嬢様風の私服に身を包んだアヤノさんが、嬉しそうに胸を張る。私服の破壊力にまだ直視が眩しい俺だったが、なんとか平静を装って彼女の隣を歩いた。 今日の目的である工学部の説明会が催される大講義室に入ると、登壇したのは機械工学科の佐伯(さえき)教授という、白髪の似合う渋い男性だった。「――今の時代、機械の人間がメカだけ分かっていれば良いという甘い考えは通用しません」 マイクを通した教授の落ち着いた声が講堂に響く。  机に固定された折り畳みのイスの机はいかにも「大学の講義室」という感じだった。一周目に経験した経済学部とは違うんだと感心したし、ワクワクもしていた。  隣の席にアヤノさんが座っているのも新鮮で、ワクワクしている要因の一つだったけど。「メカを自在に動かす制御やソフトウエアを理解してこそ、初めて『本当に優れた機械』が生み出せるのです。当学科のカリキュラムでは、工場自動化の要となるシーケンサ制御から、C言語、C++、そして高度なメモリ安全性を誇るRustといったプログラミング言語まで徹底的に叩き込みます」(し、しーけんさ……? らすと……?) 一周目で文系営業マンとしてしか生きてこなかった俺の脳内は、一瞬で『?』マークで埋め尽くされた。単語としては聞いたことがあっても、それが具体的に何を意味するのかさっぱり分からない。 戸惑っている俺の様子に気づいたのか、隣に座っていたアヤノさんが、身を乗り出すようにして小声で耳打ちしてくれた。「シーケンサっていうのはね、工場のラインとかを順番通りに動かす機械の脳みそみたいなものだよ。C言語やC++はハードウェアを直接動かすため
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