興味深い問いだ。民俗学の文脈で
人身御供のモチーフが変化する理由を考えると、まずは儀礼的・機能的説明が浮かぶ。古い社会では集団の危機(飢饉、疫病、戦争)に対処するための象徴的行為として、あるいは共同体の団結を促す手段として人身御供の伝承が機能していたと説明されることが多い。こうした話は時間とともに実際の行為の記憶が薄れ、物語として保存される過程で象徴的意味や道徳的教訓へと変容していくのが普通だと感じる。
また、比較宗教学や歴史言語学の視点では、異なる地域に広まる際に物語が受け手の宗教観や政治構造に応じて書き換えられる点を重視する。たとえば日本神話の 'ヤマタノオロチ' に見られる「若女を捧げる」という筋は、後世の説話や演劇でヒロイズムや婚姻の物語として語り直され、犠牲の意味が救出譚や婚姻の媒介に変わる経路をたどった。
最後に、現代化と倫理観の変化も大きい。近代国家の法体系やキリスト教・仏教的な個人観が広がるにつれ、物語中の暴力や
生贄は否定的に再解釈され、象徴的代替(罪の贖い、自己犠牲、共同体の試練)へと置き換えられてきた。そうした変容の層を読み解く作業こそが、民俗学の面白さだとしみじみ思う。