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もう愛する理由はない

もう愛する理由はない

By:  弐宜Completed
Language: Japanese
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婚約者・祖浜進介(そはま しんすけ)にブロックされてから、55日が経過した。 私は、八年も待ち続けた結婚式をキャンセルした。 その間、彼はうつ病を患った幼なじみ・石塚ニナ(いしづか にな)と共に、K寺で心の療養をしていた。 彼は長年参拝客が絶えなかったK寺を、半年間も閉鎖させた。 一方で、私は彼の突然の失踪により記者に追い詰められ、家にも帰れなくなった。 やむを得ず、私は彼を探しにK寺まで行った。 しかし、「寺の静けさを乱すな」と言われて、山から追い出された。 真冬の寒さの中、私は山のふもとで気を失い、命の危険にさらされかけた。 目を覚ましたとき、私は見た―― 進介が自らの手でK寺の境内に、愛の象徴である無数のバラを植えている姿。 半年後、彼はようやく下山し、ニナを連れて帰ってきた。 そして、彼女と一緒に植えたバラを、私との新居に飾りつけたのだ。 私はただ冷ややかな目で見つめている。 彼はまだ知らない―― 私がもうすぐ別の人と結婚することを。

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Chapter 1

第1話

婚約者・祖浜進介(そはま しんすけ)にブロックされてから、55日が経過した。

私は、八年も待ち続けた結婚式をキャンセルした。

その間、彼はうつ病を患った幼なじみ・石塚ニナ(いしづか にな)と共に、K寺で心の療養をしていた。

彼は長年参拝客が絶えなかったK寺を、半年間も閉鎖させた。

一方で、私は彼の突然の失踪により記者に追い詰められ、家にも帰れなくなった。

やむを得ず、私は彼を探しにK寺まで行った。

しかし、「寺の静けさを乱すな」と言われて、山から追い出された。

真冬の寒さの中、私は山のふもとで気を失い、命の危険にさらされかけた。

目を覚ましたとき、私は見た――

進介が自らの手でK寺の境内に、愛の象徴である無数のバラを植えている姿。

半年後、彼はようやく下山し、ニナを連れて帰ってきた。

そして、彼女と一緒に植えたバラを、私との新居に飾りつけたのだ。

私はただ冷ややかな目で見つめている。

彼はまだ知らない――

私がもうすぐ別の人と結婚することを。

……

店で指輪を選んでいると、半年ぶりに進介と会った。

店員が私の手にあるダイヤの大きさを褒めそやしているが、私は何も耳に入らなかった。

ただ、彼を見つめているうちに、心が少し揺れ動いた。

進介は私の指にある指輪を見ると、冷ややかな表情のまま近づいてきて言った。

「どうして一人で先に来た?サプライズを用意してたのに」

口ではそう言っているが、彼の手にぶら下がっている袋の中には、ダイヤのネックレスが入っている。

それは私へのものではない。

ニナのためのものだ。

昨日、彼らが家に戻ったとき、私は聞いた。ニナが彼に甘えるように「誕生日プレゼントにダイヤのネックレスが欲しい」と言っているのを。

そして進介は、すでにその願いを叶えている。

そう――ニナの望むことなら、彼はどんな努力をしてでも必ず叶えてしまう。

私とは違って、私はただ結婚式を望んでいただけなのに、八年待っても叶わなかった。

だからもう、進介。私はあなたを待たない。

私は彼から少し離れて、黙って指輪を外し、店員に包んでもらうように頼んだ。

すると進介はすぐにカードを取り出し、支払おうとした。

私が店員に説明しようとしたとき、ふと彼の手首にある数珠が目に入った。

昨日、ニナが芸能界復帰を発表した際、インスタに投稿した写真の一枚に、まさにその数珠が写っていた。

数珠の写真だけが、他の写真とちぐはぐに見えた。

そしてある人が、それをK寺特有の数珠だと特定したのだ。

瞬く間に、【#K寺の半年閉鎖】と【#数珠の持ち主】というワードがトレンド入りした。

さらに、ニナたちが山を下りる様子を週刊誌が撮影していた。

進介の正面は映っていなかったが、彼のオーダーメイドスーツと【1122】のナンバープレートが、すべてを物語っていた。

世間の人々は、ニナが金持ちに嫁いだことを祝福した。

そして、私だけが完璧な笑い者になった。

現実に引き戻され、店員がカードを切ろうとする手を制した。

「結構です。試着しただけで、買うつもりはありません」

進介はスマホを見つめながら、無関心な口調で言った。

「買っとけよ。ちょうど午後は空いてるし、婚姻届を出しに行こう」

――婚姻届を出しに?

彼にとって、私との結婚は単なる手続きの一部に過ぎない。

だが、そんな愛情のない関係など、もういらない。

私は何も答えずに店を出た。

彼はすぐに後を追い、不満そうに言った。

「またニナのことで怒ってるのか?

前にも言っただろ、結婚式は予定通りだって。俺はただ、彼女の父親の代わりに面倒を見てるだけだ」

そう、ニナは彼の親友の娘だ。

彼女の父が亡くなって以来、進介は彼女の面倒を見てきた。

彼女は「進介おじさん」と呼びながら、その瞳には明らかな恋慕の色が宿っている。

進介も、分かっていないはずがない。ただ、見て見ぬふりをしているだけだ。

そして私は、彼が世間の噂からニナを守るために利用している、ただの盾なのだ。
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第1話
婚約者・祖浜進介(そはま しんすけ)にブロックされてから、55日が経過した。私は、八年も待ち続けた結婚式をキャンセルした。その間、彼はうつ病を患った幼なじみ・石塚ニナ(いしづか にな)と共に、K寺で心の療養をしていた。彼は長年参拝客が絶えなかったK寺を、半年間も閉鎖させた。一方で、私は彼の突然の失踪により記者に追い詰められ、家にも帰れなくなった。やむを得ず、私は彼を探しにK寺まで行った。しかし、「寺の静けさを乱すな」と言われて、山から追い出された。真冬の寒さの中、私は山のふもとで気を失い、命の危険にさらされかけた。目を覚ましたとき、私は見た――進介が自らの手でK寺の境内に、愛の象徴である無数のバラを植えている姿。半年後、彼はようやく下山し、ニナを連れて帰ってきた。そして、彼女と一緒に植えたバラを、私との新居に飾りつけたのだ。私はただ冷ややかな目で見つめている。彼はまだ知らない――私がもうすぐ別の人と結婚することを。……店で指輪を選んでいると、半年ぶりに進介と会った。店員が私の手にあるダイヤの大きさを褒めそやしているが、私は何も耳に入らなかった。ただ、彼を見つめているうちに、心が少し揺れ動いた。進介は私の指にある指輪を見ると、冷ややかな表情のまま近づいてきて言った。「どうして一人で先に来た?サプライズを用意してたのに」口ではそう言っているが、彼の手にぶら下がっている袋の中には、ダイヤのネックレスが入っている。それは私へのものではない。ニナのためのものだ。昨日、彼らが家に戻ったとき、私は聞いた。ニナが彼に甘えるように「誕生日プレゼントにダイヤのネックレスが欲しい」と言っているのを。そして進介は、すでにその願いを叶えている。そう――ニナの望むことなら、彼はどんな努力をしてでも必ず叶えてしまう。私とは違って、私はただ結婚式を望んでいただけなのに、八年待っても叶わなかった。だからもう、進介。私はあなたを待たない。私は彼から少し離れて、黙って指輪を外し、店員に包んでもらうように頼んだ。すると進介はすぐにカードを取り出し、支払おうとした。私が店員に説明しようとしたとき、ふと彼の手首にある数珠が目に入った。昨日、ニナが芸能界復帰を発表した際、インスタに投稿
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第2話
私は顔を上げ、静かに彼を見つめて答えた。「うん、わかってる」――進介、この三角関係のドラマは、もう演じたくない。私の結婚式は確かに予定通り行うけれど、新郎はもうあなたじゃない。私の淡々とした返事を聞いて、進介は不機嫌そうに私を叱りつけた。「俺は毎日忙しいんだ。お前の機嫌を取ってる暇なんてない。結婚したくないなら、しなきゃいい。結婚式なんてやめちまえ」そう言い残して、彼は私を一人ショッピングモールに置き去りにし、自分だけ車で帰ってしまった。彼は知らない――結婚式が本当にキャンセルされたことを。そして、私も本当に結婚したくなくなったことを。スマホを開くと、最後に彼に送ったメッセージにまだ既読がついていない。もう一度メッセージを送ってみる。……それでも既読はつかない。彼はまだ私のラインをブロックしたままだ。そんな人と、どうやって結婚できるというの?もし以前なら、私はまだ「頑張れば彼の心が戻るかもしれない」と、自分に言い聞かせるのだろう。でも今はもう、自分を欺く気にもなれない。――彼の心は、最初から私に向いていなかった。家に帰ろうとタクシーを呼ぼうとしたとき、結婚相手の北林博之(きたばやし ひろゆき)から電話がかかってきた。「新しくオープンしたカフェで会おう」と言われ、私は向かった。席に着くと、彼は私の手元を見て、不思議そうに尋ねた。「どうして指輪を買わなかったの?」私は苦笑しながら答えた。「いいものがなかったの」そう言うと、彼はふと小さな指輪の箱を取り出し、私の前に差し出した。「フランスから持って帰ってきたんだ。君が気に入るかわからなくて、渡す勇気がなかった」箱を開けてみると、中には珍しいピンクダイヤの指輪が入っている。指輪の内側には、私の名前が刻まれている。――こんなふうに、私のためだけに用意された贈り物なんて、今までなかった。胸が熱くなり、涙がこぼれそうになった。私は指輪をはめて感謝の気持ちを伝えようとしたとき、進介から電話がかかってきた。「もしもし、今どこにいる?運転手に迎えに行かせるから、婚姻届を出しに行こう」……あんなに揉めたばかりなのに、よくもまあ、そんな平然とした声で「婚姻届を出しに行こう」なんて言えるものだ。彼はきっと、私がいつも
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第3話
彼は私の手にあるハンドバッグと白い袋を見て、尋ねた。「さっき、ピンクの箱を持ってたように見えたけど……あれは何だ?」「見間違いよ」私は髪を耳にかけながら、どうやって婚姻届を出すことを断れるか考えている。だが、考えがまとまる前に、一本の電話がそれを遮った。スピーカーからニナの悲鳴が響き渡った。「進介おじさん!外に、誰かが私をつけてるみたい!」進介の表情が一瞬でこわばった。「ニナ、怖がるな。今どこにいる?すぐに行く」その慌てた目の色を見た瞬間、私はふと思い出した。――ニナが自殺しようとしたあの時のことを。あの時も、ニナは私と進介の婚約が決まったと聞いて、泣き叫びながら彼に告白した。そして拒絶された。だから、彼女は極端な行動に出た。進介は後悔しきりだったが、私たちの結婚の日取りはすでに決まっていた。結局、彼はニナに対して過剰なほど優しく接するようになった。さらに、私にまでこう言った。「ニナから電話がかかってきたら、24時間いつでも出てやれ。彼女が俺を見つけられない時は、お前を頼るかもしれない」ある日、私は会議中で電話に出られず、ちょうど進介も飛行機の中で、スマホの電源を切っていた。その間に、ニナは家で手首を切った。その出来事がきっかけで、進介は私をブロックし、ニナを連れてK寺へ心の療養に向かった。結婚式が目前に迫っていたにもかかわらず――彼は何のためらいもなく、私を置き去りにした。進介はいつも、私を犠牲にして他人を救おうとする。……それが、あの仏教徒たちの言う「慈悲」というものなの?彼が「慈悲」を示せるのは、私が絶対に離れないと確信しているからだ。――でも、今回は違う。運転手は全速力でニナのもとへ向かった。その路上には、小さな猫のようにしゃがみ込むニナの姿がある。けれど、周囲には人影がまったく見当たらない。進介の姿を見つけると、ニナはすぐに彼の胸に飛び込んだ。その顔に浮かんだ、わずかな得意げな笑みを私は見逃さなかった。――わざとだ。彼女はきっと、進介が私と婚姻届を出しに行くつもりだったことを知り、それを妨害したのだ。私は思わず笑みがこぼれてしまった。もし彼女が、私がすでに別の人と結婚することを知ったら……そのときは、彼女のほうが笑
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第4話
翌朝、私は目を覚まして階下に降り、朝食をとろうとした。ダイニングルームに入った瞬間、ニナが進介のすぐ隣に、まるでその膝に座り込むかのように寄り添っているのが見えた。進介は彼女をあやしながら、優しく食事を勧めている。だがニナは、卵白の匂いが嫌だと言ったかと思えば、今度は卵黄が太ると文句を言い始めた。それでも進介は少しも怒らず、果物を小さく切って丁寧に彼女の口元へ運んだ。少女の柔らかな唇が、わざと彼の指先に触れた。彼は顔をこわばらせて手を引っ込めたが、耳の先は赤く染まっている。私は、そんな二人のあからさまな親密さを冷ややかな目で見つめている。その時、ニナがようやく私の存在に気づき、からかうように言った。「芽衣子、今日すごくきれいだね。まさかデートに行くの?」私が何も答える前に、進介は果物皿をテーブルに戻し、少し厳しい口調で言った。「もうふざけるのはやめろ。彼女はお前のおばさんだ」婚約の事実を知っていても、ニナは決して私のことを「おばさん」とは呼ばなかった。その呼び方を拒むことで、彼と私の関係に線引きをしたつもりなのだろう。それについて、進介もこれまで一度も咎めたことがなかった。彼はいつも彼女のわがままを許してきた。――これが初めて、彼がニナに対して私の呼び方を正した瞬間だ。しかし、私は気にも留めずにそう言った。「いいのよ。まだ子どもなんだから、言いたいことは言わせてあげて」それは、かつて進介が私によく言っていた言葉だ。「ニナはまだ子どもだから、何を言っても何をしても間違いじゃない」と。そう――間違っていたのは、私のほう。彼を長い年月愛してしまった私が愚かだったのだ。私のその一言に、進介は言葉を詰まらせた。彼はもうニナに食べ物を勧めるのをやめ、私の隣に腰を下ろした。「今日の午前中の会議は延期した。お前が出かける時間に合わせて送っていくよ」その言葉を聞くと、ニナは再び不満そうに鼻を鳴らし、何か言いたげな様子だ。だが、進介の一瞥を受けると、すぐに黙り込んだ。――つまり、彼は彼女を叱れないわけでもなく、彼女がわがままをしていることを知らないわけでもない。ただ、厳しくしたくないし、そうすることに忍びない。でも、今さらそんなことはどうでもいい。私はもう、何も感じな
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第5話
進介は、自分の目を疑った。彼は目をこすり、もう一度、婚礼の招待状を最初から最後まで確かめた。――【新婦:迫畑芽衣子 新郎:北林博之】その大きな文字が、彼の視界にはっきりと映っている。息が詰まり、言葉が出てこない。「芽衣子……お、お前……」その瞳は怒りで血走り、真っ赤に染まっている。まるで、別れの現実をどうしても受け入れられないかのようだ。私は静かで淡々とした声で言った。「そうよ、進介。私たちの結婚式は半年前にすでにキャンセルしたの。来週の式は予定どおり行うけど、相手はあなたじゃないわ」言葉を一つ一つ区切って伝えると、進介は鎖を断ち切られた獣のように私へ駆け寄った。「ち、違う……そんなはずない、芽衣子!これは嘘だろ?嘘なんだろ!?お前は怒って、俺をからかうためにこんなことを言ってるだけだろ?そう言ってくれれば、俺は全部許すから!」――許す?この状況で、まだ「許す」なんて言葉が出てくるのか。まるで私が彼に許しを乞うのが当然だと思っているかのような口ぶりに、私は思わず笑った。それは嘲笑だ。「あなたの許しを得る?何のために?私を置いて、ニナを連れて半年も姿を消したから?それとも、あなたが彼女を甘やかして、私が傷つき続けたから?進介、あなたは自分が何をしてきたのか、本当にわかってる?」感情があふれ、私の目の奥が熱くなった。だが、こんな人のために泣くのは、もはや滑稽だ。進介は私の言葉を聞いて、しばらく黙り込んだ後、口を開いた。「芽衣子……俺とニナは、お前が思ってるような関係じゃないんだ……」もちろん、わかっている。進介の中にもしニナへの欲望が芽生えたとしても、彼はモラルを守るためにそれを抑え込むだろう。けれど、それもまた特別な扱いではないだろうか。彼にとって、ニナは特別な存在だ。彼は彼女を想うあまり、自分の欲望さえも押し殺してしまう。私は苦笑した。結局、私は最初から最後まで、彼らの物語の配役に過ぎなかったのだ。「もういいの、進介。私たちは終わりよ」きっぱりと言い切ると、彼は私の手首を掴んだ。その指先は氷のように冷たかった。「ち、違うんだ、芽衣子。話を聞いてくれ……!」「私たちの結婚式はキャンセルした。うちの両親も知ってる。もう話すことは何もないわ」
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第6話
私のクローゼットは、すでに空っぽだ。ドレッサーの上にも、もう何一つ物が残っていない。数日前までは彼がこの部屋に入っていたのに。いつ、なくなっていたのだろう。――そうか。芽衣子は、本当にずっと前から、出ていくつもりだったのだ。この数日間、進介は決して反省していないわけではない。彼は、自分が私にどれほどひどいことをしてきたかを理解している。そして彼は考えている――ニナはあくまで子どもとして世話してきただけだ。本当に妻になれるのは芽衣子だけだ。彼は私に償おうとしている。けれど、私はもう、その償いさえも受け入れる気はない。――明日。明日は土曜日だ。芽衣子は博之と結婚する。だめだ。進介は、どうしてもそれを止めなければならないと感じた。再び階段を駆け下りると、玄関にいたボディーガードたちに言い放った。「彼女が荷物を取りに来たいなら、自分で来させろ。ここは俺の家だ。勝手に入ることは許さない」彼はいつもの社長らしい威圧感を取り戻し、人をねじ伏せるような口調で言った。ボディーガードたちは顔を見合わせた後、私に電話をかけた。その瞬間、進介の瞳に光が宿った。ようやく芽衣子に会えると、彼は思った。だが、彼に聞こえてきたのは、無情な言葉だ。「祖浜社長。お嬢様がおっしゃいました。荷物はもう必要ないそうです。処分しても構わないと」そう言い残し、ボディーガードたちは一礼もせずに立ち去った。進介は薄手のシャツ姿のまま、冷たい風の中に立ち尽くしている。どれほどの時間が過ぎただろうか。ようやくニナが外に出てきて、彼の肩に上着をかけた。「進介おじさん、どうしたの?あんな女は、あなたを裏切って他の男に走ったのよ。そんな人を思うべきじゃないわ。まだ私がいるじゃない」彼女は進介の手を取ると、その手のひらを自分の頬に押し当てた。しかし、進介はその手を強く振り払った。「……石塚ニナ」彼が彼女のフルネームを呼んだのは、これが初めてだ。「俺はお前のおじだ。だから、変な気持ちは捨てなさい。もし本当にそんな気持ちを抱いてるなら……お前を海外に出す。誰かに預けて世話をさせる」「進介おじさんっ!」ニナはその現実を受け入れられなかった。――どうして?芽衣子はもう他の人と結婚するのに。それでも、ど
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第7話
「今日はここで、僕の妻になってくれた彼女に心から感謝を伝えたいと思います」そう言い終えると、博之はマイクを置き、私を優しく抱きしめ、そのままそっと唇にキスを落とした。私の体は震えた。けれど、彼の穏やかな仕草に包まれるうちに、不思議と心が落ち着いていった。実のところ、私たちの間には深い愛情があるわけではない。知り合ってからまだ半年ほど。以前から面識はあったものの、それほど親しい関係ではなかった。私はわかっている。彼が今、私のためにここで言葉を尽くしてくれているのは、進介の前で私の立場を守るためだということを。そして、彼に完全に諦めさせるためでもある。進介は、私たちが抱き合う姿を見つめながら、顔色がみるみる青ざめていった。その後、彼がどのようにして会場を出て行ったのか、私は知らない。北林家の警備員に連れ出されたのか、それとも、自分から立ち去ったのか。けれど、もうどうでもよかった。彼との関係は終わった。これからは、自分の人生を歩み始めなければならない。その夜、家に戻ると、私は心身ともに疲れ果てている。博之は足湯桶にお湯を張り、私の足元に置いた。彼はしゃがみこんで言った。「まだ心の準備ができていないことはわかってる。しばらくは別の部屋で寝よう」私は気まずさを感じ、申し訳ない気持ちになった。――本当なら、私が彼を巻き込んだのだ。あの地獄のような関係から救い出してもらい、挙げ句、進介が結婚式にまで乱入したのだから。とはいえ、M市の誰もが、私と進介の過去を知っている。私は静かにうなずいた。心の準備をする時間が必要だ。夜、一人でベッドに横になっていると、スマホをいじっているうちに、トレンドにあるワードが急上昇しているのを見かけた。【#M市のイケメン仏教徒、深夜に酒に溺れる。恋愛の挫折か?】ネットはたちまち騒然となった。【今日は迫畑家の令嬢と北林家の坊ちゃんの結婚式だったよな。迫畑さんって、あの仏教徒の元婚約者よ】【ってことは、迫畑が浮気したってこと?あのイケメン仏教徒、可哀想すぎる……】【バカ言うな。禁欲ぶった仏教徒のくせに、実際は十歳以上年下の女の子を長年囲ってたんだぞ?変態かもしれないよ。むしろ迫畑さんの方が耐えられなかっただけだ】【えっ、そんな裏話があったの
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第8話
「……で、彼女を見つける方法はある?黙らせてほしいの」最後の一言には、私はわざと力を込めた。博之は、思わず吹き出した。「子どもの頃から変わらない。君って、人と口論するときも、その勢いがすごく可愛かった」その言葉に、頬が一気に熱くなった。――そうだ。私は昔から気が強く、短気な性格だ。だからこそ、冷静で滅多に怒らない進介のような人に惹かれたのかもしれない。どんな時でも表情一つ変えず、感情を乱さない彼のことを、私は心からすごい人だと尊敬していた。けれど、いざ彼と付き合ってみると、私が思い描いていた彼とはまるで別人であることに気づいた。でもそのときには、すでに深みにハマりすぎて抜け出せなくなっていた。彼に好かれるために、私は何度も自分を否定し、自分を小さくしてまで彼に合わせようとした。――そして残されたのは、傷だらけの心だけ。私は小さく首を振り、頭の中からその嫌な記憶を追い払った。「もう遅いので、休みましょう。博之さんなら、うまく対処できると信じてる」博之は一瞬、驚いたように私を見つめた。そして、ゆっくりとした声で言った。「……ありがとう」その後、彼は「おやすみ」とだけ告げて、静かに部屋を出て行った。まさか、私のささやかな信頼や受け入れが、彼にとってこれほど大きな意味を持っているとは――それを知るのは、ずっと後になってからのことだ。博之は部下を使い、ニナの行方を突き止めた。彼女が本当にうつ病かどうかはわからない。けれど、確かに精神状態は不安定だ。彼女は海外にいる叔母・紀恵の家に着いた後も、なお騒ぎ立て、「進介おじさんに会わせて」とわめき続けていた。――進介は、長年にわたり彼女を甘やかしすぎたのかも。その結果、彼女は「誰にも自分を止められない」と信じて疑わなくなった。しかし、紀恵は決して甘やかさず、厳しく接した。やがて、ニナの中には不満と怒りが積もっていった。そして、矛先は――私へと向けられた。「お金も名誉もいらない。何を突きつけても無駄よ」そう言い放ち、彼女は脅しにも屈しなかった。「刑務所に入れられても構わない」とまで言った。博之はついに彼女の言葉を受け流し、逆に警察に彼女の薬物使用を通報した。その瞬間、ニナの顔は真っ青になり、それ以降、まるで糸が
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第9話
私は恥ずかしそうにうつむきながら、一粒一粒ご飯を口に運んでいる。テレビでは、ちょうどその日のニュースが放送されている。「祖浜グループ代表取締役・祖浜進介、正式に剃髪して出家」ニュースがまだ終わらないうちに、博之は家政婦に「音を消して」と命じた。これまで、彼は私と進介の過去について、それほど強い反応を示したことはなかった。そんな彼の様子を見て、私は驚きながら尋ねた。「博之……」「食べよう」彼の顔には、わずかに不機嫌そうな表情が浮かんでいる。その表情を見て、私は少し慌てて家政婦を下がらせ、自ら彼のそばに寄った。「……あなたは気にしてないと思ってた」「気にしないわけがないだろう?」博之は私を見つめ、ついにその胸の内を明かした。「僕は、君たちの過去の関係そのものを気にしてるわけじゃない。だけど、あいつがこの何年もの間、君を傷つけ続けてきたことだけは、どうしても許せない。結婚式の日に僕があいつを殴らなかったのは、君の面目を保つためだった。そして、君との結婚を台無しにしたくなかったからだ。でも今、あいつは何事もなかったかのように剃髪して出家し、すべての責任を君と石塚ニナに押しつけて、悟ったふりをしている。本当に、腹立たしい」博之の語気は次第に熱を帯びていった。私はついに理解した。進介はもともと仏教徒であり、出家は悟りの証のように見える。そうして彼は、自身のキャラを完璧に作り上げたとも言える。おそらく、ネット上の若い女の子たちは、いまだに彼に憧れているのだろう。私は深く息を吐いた。「……で、どうするつもり?」「僕は……」彼は言葉に詰まり、しばらくの間迷った。「正直なところ、君との八年間を思うと、あいつを完全に責めるのもためらう」「私のことは気にしないで」私ははっきりとした言葉を選び、彼の不安を打ち消した。「あなたの言う通りよ。一見すると、進介は何も悪いことをしていないように見える。でも、本当の加害者は彼なの。彼がこうして、悟りを開いたような顔で逃げるなんて、許せない」言い切ると、博之は力強く私を抱きしめた。「ありがとう、芽衣子。……僕のことを気遣ってくれて」――彼はどうして感動しているの?なるほど、私が過去にいた進介ではなく、今この瞬間にいる彼を選んだか
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