御法度を破ったらどうなる?江戸時代の罰則事例を解説

2025-12-01 13:32:58 133

3 回答

Xander
Xander
2025-12-02 12:29:29
江戸時代の法体系は現代とは全く異なり、御法度を破った場合の罰則は身分によっても大きく変わってくるのが興味深い点だ。例えば、庶民が入れ墨を入れただけで流罪になるケースもあれば、武士が切腹を命じられることもあった。

特に面白いのは、『徒然草』にも描かれるように、密通した場合の罰則が男女で異なることだ。男性は追放程度で済むこともあるが、女性は剃髪させられたり、場合によっては死罪になったりする。この差は当時の社会的な価値観を如実に表している。

また、『鬼平犯科帳』などの時代劇でよく描かれる火付け(放火)は最も重い罪の一つで、ほとんどが獄門(公開処刑)になった。現代から見ると過酷に感じるが、当時は防火対策が命綱だったからこその厳罰だったのだろう。
Ryder
Ryder
2025-12-03 02:01:28
町火消しの組頭が教えてくれた話だが、江戸の法は『見せしめ』の要素が強かったらしい。例えば、賭博をした者は晒し台に立たされ、往来の者から罵声を浴びせられる。『南総里見八犬伝』の悪役たちがこうした刑罰を受ける描写がある。

軽犯罪でも、罪人の名前を記した高札が立てられ、社会的制裁を受けるシステムは現代のS炎上に通じるものがある。特に商売人は信用を失うのが最大の罰で、再起不能になるケースも少なくなかったとか。

一方で、『寛永の三馬術』のように、将軍お膝元の江戸では意外と細かい規則が多く、ついうっかり違反してしまうこともあったようだ。
Violette
Violette
2025-12-06 20:03:07
江戸の町を歩いていると、高札場に掲示された御法度の数々に誰もがドキリとしたものだ。『五街道は夜間通行禁止』といった規則を破ると、まずは十手でガツンと殴られる。これが『敲き』と呼ばれる最初の罰で、現代でいう軽微な交通違反のような扱いだった。

面白いのは、当時すでに『リピーター』への対応があったこと。再犯者には過料(罰金)が科せられ、三度目には追放刑。『東海道中膝栗毛』の弥次郎兵衛のように、放浪の旅ができるのも実はこの刑のおかげだったりする。

重罪になると、磔や獄門といった残酷な刑罰が待っている。だが、『御定書百箇条』を読むと、意外にも情状酌量の余地があるケースも記載されていて、必ずしも画一的ではなかったようだ。
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