ずっと「待つこと」が物語の核になる映画には、不思議な引力がある。自分の経験を重ね合わせながら観ると、
待ちぼうけはただの時間の経過ではなく、人物の内面が露わになる試金石に思えてくる。いくつか思い当たる作品を挙げると、それぞれが待つことの意味をまったく違う角度で照らしてくれる。
まず劇的な例として、舞台劇の映画化である'Waiting for Godot'は避けて通れない。ここでは「待つ」という行為自体がテーマの中心で、終わりが来ないことの不条理さと、人間同士のやり取りが浮かび上がる。自分が初めて観たとき、待ち続ける二人の会話のやりとりに、希望でも絶望でもない微妙な居心地の悪さが胸に残った。時間が進んでいるようで進んでいない不安定さが、日常の些末な出来事を拡大して見せるのが巧みだ。
次に情緒的な待ちぼうけを描く古典として、'Brief Encounter'がある。抑制された感情表現と社会的な制約の中で、すれ違いと待ちの痛みが静かに積み重なる。個人的にはあの作品の静かな沈黙が、誰かを待つときの胸の締め付けに直結して見え、観終わった後もしばらく言葉が出なかった。対照的にもっと直接的な「物理的に待たされる」描写が光るのが'Steven Spielberg'の'イマジネーションの作品'ではなく、もっと親しみのある例だが、'The Terminal'だ。空港という特殊な空間に閉じ込められることで生まれる日々のルーティン、他者との小さな交流、手続きの壁による停滞感が、待つことの苦さと滑稽さを交えて提示される。ここでは待ち時間がキャラクターの成長や人間関係の変化を促す装置にもなっている。
どの作品も「待ちぼうけ」を通じて時間と人間の関係を掘り下げていて、観るたびに違う気づきがある。映画館での体験や自分の生活の中で待つ瞬間が重なり合って、ひとつの感情が深まるのが嬉しいところだ。