近年の研究潮流を見ると、道徳的な非難と学術的な因果分析の間で歴史家の立場が揺れ動いている。僕は複数の論文を読み比べる中で、18世紀の大著『The History of the Decline and Fall of the Roman Empire』に見られるような道徳的衰退論が、19世紀の国民史観と結びついて不遜を歴史解釈の中心に据える役割を果たしてきたことに気づいた。ギボン的な読みでは、豪奢さや驕りが社会崩壊の種とされ、物語性の強い「教訓史観」が成立する。
古代から近代までの歴史家たちの議論を追うと、権力者の高慢さが事件の因果に組み込まれて語られてきたことがよく分かる。古代ギリシャの史家や悲劇作家は、個人の『不遜』を倫理的かつ運命的な原因として扱った。例えば『History of the Peloponnesian War』では、都市国家の衝突に指導者の過信や侮りが絡む様子が克明に記されており、それが戦争の拡大や破局につながるという見方が示されることがある。
最近読んだ中で特に印象に残っているのは、'No Game No Life'のシュヴィと白の関係を深掘りしたファンフィクションです。元々はライバルとして火花を散らす関係だったのが、徐々に互いの才能を認め合い、やがて複雑な感情へと発展していく過程が丁寧に描かれていました。特に白の内面の変化が繊細で、ゲームを通じて相手を理解していく様子に引き込まれました。
この作品の素晴らしい点は、敵対関係の緊張感を保ちつつ、微妙な距離感の変化を自然に表現しているところです。最初は言葉少なだった白が、少しずつ心を開いていく描写は胸に迫るものがありました。作者の筆致が二人の心理描写に長けており、感情の揺れが手に取るように伝わってきます。