「誰だっけ? お前」 初恋の男、桐生蓮は確かにそう言 った。 その一言に葵は凍りつき、すっかり落ちぶれてしまった蓮を見下ろす。 「……臨時講師だったとは言え、たったの数年でもう生徒の顔と名前すら忘れてしまいましたか? 先生」 冷たい声でそれだけ言うと、 説明しようの無い苛立たしい気持ちを押し殺した。 高校三年の時、葵のクラスに臨時講師としてやってきた蓮の所作はいつだって洗練されていて、理知的な瞳の奥には常に知的な光が灯っており、誰も、校長すらも蓮にまるで平伏すかのように接していたのを今でも思い 出す。 ところが今はどうだ。見るからにボサボサの頭、無精髭、更には ヨレヨレのシャツを着ている。 蓮の今の姿を見て葵は酷く傷ついた。 勝手な話だとはおもうけれど、蓮にはいつまでも憧れのままで居てほしかった。いつまでも孤高のような存在のままで居てほしかった。 高校時代にどれほど冷たくされても、ほとんどの思い 出が苦いものだったとしても、たまに見せてくれた甘い記憶だけで十分だったのに。 ◇ 大手飲料企業に入社した葵は、同期の中でも群を抜いて良い評価を得ていた。 けれどそれは別に葵に特別な能力があった訳ではない。地道な努力を重ね、ここまでコツコツと積み上げてきた評価がようやく実を結んだだけの事だ。 そして勝ち取ったのは社内を上げての一大プロジェクトのコンペの出場権だった。 「今回の大型プロジェクトのコンペには、うちの部署からは橘さんに出場してもらう事になった。彼女の成績を見た上層部からの人選だ。橘さん、頑張ってね」 「は……はい!」 葵が舞い上がりそうなほど嬉しい気持ちをどうにか押し込めて返事をすると、部長はにこやかに頷いてデスクに戻っていく。 これをやり遂げれば、もしかしたら誰かに必要とされるような存在になる事が出来るかも知れない。 それを聞いて部署の皆はそれぞれ葵にお祝いの言葉をかけてくれる。 「橘さん、すご~い! 同期の期待の星だよ!」 「頑張ってね! 応援してるから!」 「うん! ありがとう!」 素直にお礼を言った所で休憩時間になりお手洗いに行 くと、少 ししてさっきの同期達がやってきた。 それに気づいて慌てて個室から出
Dernière mise à jour : 2026-10-13 Read More