昔話を紐解くと、ケツァルコアトルはただの神ではなく、時に人間の指導者像として語られることが興味深い。私が注目しているのは、'Codex Chimalpopoca'などのメキシコ中央高原に伝わる写本群にある、神話と系譜をつなぐ記述だ。
そこには「トルテカの賢王」的なイメージ、一時期の改革を行った指導者の伝説が含まれ、後世の語り手が宗教的・政治的目的でその像を強調していった痕跡が感じられる。考古学的な遺構、たとえばトゥーラ(Tula)の巨大な柱像や都市遺構と、記録にある「トルテカ文明」の物語が結びつくと、伝承が史実と重なり合う瞬間が生じる。
しかし年代の不一致、口承の改変、征服後の記録化といった要因により、個別のリーダーが完全に実証されるわけではない。私見だが、ケツァルコアトル像は複数世代の宗教的伝統と特定の有力者像が融合して出来上がった“歴史的
虚像”に近いと感じる。