ペントハウスを出て、2週間がたった。アルデンからのメールは、投資管理チームの共用アドレスから届いた。売上精算の様式と、次の四半期の取締役会の日程。それだけだった。蓮が添えたひと言も、個人の番号から届く近況の問いかけもない。紗月は返信に必要なファイルを添付し、美緒をCCに入れた。『確認しました。ご依頼の資料は、月曜までにお送りします』送信を押してから、空いた画面をしばらく見つめた。「一ノ瀬社長にも共有してください」などという余計な一文をつけなかった自分が、おかしかった。蓮は、約束を守っていた。高価な贈り物も、玄関の花もない。家の賃貸借は代理人を通し、リュヌへの投資は橘と投資管理チームに任せていた。偶然を装った再会さえ作らなかった。そうしてほしいと求めたのは、紗月だ。それなのに、夜、家へ戻って明かりをつけるたび、静かすぎた。ペントハウスよりずっと小さい家なのに、誰もいない場所は広かった。雨が降れば、濡れた髪を適当に結ぶなと言った声を思い出す。2杯目のコーヒーをいれると、無言でデカフェの豆を差し出した手が浮かぶ。眠れずリビングを歩いても、自分より先に明かりのついた書斎はない。そのたび足が止まった。債務免除の確認書は引き出しに、投資承認書は会社の金庫にある。どちらも、毎晩ともっていた書斎の明かりや、食卓の向こうで資料を読む男の代わりにはならなかった。蓮のした間違いは、はっきりしている。だからといって、彼がくれた時間を全部嘘にしたら、自分からネクタイを引いた気持ちまで、嘘になってしまう。午後、橘がオフィスに来た。今回も正式な面談だ。アルデンの利益相反管理と、資料の処分の確認だった。「投資検討にあたり、アルデンが集めた資料の一覧です。公開情報、プレスリリース、有料の市場データ、リュヌから直接提供された調査資料が、すべてです」橘がページをめくった。「桐谷社長の個人情報は、債権譲渡と賃貸借に必要な範囲を除き、収集していません。一ノ瀬が個人で保管していたものも、コンプライアンス部門で区分しました」最終ページで、紗月の手が止まった。個人保管物の欄は、3行だけだった。8年前の起業サークルの集合写真。需要予測事業の最初の企画書。桐谷紗月宛て、未投函の手紙。「これで、全部ですか?」「はい」「書斎で見たリュヌの分析資料は?」「すべて、公
Last Updated : 2026-09-24 Read more