アルデン・パートナーズ本社、17階の大会議室。窓越しのまぶしい日差しが、長い大理石のテーブルに落ちていた。空調の静かな音がする室内は、真夏の外気とは対照的に、冷たい緊張に包まれている。リュヌの西ヨーロッパ販路拡大と、パリの修繕拠点――アトリエの設立。その議案をめぐる会議は、すでに3時間に及んでいた。「桐谷社長。ご提案のパリ現地修繕・物流統合センターの設立計画は、当社のリスク管理ガイドラインを明らかに超えています。現地企業への業務委託ではなく直営拠点にこだわれば、初期の固定費投資に対する回収期間が過度に長くなるだけです」上座の蓮が、リュヌの提案書をめくった。その声に、私的なぬくもりはない。きちんと整えた髪、ダークネイビーのスーツ、寸分の乱れもないネクタイ。どこから見ても、冷静な投資会社の経営者だった。向かいの紗月は、少し顎を上げ、その視線を正面から受け止めた。彼女が着ているのは、リュヌの未発売ラインのチャコールグレーのリネンジャケット。袖をきちんとまくり、テーブルのペンを1度回して、ロゴを下に向けて置く。不安を隠す、かつての無意識の癖ではない。相手を分析し、次の手を打つための、落ち着いた間だった。「一ノ瀬社長。物流費の計算だけなら、そう見えるでしょうね。でも、西ヨーロッパのバイヤーがリュヌを選ぶ最大の理由は、長く修繕を受けられるという信頼です。外部へ委託した場合、当社特有の三日月の刺繍の復元や、非対称パターンの精密な修繕品質は維持できません。ブランド価値の毀損による長期的な返品率の上昇と、顧客離れのコスト。それも、アルデンの優秀な数式には織り込み済みですか?」譲らない応酬に、同席者たちが息をのんだ。リュヌの運営統括、美緒は額の汗を拭い、アルデンのコンプライアンス責任者の様子をうかがう。蓮の隣の橘は、表情を変えず、議事録用のノートを指でたどっていた。半年前にはゴシップを騒がせた2人だ。今は結婚を前提に交際していることも、公になっている。それでもこの会議室では、最も厳しい条件を突きつけ合うビジネスパートナーだった。「当社が見るのは、理念より実現可能性です。直営拠点の設立費4,500万円に対し、担保、または相応のリスク保全条項が追加されない限り、私を含む審査担当者は、この暫定予算案に賛成できません」「わかりました。では、初期予算を3,200
Last Updated : 2026-09-24 Read more