บททั้งหมดของ 結婚式三日前、婚約者は初恋の男に誓った: บทที่ 1 - บทที่ 10

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第一話 軽井沢の花嫁

結婚式まで、あと三日。その朝、僕は急きょ軽井沢へ向かうことになった。同僚が熱を出し、ホテルの植栽検査を代わりに担当することになったのだ。僕の勤める景観設計会社は、水城グループが軽井沢に開業する新ホテルの外構・植栽設計を担当している。そのホテルでは、婚約者の水城玲奈がブランド企画を担当していた。玲奈は一週間前から現地にいる。プロモーション映像の撮影が長引いているらしく、昨夜届いたLINEも短かった。『今日も遅くなる。先に寝てて』玲奈と付き合って、七年。激しい喧嘩をするような恋人同士ではなかった。少なくとも、互いを尊重し合えていると思っていた。派手さはなくても、この穏やかな日々が結婚後も続くと信じていた。新幹線の中で、玲奈にメッセージを打った。『今からそっちへ行くことになった』けれど、送信する直前で消した。撮影中に気を遣わせる必要はない。検査を終えたら、そのまま東京へ戻ればいい。そう思っていた。西棟の確認を終え、チャペル脇の庭へ回ったとき、ガラス扉の向こうから拍手が聞こえた。白いドレスを着た玲奈の向かいに、黒いタキシード姿の男が立っている。神谷蒼真。玲奈の初恋の相手で、今回のプロモーション映像を手がけるディレクターだ。チャペルには、参列者が十数人いた。最初は、ホテルのプロモーション映像を撮っているのだと思った。ふたりが新郎新婦を演じているのも、撮影の演出にすぎない。そう自分に言い聞かせた。けれど、チャペルの隅に置かれたカメラは、一台も回っていなかった。最前列では、玲奈の母親がハンカチで目元を押さえている。その姿を見た瞬間、胸の奥がすっと冷えた。司式者が、ふたりに問いかける。「新郎・神谷蒼真さん、新婦・水城玲奈さん。おふたりは、これから先、互いを大切にし、ともに歩んでいくことを誓いますか」「誓います」蒼真は迷わなかった。続いて、玲奈の番になる。三日後、僕と結婚するはずの人。七年間、隣にいた人。玲奈は目を潤ませ、幸せそうに笑った。「はい。誓います」拍手が起こり、ふたりは指輪を交換した。蒼真が玲奈の頬に触れる。玲奈はゆっくり目を閉じた。気づけば、右手を強く握りしめていた。これは……撮影のための芝居なんかじゃない。爪が手のひらに食い込み、握りしめた拳には血管が浮いていた。それでも、声を上げるこ
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第二話 二つの式

翌朝、玲奈からLINEが届いた。『撮影、無事に終わったよ。今夜には帰れそう』僕は『お疲れさま』とだけ返した。午前十一時、横浜の式場へ向かった。海の見える小さなホテルで、親族と友人、合わせて二十八人だけを招く予定だった。「水城様は、本日もお仕事ですか」担当の須藤さんが、席次表と進行表を並べる。「はい。軽井沢にいます」「本当にお忙しいんですね。高瀬様にすべてお任せできるから、安心していらっしゃるんでしょうね」悪意のない言葉が、きれいに刺さった。何をしても、この人なら受け止めてくれる。玲奈にとって、僕はそういう相手なのだろう。完成イメージには、白いバラとユーカリで飾られた庭が描かれていた。玲奈が歩きやすいよう、芝生の上に細い木製の通路を敷くことまで考えた。夕暮れの光に映えるランタンも、料理も、席順も、ひとつずつ決めた。玲奈に確認するたび、返ってくる言葉は同じだった。『湊に任せる』以前は、それを信頼だと思っていた。「水城様、きっと喜ばれますね」須藤さんが笑う。軽井沢で見た玲奈は、僕の知らない顔で笑っていた。あの笑顔を思い出すと、答えは簡単だった。「須藤さん」「はい」「今から式をキャンセルした場合、費用はいくらかかりますか」須藤さんの笑顔が止まった。「……キャンセルをお考えなのでしょうか」「キャンセルする場合の手続きだけ、教えてください」この時点でキャンセルすれば、費用は全額こちらの負担になる。金額は小さくなかった。須藤さんは、キャンセル料の内訳と手続きの流れをひとつずつ説明してくれた。七年を失うことに比べれば、お金で済む損失など、まだましだった。申込代表者は僕だ。須藤さんは、キャンセル届とペンを差し出した。署名欄の上で、ペン先が一度だけ止まった。玲奈には、まだ何も聞けていない。七年を終わらせる前に、本人の口から本当のことを聞くべきではないのか。けれど、どんな言い訳を聞かされても、軽井沢で見た玲奈の笑顔が消えるわけではない。わかっている。それでも結局、僕は名前を書けなかった。「すみません。今夜まで、考えさせてください」「承知しました。お決まりになりましたら、このLINEにご連絡ください」須藤さんとのLINEを確認してから、未記入のキャンセル届を鞄にしまった。式場を出ても、答えは出なかった。玲奈
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第三話 招かれたカメラマン

結婚式二日前の夜八時過ぎ。玄関の鍵が開いた。「ただいま」玲奈がキャリーケースを引いて帰ってきた。いつもと変わらない笑顔を、僕に向けた。「湊の顔を見たら、やっと帰ってきたって感じがする」昨日、蒼真に向けていた笑顔とは違う。あのときの玲奈は、恋をしている女の顔だった。「軽井沢、どうだった?」「大変だった。朝から夜まで撮影ばっかり」「ホテルのチャペル、きれいだった?」玲奈の動きが、一瞬だけ止まった。「見てないよ。仕事で行ったんだから、そんな余裕ないって」「そう」玲奈は小さく息を吐いた。左手の薬指に、細い白い跡がある。外したばかりの指輪の跡。僕は何も言わなかった。それでも胸の奥には、捨てきれない期待が残っていた。鞄の中には、名前を書けなかったキャンセル届が入っている。あの紙に署名する前に、一度だけ、玲奈の口から本当の気持ちを聞きたかった。「玲奈」「なに?」「本当に、僕と結婚したい?」玲奈は目を瞬かせ、困ったように笑った。「何それ。マリッジブルー?」「答えて」自分でも驚くほど、低い声が出た。玲奈はしばらく僕を見つめ、それから、当たり前のことを言うように答えた。「結婚したいよ。七年も一緒にいたんだよ?」「僕のこと、本当に好き?」「好きに決まってる。私が結婚したいのは、湊だけ」言葉だけを聞けば、信じられたかもしれない。けれど玲奈は、話している間も左手をさりげなく背中へ回し、指輪の跡を隠すように指を握り込んでいた。「式の準備、終わってる?」「全部終わってる」「さすが。湊に任せておけば安心だね」以前なら、その言葉を信頼だと思えた。今は違う。玲奈が信じているのは、僕の気持ちではない。何をしても僕は離れないという、自分に都合のいい思い込みだ。玲奈は冷蔵庫からペットボトルの水を取り出すと、思い出したように振り返った。「そうだ。ひとつお願いがあるんだけど」「何?」「明後日、蒼真も来ることになったの」「招待客として?」「ううん。結婚祝いに、式の様子を撮ってくれるって」玲奈の声が明るくなる。昨日、玲奈と指輪を交換したばかりの男。その男が明後日には、カメラ越しに玲奈が僕へ愛を誓う姿を撮る。それを玲奈は、結婚祝いと呼んだ。ついさっき「私が結婚したいのは、湊だけ」と言ったばかりなのに、玲奈は蒼真を僕たちの
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第四話 忘れられない前夜

結婚式前日の朝。玲奈は鼻歌を歌いながら、化粧品をスーツケースに詰めていた。「今日は式場近くのホテルに泊まるね。明日は部屋にヘアメイクさんを呼んで、朝から支度するから」「うん」「湊は十時までに来れば大丈夫。指輪も忘れないでね」玲奈はテーブルのリングケースを指さした。一度も開けていないリングケース。中には、僕の結婚指輪が入っている。二日前に蒼真と指輪を交換した玲奈は、明日になれば、今度は僕と結婚指輪を交換するつもりでいる。「玲奈」「なに?」「……明日を迎える前に、何か言っておきたいことはない?」スーツケースのファスナーを閉めようとした手が、ほんの一瞬止まった。「何かって? 別にないけど……どうしたの?」その瞬間、テーブルに置かれたスマホの画面が明るくなった。『蒼真:軽井沢の写真、共有アルバムに入れたよ。あの日の誓い、一生大切にするよ』玲奈は通知を見た途端、ほんの少し口元を緩めた。僕の視線に気づくと、すぐにスマホをバッグへしまった。「仕事の連絡?」そう聞くと、玲奈は迷わずうなずいた。「うん。明日の撮影の確認」「そう」結局、玲奈は最後まで真実を口にしなかった。あれが最後の機会だったのに、返ってきたのはまた嘘だった。その瞬間、もう何も言うことはないと悟った。十時過ぎ、玲奈の母親が車で迎えに来た。軽井沢のチャペルで玲奈のベールダウンをした母親は、何事もなかったように僕へ頭を下げた。「湊さん。明日から玲奈をよろしくお願いしますね」「はい」何も知らないふりをして答えた。玲奈の荷物を車まで運んだ。トランクを閉めると、玲奈が窓を開けた。「また明日ね」「また明日」玲奈たちの車を見送ったあと、僕は横浜の式場へ向かった。鞄から未記入のキャンセル届を取り出し、須藤さんの前で署名した。手続きを終えて部屋へ戻ったのは、昼前だった。昼過ぎ、予約していた引っ越し業者がやって来た。本と仕事の資料、衣類。僕の荷物は、段ボール六箱とスーツケース一つに収まった。共有の家具や家電には手をつけない。冷蔵庫には、玲奈が好きなヨーグルトが残っていた。洗面台の下には、補充したばかりの洗剤。玄関には、雨の日のために用意した折り畳み傘。どれも置いていく。僕がいなくなったあと、玲奈は一つずつ気づくだろうか。それとも、当たり前だったものがなく
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第五話 誰もいない披露宴

『でも、あれは本当の結婚式じゃないの』電話の向こうから返ってきたのは、謝罪ではなく、そんな言い訳だった。『婚姻届を出したわけじゃないし、法的には何も変わってない。蒼真がロンドンへ行く前に、昔の約束に区切りをつけたかっただけ』「区切りをつけるために、僕との結婚式の三日前を選んだのか」『一度きりの思い出にするつもりだった。終わったら、何の迷いもなく湊と結婚できると思ったの』玲奈の声には、自分のしたことを正当化しようとする響きがあった。「僕に言わなかったのは?」『傷つけたくなかったから』玲奈にとって、傷つけることより、傷つけたと知られることのほうが問題だったのだろう。「僕を傷つけたくなくて、僕に隠れて別の男に『誓います』と答えた?」受話口の向こうで、玲奈が息を止めた。『そういう言い方をしないで。蒼真とのことは、もう終わったの』「終わらせた相手を、どうして今日の式に呼ぼうとしたんだ」『それは、仕事として撮ってくれるって言ったから……』「断れたはずだ」しばらく沈黙が続いた。「もし僕が、昔好きだった女性と同じことをしていたら、玲奈は許せた?」『え?』「君との式の三日前に、その人と指輪を交換して、家族の前で愛を誓っていたら」返事はなかった。「その女性を、僕たちの式にまで呼ぼうとしていたら?」長い沈黙のあと、玲奈は小さく答えた。『……嫌に決まってる』「自分がされたら耐えられないことを、君は僕にしたんだ」『ごめん』ようやく出てきた謝罪は、あまりにも遅かった。『でも、湊と結婚したくなかったわけじゃない。蒼真は忘れられない人だけど、これから一緒に生きていきたいのは湊なの』「蒼真には思い出を、僕には生活を求めたんだな」『そんなふうに分けてない』「同じだよ。どちらも手放さなくて済むと思っていただけだ」『でも、まだ間に合うよ。式場へ来て。みんなには私から説明するから』「式はもうない」『そんなの、湊が一人で決めただけでしょう』「軽井沢の式を一人で決めたのは、玲奈だ」玲奈の呼吸が震えた。『私は式場へ行く。湊が来るまで待ってるから』それきり、通話は切れた。謝った直後でさえ、玲奈は僕が戻ることを疑っていなかった。ほどなくして、大学時代からの友人で、受付を頼んでいた大橋直人からスクリーンショットが届いた。玲奈が親族と親しい友人
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第六話 祝福の席で暴かれた嘘

動画の中で、玲奈の母親が真っ先に声を上げた。『どういうことですか。今日はこちらで披露宴をするはずでしょう』須藤さんは表情を崩さず、丁寧に頭を下げた。『新郎の高瀬様から正式なキャンセル届をいただき、手続きはすべて完了しております。招待客の皆様にも、今朝六時に中止のご案内が送信されています』『でも、玲奈は何も聞いていません』『ご契約者様は高瀬様です。規約に基づき、ご本人の署名を確認したうえで承りました』声を荒らげる玲奈の母親とは対照的に、須藤さんの受け答えはどこまでも冷静だった。通知を見落としていた親族たちが、次々にスマホを取り出す。今朝届いていた中止連絡を確認し、誰もが玲奈へ視線を向けた。『玲奈、何があったの?』『湊君とけんかでもしたのか』玲奈はドレスの裾を握ったまま、答えようとしなかった。祝いのために集まった人たちの前で、何から話せばいいのか、自分でもわからなくなっていたのだろう。代わりに、蒼真が一歩前へ出た。『僕から説明します。ふたりの間に、少し誤解があって――』『誤解じゃありません』画面の外から、直人の声がした。スマホの向きが変わり、蒼真の顔が大きく映る。『高瀬が式をやめたのは、三日前、玲奈さんが軽井沢で神谷さんと結婚式を挙げたからです』廊下が静まり返った。『結婚式って、どういうこと?』玲奈の叔母が、蒼真の左手を見た。そこには、軽井沢で交換した指輪がはめられていた。蒼真は反射的に手を背中へ隠したが、もう遅い。『違うの』玲奈が青ざめた顔で首を振った。『婚姻届は出してない。ただのセレモニーで、昔の約束を終わらせるために――』『ただのセレモニーで、ウエディングドレスを着たの?』叔母の問いに、玲奈は答えられない。『お母さんにベールを下ろしてもらって、指輪まで交換して?』『終わらせるための相手を、今日の式に呼んだの?』玲奈の従姉が、蒼真の首から下がったカメラを見て言った。蒼真は、僕たちの式を撮影するつもりで、スタッフ用の黒いスーツを着ていた。『高瀬さんも了承していると聞いていました』『湊は一度も了承していない』直人が言い切った。『昨日、本人から軽井沢の写真も見せてもらった。何も知らされていなかったから、式を中止したんです』『それに神谷さん。高瀬が了承していると思っていたなら、なぜ本人に一度も確認しな
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第七話 もう何も言わない

直人からの動画は、そこで途切れた。数分後、今度はビデオ通話がかかってきた。『湊、まだ見られるか』「大丈夫」画面には、披露宴会場前のラウンジが映っていた。玲奈を追いかけたのは従姉ひとりだけで、残された親族たちは重い沈黙の中にいた。僕はホテルの窓際に腰を下ろし、コンビニで買った冷めかけのコーヒーを一口飲んだ。自分でも不思議なくらい、心は静かだった。泣き崩れる玲奈を見たら、少しは胸が痛むと思っていた。けれど、何も感じなかった。痛みが消えたというより、玲奈に期待する気持ちがなくなったのだ。わかってほしいとも、後悔してほしいとも思わない。七年間、いつか届くと信じて差し出してきたものを、ようやく手放せた気がした。画面の向こうで、玲奈の母親が蒼真をにらみつけた。『あなたが玲奈をそそのかしたんでしょう。ロンドンへ行く前に思い出が欲しいなんて言うから、こんなことになったのよ』さっきまで『昔の約束』をかばっていた人とは思えない言い方だった。蒼真の顔から、申し訳なさそうな表情が消えた。『僕だけのせいにするんですか』『あなたがいなければ、玲奈と湊さんは今日結婚できたの』『軽井沢のチャペルを予約したのは玲奈です。指輪も、ドレスも、招待する友人も、玲奈が決めた』玲奈の母親の顔色が変わった。『あなたも言いましたよね』蒼真は声を低くした。『最後に湊さんと婚姻届を出せば問題ない。湊さんは玲奈を捨てられない人だからって』ラウンジが、しんと静まり返った。七年間の献身は、玲奈だけでなく、その母親にまで『何をしても離れない』という保証に変えられていた。『そんなことまで言ったの?』玲奈の叔父が、信じられないものを見る目で玲奈の母親を見た。『娘が別の男と式を挙げるのを手伝って、そのあと何も知らない湊君と入籍させるつもりだったのか』『違うの。玲奈は湊さんを愛していたわ。だから最後は、ちゃんと湊さんを選ぶはずで……』『選ぶ人間は、ふたりの男に同時に指輪をはめさせたりしない』玲奈の母親は、もう言い返せなかった。親族たちの視線から逃げるようにうつむく。きれいに整えられた留袖も、丁寧に結った髪も、今はむしろ痛々しく見えた。見栄を守るために僕へ黙っていた人は、その見栄をいちばん守りたかった相手たちの前で、すべてを失った。スマホが震えた。玲奈からだった。
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第八話 戻らないと決めた朝

式を取りやめた翌日、僕は藤沢の実家で目を覚ました。眠ったというより、気を失うようにベッドへ倒れ込んだらしい。時計は昼前を指していた。台所へ行くと、母が味噌汁を温め直していた。母は、直人から事情を簡単に聞いているはずだった。それでも母は、軽井沢のことも玲奈のことも尋ねなかった。「食べられる分だけでいいから」差し出された茶碗から、湯気が上がっている。その何でもない温かさに触れた途端、張りつめていたものが少しだけほどけた。この七年、僕は玲奈との予定を優先することを、愛情だと思っていた。正月に帰省する日も、母の通院に付き添う日も、玲奈に頼まれれば簡単に動かした。大切にすることと、自分を後回しにすることは、同じではなかった。それに気づくまで、ずいぶん時間がかかった。午後は、生活を分けるための手続きに費やした。共同で使っていた口座から、家賃と光熱費の精算分だけを残す。家具と家電は玲奈に譲り、僕が持ち出したのは本と仕事道具だけだ。式場のキャンセル料、部屋の退去時期、残してきた荷物の一覧。感情を挟まず、確認が必要なことだけをメールにまとめた。それを、結婚準備用に作った共有アドレスへ送った。返事はすぐに届いた。『こんな事務的な話がしたいんじゃない。会って話したい』返信はしなかった。翌朝、母から電話があった。『玲奈さんが家の前にいるの。どうする?』両親まで巻き込みたくなかった。僕は玲奈に一度だけ電話をかけ、藤沢駅の北口を指定した。駅前のデッキに現れた玲奈は、帽子を深くかぶり、昨日のリングケースを両手で握りしめていた。目元は赤く腫れている。「来てくれて、ありがとう」「家には、もう行かないでほしい」玲奈の表情がこわばった。「連絡がつかないから……」「だからって、家族のところへ行っていい理由にはならない」玲奈は唇を噛み、リングケースを差し出した。「これ、持ってきた。式はできなくても、ふたりで書いておいた婚姻届は出せるでしょう?」「出さない」間を置かずに答えると、玲奈の指が震えた。「蒼真とは、もう会わない。母にも、間違っていたって言った。仕事だって、必要なら辞める」バッグから折り畳んだ紙を取り出し、僕の前で広げる。連絡先を消すこと。予定を共有すること。隠し事をしないこと。玲奈が考えたらしい約束が、十項目ほど並んでい
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第九話 嘘より強い記録

これで終わったと思っていた。だが三日後、直人から一枚のスクリーンショットが届いた。玲奈が、実名で使っているXのアカウントに長い文章を投稿していた。水城グループのブランド企画担当として、ホテルの情報を発信してきたアカウントだ。『仕事の撮影で一日だけ花嫁役を務めたことを、婚約者に誤解されました』『七年間の関係も、本番の結婚式も、説明を聞いてもらえないまま一方的に終わらされました』名前は書かれていない。それでも、過去の投稿から僕の勤務先を特定する人が現れるまで、時間はかからなかった。『取引先のホテルで勝手に写真を撮ったらしい』『話し合いもせず結婚式をキャンセルした男も、相当ひどいのでは?』根拠のない言葉が、引用欄で増えていく。昼前には、勤め先の代表番号へ問い合わせが入った。会議室に呼ばれると、佐久間部長がスマホを机の上へ置いた。「高瀬。話せる範囲でいい。事実関係を教えてくれ」責める口調ではなかった。だからこそ、隠さずに説明した。軽井沢の撮影進行表には、プロモーション映像の収録は午後二時終了と記されていた。僕が見た式は午後五時半からで、チャペルのカメラは一台も動いていなかった。撮影日時が記録された現場写真。直人を通じ、軽井沢の式に出席した友人から受け取った、私的な式の招待状。そして、『湊は何も気づいてない』と話していたこと。持っている記録を、時系列に並べて提出した。「SNSで反論はしていません。今後もするつもりはありません」佐久間部長は資料に目を通し、静かにうなずいた。「それでいい。会社から水城グループのコンプライアンス窓口へ照会する。君ひとりで相手をするな」その日の夕方、水城グループでも社内調査が始まった。玲奈の投稿は、翌朝には削除された。しかし、もう遅かった。軽井沢の式に出席していた友人のひとりが、匿名で当日の案内状を公開したのだ。『仕事の撮影だとは聞いていません。新郎新婦の昔の約束をかなえる式だと招待されました』添えられた案内状には、玲奈と蒼真の名前が並んでいた。さらに、水城グループから事情を聞かれた蒼真は、あっさり責任を切り離した。『水城さんが望んだ私的なセレモニーです。高瀬さんの了承を得ていると聞いていました』あれほど永遠を誓った相手は、自分の立場が危うくなった途端、玲奈ひとりの判断だったことにした
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第十話 もう振り返らない

それから二年が過ぎた。瀬戸内のホテルは無事に開業し、海へ続く庭は、開業早々、僕たちの予想を上回る客でにぎわった。仕事は忙しかった。けれど、以前のように、自分だけが抱え込むことはなくなった。意見が違えば話し合う。無理なものは無理だと伝える。それで離れていく人ばかりではないと、ようやく知ったからだ。玲奈からは、何度かメールが届いた。最初のメールには、長い謝罪が書かれていた。自分は蒼真との思い出を守ったつもりで、僕の七年を踏みにじったこと。謝れば戻ってくると思い込み、僕の意思を最後まで聞かなかったこと。Xの投稿で、自分を被害者に見せようとしたこと。どれも、あのとき聞きたかった言葉だった。けれど、届くのが遅すぎた。二通目には、僕が部屋に残したもののことが書かれていた。雨の日の折り畳み傘。切らさないよう補充していた洗剤。玲奈の好物で、いつも買い置きしていたヨーグルト。『なくなってから、全部あなたがしてくれていたと知りました』返事はしなかった。一年ほどたった頃、最後のメールが届いた。『もう、戻ってきてとは言いません。あなたが私を捨てたんじゃなくて、私が先にあなたを大切にしなかったんだと、やっとわかりました』『本当に、ごめんなさい』読み終えて、メールを削除した。怒りはなかった。許したわけでもない。ただ、もう僕の生活とは関係のない言葉になっていた。玲奈と蒼真は、横浜の式場で別れたあと、一度も会っていないらしい。蒼真は予定どおりロンドンへ渡り、玲奈が返そうとした指輪も、受け取らずに送り返したと聞いた。永遠を誓うことより、問題が起きたあとに相手の隣へ残ることのほうが、ずっと難しい。ふたりが欲しかったのは、たぶん人生ではなく、きれいな一日だけだった。梓さんと付き合い始めたのは、瀬戸内のホテルが開業する半年前だった。特別なきっかけがあったわけではない。現地確認の帰りに一緒にうどんを食べ、新幹線ではじめて仕事以外の話をした。僕が疲れていると、梓さんは勝手に予定を変えず、『今日はやめておく?』と聞いてくれた。彼女がひとりで抱え込みそうなときは、僕も『手伝おうか』と尋ねた。相手のために何かを決めるのではなく、相手と一緒に決める。それだけで、関係は驚くほど穏やかだった。結婚を決めたあとも、準備をどちらかに任せきることはなかっ
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