LOGIN「ただ愛した、祝福を受けられない世界で、それでも結ばれたいと願った」 アムース子爵家の長女だった母親は、ディマルテ男爵家の跡取りと婚約していたが、結婚を目前に控えていた中で不義の子を宿し、破談となり勘当された。 母親は不義の相手を隠していたが......産まれた子である娘のミモレヴィーテが、 皇家の血を受け継いだ者でしか顕現させられない力を発現させた事により、 侯爵家の後妻として娘と共に迎えられた。 聖女の魅了。妖精王さえも魅了する力を持ったミモレヴィーテは、聖女としての人生を歩み始め、働きを求められ、しかし聖女は子を孕み産むと聖神力を損ねるため結婚は許されない。 だが、ミモレヴィーテには運命に背く願いがあった。 背信、謀略、思惑、欲望、それらの渦巻く世界で翻弄されながらミモレヴィーテは……。
View Moreこの世界は、世界と人間のみならず全ての生き物を豊かにする精霊で満ちている。
豊穣をもたらし、生き物を癒し、豊かな自然を守る。それは、天からの恵みであり、神が世界を慈愛でもって祝福している証だとされていた。 私、ミモレヴィーテは物心つく頃には世界に存在するあまたの精霊達が見えていた。精霊達は友好的で、私の事を気にかけて時には励まし時には一緒に遊んでくれた。 だからこそ、唯一の家族である母親が早朝から夜中まで働いていた為に独りで過ごす時間が長くても我慢出来た。 一度だけ、幼かった私は母親に精霊達を精霊と知らぬまま「可愛いお友達がいる」と話した事があった。飴細工かステンドグラスのような繊細で美しい羽を持っていて、私の周りをふわふわと飛んでまとわりつき皆が笑顔をたたえて話しかけてくれる。妖精達は世界のあらゆる事を知っていて、天候や大地からの恵みについても詳しかった。 けれど母親は、精霊について二度と口にしてはならないと私をきつく戒めた。それは懇願のような戒めだった。母親は、どうしてか悲しみと苦悩で顔を歪ませていた。 私を愛してくれる家族は母親だけだ。私は母親を悲しませた自分の発言を悔やんだ。そして、精霊達との交流は秘密にして誰にも──二度と口にしないと誓った。 それから何年経っただろう? 「ミモレヴィーテ、雨がやんだら町の橋に行きましょうよ」 「橋に? そこに何かあるの?」 水の精霊が私の耳もとを飛び、じゃれつくように囁きかける。私は内職の手を休めて訊ねた。精霊が心なしか胸を張る。 「綺麗なものが見えるわ。虹よ。それもね、空に端っこから端っこまで掛かって鮮やかな七色なの」 「それは素敵だわ。虹だなんて滅多に見られないもの、ぜひ見たいわ。この雨はいつやむかしら?」 「あと一時間もしないで上がるのよ。ね、ミモレヴィーテ、こんな薄暗いお部屋で手仕事ばかりしていないで綺麗なものを見ましょうよ」 「そうね……ええ、一緒に行きましょう」 「やった!」 精霊がはしゃいだ声を上げて私の周りを飛び回る。それにつられてか、他の精霊達も私に集まってきた。可愛らしいパステルカラーの精霊達がいると、殺風景な家の中が一気に華やぐ。 「皆、一緒に見に行きましょうか。虹は綺麗だもの、皆の栄養になるわ」 「本当に、ミモレヴィーテ?」 「皆で遊びに行けるの?」 「ええ。──でも、外では私に話しかけたら駄目よ?」 普通の人には精霊達が見えない。人前で精霊達と会話などしたら、独り言を言い続ける不審者になってしまう。あの家の娘は、ついに気がふれたと後ろ指をさされたら大変だ。 「うん、約束!」 「良い子ね。内職のお金が入ったら、少しだけれどクッキーを買ってあげる。皆で食べましょうね」 「やった、クッキー! ミモレヴィーテ大好き!」 「私も皆が大好きよ」 微笑んで、手を休めていた内職を再開する。雨がやむまでに一段落つくだろう。 ──この時、私はまだ何も知らなかった。 精霊達の事が見えて、親しめる力が何を意味するのか。 幼かった頃から数年を経たといっても、まだ13歳の少女だ。自分の生きる小さな部屋と母親、そして暮らす下町。それが世界の全てだった。世間を知らない私は、学べる知識も機会もなかった。 だから、虹を見に行った時──あんな事になってしまったのだ。母親との約束を破って。 「ミモレヴィーテ、早く早く!」 精霊達に導かれながら橋のたもとに向かって歩いてゆく。下町は今日も賑やかだ。この下町がある領地は税が他所より軽く、住みやすいために、暮らしの安寧を求めて移住してくる民もいた。もっとも、手に職がなければ働けないので、移民にとってそう甘い土地ではないのだけれど。 しかし、それにしても人が多い。いつもならば、こんなにもお祭りのように人がごった返す事などないのに、なぜだろうか。 周りを見ると、皆が皆、何やら晴れやかに笑っている。至るところで交わされるお喋りも声が浮き立っていて楽しそうだ。私は気になって耳をすませた。 「……ありがたいねえ、こんな田舎にまで聖女様がお越し下さるだなんて」 「救済院で癒しを行なって下さるそうだよ、うちの旦那も頼めるかねえ」 「働きすぎで腰と膝を傷めたんだっけ。聖女様なら、きっと治して下さるよ」 「ああ、ありがたい。雨もやんだし、早くお姿を拝見したいもんだよ」 「まったくだねえ。女神様みたいにお美しいって話じゃないか。楽しみだね」 「……聖女様……?」 ぽつりと、ほんの小さな声で独りごちる。噂になら聞いた事がある。何でも、不思議な力を用いて病や傷を癒せるだけでなく、国を護る祈りは天候まで操れて格段の力を持っているとか。 そんなにも素晴らしいお方がお見えになるなんて、精霊に誘われて町に出てきて良かった。もしかしたら、馬車に乗っておられるお姿を少しでも拝めるかもしれない。聖女様というくらいなのだから、どれほど神々しく清らかな美貌のお方だろう。 ──そう思っていると、精霊達が急かすように私の背中を押してきた。物理的な力はかからないから押されても転ぶ事はないけれど、はっとして虹の事を思い出す。早く行かなければ、せっかくの虹も消えてしまう。 私は歩く速度を上げて噂話から離れた。 そうして橋のたもとに着くと、ちょうど鮮やかな虹が空に掛かっていた。雨上がりの青空に映えて、おとぎ話の世界みたいだ。下町の子ども達も集まり、口々に綺麗だと歓声を上げている。自然の美しいものを好む精霊達も嬉しそうだった。代わるがわる私に抱きつき、頬に祝福のようなくちづけをしてくれる。 ──お母さんとも一緒に見たかったな……。 ふと、働きづめの母親を思う。 母親は、お腹に私を宿して下町に住むようになったらしい。理由は分からない。けれど、貧しいながらも女手ひとつで私を育てられるくらい働けるのだから、移民に甘くない町でも暮らしを始められただけの力が母親の生家にはあったのかもしれない。 そんな事を考えながら虹を見上げていると、何かの先触れの声が聞こえてきた。声のする方を見やると、きらきらした立派な馬車が多くの従者を連れて近づいてくる。町の皆が声に従って道を開けていた。 白い馬車には汚れひとつなく、繋がれた馬も毛艶や体格から相当高価な馬だと一目で分かる。もしかしたら、この馬車に乗っているのは聖女様だろうか。だとすれば町の皆の反応も、馬車の素晴らしさも納得がいく。 私も馬車の進行を妨げない場所に立ち、夢のような馬車に見惚れる。──と、私に寄り添っていた精霊達のうちの光の精霊が不意に私から離れた。精霊は、あろう事か馬車の中に入っていった。 内心で焦っていると、すぐそこまで近づいてきた馬車が私の間近に止まり、従者の一人が仰々しく馬車の扉を開く。驚きのあまり固まっていると、純白のドレスを身にまとった女性が馬車から優雅に降りてきた。辺りは一斉にどよめいて、「聖女様だ!」と叫ぶ大人の声で、女性が本当に聖女様なのだと分かった。それに、見つめてみていると、まばゆい金色の粒が女性を包んでいるのが見て取れる。まさに女神様みたいだ。生身の人間とは思えない気高さに、私は呆然とした。 「──あなた、名は?」 「えっ……」 聖女様は真っ直ぐ私の目の前に歩んで来られて、迷いなくお声をかけてきた。馬車に入っていった光の精霊が嬉しそうに私のもとへ戻ってくる。なぜだろう、他の精霊達も気持ちを昂らせているのが気配で伝わる。 とにかく、疑問は後回しにして聖女様にお答えしなくては失礼極まりない。私は声を震わせながら「ミモレヴィーテと申します」とかろうじて返事をした。 聖女様は目を細めて私を見つめ、細められた目からは感情の色が分からない。読めないというより、瞳が瞼に隠れて見えないのだ。それが私を更に縮こまらせ、心臓を激しく脈動させた。 立っているのも難しい程の緊張感。周りの人々も、聖女様に驚き見入っている。 「そう、ミモレヴィーテ……可憐な名ね。覚えておくわ。あなたとは、またいつか会うでしょう──精霊の愛し子さん」 「──!」 雷に打たれたとしたら、きっとこのような衝撃なのだろうか。畏怖、恐怖、驚愕。言葉では言い尽くせない。聖女様の考えも想像がつかない。どうして、なぜ、何が起きているのか──頭は混乱しきっていた。 しかし、聖女様はご満足なさったらしい。「ではね、ミモレヴィーテ」と優しそうなお声で告げて身を翻し、美しい所作で馬車へと戻っていかれた。残された私は、立ち尽くすしか出来なかった。 ……聖女様には、精霊達が見えておいでなのか? ようやく、そう考える。 空に掛かっていた虹は、いつの間にか消えていた。空がやたらと青い。日射しは聖女様のように眩しい。人々は遠巻きに私を眺め、ひそひそと怪訝そうに話している。 それにいたたまれなくなった時、いつも親切にしてくれる近所のおばさんが、まろぶように走って来て私にしがみついた。息を切らせて、それでも張りのある声で悲鳴に近い声音で叫ぶ。 「──ミモレ、あんた大変だよ! あんたの母親が侯爵様の馬車に轢かれて……!」 「──お母さんが?!」 現実味を感じさせなかった時間から、一気に真っ暗な現実に引き戻される。あまりにも残酷に。 ……この時から、私の運命が回り始めた。神が回したぜんまいがキリキリと歯車を動かし、その仕掛けに立たされた私は運命を舞うしかなくなったのだ。くるくると、くるくると。双子に対するお父様の溺愛は半端なものではなかった。乳母の他に赤ちゃんに慣れた専属メイドを雇い入れ、本邸のお父様とお母さんの部屋の隣に赤ちゃん専用のお部屋まで整えさせた。名前はお父様が考え、男の子にはガレスと、女の子には二二アンと名づけられた。早産だったにもかかわらず二人の生育は順調で、お父様が喜ばれるのでお屋敷では使用人にさえ笑顔が増えた。ガネーシャ様もブリジット様も、私相手になら皮肉や嫌味も言えようが、まだ何も分からない非力な赤ちゃんには手の出しようもない。表向きには赤ちゃんを新たな弟妹として歓迎し、お父様の意向に従っていた。そこで溜まる鬱憤は私へと向かうのも仕方ないかもしれない。我が子を生んでくれたお母さんを、お父様が殊更大事にするようになった事も相まって、ガネーシャ様もブリジット様も私にちくちくと尖った言葉を放ってくるのがエスカレートしていた。しかし、お父様にとって私は利用価値ある、次の代の聖女候補として揺るがないものを持っている。それは、ある夜の晩餐でも明らかにされた。お父様が、回復してきたお母さんを交えて久しぶりに全員揃った晩餐で私に言ったのだ。「ミモレヴィーテ、当代の聖女様もお年を召してお力の衰えが見えてきた。お前を次の代の聖女として陛下もお認めの意向を示されておられる。そこで、貴族向けの新聞にお前が紹介される事となった。広く知れ渡る事になるのだから、心を新たに一層励みなさい」精霊達との得がたい契約を交わしているとはいえ、私は17歳のデビュタントもまだ先の、14歳にしかならない子供だ。それが、貴族に向けて──ひいては国に次の聖女として認識されるようになる?私は臆したが、聖女様からの教えも受けている身だ。いずれ避けられない道でもあったのだろう。「……はい、お父様。聖女様からも努めて学ぶように致します」従順に答える私に、お父様は満足げに頷いた。ガネーシャ様とブリジット様はにこやかに祝う素振りで私の出自を元に嫌味を言うのを忘れない。「ミモレヴィーテは、既に貴族により統治される事で生きられた平民ではないからな。より貴族らしく、気高く民に分け与える事も覚えるべきだろう」「そうですわね、ミモレヴィーテお姉様もガラント侯爵家の令嬢として恥ずかしくない振る舞いを更に身につけるべきですわ。いまだに己の専属メイドへ丁寧語でお話しだとか。上に立つ者とし
──月日が経つのは早いもので、聖女様がお住まいになられる皇城内部の神聖宮で、お茶会にお呼ばれしてお話しするようになって、もう数か月が経った。初めのうちこそ縮こまって聖女様のお話しする事を聞き、忘れる事のないようにとばかり考えて余裕もなかったけれど、聖女様がとても柔和に接して下さるので、緊張は堅苦しさを解いてゆくようになった。お茶会の場は神聖宮のお庭か応接室で、今日はお天気が良いからとお庭で開かれている。応接室はどことなく閉塞感があるので、開放的なお庭でのお茶会はありがたかった。芝生は青々として艶があり、植栽も様々な草木や花が調和を成すように計算されていて上品でありながら落ち着く空気を醸し出している。「ミモレヴィーテ様、聖女という者は求められれば、どこにでも赴きます。──たとえ戦地であっても」「戦地にも……危険な場所ですよね?」私はそこを想像してみた。飛び交う怒号、流れる血、生命の奪い合い──戦争を知らない私にとって、それは漠然としていて、ただ戦争というものは恐ろしくて多くの犠牲を伴うとしか分からなかった。「私は精霊様達によって護られますので護衛は必要ございませんのよ。野戦病院にて運ばれてくる方々の癒しに集中するのみでしたわ……あれは、まだミモレヴィーテ様がお生まれになる前の戦でしたわね。今でこそ平定されて、国は平和を享受しておりますが」「そうなのですね……」「例えば上級精霊様達ならば、空間を丸ごと固定して、その場にいる全ての人を癒せますわ。それ程のお力をお持ちなのですよ」「……凄いです……」聖女様とお話ししていると、常に自分が精霊達によって恵まれていると思わせられる。そこに押しつけがましさはなく、むしろ聖女様からの憧憬を感じていた。「──さて、本日はここまでに致しましょうか。日が暮れるまでにご帰宅なされないとミモレヴィーテ様の父君様がご心配されますもの。父君様には、血の繋がりこそございませんけれど……大切にして頂けておりますか?」「……はい、それは……不思議な程大切にされております。私が精霊さん達と自由に集えるようにお庭まで整えて下さって……その上お部屋も別棟で一番広いお部屋を使えるように調度を揃えて下さったのです」「それは良かったですわ。そう言えば、母君様もそろそろ産み月でしたわね。お身体は健やかに保てておられますか?」「はい、初めは悪
しばらく馬車に乗っていると、見える景色が街並みから一転して、そびえ立つ城壁の続く道になった。これ程高さのある頑丈そうな壁を、どうやって建てたのだろうと思っているうちに、城門へと向かい検閲を受けて許可がおり、内部へと進められる。皇城はあまりにも広大で、侯爵家のお屋敷を初めて見た時でさえ大きさに驚いたものだったが、その比ではない。しかも舗装された道の石畳、両脇に植えられた色とりどりの植物、全てが入念に手入れされていると素人目にも分かる。そこを進むと、宮殿の入り口付近に馬車は止まった。ここからは降りて歩いてゆく事になるらしい。宮殿もまた見事に磨き上げられていて、例えば侯爵家のお屋敷が豪奢と言うならば、お城はまさに荘厳と言うにふさわしい。何気なく飾られている装飾品ひとつをとっても重々しく歴史を感じさせる。華美に走らずして、ここまで美しく仕上げられる皇城の差配に私は半ばぽかんとしながら案内の者に従って歩を進めた。もっとも、かしこまりはしても圧倒されて恐れるような事はなかった。精霊達が傍にいてくれているのが気配から伝わってくるので、私はそれを心強く思いながら毅然と歩けていた。ほんの数か月前までは荒ら屋ばかりの下町に馴染んでいたのに、まさか皇城の中を歩く日が来るとは、本当に人の運命は分からない。長い廊下を歩み、重厚な扉の前に立つ。案内の者が「こちらで国王陛下と皇后陛下がお待ちです」と告げた。騎士なのか衛兵なのか、四人がかりで扉が開かれる。広間の先に階段があり、その頂に玉座が見えた。「──そなたが話に聞いた者か。近う来るがよい」「……はい」国王陛下が厳かにお言葉を下さる。促されて私は頷き、静々と足音をたてないように歩いて広間に入って、玉座に向かって練習を重ねたカーテシーをし、口上を述べる。相手は王様とお后様だ、緊張するなという方が無理だが、それでも今まで練習でしてきたどんなお辞儀よりも無理なく出来たカーテシーに勢いを貰えた。「この国の輝ける太陽である国王陛下と、寄り添う満月である皇后陛下に、初めてお目にかかりご挨拶申し上げます。ガラント侯爵家が長女、ガラント・ミモレヴィーテと申します」「よろしい、面を上げよ」「はい」「……ふむ」そっと顔を上げると、国王陛下と皇后陛下が私の何かを意味深な眼差しで見つめてきた。気がつけば、皇后陛下の斜め後ろには下町でお声をか
……そして、深く沈む夜の眠りの果てに、私の世界は急にひらけた。温度のないクリームのような世界に立ち尽くし、辺りを見渡す。私は眠りに就いた時のまま、シュミーズドレスを着ていて、胸許にはショーターから貰ったペンダントが輝いていた。そのペンダントが熱い。波及するかの如く、全身を巡る血が熱くなる。私は自身を放熱させ、遠くから誰かが呼ばうのを感じてとり、熱に浮かされながら叫んだ。「──私を呼ばう者よ、来たれ。私はここにいる!」普段からは考えられない自分の言葉遣いだった。なのに、するりと口をついて飛び出した。声は波を起こし、不可思議な世界の向こうに何かを見た──次の瞬間には、目の前に「彼ら」が立っていた。彼らは六人の異形だった。アポロデス様の至高の美しさにこそ及ばないものの、六人の誰もがはっと息を呑む程に神々しい美しさで、羽の色や形から天使ではなく精霊達だと分かる。圧倒される存在感があり、だけど私は心の奥で昂陽していた。一人が「精霊王様のお導きにより、アーティファクトとミモレヴィーテ様のお力が馴染んだ今宵に馳せ参じました」と告げた。「アーティファクト……?」「そちらのペンダントでございます。贈り主はそれと気づいてはおりませんでしたが……これは、精霊との親和力が抜きん出て優れた方にしか有効には使えない品でございます。──申し遅れました、私は光の上級精霊、白銀の光と申します」名前の通り銀色に輝く光の粒子をまとう、白銀の光と名乗った精霊の言葉を皮切りに、他の精霊達も続けて名乗り始めた。「私は闇の上級精霊、漆黒の夜と申します」漆黒の夜は、新月の夜のような闇色の髪に瞳、まとう粒子も鈍色に光っている。状況が把握出来ないままに、精霊達が次々と口を開いてゆく。「私は風の上級精霊、空を護る者でございます」澄んだ青空を思わせる清々しいような美貌の精霊が、淡い雲みたいな粒子を、己の身に寄り添う風に任せながら、そう名乗った。「私は地の上級精霊、大地を統べる者でございます」空想上の精霊樹を連想させる雰囲気の、新緑色に光る粒子を放つ精霊が低めの重く落ち着いた声で名乗る。その声は重くとも心地よい。「私は水の上級精霊、生命を繋ぐ者でございます」透き通るような肌に、静かな湖を思わせる色が乗った精霊は名乗ると同時に、熱を帯びている私の頬をついと撫でてきた。ふっと、それまで暴れそうだ
「ミモレヴィーテ様、お身体が傾いていますわ、もう一度やり直してください」「は、はい……」カーテシーは、目上の相手に対して行なうお辞儀で、片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、何より背筋は伸ばしたまま挨拶をするのが身体のバランスを取りにくい。 両手でスカートの裾を軽くつまんで持ち上げながらともなると、履き慣れないヒールのある靴では重心が傾いてしまう。それでも言われた通りに何とかこなそうとすると、今度はミステラ夫人が「先ほどよりはよろしくなりましたし、ういういしいと思えば愛らしいですけれど、表情が必死すぎて固いですわ。もっと堂々と柔らかく」と注意してきた。「はい……」明日は国王陛下に謁見する。残された時間は僅かだ。これを会得しなければ、国王陛下に対して失礼にあたるし、何より子連れの後妻という微妙な立場のお母さんが陰口を言われてしまう。私はここ数日、ミステラ夫人のレッスンとガネーシャ様からのレッスンの後にも自室で練習するようにしていた。「そうですわよ、優雅に、たおやかに。──そろそろガネーシャお嬢様からの指南のお時間ですわね。少しだけ休憩なされて、ガネーシャお嬢様からも学ばれますよう」「はい、ありがとうございました」正直、疲れてはいる。それでも弱音は吐けない。 「ミモレヴィーテ様も、長い間下町で暮らしておいででしたのに習得がお早いですわ。よく頑張りましたわね」私の気持ちを察したらしいミステラ夫人が優しく言葉をかけて下さる。少し癒される思いだ。「ミモレヴィーテ様、お茶をお運び致しました。こちらを頂いて休まれてからガネーシャお嬢様の元へ行かれますよう。お紅茶にはお砂糖を多めに入れて下さいませ、ミモレヴィーテ様お好きでございますわよね?」マルタがお茶の道具等を運んで来てくれる。軽いお菓子まで一緒に用意してくれていた。「──さ、私は退室致しますので、おくつろぎ下さい。長い時間立ったままでお疲れでしょう」「いえ、ミステラ夫人様には本当にありがとうございました」ミステラ夫人が部屋から出てゆき、私はようやくソファーに腰をおろして足をさする。その間にも、マルタが手際よくカップに鮮やかな色味の紅茶をそそいでくれて、「こちらは精霊様達とお召し上がりくださいませ」と言いながらお菓子もテーブルに並べてくれた。軽くつまめるように、どれも一口サイズの
* * *ガラント侯爵が、自分の娘は全ての属性の精霊と契約を結ぶ事を成しえたと陛下に奏上した──それは、陛下に仕える貴族達の間に波紋を呼んだ。しかも、その娘は契約を結ぶ前に精霊による治癒を二度も行なったという。陛下も今の聖女が四十路半ばという高齢からか、いたくご興味を示され、その娘は陛下との謁見を許された。血筋から言えば、ありえない。ウィルダム公爵はガラント侯爵が知らぬ聖女の血筋についても分かっていた。だからこそ、家臣にガラント侯爵が突如迎えた後妻とガラント侯爵の娘達について調べるよう命じたのだ。都の街では祭りが開催されており、ウィルダム公爵の息子もお忍びで街に出てしまった。息子本人は秘密のつもりだろうが、家長に知らされない訳はない。これが街に出る最後だと話していたそうだから、仕方ないものだと思いながらも許す事にする。息子が最後と決めたのは、ウィルダム公爵を正式に継ぐ為の証を渡したからだと理解してやれない程には狭量ではない。──さて、息子の帰宅が先か、それとも報告書が上がってくるのが先か。執務室でコーヒーを一口含み、息をつく。今日片付けるべき書類は既に目を通し終えている。と、ドアをノックする音が来たるべき知らせを告げた。この音の出し方は執事長のホールズだろう。ウィルダム公爵は「入りなさい」と許しを与えた。静かにドアが開き、すっと洗練された挙措でホールズが入室して来た。手には纏められた紙の束が抱えられていた。厚みはなく、おそらくは数枚の束だろう。「公爵様、お命じになられました調査につきまして、ご報告致します。──こちらをご覧下さいますよう」「ああ、ご苦労だった」丁重に差し出されたそれを受け取り、目を文字に走らせる。ああ、とウィルダム公爵は思った。──サリエル……。君は。報告書には、かつてアムース子爵家の令嬢だったサリエルがディマルテ男爵家との縁談を破棄されて子爵家から勘当され、その後に下町で私生児を生んで、その子供と二人で暮らしていたと記されていた。子供は女児で、幼い頃から時に不思議な様子を見せていたらしい。サリエルはガラント侯爵に見初められるまで下町の公衆食堂で酌婦として働いていたそうだったが、女児が13歳になった時にガラント侯爵の使う馬車がサリエルを轢いてしまい、結果サリエルは瀕死の重傷を負い、女児─
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