4 回答
宮部みゆきの『模倣犯』で、メディアが加害者と被害者家族の間を取り持とうとする展開にはぞっとした。事件をセンセーショナルに報道する過程で、ジャーナリズムの倫理が問われるシーンだ。
取り持つ行為が必ずしもポジティブな結果をもたらさない例として、非常に示唆に富んでいる。マスコミの介入が関係者をさらに傷つける様子は、現代社会におけるコミュニケーションの危うさを象徴的に表している。
有川浩の『図書館戦争』シリーズで、堂上教官が郁と他の隊員たちの関係を取りなす様子がいい。厳しい訓練の中で、郁の個性を理解しつつチームの結束を保とうとする苦労が伝わってくる。
軍隊組織という特殊な環境における人間関係の調整は、単なる仲介以上の難しさがある。上司としての立場と、一人の人間としての感情の間で揺れる堂上の描写が秀逸だ。
村上春樹の『ノルウェイの森林』で、永沢が主人公のワタナベとハツミさんの関係を取り持つ場面が強く記憶に残っている。
永沢の複雑な人間性がにじみ出る瞬間で、表面上は親切そうに見せながら、実は自己満足的な要素が強い。社交的な振る舞いの裏に潜む孤独感や、人間関係を操ることで得られる優越感が繊細に描かれている。
このシーンを読むたびに、人間の関係性における「取り持ち」という行為の多義性を考えさせられる。善意と打算が入り混じった、現実味のある描写だと思う。
太宰治の『斜陽』で、母親が娘のかず子と上原の仲を取り持とうとする場面には独特の哀愁がある。没落華族の母親が、新しい時代の価値観に必死に順応しようとする姿が痛々しい。
古い価値観と新しい現実の狭間で、取り持つ行為そのものが時代の移り変わりを象徴している。母の必死さと、かず子の複雑な心境の対比が、このシーンを一層印象的なものにしている。戦後日本の混乱期を生きる人々の姿が浮かび上がる。