象徴として見れば、アストレアは正義や理想の寓話的な化身だと考えている。僕は
律儀にその象徴性を社会や芸術の文脈で追いかけるのが好きで、アストレアを通じて『理想が現実から乖離する瞬間』を読み取ることが多い。
この視点だと、アストレアは単独の人物ではなく文化的なコンセプトになる。政治的な議論や法の擬人化、あるいは詩的な復権のモチーフとして用いられ、作者の意図次第で慈悲深い審判者にも、見捨てられた理想にもなり得る。語り手としての自分は、そうした多層的な使われ方を見比べるのが面白く、作品ごとにアストレア像がどう変形していくかを追うのが常の楽しみだ。
結局のところ、アストレアが語るのは『
正義とは何か』『理想は守られるべきか否か』という普遍的な問いであり、そのために彼女の名前は時代を超えて参照され続けるのだと考えている。