重苦しい気配が画面に積み重なっていく瞬間が何度もあって、その度に息が詰まるような気分になった。私はそういう瞬間を特に恐ろしく感じる。『
タタリ』が与える怖さの核は、具体的な説明を避けることによって想像力を刺激する点だ。はっきり見せない、はっきり語らないことで観客の頭の中で補完が働き、それが個々人にとって最も嫌なイメージを作り出す。これがある種の普遍的な恐怖を生む。
映像技術や音響の使い方も見逃せない。静寂と断続的なノイズの対比、突然ではないが確実にズレていくカメラワーク、異質な音程を含む効果音は、私の神経を徐々に研ぎ澄ます。過去に観た'リング'のように、映像と音が連動して恐怖を増幅させる場面があり、記憶と視覚が重なることで現実の揺らぎを感じさせるのだ。
登場人物の心理描写もまた重要だ。見えないものに襲われる恐怖が、疑心暗鬼や孤立、説明の不在を通じて人間関係を崩していく過程は、単なる恐怖演出以上に胸に刺さる。私はそうした静かな破綻のほうが長く残る恐怖だと考えている。