ふと過去を辿ると、あの頼みごとがすべての始まりだった。
最初は演技だけのことだったから、私の心はどこか冷静で計算高かった。元婚約者から逃れるために、顔見知りの吸血
伯爵に“恋人のふり”を頼む──条件は簡単で、危害を加えず、社交の場で私を守ってくれることだけ。表向きは契約関係で、互いに得をする関係だと私は自分に言い聞かせていた。けれど彼は、私のために振る舞う瞬間に見せる些細な表情や仕草を、じっと記憶しているようだった。
日常のやり取りが増すにつれて、依頼者と受託者という垣根が崩れていった。彼の“
溺愛モード”は最初、私を守るための過度な配慮として現れた。贈り物、過剰な優しさ、周囲への牽制──どれもが期待外れの反応だったが、その根底には本当に私を気遣う気持ちがあると気づかされた。私は警戒心と安心感の間で揺れ動いた。頼んだはずの“演技”が、彼にとって本物の情動を引き出してしまったのだ。
関係は力学的にも微妙に変化した。初めは彼が上位に見えた。長い寿命と地位を持つ存在が、人間の私を包み込む構図。でも、時間が経つと私の選択や意思表示が彼の行動を変えていった。私は甘えるのではなく、境界線を明確にしながら彼の過剰な独占欲に向き合う方法を学んだ。彼もまた、自分の感情が独占や支配に陥らないよう努め、私に寄り添うことと
束縛することの違いを理解し始めた。
最終的に関係は“保護”から“共生”へと移り変わった。偽りの恋人から始まったはずが、互いに選び合うことで真実の絆が生まれたのだ。ただし、それは甘いだけの物語ではない。溺愛が偏愛や独占に転じたとき、私は毅然と境界を示したし、彼はそれを受け入れて修正した。私が望んだのは支配される愛ではなく、尊厳を保ちながら慈しまれることだった。結果として、私たちはお互いの弱さと強さを知り、それを尊重する形で結びついたのだと感じている。