貴族令嬢は【魔力ゼロ】の少年との婚約を破棄した。十年後、彼は神をも斬る最強の勇者となり、傲慢な世界に膝をつかせ、ただ私を

貴族令嬢は【魔力ゼロ】の少年との婚約を破棄した。十年後、彼は神をも斬る最強の勇者となり、傲慢な世界に膝をつかせ、ただ私を

last updateLast Updated : 2026-02-10
By:  あおはなCompleted
Language: Japanese
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Synopsis

歪んだ愛

溺愛

異世界ファンタジー

許し

ざまぁ

後悔

お嬢様

「ノワール・ヴァレリアン。あなたとの婚約は破棄する」 それは十年前、貴族令嬢カローラが口にした決別の言葉だった。 平民出の“勇者候補”として騎士団に加わりながらも、魔力適性ゼロと嘲笑されていたノワール。 家のため、未来のため――カローラは彼を手放した。 そして十年後。 魔王が世界を滅ぼす寸前、ひとりの男が現れる。 黒衣に身を包み、魔王を屠り、神にすら刃を向けた“最強の勇者”の名は――ノワール。 「カローラ、君を迎えに来た」 その声は、静かに、でも狂おしいほどの執着を孕んでいた。 世界を救った報酬に、彼が望んだのは嘗て失った婚約者――ノワールだった。

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プロローグ 君を迎えに来た
 扉が、カチリと小さな音を立てて軋む。 その微かな振動が、まるで波紋のように部屋の空気を揺らした。 カローラは、椅子に座ったまま、身じろぎひとつできなかった。 喉が焼けつくように渇いて、うまく息すらできていない。 ――来た。 心のどこかで、そう確信していた。 扉の向こうに立っていたのは、かつて『魔力ゼロ』と蔑まれ、誰にも顧みられず、己の誇りすら踏みにじられた少年。 その少年は、青年となり、今――漆黒のローブに身を包み、 銀の仮面を顔に添えたまま、ゆっくりと足を踏み入れてきた。 仮面の奥から放たれる気配が、鋭く、重い。 ただそこに立っているだけで、空間の密度が変わったかのようだった。「……ノワール?」 震える声が、自然と口をついて出た。 問いかけのつもりだったのに、その名は、懺悔のように響いていた。 彼は答えない。 ただ、仮面にかけた手をそっと動かし、静かにそれを外す。 露わになった顔――幼い頃の面影をわずかに残しながらも、まるで別人のように鋭く、整ったその顔立ちに、息を呑む。「……カローラ」 名を呼ばれた瞬間、胸の奥がずきりと軋んだ。 その声には、感情らしい起伏はなかった。 それでも、深く深く、染み入ってくる。 ――十年。 それは、時間の長さではない。 彼がこの言葉を、何千回、何万回と胸の中で呼び続けてきたのだと――たった一言で、それが伝わってしまった。「……あなた、なのね。ノワール」 喉の奥が詰まりそうになりながらも、言った。 彼は、ほんのわずかに頷いた。 そして、低く、確かな声で言った。「――君を迎えに来た」 その声には、怒りも恨みもない。 優しさですらなかった。 ただそこにあるのは、十年の時を超えてなお、揺らぐことのない『意志』――それが、息をしていた。 怖いほどに静かで、真っ直ぐだった。 ああ、これは『終わり』なんかじゃない。 すべての、『始まり』なんだ。 十年前、幼い日の森で交わしたたった一つの約束が、今も彼の中で生き続けている――それが、すべてを物語っていた。
last updateLast Updated : 2026-02-01
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第01話 貴族令嬢と平民の少年
 それは、木々の葉の隙間からまばゆい光が差し込む、初夏の昼下がりだった。 森の奥から小鳥のさえずりが聞こえ、足元には名も知らぬ花々が咲き誇る。 瑞々しい緑と穏やかな風に包まれた、麗らかな季節。 その日、侯爵家の令嬢カローラ・エヴァレット(七歳)は、ふとした気まぐれで、普段は近づかない屋敷裏の林に足を踏み入れていた。 木漏れ日が揺れる林の中。ひんやりとした空気が肌を撫で、足元には苔むした石が転がっている。 迷ったわけではない。 ただ、見慣れない細道を進んだその先──視界に、ひとりの少年が現れた。 年の頃はカローラと同じくらいか。 薪を背負い、粗末な麻の服をまとった黒髪の少年だった。 彼はカローラに気づくと、驚いたように目を見開き、その場で動かなくなった。 そして、しばらくじっとカローラを見つめたまま、こう言った。「……貴族のお嬢様が、こんなところで何してる」 その第一声は冷たいようでいて、どこか優しさが滲んでいた。 警戒しつつも、心配するような響きがあった。 カローラは答えず、彼の肩に積まれた薪や、土と木の皮で汚れたごつごつとした手のひらを見つめていた。「……誰?」「ノワール。ノワール・ヴァレリアン。村の雑用係だよ」「雑用……?」「なんでもやるよ。薪割り、皿洗い、羊の世話……貴族様のお嬢様の護衛以外ならね」 少年は皮肉めいた笑みを浮かべて、すぐにそれを引っ込めた。 まるで、感情を見せることに慣れていないかのように。 ──けれど、次の瞬間。 カローラが、ほんの少し微笑みながら、無邪気に言った。「じゃあ、今日だけは……私の護衛になって?」 その言葉に、ノワールは目を見開いた。 そして──困惑と喜びが混じり合った、不器用な笑みを返した。 それが、彼が誰かの前で初めて見せた『笑顔』だったかもしれない。 硬く閉ざされていた心の扉が、わずかに開いた瞬間だった。 それからというもの、ふたりはひそかに会うようになった。 林の奥、屋敷の外れ、町へと続く小道。 人目を忍ぶように、それでもお互いを求めるように。 カローラは侯爵家の令嬢。 上質なドレスに身を包み、厳しい躾の中で育てられている。 一方、ノワールは平民の孤児。 粗末な服を着て、日々を生き抜くために働き続けていた。 本来なら言葉を交わすことすら許されぬ、天と地
last updateLast Updated : 2026-02-01
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第02話 騎士団での冷遇と誹謗
 夜がまだ完全には明けきらぬ頃。空は墨を溶かしたような灰色で、凍てつく空気が肌を裂くように吹き込む。 その空気の中、ひとりの少年が黙々と木剣を振っていた。 ノワール・ヴァレリアン、十六歳。 平民出身の勇者候補──ただし、『魔力ゼロ』と烙印を押された落ちこぼれ。 剣を振るその手は、かすかに震えている。 疲れや寒さではない。 皮膚の切れた指から滲む血が、柄に染み込み、冷えた空気とともに痛みを残している。 しかし、彼は気にしなかった――気にしていられなかった。「おい、雑用。昨日の剣の手入れ、終わってねぇぞ。雑かよ、ったく」「水汲みも遅いんだよ。貴族様を待たせるとか、勇者候補のくせにいい度胸だな」「『勇者』って……どの口が言ってんだか。恥ずかしいなぁ、身の程知らずが」 周囲から浴びせられる罵声は、もう耳に残らなくなっていた。 冷笑、嘲り、侮蔑。どれもこれも、繰り返されすぎて、皮膚の一部のように馴染んでいた。 ノワールは顔を上げず、無言で剣を振り続けた。 その瞳の奥には、無表情の仮面の奥に隠された──耐えることを選んだ少年の意志があった。 転倒しても、誰も手を貸さない。 血を流しても、誰も気づこうとしない。 それでも彼は、立ち上がる。 何度も、何度でも。泥にまみれ、傷つきながら、ただひたすらに剣を振る。(強くなれば、何も言わせなくて済む。誰にも、見下されなくて済む。きっと──) 少年の剣が、寒空の中、夜明けの光をかすかに跳ね返した。 誰にも見えない場所で、ひとりの『落ちこぼれ』が、静かに這い上がろうとしていた。 一方その頃、王都の社交界では、カローラ・エヴァレットが『噂』と言う名の中心に立っていた。「エヴァレット家の令嬢、まだあの平民と婚約してるらしいわよ」「魔力ゼロの落ちこぼれだって。破談にならない理由がわからない」「愛?ふふ、馬鹿げてる。侯爵家の娘が、そんな情で人生を捨てるなんて──恥を知りなさい」 ドレスの裾が軽やかに舞い、音楽と笑い声が空気を飾る舞踏会の真ん中。 けれど、その華やかな仮面の裏では、悪意が甘美な毒として囁かれていた。 カローラは笑った。 完璧な令嬢の微笑みで、誰にも隙を見せない顔を作り上げた。 ──けれど、その笑顔は冷たかった。 氷でできた仮面のように。微細な衝撃で砕け散ってしまいそうなほど
last updateLast Updated : 2026-02-01
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第03話 最後の夜と沈黙の別れ
 雨が降っていた。 しとしとと、濡れた音すら立てぬほど細く、静かな雨であり、空は鉛色に曇り、どこまでも低く、重く垂れ込めていた。 風はない。 ただ、まるで世界そのものが呼吸を止めてしまったかのような静けさ。 淡く霞む王都の空気は、濡れた石畳に淡く煙をまとわせ、景色すらも輪郭を失い始めていた。 その朝、王立騎士団の名簿から、ひとつの名前が静かに消えた。 ──ノワール・ヴァレリアン。 『魔力ゼロ』の勇者候補――平民出身の落ちこぼれ。 誰からも惜しまれず、誰の耳にも届くことなく、彼の名は帳簿の一行として抹消された。 異議も、別れも、何もなかった。 それは、ただの事務処理。冷たい紙の上で消えた、無価値な文字列。 彼は小さな革袋を肩にかけ、王城の寮を静かに後にした。 手荷物らしい手荷物は何もなかった。 けれど、背中にのしかかるものは重かった。 石畳を打つ雨粒が、地面に淡い水紋を描いていく。 その水面に、空の鈍い灰が染み込み、色彩を吸い取っていった。 ノワールは、傘も差さずに歩いている。 濡れた髪が額に張りつき、しずくが頬を伝って顎から滴る。 黒の上着は肩口から重くなり、腕のあたりではもう雨が染み通っていた。 衣の冷たさが肌を焼くようで、それでも、彼は一切気にする素振りを見せなかった。 首筋を這う雨水の感覚。 靴の中にしみ込む水の不快さ。 それらすべてが、今の彼には現実を証明するための『感覚』でしかなかった。 ノワールは、まっすぐ前だけを見て歩いていた。 顔を伏せることもなく。振り返ることもなく。 一歩、また一歩。等間隔の足音だけが、石畳に確かに刻まれていく。 ──その背を、誰かが見ていた。 エヴァレット侯爵邸――最上階の小窓、その重厚なカーテンの隙間から。 カローラ・エヴァレットは、窓辺に立ち尽くしていた。 指先でカーテンをわずかに押し広げ、静かに、息を潜めて。 冷えたガラス越しに見る世界
last updateLast Updated : 2026-02-01
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第04話 去った彼の、その後
 ノワール・ヴァレリアンが王都から姿を消してから、数日が経過した──いや、時の流れが鈍くなったように思えた。 王立騎士団の寮。 かつて彼が暮らしていた簡素な一室には、もはや何ひとつ残されていなかった。 剥き出しの床板。空っぽの棚。埃をかぶった窓枠。 どこを見ても、そこに誰かが住んでいた、気配は微塵もない。「ここ……誰か使ってたっけ?」 新入りの団員が、扉の前で不思議そうに首を傾げる。 返ってきたのは、嘲るような声だった。「ああ、魔力ゼロの『勇者様』の部屋だよ。消えてせいせいしたな」「まさか、いなくなるとは思わなかったよな。まあ、雑草が抜けたみたいなもんか」「どうせ山奥で野垂れ死んでんだろ。名も血もない奴の末路さ」 彼らの笑い声が、誰もいない部屋に空しく反響した。 その床の隅に、黒い糸くずがひとつ、落ちていた。 まるで、彼の痕跡がこの世に残した最後の『証』であるかのように。 誰も気づかない。誰も拾わない。 ノワールという存在は、まるで最初からこの場所にいなかったかのように、忘れ去られていく。   ▽ エヴァレット侯爵家の私室は、静まり返っていた。 ふかふかの羽毛布団に包まれ、カローラ・エヴァレットは身動きひとつせず横たわっている。 額に乗せられた冷たい布だけが、火照った肌にわずかな慰めをもたらしてくれている。 ──まるで、壊れた人形のようだった。 あの日――ノワールとの婚約を破棄した、あの雨の日を境に、彼女の身体は言うことを効かなくなってしまった 熱は下がらず、食事も喉を通らない。 瞼は重く、心はどこまでも沈んでいく。 医師は『神経性の過労』と診断したが、真の理由に触れる者はいなかった。 むしろ誰もが、無言でその『傷』から目を逸らしていたからである。 カーテン越しに微かに揺れる光。 冷えた空気が室内を撫でる中、侍女セリアがそっとスープを盆に乗せて近づいた。「――カロ
last updateLast Updated : 2026-02-01
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第05話 戦火の足音
 ――魔王が復活した。 その報せは、王都よりも早く、風よりも鋭く届いた。 血の匂いを含んだ、不吉な風とともに。「ヴェルゼンが……陥落? 一夜で?」「王宮は炎に包まれ、王室の安否は不明。国境守備隊も壊滅……との報です」 戦略会議の間には、重苦しい沈黙が支配していた。 地図の上に並べられた三つの国――ヴェルゼン、クランド、アスロニア。 僅か十日で、すべて魔王軍の手に落ちた。 まるで紙の城を倒すように、あまりに呆気なく、容赦なく。「……聖騎士団は何をしている!?」 国王ローランドの怒号が、石壁に反響する。 しかし、軍務卿の声は震えていた。「第八師団は壊滅、第四師団も後退を……もはや戦線は崩壊寸前です」「冗談ではない……王都が陥落?あと……一ヶ月だと?」「最悪、それ以下の可能性もあります。殿下、決断を――」 空気が凍った。 全員の喉が詰まる。誰もが、絶望の名前を避けようとしていた。 ──その時、 老騎士の一人が呟いた。「……ノワール・ヴァレリアンが、今ここにいたら……」 嘗て、その名を口にした者たちがいただろうか? すると、懺悔のような声に、若い副官が鼻を鳴らした。「『無能』と嘲られたあの平民か? 今さら何を……」 しかし、別の男が、震える声で口を挟んだ。「……知らないのか? 『神殺しの勇者』の話を」「な、何の話だ?」「魔王の奥に現れた『神性』を、たった一人で……斬った。あれは……ノワールだ」 その名が落ちた瞬間、会議の空気が一変する。 まるで、空間そのものが静
last updateLast Updated : 2026-02-02
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第06話 黒衣の勇者、再臨
 重厚な扉が鈍く軋み、音を立てて閉じた。 その響きはまるで、外界から希望を遮断する音――まるで、王国を見捨ているかのような、そのような音に聞こえた。 王宮の戦略会議室。 金と瑠璃で飾られた豪奢な空間に、不釣り合いな沈黙が満ちており、煌びやかな装飾は、今や王国の惨状を痛々しく照らし出す。 国王ローランドは椅子に身を沈め、目を閉じる。 手元の書類の束には、各地からの戦況報告とともに――ある『名前』の調査記録が挟まれている。 そして、彼は低く、かすれるような声で口を開いた。「……ノワール・ヴァレリアンの居所を探せ。どんな犠牲を払ってでも、だ」 空気が凍る――その名が出た瞬間、会議室の空気は激しく揺れた。「ノワール……?」「まさか、あの……魔力ゼロの落ちこぼれが、まだ生きていたというのか……」 神殿代表が身を震わせる。騎士団幹部たちは沈黙し、いく人かは深く顔を伏せた。 誰もが、『その名』に抗いようのない重みを感じ取っていた。「報告書をご覧ください」 軍務卿が一枚の文書を掲げた。手はかすかに震えている。「『漆黒の衣を纏う男が突如出現。雷光と業火が天地を裂き、神の姿を模した敵が、一太刀で斬り伏せられた――』」「……神を、斬った……?」 誰かが呟き、その言葉に部屋全体が震えた。「信じ難いだろう。だが、東部戦線、北辺の遺跡防衛戦、さらにカリアスの空中神殿――どれも同様の証言がある。地名も、時刻も、証人も異なる。だが、あまりに……一致している」「同一人物だというのか……?」「『黒衣の戦士』あるいは、『黒衣の勇者』――その名が噂として、既に国中を駆け巡っている」 ローランド王はゆっくりと顔を上げた。その瞳には、深い悔恨の色が滲んでいた。「…
last updateLast Updated : 2026-02-02
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第07話 命令としての再会
 その朝、エヴァレット領は、いつにも増してざわついていた。 普段は静謐な空気が満ちている領主館にも、人の行き交う音が絶え間なく響いていた。 厳格な警備と規律が保たれるはずの朝の館に、不穏な緊張がじわりと広がる。 北門から、王都直属の使節団が到着している――重厚な甲冑に身を包んだ伝令騎士たちと共に、封蝋された羊皮紙を抱えた一団。 中央に立つ騎士の胸には、国王直属の双頭鷲の紋章。それは最上位の王命であることを意味していた。 執政たちが慌ただしく廊下を走り抜ける中、応接の間に現れた騎士が、深く頭を下げて封書を差し出す。「国王陛下より、直筆命令にございます」 カローラ・エヴァレットはゆっくりと手を伸ばし、恭しく受け取った。「……王命、ですか」 静かに封蝋を割ると、わずかに冷気が指先を撫でた。 金の王印が刻まれた羊皮紙は、手袋越しにも確かな重みを伝えてくる。 文字を追いながら、彼女の眉が、かすかに動いた。『侯爵令嬢カローラ・エヴァレットは、勇者ノワール・ヴァレリアンとの接触および交渉を最優先とし、王命のもとにこれを迎え入れ、その意思に協力せよ』 言葉は簡潔で、容赦がなかった。 けれど、その一行一行が、彼女の胸を鋭く抉っていく。 ――やっぱり、ノワール……。 噂でしかなかったあの名前――『神殺し』、『黒衣の勇者』、神性存在を斬り捨てた男。 信じたくなかった。信じられなかった――だが、いま目の前にあるのは、王がその名を命令として認めたという事実。 彼の名が、正式な『勅命』の中に刻まれている。 それは、彼がもはやただの噂ではなく、王国を動かす存在になったことの証だった。(……今さら、よくそんな事が言えるわね) カローラは十年前、王国が彼を切り捨てた事を覚えている。 それなのに今更この態度なのかと考えると、腹が立ってしまう――顔には出ていなかったが、持っていた手紙を思わず握りしめてしまおうと考
last updateLast Updated : 2026-02-02
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第08話 ただ一言、「迎えに来た」
 領主館の応接間には、まるで時が止まったかのような静寂が漂っている。 重厚なカーテンから差し込む午後の光が、絨毯の模様を淡く照らし出している。 テーブルの上には、湯気の消えた紅茶のカップ。 カローラは、それに一度も口をつけぬまま、ただ指先で縁をなぞっていた。 ――ひとりきりの部屋。 警護も侍女も退けられた空間は、しんとした静けさと共に、胸の奥を冷たく満たしていく。 ――彼が来る。 それだけの事実が、鼓動のリズムを狂わせていた。 扉がコン、コンと、二度だけ叩かれた。 名乗る声はない。だが、不思議とわかってしまった。「……あなた、なのね」 答えはない――ただ、ゆっくりと、扉が軋む音を立てて開かれた。 現れたのは、漆黒のローブを纏った男。 仮面が銀の光を返し、その背にある黒剣が、空間の重力すら歪めるような存在感を放っている。 彼は一歩、部屋に足を踏み入れる。 それだけで、空気が変わってしまった。 冷えたわけでも、風が吹いたわけでもない。 けれど、世界が静かに身構えた。そんな錯覚すら覚えた。「……ノワール?」 震える声が自然とこぼれる。問いかけのようで、確信でもあった。 彼は言葉を返さない。 仮面越しの視線だけが、まっすぐカローラを捉えており、その視線の奥に、何があるのかは読み取れない。だが、感じる。 熱と、痛みと、あまりにも深い、未練。 ノワールは無言のまま近づいてきて、真正面で静かに立ち止まった。 「……カローラ」 彼が口を開いたその瞬間、胸の奥がずきりと痛んだ。 名前を呼ぶその声は、あまりにも懐かしく、けれどもう戻らないものを突きつけてくるようだった。「久しぶり、ね……」 その声は、まるでどこか遠くから響いてきたようだった。 乾いた喉を無理に鳴らし
last updateLast Updated : 2026-02-03
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第09話 彼の隣にいるということ
 窓辺に吹き込む風が、白いレースのカーテンを優しく揺らしていた。 その動きはまるで、この屋敷の中に満ちた重たい沈黙を、そっと外へ運び出そうとしているかのようだった。 エヴァレット侯爵家の離れ屋敷。 かつては訪問客や使用人たちが短期滞在するための小さな住まいだったそこが、今では――『勇者ノワール』の私的な駐在所として、外界から完全に隔離されていた。 門には王都から派遣された見知らぬ騎士が立ち、屋敷の敷地には一切の出入りが制限されている。 彼らの姿は、明らかに『守る』というより、ノワールをこの国から『封じる』という意図を帯びていた。 表向きの理由は『領主令嬢の護衛』。 だが、この場にいる誰一人、それを額面通りには受け取っていなかった。 使用人たちは、余計な言葉を交わすことを避け、目すら合わせようとしない。 そして皆が、気づいていながら口に出さない。 ──この屋敷には『異質な何か』が棲んでいるのだと。 ノワール・ヴァレリアン。 その名を誰かが囁くたび、空気が冷たく引き締まる。 彼がどこにいるのか。何をしているのか。 そもそも、本当に存在しているのかさえ分からない。 けれど――カローラだけは知っていた。 彼は、常に傍にいる。 目に映らなくても、気配が確かにそこにあった。 呼吸の隙間に潜むような沈黙。扉の奥に漂う熱。視線の余韻。 それらが、見えない鎖のように彼女の肌を撫でていく。 決して触れてこないのに、まるで触れられているような、奇妙な感覚。 朝の食卓――焼きたてのパンの香りが部屋を満たし、陽射しがテーブルクロスに柔らかい影を落とす。 カローラが席に着いて間もなく、静かに――本当に、何の音もなく、ノワールが向かいの椅子に座っていた。「……また、黙って現れて」 パンの香ばしい匂いと温かいスープの湯気に包まれた穏やかな空間で、カローラはつい、ため息混じりに呟いた。 振り返れば、ノワールがそこにいた。 いつか
last updateLast Updated : 2026-02-03
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