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殿上人って、現代で言うなら国家中枢のVIPラウンジ入会メンバーみたいなものかな。清涼殿への出入り許可を得た選ばれた貴族たちで、当時の政治と文化をリードする存在でした。『栄花物語』なんかを読むと、この身分がどれほど重要だったかよくわかります。
面白いのは、昇殿を失う「殿上落ち」という制度があったこと。失脚や罪を犯すとこの特権を剥奪され、社会的な転落を意味しました。藤原道長の時代には、このシステムを巧みに使って政敵を排除したエピソードも残っています。
殿上人とは、天皇の日常空間に近侍する特権階級のこと。清涼殿の殿上の間に敷かれた畳の縁の色から、特に「縁青色の袍」を着ることを許されたことにも由来します。この身分の人々は儀式や政務で重要な役割を果たし、中世の朝廷運営の要でした。
『大鏡』には、この身分を巡る権力闘争が生き生きと描かれています。特に藤原氏の全盛期には、この地位を巡る競争が激化し、一族の盛衰にも直結していました。
殿上人の歴史を辿ると、平安京造営とともに始まった宮廷文化の粋が見えてきます。彼らは天皇の身辺に仕えながら、歌会や蹴鞠などの雅な行事を主宰しました。『古今和歌集』の編纂にも関わった紀貫之も、こうした殿上人の一人だったんですよ。
身分制度としては、蔵人のような実務官人と、受領のような地方官僚の中間的存在。『土佐日記』の背景にも、この殿上人社会の人間関係が色濃く反映されているように、当時の文化形成に欠かせない存在でした。
殿上人制度の面白さは、その選抜基準にあります。単に位階が高ければいいわけではなく、教養や人柄、天皇との関係性が重要視されました。『枕草子』に描かれるように、和歌の才や風流な振る舞いが評価されることも多かったのです。
この制度は平安中期に確立し、摂関政治の重要な要素に。清涼殿での勤務は名誉だった反面、夜勤も多く、『宇津保物語』には殿上人の苦労話も登場します。政治の表舞台で活躍しながら、同時に王朝文化を牽引した二面性が興味深いですね。
殿上人という言葉を聞くと、平安
貴族の優雅な姿が浮かびますね。この称号は昇殿を許された四位・五位の官人を指し、天皇の居住空間である清涼殿に上がる特権を持っていました。
当時の宮廷社会では、この昇殿資格が身分の格差を如実に表していて、『源氏物語』にもそうした階級意識が描かれています。特に蔵人所の役人や受領階級のエリートが多く任命され、政治的な影響力も持っていました。紫式部や清少納言もこの身分だったと言われ、宮廷文化を支える存在だったんです。