昨日を脱ぎ捨て、自由の海へ「千隼、本当に唯織と結婚する気なの?なら、星奈はどうなるのよ」
その言葉を聞いた浅井唯織(あさい いおり)の手がドアノブの上で止まった。
「もう八年だ。千隼、君は唯織に対して、もう尽くすだけ尽くしただろう」
佐藤奏翔(さとう かなと)が口を挟む。
「でも、星奈は別だ。君が毎年二ヶ月もわざわざ遠出するのは、彼女に会って息を抜くためじゃないのか?
受験が終わるなり、君を追ってはるばるやってきたんだ。その想いを無下にできるのかよ」
「唯織を一生支えると約束したんだ。食言はできない」
瀬戸千隼(せと ちはや)の冷ややかな声が響く。
「これは俺が唯織に背負っている負い目だ。だが、星奈はまだ若くて世間を知らない。何も分かっていない星奈を、傷つけるわけにはいかないんだ」
唯織は全身の血が凍りつくのを感じた。
羽田星奈(はねだ せな)。一ヶ月前、大きなスーツケースを引いてふらりとゲストハウスに現れたあの女の子。
あの時、千隼は彼女のことを「友人の娘が受験を終えて、このところに遊びに来ただけだ」と説明していた。
唯織は爪を手のひらに深く食い込ませた。まるで一瞬にして魂が抜け落ちた抜け殻のように、その場に釘付けになり、身動き一つ取れなくなった。