サビの旋律がぽんと心にのる瞬間、それだけで世界が少し軽くなる感覚がある。『
空も飛べるはず』の歌詞は、その軽さと裏腹にある静かな強さを伝えていると思う。空を飛ぶという像は直喩ではなく、日常の
束縛からの解放や、可能性への希望を示す象徴的な言葉として使われている。繊細でありながら決して押しつけがましくない語り口が、等身大の勇気をそっと後押しする。僕がこの曲に惹かれるのは、歌詞が夢見るだけでは終わらせず、手の届く小さな行動や関係性の温度まで思い起こさせるところだ。
具体的に言うと、歌詞の散りばめられた日常的なイメージと「空を飛ぶ」という非日常的なメタファーが互いを補完し合っている。隣にいる誰かの存在、過去の記憶、足元にある小さな希望。それらがつながることで、
飛翔は突飛な幻想ではなく、むしろ人が互いに支え合うことで成立する可能性になる。語尾の抑えた響きや、繰り返されるフレーズのほんのりした確信性は、強い励ましというよりも、共感的な囁きに近い。音楽の編成もそれを助けていて、シンプルなギターの刻みや透明感あるアレンジが言葉の輪郭を際立たせ、聴き手に自分自身の物語を重ねやすくしている。
個人的な経験を挟むと、転機のときにこの歌詞を何度も口ずさんだ。大げさな決意表明ではなく、小さな一歩を踏み出す勇気をくれたんだ。誰かに何かを伝えるとき、この歌詞は「できるかもしれない」とそっと背中を押してくれる装置のように働く。だからこそ、単なる恋の歌や青春賛歌に収まらない普遍性がある。聴き終わった後に残るのは、軽い焦燥でもなく虚無でもなく、少しだけ明るい視界と、それをどう動かすかを考える余地だ。