胸が締めつけられる瞬間がある。『新世紀エヴァンゲリオン』の終盤、特に『劇場版〈旧劇場版〉/『End of Evangelion'に至る流れは、僕にとってまさにそれだった。シンジが自分の存在や他者との関係に耐えられなくなり、世界と自分を突き放すような感情を露わにする場面は、台詞そのものが決定的というよりも、表情と沈黙と断片的な言葉が「もうどうなってもいいや」という心象を強烈に補強している。
演出の面では、映像と音楽が相まって観る者の胸を締めつける。僕はその瞬間、言葉で説明するよりも感情が先に来て、何もかも投げ出したくなる気持ちを追体験してしまう。シンジの諦めは自己嫌悪と救いへの渇望が同居していて、単なる諦め以上の重みがある。
同じような投げやりさが印象深い別の作品としては『賭博黙示録カイジ』が挙げられる。ここでは主人公が全てを賭けるしかない状況で、文字通り「もうどうなってもいい」という決意を行動に移す。エヴァが内面的な崩壊を静かに描くのに対し、『カイジ』は極限のギャンブルの中で言葉と行動が直結する劇的な表現を見せる。どちらも「諦め」と「腹を括る」の違いを鮮やかに見せてくれるので、僕には忘れがたい場面になっている。