たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜

たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜

last updateHuling Na-update : 2025-10-15
By:  城間ようこOngoing
Language: Japanese
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「ただ愛した、祝福を受けられない世界で、それでも結ばれたいと願った」 アムース子爵家の長女だった母親は、ディマルテ男爵家の跡取りと婚約していたが、結婚を目前に控えていた中で不義の子を宿し、破談となり勘当された。 母親は不義の相手を隠していたが......産まれた子である娘のミモレヴィーテが、 皇家の血を受け継いだ者でしか顕現させられない力を発現させた事により、 侯爵家の後妻として娘と共に迎えられた。 聖女の魅了。妖精王さえも魅了する力を持ったミモレヴィーテは、聖女としての人生を歩み始め、働きを求められ、しかし聖女は子を孕み産むと聖神力を損ねるため結婚は許されない。 だが、ミモレヴィーテには運命に背く願いがあった。 背信、謀略、思惑、欲望、それらの渦巻く世界で翻弄されながらミモレヴィーテは……。

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Kabanata 1

第1話 すべてのはじまり

結婚三周年記念日。私、前島知子(まえじま ともこ)は、夫・前島謙介(まえじま けんすけ)お気に入りのミシュランレストランで、五時間も待ちぼうけを食らっていた。

なのに、肝心の謙介とはまた連絡が取れなかった。

結局、彼の幼馴染・玉木友枝(たまき ともえ)という女のSNS投稿で知った。

謙介が彼女に付き合って、氷原へ行ったことを。

【ちょっと落ち込んだだけで、彼は全世界との約束をすっぽかして、気晴らしに付き合ってくれた】

【幼馴染って、ペンギンより癒されるかも】

添付された写真には、凍えるような寒さの世界が広がる中、謙介が彼女をそっと抱き寄せる姿。

その瞳には、私に向けられたことのない熱が宿っていた。

ふと疲れを覚える。もう苦しい詰問も、狂ったような泣きわめきもする気になれなかった。

ただ静かに「いいね」を押し、彼に一言だけ送った。

【離婚しましょ】

しばらくして、謙介からボイスメッセージが届いた。

からかうような口調だ。

「いいぜ、帰ったらサインしてやる。

どっちが泣いて『行かないで』って引き留めるか、見ものだな」

愛されている側は、いつも強気だ。彼はまったく信じていなさそうだった。

でもね、謙介。

誰かさんなしじゃ生きていけない人なんていない。ただ、まだ愛しているだけ。

だけど、これからはもう、あなたを愛したくない。

……

私はレストランで一人、食事を済ませた。

胃はパンパンなのに、心は空っぽだった。

家に帰り、離婚届を印刷した。

サインしようとした瞬間、スマホが震える――

友枝から画面録画の動画が送られてきた。

友枝と謙介が、豪華客船のデッキに並んで立っていた。

動画の向こう側では、共通の友人たちがしきりに感嘆の声を上げていた。

「氷原ツアー!?最低でも二百万円はするだろ。謙介、知子とは二十万円の旅行すら行ったことないよな?」

「金を使う相手が、本命ってことだろ!」

「知子、今回は意外と騒いでないな。いいねまで押してるぞ?」

友枝が甘ったるい声で言った。

「騒いだよ。謙介に離婚を切り出したんだって」

動画の向こうが息を呑んだ。

「知子って、今まではせいぜいプチ喧嘩くらいだったろ。マジで離婚なんて言う勇気あるのか?本気じゃないだろ?」

「もちろん、本気なわけない」

謙介の口調は淡々としていた。

「俺に構ってほしくて、帰ってきてほしいだけだろ。もともと帰るつもりだったが、脅されるのは一番嫌いでね。

ついでだ、友ちゃんともう数日遊んでいくさ」

彼の目には冷たさが浮かんだ。

友枝の乱れた前髪を手で直してやるときだけ、その表情が和らいだ。

向こうの友人たちが「またイチャついてる」と大声で叫び、囃し立て始めた。

「謙介、いっそこのまま知子と別れちまえよ」

「昔、あいつが友ちゃんのおこぼれでお前と付き合えたことくらい、みんな知ってるんだぜ。友ちゃんが戻ってきた今、あいつの居場所なんかないだろ」

「そうよ、友ちゃん。謙介を見直してあげなよ。今や年収数千万円の幹部だし、友ちゃんへの気持ちも昔から変わってないんだから」

謙介が喉仏を動かし、何かを言いかけようとした。

その時、友枝が突然、彼の胸に顔をうずめた。

「謙介、みんなに黙ってって言ってよ。これ以上言ったら、私たちの純粋な友情が汚されちゃう。

それに、専業主婦がいろいろ考えすぎちゃうのは当たり前なんだから、少し大目に見てあげてよ。じゃないと、私がとんでもない悪者になっちゃう」

謙介の目から、何かがふっと消えたようだ。

彼はぎこちない笑みを浮かべた。

「安心しろ、離婚にはならない。

知子は俺がいなくなったら、居場所がなくなる。そんな勇気、あいつにはない」

世界の果てに立つ彼を、私は画面越しにじっと見ている。

私の弱みを知りながら、それを平気で踏みにじるこの男を見ている。

私たち二人が、本当に終わりを迎えたのだと、ようやく悟った。

それなのに、なぜ心はまだ絞られたみたいに、酸っぱく張り裂けそうで、言いようもなく苦しいのだろう?

それはきっと、私がずっと彼を光であり、救いだと思ってきたからだ。

大学二年の秋、大学院一年の謙介が私に告白してきた。

彼は学内の有名人で、私が密かに想いを寄せる相手だった。

一方の私は、母を早くに亡くし、父が新しい家庭を持ってからは、継母と……まるで継父のように変わってしまった父ができた。

幼い頃からあちこちの家を転々とし、人の顔色ばかり窺ってきた私には、もう「家」と呼べる場所はなかった。

そんな自信のない私に、愛される価値があると信じさせてくれたのが、謙介だった。

彼がこの上なく甘く私にキスをし、「知ちゃん」と優しく呼んだとき、私は突然泣き出してしまった。

母が亡くなってから、誰も私を「知ちゃん」と呼んでくれなかったから。

でも泣きながら、私は笑っていた。

漂っていた心が、ようやく帰る場所を見つけたようだった。

卒業後、私は大学院への推薦入学を蹴った。謙介が「君に家をあげる」と言ってくれたから、迷わず彼について浜野市へ行った。

彼は仕事に集中したいと言い、私は内定を断って、彼のためにすべてをこなし、料理の腕を磨いた。

彼と苦しい四年を耐え忍び、彼の事業はようやく軌道に乗り始めた。

謙介はすぐに、見事な輝きを放つダイヤの指輪を買って、私にプロポーズしてくれた。

「知ちゃんにはその価値があるんだよ」

結婚後、彼は多忙を極めたが、時折、高価なジュエリーを贈ってくれた。

私がもったいないと言うと、彼は笑って私を抱きしめた。

いつも同じ言葉。

「知ちゃんにはその価値があるんだよ」

あんなに輝いていた瞬間、私たちは愛し合っているのだと思っていた。

自分はついに運命に愛され、愛する人と家族を手に入れたのだと。

一ヶ月前、友枝が帰国するまでは。

謙介が愛してやまなかった幼馴染。

彼女は最も鋭く残酷な棘のように、すべての偽りの美しさを突き破った。

謙介が私に告白したのは、あの日、彼女が海外で恋人を公表したから。

彼が初めて私にキスしたとき、彼女はSNSに手をつないだ写真をアップしていた。

彼が私にプロポーズしたのは、彼女が婚約したと知ったからだった。

彼がくれたダイヤや宝石は、すべて彼女が好むデザイン。

彼が何度も優しく私を「知ちゃん」と呼ぶとき、心の中は彼の「友ちゃん」でいっぱいだったんだ。

……

私が幸せだと思っていたすべての節目は、彼の無念と未練で満ち溢れていた。

私に、最初から価値なんてなかった。

ポタッ――

一粒の涙が、離婚届に染みを作った。

思い出せば思い出すほど、自分が哀れな道化のように思えてきた。

謙介は、私が彼なしではいられないと思っていた。

でも、私にも行く当てはあった。

ペンを取り、サインした。

白黒はっきりさせた以上、もう後悔はなかった。

今度こそ、私は本当に彼のもとを去る。

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20 Kabanata
第1話 すべてのはじまり
この世界は、世界と人間のみならず全ての生き物を豊かにする精霊で満ちている。豊穣をもたらし、生き物を癒し、豊かな自然を守る。それは、天からの恵みであり、神が世界を慈愛でもって祝福している証だとされていた。私、ミモレヴィーテは物心つく頃には世界に存在するあまたの精霊達が見えていた。精霊達は友好的で、私の事を気にかけて時には励まし時には一緒に遊んでくれた。だからこそ、唯一の家族である母親が早朝から夜中まで働いていた為に独りで過ごす時間が長くても我慢出来た。一度だけ、幼かった私は母親に精霊達を精霊と知らぬまま「可愛いお友達がいる」と話した事があった。飴細工かステンドグラスのような繊細で美しい羽を持っていて、私の周りをふわふわと飛んでまとわりつき皆が笑顔をたたえて話しかけてくれる。妖精達は世界のあらゆる事を知っていて、天候や大地からの恵みについても詳しかった。けれど母親は、精霊について二度と口にしてはならないと私をきつく戒めた。それは懇願のような戒めだった。母親は、どうしてか悲しみと苦悩で顔を歪ませていた。私を愛してくれる家族は母親だけだ。私は母親を悲しませた自分の発言を悔やんだ。そして、精霊達との交流は秘密にして誰にも──二度と口にしないと誓った。それから何年経っただろう?「ミモレヴィーテ、雨がやんだら町の橋に行きましょうよ」「橋に? そこに何かあるの?」水の精霊が私の耳もとを飛び、じゃれつくように囁きかける。私は内職の手を休めて訊ねた。精霊が心なしか胸を張る。「綺麗なものが見えるわ。虹よ。それもね、空に端っこから端っこまで掛かって鮮やかな七色なの」「それは素敵だわ。虹だなんて滅多に見られないもの、ぜひ見たいわ。この雨はいつやむかしら?」「あと一時間もしないで上がるのよ。ね、ミモレヴィーテ、こんな薄暗いお部屋で手仕事ばかりしていないで綺麗なものを見ましょうよ」「そうね……ええ、一緒に行きましょう」「やった!」精霊がはしゃいだ声を上げて私の周りを飛び回る。それにつられてか、他の精霊達も私に集まってきた。可愛らしいパステルカラーの精霊達がいると、殺風景な家の中が一気に華やぐ。「皆、一緒に見に行きましょうか。虹は綺麗だもの、皆の栄養になるわ」「本当に、ミモレヴィーテ?」「皆で遊びに行けるの?」「ええ。──でも、外では私に話しかけたら駄
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第2話 お母さんと貴族のひと
「ミモレ、こっちだよ、早く!」「おばさん、お母さんは怪我してるの?! 助かるの?!」「それが……ああ、ここだよ!──ちょいとどいとくれ、娘が来たんだよ!」息を切らしながら駆けつけた町中の通りでは、豪奢な馬車が停まっていて、その前に人だかりが出来ていた。家族である私が来たと知った人たちは脇に退いて、狭いながらも母への通り道を作ってくれる。考えたくなかった恐ろしいありさまが垣間見え、心臓を搾られる思いで駆け寄り──血まみれになって倒れている母の姿を目の当たりにした。「お母さん、お母さん! 私よ、ミモレよ!──お母さん!」「救済院に運べば聖女様が癒して下さるはずだろ!」「駄目だ、出血が酷くて町外れの救済院までもたねえよ!──それに脚や腕も折れてやがる、多分全身を打ってるんだ。下手に動かしたら……」「だからって、娘も見てる前でむざむざと見殺しにすんのかよ!」「──そうとは言ってねえだろ?!」「お母さん!──お母さん、目を開けて! お母さん!」繰り返し洗濯して色のくすんだ衣服を着ている母は、全身怪我だらけで頭からの出血が特に目立っているけれど、娘の私でさえ怯えるほどに腕や脚が折れて変な曲がり方をしている。目は白目を剥いていて、呼びかけにも反応しない。「──まだ息はあるんだ! 聖女様にお越し頂ければ……」「そうだ、聖女様をお呼び出来れば助かるだろ?!」辺りがざわめく。──と、一喝する鋭い怒声が響いた。「──この無礼者どもが! 国の宝である聖女様を、小僧の使いが如くに扱うつもりか! これだから卑しい者どもは厚かましく恥を知らんと言われるのだ!」あまりにも酷い物言いに、辺りが殺気立って声のした方へと振り向く。馬車の傍らで警護を務めている騎士様が剣の柄に手をかけて、威嚇するように睨みつけてきている。声の主はこの人らしい。「……お貴族様、卑しかろうが人間を轢いておきながら、だんまりで見物していると思えば……やっと口を開いたら身分のない者は死ねとでも言うんですかい?」「その女は侯爵様の行く手を遮り妨害したのだろうが!」「道を歩いてたってだけで罪人みたいな言い方じゃないですか、あたしゃ見たんですよ、その馬車の馬が暴れて……」「この狼藉者が! 口を慎まねば斬り捨てる!」いよいよ騎士様が剣を鞘から抜いた。他の護衛している人々
Magbasa pa
第3話 お屋敷へ、そして母の素性
馬車に揺られて連れて来られたお屋敷は、豪奢の一言に尽きた。侯爵様が言っていた別棟でさえも、真っ白な建物は日射しを受けて輝くようで、案内されたお部屋もまた、日当たりが良く内壁だけでなく置かれた家具や敷かれた絨毯までもが、見たこともない高級なもので私はひどく気後れした。町では煤けてくすんだ建物ばかりで、私達母娘も同様の家に住んでいたのだ。すきま風が吹き込む部屋で固い椅子とベッドに慣れていた身としては分不相応にも程がある。見たところ、このお部屋のソファーもベッドもゆったりと大きく、てっきり使用人の人達が休むようなお部屋に案内されると思っていた私には、まるでお嬢様扱いでもされているかのような待遇に恐ろしささえ感じられた。「ミモレヴィーテ様には、本日よりこちらのお部屋で暮らして頂きます。何か必要なものがございましたらミモレヴィーテ様につくメイドのマルタにお申し付けくださいますよう」メイド長だと紹介された、貫禄のある女性が──名前はビオラと言っていた──まだ年若く私より少し歳上くらいの女性を控えさせ、淡々と告げる。その女性は私に向かって深くお辞儀をして、「これからミモレヴィーテ様にお仕え致します、マルタと申します」と、なめらかに挨拶してきた。「……は、はい……お世話になります……」それにしても部屋が広すぎる。その上お付きのメイドまであてがわれるなんて、扱いの丁重さに萎縮するばかりだ。侯爵様は別棟で母を侍医に診させてくれると仰っていたけれど、所詮平民でしかない母娘なのだから一つのお部屋で母と過ごすことになるとばかり思っていた。「……あの、お母さんは今……」馬車から降りてすぐに母とは別にされ、今の部屋に案内された私にとって、それが何より心配だった。母はお屋敷までの道のりでも意識を戻さず、呼吸こそ落ち着いていたけれど血の気が引いた頬は、事故での出血がいかに多かったかを物語っていたし、いくら妖精達が癒してくれたと言っても流れ出た血は体内に戻せないようだった。侯爵様の侍医というお方が診て下さっても、足りなくなった血液はどうしようもないのではないか?──私はお医者にかかった事がないから、治療については何も分からないだけに不安だった。しかし、ビオラは落ち着いた様子で「ミモレヴィーテ様の母君でしたら、ご心配には及びません。ゆっくりと療養出来るようミモレヴィーテ様とは別のお部屋で
Magbasa pa
第4話 精霊が意味するもの
「──さ、ミモレヴィーテ様。こちらでございます」マルタに案内された浴室は汚れひとつなく磨き上げられていて、大きな白い浴槽からは柔らかい湯気が立ちのぼっていた。ほのかに、ハーブのものらしき優しい香りが漂ってくる。着ていた服を脱がされてタオルを纏い、──服を脱ぐだけでもマルタは手伝うと言ってきて、私は自分で脱げますからと必死に抵抗したものの聞き入れてもらえなかった──浴槽へと促され、恐る恐る張られたお湯へと足を浸けてゆく。ぬるくも熱くもない温度は幼子が母から受ける抱擁のように温かい。浴槽に足を浸けて立ち尽くし、どうすればいいのか分からずに戸惑っていると、マルタがやんわりと「腰をおろして足を伸ばされ、どうぞ楽になさってくださいませ」と教えてくれた。躊躇いつつ言われた通りにすると、お湯が身体を包み込んできて、初めて体験する心地良さに私は驚きながらも知らず息をついていた。「お湯加減はいかがでしょうか? 熱くはないですか?」「あ、大丈夫です……あの、気持ちいいです」「でしたら、ようございました。ゆっくりお湯で肌を柔らかく致しましたら、私が洗わせて頂きますわ」「?……洗う……?」浴槽すら初めて見た私からすれば、何もかもわけが分からない。お湯に浸かる事の他に、何かあるのだろうか。この浴室ではお湯に浸かるだけでなく、身体も洗うのか?──だとしても、幼い子どもでも病気の身でもないのに誰かに身体を洗ってもらうだなんて、まさか貴族の方々は皆様、自分の身の回りの事全てでメイドとして働く人からお世話を受けているとでもいうのか?「失礼ですが、普段はどのようにお身体を洗われておいででいらっしゃいましたでしょうか?」「あの、身体を洗いたい時は桶に水を汲んできて……布を濡らして身体を拭いていました……」侯爵様のお屋敷に来てからというもの、身分違いの扱いをまざまざと感じてしまい、萎縮するばかりだ。けれど、マルタは見くだす様子もなく微笑みかけてきた。「左様でございましたか。お湯は貴重なものでございますから、ミモレヴィーテ様が馴染みのない事も致し方ありませんわ。私達のようなお屋敷で働く者どもも同様に身体を洗っておりますのよ」「そうなんですか?」こんなにも立派なお屋敷で働けている人達でも、平民である私と変わらないと知って驚く。同時に、ならばなぜ私は今お湯に浸かっていて、それだ
Magbasa pa
第5話 侯爵家の生活とお母さんの婚姻
──夜明けを迎える頃、ようやく眠りが浅くなってきたところで、私は夢を見た。シャンデリアが煌めく広いホールに、華々しいドレスを纏ったお嬢様達がエスコートされながら優雅に舞う。そんな光景は平民の私が見た事などないはずなのに、見下ろせば自分も艶やかなドレスを着ている事にも違和感を覚えなかった。淡いピンクのドレスは脇に白いフリルとレースをふんわりと広がるように使われていて、金糸で薔薇が蕾から花開いてゆくさまを刺繍されている。どうやら、夢の中の私は現実よりもいくつか歳上らしい。身体つきが身に覚えのない美しさだった。様々な貴族の令息らしき人達が私に声をかけ、ダンスに誘ってくる。私はひらりと断り、ホールの隅にある椅子へと向かって飲み物をとり、疲労の息をついていた。そこに、お会いした事もないのに不思議とどこか懐かしさを感じさせる令息がやって来て私に向かって穏やかに話しかけた。「ミモレヴィーテお嬢様、デビュタントのパーティーは楽しめておられますか?」「はい、皆様お美しくて蝶か妖精のようです」「このパーティーで最もお美しいお嬢様ですのに、謙虚でおられますね」彼は手入れの行き届いた黒髪に深い緑の瞳が、僅かな影を落としていて私などより遥かに美しく見える。返答に困っていると、すっと手を差し出してきた。「ミモレヴィーテお嬢様、私とダンスを楽しむ栄誉をお与えくださいませんか?」私がファーストダンスは既に他の人──パートナーと済ませていたと、夢の中の私はなぜか認識している。目の前の令息はご令嬢達から注目されていたらしい。羨む声に溜め息が、さざ波のように聞こえてくる。「──はい、よろしくお願い致します」恭しく出された手に自らの手を重ね、私は立ち上がった。あれだけ令息達からの誘いを断ってきていたのに、どうしてか目の前の彼と踊ることは自然に受け容れられた。ホールの中央に歩んでゆくと、ゆったりとした曲に変わる。手を重ね、吐息さえ感じそうな距離で二人踊り始めた。リードが上手いというだけでは納得出来ないほどに踊りやすい。身体が軽くて、まるで広大な空に踊っているかのようだ。「──ミモレヴィーテお嬢様、私は……」熱を帯びた声音で彼が囁きかけてくる。どきりと心臓が脈打ち、私は彼を見つめた。互いの眼差しが絡み合う。──そこで、夢は唐突に途切れた。「……あ……」目を覚ますと、大き
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第6話 侯爵家の息子と娘
* * *「お父様が再婚なされるお相手は、この侯爵家には相応しくない人なの?」ガラント侯爵家の令嬢として何不自由なく育てられたガネーシャは、小瓶を持って私室にやって来た専属メイドのショーンに問いかけた。13歳の誕生日を迎えたばかりのガネーシャは、何の苦労もなくメイド達によって指先までもが美しく手入れされており、高位貴族の令嬢らしく淑やかに高貴に振る舞う事のみを求められ応えてきていた。「まあ、ガネーシャお嬢様。メイド達の噂話でもお聞きになられましたか?」「屋敷中がこの話でもちきりよ、耳に入れるなという方が難しいわ。……アムース子爵家の方と聞いたけれど……」「ガネーシャお嬢様のお耳に触れるのは致し方ない事と存じますが……取るに足らない身分の女性ですわ。形の上では新しい母君様となりますが、亡くなられた奥様の足許にも及ばぬ者でございますので無理に親しむ必要などございませんのよ。──こちら、本日の美容水でございます」言葉の端々から、ショーンが再婚相手を蔑んでいるのが伝わる。そう、ガネーシャを産んだ本当の母親には到底敵う女性のはずがないのだ。ガネーシャは少し溜飲をおろし、ショーンから美容水の小瓶を受け取った。迷わず蓋を開け、すっと中身を飲み下す。背後に立ってガネーシャの髪を梳き始めたショーンは、その様子を心配そうに見ていた。「ガネーシャお嬢様、こちらの美容水は侯爵様からも禁じられておりますものでございます。お嬢様たってのお願いですのでお運び致しておりますけれど……」「大丈夫よ、ショーン。もう一年以上飲んできているものだわ。ほら、私を見てちょうだい──この肌の色は美容水無くしては手に入れられなかったものだわ。けれど、まだね。もう少し真珠のように……」鏡越しにショーンを見て話していると、美容水を飲んだ直後に話しすぎたのか悪心がガネーシャを襲う。口にしてしまえば美容水は二度と服用出来なくなるため、決して言えない不調をガネーシャは慣れた態度でやり過ごした。ショーンも分かっている。だから、それ以上は諌める事も不調をあからさまに気遣う事も出来ずに「本当にお美しい御髪ですこと、香油を評判の商会の物に変えてから更に艶やかになられましたわ」と話題を逸らして髪を梳く。──と、ガネーシャとショーンの二人きりだった部屋のドアが無遠慮に開かれた
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第7話 愛し子として求められるもの
「──はい、よろしいですわ。テーブルマナーもきちんとマスターなさいましたね」「ありがとうございます!」ガラント侯爵家に迎えられて、まず付けられた指南役のミステラ夫人から頷かれて、私は声を弾ませた。貴族社会のルールやマナー、教養をミステラ夫人は事細かに教えて下さった。「下町訛りも元より耳障りな程ではございませんでしたし、きっとお母様がミモレヴィーテお嬢様を大切にお育てになられたのでしょう。明日からは刺繍をお教え致しましょうね」「はい、よろしくお願い致します」お母さんの事を褒められるのは、自分の努力を褒められるより嬉しい。侯爵様との結婚がお母さんにとって幸せか、それが分からないからなおさらだ。「──ミモレヴィーテお嬢様、お勉強はお済みでしょうか?」ドアをノックする音が軽く響き、ビオラの声が聞こえる。私は「はい、大丈夫です」とミステラ夫人が許可の目配せをして下さったのを見てから返事をした。静かにドアが開き、ビオラが深々とお辞儀をする。普段はマルタが傍に付いていてくれるので、ビオラが訪れることは珍しい。「ミモレヴィーテお嬢様、今宵の晩餐は御一家揃って食堂にてお召し上がりになられますよう、侯爵様よりお言葉がございました」「侯爵様……お父様が?」父を知らない平民だった私には、まだ言い慣れない呼び方だけれど、お父様と呼ぶように侯爵様から言われている。いずれは慣れるのだろうか。それよりも、お屋敷に迎えられてからずっと、食事は与えられた部屋へと運ばれてきてマルタの世話を受けながら一人で頂いていた。それも仕方のない事で、貴族のテーブルマナーも知らないうちから侯爵家の方々とご一緒しても恥ずかしい思いをするのは私のみならず、私を育ててくれたお母さんもなのだ。侯爵家の皆様を不快にさせるおそれもあり、私はその処遇を受け容れていた。ご一緒するのは緊張してしまいそうで怖かったというのもある。それが、お母さんの結婚から一か月経とうとしている今許された。新しい家族──義理の兄妹となった方々も含めて、疎遠というべきか滅多に顔を合わせた事もない。私がまず教わるべき事が多くて関わるいとまもなかったせいもあるものの、兄妹のお二人が私の部屋を訪れて来て下さった事は一度もなかった。「ミモレヴィーテお嬢様、ちょうどよろしいですわ。学んだ事を皆様にご覧頂く良い機会です」「はい……ですが、
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第8話 新たに宿ったもの
……幼い頃、一度だけお母さんが話してくれた。人生には、自分が確かに一人の生身の人間として生きていると味わえる出逢いが必ずあると。それが幸か不幸かは分からない。でも、生きている悲しみも喜びも確かに実感出来る出逢い。お母さんは何と出逢い、それを知り人生を変えたのか?私には、まだ分からない。流されるがままに毎日をこなして、今の自分に出来うる許された事をするのみだった。「──お父様、今宵はお酒が随分と進みますのね。少々お召し上がりになりすぎではないですか?」晩餐の時、ガネーシャ様が気遣わしげに口を開いた。お父様は既にワインのボトルを一本空けてしまっておいでだった。けれど、お父様は珍しく上機嫌に快活な笑みをたたえた。「なに、祝いの盃だ。今日は大変喜ばしい事が分かったからな。お前達にも話しておかねばなるまい──サリエルが私との子を妊娠したのだ」私のみならず、ガネーシャ様もブリジット様も咄嗟に言葉が出なかった。カトラリーを扱う手が止まり、お父様とお母さんを交互に見つめて──三者三様に信じられないといった思いを瞳に浮かべる。最初に気を取り直したのはガネーシャ様だった。「まあ、それは本当に喜ばしい事ですわね。お父様、……お母様、おめでとうございます。お祝いを考えなければなりませんわ」次いで、ブリジット様がことさらに朗らかな声を発する。「まさか、この歳になって弟か妹を迎えられるとは思っていませんでした。本当におめでたく、今から生まれてくるのが楽しみですね。父上、誠におめでとうございます」いっそ白々しいほどに、二人とも貴族然として新たな家族を祝福する。ブリジット様がこちらを見やって「ミモレヴィーテも嬉しいだろう、お二人の間の子はお前にとって本当の家族としての架け橋になる」と声をかけてきた。声音こそ明るいものの、言葉の端々に棘が隠されているのに気づかないほど、私も無邪気ではなくなっていた。それでも笑顔を取り繕い、鷹揚に従順に頷いてみせる。「はい、本当に驚きましたけれど……お父様、お母様、おめでとうございます。生まれてくる赤ちゃんの為にも、お母様はお身体をお大事にしてくださいね。でも、お父様がお母様をとても大切にして下さっておいでですので、きっと大丈夫と信じております」子供達の祝いの言葉を満足げに聞いていたお父様は、私の言葉が何よりお気に召したらしい。相好を
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第9話 初めてのお茶会で、そして
──そして、初めてのお茶会に参加する日の朝が訪れた。装いの選び方はミステラ夫人直伝だ。自分に何が似合うかをミステラ夫人は基本から教えて下さっていた。装いは十分なはずだ。目立ちすぎず、地味にもならず、清楚で可憐な新参者の令嬢としては完璧に近い。けれど、問題は他の貴族令嬢との交流をした事がなかった点だった。下町で育った私には、当然の事ながら貴族の方々とはまったく面識がない。そのため、お茶会では集まった数人の令嬢達とガネーシャ様が会話に花を咲かせているのを、ただ眺めているしかなかった。焦りをおもてに出してはいけない、退屈そうな素振りなど見せてはいけないと気を張り詰めて、置いてきぼりにされながら微笑みをたたえる。それにしても、昨夜から続く風の中でよく屋外のお茶会を楽しめるものだとも思う。羽織るものも膝掛けもなしにでは、暖まるのはお喋りで動かしている口だけだ。「ガネーシャ様、こちらのお茶は何て華やかな水色に爽やかな香りでしょう。とても美味しいですわ」「ありがとうございます。今日の為に東方から取り寄せた茶葉を使用しておりますのよ。よろしければカスタードのタルトも作らせましたのでお召し上がりになられてくださいませ。このお茶に良く合いますのよ」「まあ、素敵ですわ。そう言えば前回のお茶会に添えられていたミルクジャムも本当に美味しくて。お恥ずかしながら帰宅してから我が家の職人に再現させようと致しましたのですけれど、どうしてもあのお味になりませんでしたのよ。ガネーシャ様のお宅では腕の良い職人をお雇いになられておいでですのね」「お気に召されて下さったのでしたら何よりでしたわ。でしたら、今日の記念として皆様にミルクジャムの瓶詰めをご用意させて頂きますので、ぜひお持ち帰りくださいませ」「まあ、嬉しいですわ。ありがとうございます」「大した事でもございませんわ。お喜び頂けるのでしたら、それが何よりですのよ。──そうそう、アイナ様。先日は私どもをお誕生日のパーティーにご招待下さり感謝致しますわ。楽しく心踊るひと時でしたのよ。アイナ様のご婚約者様、フィヨルド様もお見かけ致しましたわ。変わることなく睦まじいご様子で憧れますの」「まあ、お恥ずかしいですわ。フィヨルド様は私を大切になさって下さいますけれど、私には甘すぎますの。実は、お誕生日の時に頂いたブローチを本日着けてまいりました
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第10話 精霊との正式な契約、神々しい御方
──それは、真っ白に輝く嵐だった。どんな銀細工よりもまばゆい光の嵐。なのに風は感じない。私は光のただ中で目を開けているのも難しいほど輝く空間に包まれて立ち尽くしていた。だが、やがて嵐が収まってゆき、光は優しく私を取り巻く。光の向こうに、誰かが見えた。金色の髪は艶やかに光を反射し、同じく金色の瞳が叡智をたたえて明るい色なのに、とても深い。向こうに誰かいる、──そう見えた次の瞬間には、そのひとは目の前に立っていた。身にまとう白い衣は見たこともない生地と作りで、その容貌を引き立てている。──こんなにも美しいひとは、見た事がない。中性的なような、どことなく男性的な風貌と容姿。神々しい程なのに威圧感はない。そのひとの私を見据える眼差しには、慈しみさえ伺えた。白銀に僅かな金色が溶け込んだような不思議な空間で、そのひとと私は相対する。相手の深い瞳は、感情を伺わせないのに温かく優しく、どこか懐かしい。「……そなたか。精霊との契約なしに、それも二度も精霊を使役した癒しを成したのは」「契約……?」声までも濁りなく美しいひとには、いつしか私と親しんでくれている精霊達が幸せそうにまとわりついていた。「王様、ミモレヴィーテは私達のお友達なのです」「精霊王様、ミモレヴィーテは私達と通じ合える事を内緒にしなくちゃいけなかったんです。契約したら、ミモレヴィーテ以外のひとにも私達が見えてしまうから」「精霊……王様?」「そうよ、ミモレヴィーテ。この方は創造神と唯一対等にお話し出来るお方。精霊の頂点に立たれるお方」これは幻だろうか?──しかし、夢幻にしては鮮やかすぎる。精霊王と呼ばれた方は、私を責める色もなく真っ直ぐに見つめてきていた。急に畏怖がやってくる。創造神とさえ対等に話せる程の方が、なぜ目の前に現れたのか。「大丈夫だ、咎め立てるつもりはないよ。ただ、本来ならば精霊の癒しは、精霊達と契約を結ばなければ十分な力を発揮出来ない。にも関わらず──ミモレヴィーテ、君は瀕死の重傷を負った母さえも癒した。それから様子を見ていたが……君につらく当たる娘さえも精霊達の力を用いて癒しただろう。精霊達と愛し子は一心同体、愛し子の心次第では悪意ある者を癒すなど出来ない。君は本当に変わっている……精霊達との親和性があまりにも強い」「それは……いけない事なのですか?」「悪くはない。しか
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