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彼女たちの音楽には常に深い詩的表現と斬新なサウンドが共存していた。解散理由の一端には、この独自性をさらに追求するか、聴衆に寄り添う方向へ進むかというジレンマがあったのかもしれない。『晴れ時計』の頃から既に、商業主義と芸術性の間で揺れ動く苦悩が作品から伝わってくるようだった。あの時代のJ-POPシーンにおいて、彼女たちの存在は特別なものだっただけに、解散は多くのファンに考えさせられる出来事となった。
音楽グループの解散理由は往々にして単一の要因では説明できないものだ。彼らの場合、マネジメント側との意見の相違が最終的な決断を後押ししたという説がある。2000年代半ば頃からレコード会社の戦略が変化し、バラード路線からよりポップな方向性への転換を求められたが、これがグループのアイデンティティと合致しなかったようだ。
『君という光』のような心に響く作品を作り続けたいという思いと、商業的な成功を求めるプレッシャーの間で葛藤があったのだろう。10周年を目前にした解散はファンにとって衝撃的だったが、むしろ
妥協せずに活動を終えたことを評価する声も少なくない。
ファンとして感じていたのは、メンバーそれぞれが個人活動に力を入れ始めた時期と解散時期が重なっていることだ。ソロプロジェクトが増える中で、グループとしての活動を維持するモチベーションを保つのが難しくなったのではないか。『忘れ咲き』のような名曲を生み出したクリエイティブな関係性を持続させるのは、想像以上に大変なことだったに違いない。
公式発表では「音楽活動を通じて表現したいことが変わった」という説明だったけど、ファンの間ではもっと複雑な事情があったんじゃないかって推測もされているよ。10年以上活動を続けてきて、疲れがたまっていたんじゃないかな。ライブのインタビューでメンバーが「これからどうしていきたいか」という質問に微妙に違う答えをしてたのを覚えてる。
それに、『夢・花火』みたいに繊細で詩的な世界観を作り上げてきたグループだから、創作に対するプレッシャーも大きかったと思う。最近インタビューで元メンバーが「当時はもがきながら作っていた時期もあった」って話してたし、解散は突然じゃなくてじわじわと決まっていったんだろうね。
解散の背景には複数の要素が絡んでいると考えられる。
メンバーの音楽性の方向性の違いが大きかったという話は以前から囁かれていた。2000年代初頭のポップスシーンで独特のスタイルを築いた彼女たちだが、時間の経過と共に表現したい音楽にズレが生じ始めたようだ。特に作詞作曲を担当していた2人のクリエイティブな視点が、次第に交わらなくなっていったという。
また、当時の音楽業界の変化も無視できない。デジタル化が進み、CD売上が減少する中で、アーティストとしての活動を継続することの難しさもあったのだろう。個人的には『君の思い描いた夢 集メル HEAVEN』のような深みのある楽曲を生み出せるグループが消えてしまうのは残念でならない。