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白露'の世界観には、時代の移ろいが細やかに織り込まれていて、その描写が物語の感情を支えていると感じる。作品は概ね大正末から昭和初期にかけての空気を背景にしており、都市化と伝統的な地方社会がせめぎ合う時期を舞台にしている。線路と港が生活圏を分断し、汽車の時刻表や朝市の賑わい、租税や地代に翻弄される農家の存在がリアリティを与えている。季節の移ろい──特に秋の「白露」が象徴として繰り返され、刹那的な美しさや疎外感、再生の兆しが描かれているのが印象的だ。
生活文化の細部が緻密に描かれている点にも惹かれた。木造家屋の間取り、畳と縁側の使われ方、燃料としての薪や炭、油照明から電灯へと変わりつつある家並み――そうした物的背景が人物の行動原理や価値観に直結する。服装でいえば、着物と洋服が混在する世代間の差異、学生たちの詰襟やセーラー服の導入、女性が学びや労働の場へ出て行く様子などが、登場人物の選択や葛藤を自然に浮き彫りにしている。
政治・経済の影響も無視できない。地方の商工業は都市資本や関税政策、米価の変動に影響を受け、若者の流出や労働運動の萌芽が背景として暗影を落とす。宗教儀礼や祭り、近隣住民の結びつきが持つ社会的抑圧と救済の二面性が、物語の倫理観や主人公の成長に深みを与える。こうした舞台設定があるからこそ、人間関係の細かなひだや、失われゆく価値に対する哀惜が説得力を持つのだと感じている。個別の情景や習俗を介して時代そのものが登場人物の運命を形作っている、そんな読後感が残った。