さらに『Drawing on the Right Side of the Brain』のようなベストセラーが一般大衆の言語としてこの二分法を補強した。実際には機能の偏り(lateralization)は存在するが、脳は多数のネットワークが連携して動く統合系であり、左右で完全に役割が分かれるわけではない。こうして誤解は科学の断片と大衆文化の翻訳過程で育ち、現在の神話になったのだと私は考えている。
オリヴァー・サックスの『The Man Who Mistook His Wife for a Hat』のような症例集は、脳の驚くべき局所性を示すが、同時に読者に「脳のある部分が壊れるとそれに対応する機能だけが失われる」という誤った直感を与えやすい。実際には、損傷によってネットワーク全体の代償や再組織化が起きるため、単純な左右対立図式では説明できない事例が多い。
ダニエル・カーネマンの『Thinking, Fast and Slow』を読んだときに面白いと感じたのは、人間が二分法的な説明を好む心理傾向だ。脳の左右分割も同様に、「分かりやすい物語」に変換されて受容された。実験的には、被験者や課題の選び方、解析方法、統計的閾値で結果が左右されることが多く、学術誌に載る短い図版だけを切り取って解釈すると誤解を招く。
サム・キーンの『The Tale of the Dueling Neuroscientists』のような書物を読むと、科学史的な文脈が理解でき、なぜ誤解が広がったかが見えてくる。研究者たちは非常に限定された条件で得られたデータから慎重な結論を出していたが、伝達過程で「左右二分」の語り口が一人歩きしたのだ。
単純な実験キットやネットのクイズで左右脳の優位性が測れる、という話はよく目にする。そうした簡易テストに魅力を感じる人の気持ちはわかるけれど、研究者の立場から見るとおおむね勧められないことが多い。
僕は脳の働きが局在化していること自体は否定しない。言語処理や空間認知に偏りがある場合は確かに片側皮質の関与が強いことがある。しかし、その優位性はタスクや環境、発達歴や訓練によって変動する。家庭でできる「利き手で書く」「左右の耳で聞く」「片目で見る」などの簡単なチェックは、あくまでざっくりした傾向を示す程度だ。
本格的な評価は神経心理学的検査や脳イメージング、専門家による解釈が必要で、誤解や過剰な単純化を招きやすい。『The Man Who Mistook His Wife for a Hat』のような症例を読むと、脳の局在性は奥深く、素人判断が及ばない複雑さがあると感じるだろう。だから、興味本位で試すのは構わないが、それを根拠に性格や能力を決めつけるのは避けたほうがいいと思う。