直感で真っ先に浮かぶのは、名前や自己認識に関する台詞の扱われ方だ。『自分の名前がない』とか『自分の名前を知らない』というような表現は、日本語だと曖昧さや喪失感を帯びやすい。英語にすると“I don’t have a name”か“I don’t know my name”の二択になりがちだが、どちらを選ぶかで伝わる重さが変わる。
僕は劇中のあるキャラクターが自分の存在を説明する短い一文に、いつも胸を突かれる。直接的な“No name”にすると孤独や断絶が鋭く伝わるが、より説明的な“I don’t know my name”にすると探索の物語性と希望が残る印象になる。英語字幕や吹替では読み手の先入観を利用して訳が選ばれるが、その結果、原作で微妙に揺れていた感情が片寄ってしまうことがある。
言葉の微妙な揺れを考えると、まず思い浮かぶのはイザヤのあの台詞だ。『人間って面白いよね』という日本語は一見単純だが、英語だと“People are interesting, aren't they?”と訳されることが多く、ここで失われがちなものがある。間に漂う冷笑や観察者としての距離感、あるいは純粋な好奇心――どの側面を強調するかでイザヤのキャラクター像がぜんぜん変わってしまうのだ。