変遷を辿ると、リョナ表現は単なる「ショック価値」から文化的現象へと変化してきたのが見えて面白いです。戦後の漫画や劇画の流れの中で、暴力や極端な身体表現はエンタメの一部として徐々に描かれるようになりましたが、リョナという性的嗜好として明確に認識されるようになったのは同人文化やアンダーグラウンドの世界が大きく影響しています。当初は紙媒体の限られた流通経路で密やかに共有され、読み手にも限定されたコミュニティが形成されていました。僕はその頃の作品を直接追っていたわけではありませんが、古い同人誌やインタビューを読むと、当時の作り手たちがどれだけ自由と制約の間で試行錯誤していたかが伝わってきます。
90年代〜2000年代にかけて、インターネットの普及がひとつの転換点になりました。匿名掲示板や、後に現れた画像投稿サイト、ファンアートを集めるプラットフォームによって、リョナ表現はより可視化され、細分化されたジャンルごとの需要が明確になりました。これによって作り手側の技術的な表現手法も多様化し、単に肉体的な損傷を描くことだけでなく、心理的な追い詰めや力関係の描写を通してのフェティシズム化が進んだ印象があります。同時に、コミュニティ内でのタグ付けや注意喚起の文化も芽生え、作品を見る側の自己規制や倫理観も変わってきました。
ここ十年ほどはプラットフォームポリシーと商業化の圧力がさらに影響を及ぼしています。DL配信やストリーミングサービス、SNSのコンテンツ規約の強化によって、露骨な非合意描写や過度なグロ表現は外部に出しづらくなりました。その結果、表現はより
暗喩的になったり、心理描写や
シチュエーション・コントロールに重きが置かれる傾向があります。一方で、クローズドな有料コミュニティや同人イベントでは依然としてニッチな需要があり、作り手は互いにルールを設けてリスク管理をするようになりました。また国際的な視点では、文化的背景や法制度の違いが表現の受容に影響を与えており、海外ファンの存在が日本のシーンにも影響を与えているのを感じます。
個人的な立場としては、リョナ表現の歴史を追うとき、創作の自由と倫理のバランスをどのように取るかが常に鍵になると考えています。消費者としては、年齢確認や明確な警告、被写体の扱いに対する感受性を尊重することが大切ですし、作り手側は表現の意図を伝える責任があります。流行という観点では、表現の「形」は変わってもニッチな興味自体は根強く残り、ネットと同人文化の影響でいつでも新しい波が生まれ得る、そんな柔軟さをこのジャンルは持っていると感じます。