雪山から、もう返事は来ない旅の中で、松永遥子(まつなが はるこ)というひどく奇妙な娘に出会った。
どこか虚ろで足元もおぼつかない様子なのに、たった一人で二年も外を彷徨い、一度も家に帰っていないという。
片足を引きずりながらも、執拗にヒマラヤ山脈を這い上がってきた。
けれど運命は残酷で、彼女は猛吹雪の中で負傷し、もう二度と山を下りることはできない。
意識が混濁する中、彼女は顔を涙で濡らしながら、二つの小さな人形を私に託す。
「私、たぶんここで死んじゃう。お願い、これを義兄の森下祐介に届けて」
命の灯火が消えかけているというのに、彼女はとても穏やかに微笑んでいる。
「彼に伝えてほしいの。広い世界をたくさん見て、もう彼のことは愛していないって。
それから、安心してって。私はもうあんなに馬鹿じゃないから、誰にも迷惑をかけないよって」
森下祐介(もりした ゆうすけ)?
その名を聞いた瞬間、私はその場に立ち尽くす。
海市の港で知らない者はいない、あの海運王だ。
登山前、私は彼が世間を賑わせている婚約のニュースを目にしたばかりだった。