author-banner
安井優
安井優
Author

Novels by 安井優

薔薇と梔子

薔薇と梔子

 ――これは、先生を愛してしまった罰なのでしょうか?  婚約者がいるにも関わらず、家庭教師に恋をしている美羽。美羽のこの恋心には「とある秘密」が隠されていて……?  自由な夢と恋を追い求める少女の少し歪な純愛物語が今、花開く。  病弱な令嬢・高嶺美羽は長年、家庭教師の木梨司へ好意を寄せている。しかし、美羽には婚約者がいた。  美羽は先生への気持ちを隠し、看護婦になる夢を追いかけて勉学に励んでいるが、婚約者からは夢を諦めるように諭される日々。  夢と恋のどちらの自由も奪われている美羽は、ある日、看護婦になるためのチャンスを得る。  しかし、そのことがきっかけで美羽は自身の恋心に関わる「とある秘密」を知ってしまい……?
Read
Chapter: 第十四話 薔薇と心臓移植
 夜、学校の課題を済ませ、先生からいただいた論文の翻訳に取り掛かろうとしたところで、私はふと菜々ちゃんとの会話を思い出した。 自分の体の中に、他人の心臓がある。誰かからもらった心臓で、私は生きている。 こんな大切なことを、なぜ今まで私は一度も考えなかったのだろう。 いや、考えたことがないわけではない。心臓移植について、まだ幼い頃とはいえ簡単な説明はたしかに受けたはずだし、誰かに与えてもらった命だと意識もある。 けれど、そのことについて深く突き詰めたことはなかった。 例えば、誰の心臓なのか。相手はどうなってしまったのか。誰が手術をしてくれたのか。 そうした詳細な事実を聞いたこともなければ、聞こうと思ったこともなかった。「お母さまたちなら、わかるかしら」 私が当時聞いてもわからなかったことでも、大人たちは理解していたはずだ。私が自分では判断できない年齢だったから、両親のほうが事細かに説明も受けただろう。決して簡単な手術ではなかっただろうし、そうした危険性の高い手術には両親の同意が必要だ。 昨日、翻訳した論文にも書いてあった。治療を受ける本人も、その家族も、大切な患者だと。 私は自室を出て階段を下りる。居間を覗くと、お父さまがなにやら小難しい顔で新聞を読み、その隣でお母さまが裁縫をしていた。「お父さま、お母さま」「おお、珍しいな。どうしたんだい?」「お茶でも飲む?」「お茶は……、うん、頂戴します」「まあ、座りなさい」 お父さまに促され、二人が座っていた長椅子の前、一人用の椅
Last Updated: 2026-09-20
Chapter: 第十三話 薔薇と志望理由
 私が菜々ちゃんから相談を受けたのは翌日のことだった。 真剣な、けれどどこか後ろめたい様子を隠しもせずに菜々ちゃんが取り出したのは看護実習生の面接用の書類だ。「……ごめん。美羽にこんなことを頼むのは正直いけないことだってわかってるの。でも、他に頼れる人もいなくて」 面接用書類の空欄に目をやる。 ――志望理由。 菜々ちゃんは看護婦になりたいと真剣に思っているわけではない。将来、職業婦人になりたいというのが菜々ちゃんの目下の目標で、看護実習生はその将来の可能性を広げたり、検討するための第一歩なのだ。だからこそ、なにを書くべきか迷っているということだろう。正直に書けば落とされてしまうし、かと言って他によい理由など思いつかない。 菜々ちゃんは「本当にごめん」ともう一度頭を下げた。 菜々ちゃんのこういう真摯で誠実な態度が好きだ。竹を割ったように真っ直ぐで、けれど情を感じられる。大好きな親友だ。「私、菜々ちゃんのために役に立てることがあるならなんでもするわ」 私は膝にのせていた弁当箱を長椅子に避けて、菜々ちゃんの手を握った。本気でそう思っていることが菜々ちゃんに伝わりますようにと、願いを込めて。 菜々ちゃんはそれでもどこか申し訳なさそうに唇を噛んでいる。「菜々ちゃんの素敵な顔が台無しよ」「……悪いことをしてる気分だわ」「もう。どうしてそんなことを言うの。菜々ちゃんは立派よ。ちゃんと将来のことを考えて選んだんでしょう? それに、私が実習に参加できないのは、私の体のせいだもの。菜々ちゃんはなにも悪くないわ」「それは、そうかもしれないけど&
Last Updated: 2026-09-19
Chapter: 第十二話 薔薇と独学
 看護実習生の募集が締め切られ、結納の日取りが決まり、私の生活はあっけなく元通りに戻った。 応募を辞退したと言えば、菜々ちゃんは残念そうにしながらも理由までは追求してこなかったし、先生もそれは同じだった。 でも、やれることはある。看護実習生にならなくとも、看護婦になる道はいくらでもあるし、もともと、そんな好機が舞い込んでくるとすら思っていなかったのだ。今まで通り、先生との勉強に戻るだけ。「……できたわ」 私が万年筆を置くと、先生が小説を閉じた。 今日は西洋医学について英語で書かれた論文を翻訳する課題が与えられている。一か月かけて翻訳しようと先生が特別に持ってきてくださったものだ。蘭語との違いにてこずったが、五章のうち最初の一章はなんとか読み解けたように思う。 看護に関わる家族の心理状態をどのように保つか。一章ではまだそのさわりが書かれているだけだが、とても勉強になる。治療を受ける本人だけでなく、本人の家族にも理解や寄り添いが必要なのだという学びは、まさに自分の過去、幼少期を支えてくれた両親への感謝に直結した。「確認してくださる?」 先生は私の翻訳を受け取ると、素早く目を滑らせ、いくつかの翻訳の意味合いや言い回しに間違いがあることを見つけたようだ。赤を入れ、私のほうへ戻した。先生の綺麗な文字に惚れ惚れしながら解説を聞く。「この単語は専門用語なので、辞書にはなかったかもしれませんね。日本語では、衛生と言います。直前のメンタルと繋げて精神衛生。体だけではなく、心を侵す病もあります。心を健やかに保つこともまた重要だと説いているんです」「へえ……」 私がそれをもとに翻訳を直せば、先生は「完璧です」と微笑んだ。先日の外出も、見舞いの日の夢の話も、忘れたみたい
Last Updated: 2026-09-18
Chapter: 第十一話 薔薇と鳥かご
「みぃ、悪いけどその話は無しだ」 看護実習生募集用紙を丁寧に畳み、瑞希くんは背広の内側へしまった。募集用紙を私へ返すつもりは一切ないようだった。 本人は抑えているつもりだろうが、明らかにいつもより機嫌が悪い。それもそのはず。私が寝込んで心配をかけたところに、瑞希くんにとって看護実習生の話は喜べない話だっただろうから。久しぶりに会えたのに、とも思っていることだろう。 瑞希くんは私から視線を外しただけで、流れていく景色を見るでもなく目を閉じた。仕事も忙しく、疲れもあるのだろう。 ――だったら、無理に送迎なんかしなくてもいいのに。 意地の悪い考えが浮かんで、私は袴を握る。 瑞希くんは私を愛してくれているのだ。親が決めた政略結婚であるにも関わらず、私のことを想ってくださっている。 その気持ちに応えられていないのは、私のほうだ。 瑞希くんは深呼吸して、ゆっくりと口を開いた。だが、すぐには話し始めない。言葉を選んでいるのがわかる。私をできるかぎり傷つけまいとしてくださっている。「……みぃが」 瑞希くんは言って、もう一度ためらうように口を閉じる。閉じていた瞼が開かれ、沈丁花色の綺麗な瞳が私を捉えた。「みぃが、看護婦になりたいと思う気持ちは、俺も理解してる。どうして、そう思うのかも。でも……、世の中、どうにもならないこともあるだろう?」 瑞希くんはそっと私の肩に手を回し、そのまま私を引き寄せた。瑞希くんの肩に頭を預ける形になる。彼は、私の髪を丁寧に優しく撫でた。「決して自分の体が強くないのは、わかるよな」「……
Last Updated: 2026-09-17
Chapter: 第十話 薔薇と募集
 結局、私の体調が回復したのは三日後だった。 数日ぶりの女学校は相変わらず|姦《かしま》しく、その華やかな喧騒にいくらか心も晴れる。体操の授業は残念ながら参加できなかったが、それ以外の座学には無事に出席できた。 親友を待つ間、木陰に置かれた長椅子から陽の射す運動場を見つめる。水たまりと、先ほどまで学友が体操を行っていた跡がいくつか残っている。 夏へと向かう空は青く澄んでいて、気化熱で冷やされた空気を運ぶ風が気持ちよかった。「美羽!」 菜々ちゃんの溌剌とした声が聞こえる。「お待たせ」 袴姿で駆けてきた菜々ちゃんはさながら王子さまのごとく、軽やかに裾を翻して長椅子を飛び越える。そのまま見事、椅子へ腰かけた。「菜々ちゃんが相変わらず元気そうで良かったわ」「美羽は? もう大丈夫なの?」「おかげさまでね」 私たちは互いに持参したお弁当を膝の上に広げ、久しぶりの逢瀬を楽しむ。会っていない間におきた出来事を昼食のおかずにするように。 先に切り出したのは菜々ちゃんだ。ずっとこの話がしたかったのだとばかりに菜々ちゃんは私のほうへ体を寄せてニマニマと口元を歪めている。「それで? 先生とお出かけしたんでしょう? どうだった?」「それで、風邪を引いたのよ」「もう! そういうんじゃなくて! 辛いことばっかりってこともないでしょ?」「それは……」 思い出すと、菜々ちゃんにつられるように頬が緩んでしまう。当然、彼女がその変化を見逃してくれるはずもない。菜々
Last Updated: 2026-09-16
Chapter: 第九話 薔薇と夢
 昨日、先生との外出で熱に浮かされているような気分になっていたが、どうやら気のせいではなかったらしい。 小雨の降る朝、私は熱を出した。 心臓移植を受けてから十年。退院して五年。これでも元気になったほうだが、虚弱な体質は変わらない。 無茶をしたつもりはなかったが、慣れない人ごみに疲れたのかもしれない。「これじゃ、本も読めないわね」 喉が引きつって声が掠れた。寝台の脇に置かれた袖机へ手を伸ばす。水差しから水をグラスに注いで飲むと少しばかり気が晴れた。とはいえ、倦怠感のせいか体は重く、この程度の動作ですら胸が痛むほど鼓動を速める。 窓を叩く雨音を聞く以外にできることもなく、私は目を閉じる。昨夜はあまりうまく眠れなかった。発熱で体力も奪われているらしい。呼吸が落ち着くと、簡単に睡魔が襲ってくる。 ――私は、夢を見た。 私は古い家の縁側に青年と腰かけている。庭には満開の白い梔子。私たちは、それを眺めるのが好きだった。 風に吹かれてふわふわと揺れる花弁を見て、青年が笑った気配がする。「見て。雪みたいだよ」「雪?」「白くて、綺麗で、冷たい氷の雨なんだって。いつか一緒に見てみたいね」「うん!」 風が止むと私は花を愛でることに飽きて、お茶請けのあんこ玉を頬張った。 夢中になっていると、隣に座る少年が「僕のぶんも食べていいよ」と私にお菓子を差し出してくれる。 彼の顔は逆光のせいでよく見えない。が、私はその顔をよく知っていると思う。私の頭を撫でる優しい手つきも。 梔子の香りと
Last Updated: 2026-09-15
サムシング・フォー ~花嫁に贈る四つの宝物~

サムシング・フォー ~花嫁に贈る四つの宝物~

――探しものはお前だ、ミア・シファ。お前を俺の嫁にする。  砂漠に囲われた国、サラハ。そこで育った傍若無人な王子マリックはある日、旅商人のミアに一目惚れをする。  権力を使い、彼女を無理やりに連れ帰ったマリック。だが、聡明なミアはマリックの妻になる条件を持ち出した。  ミアが望むもの三つを手に入れてくれるのなら、花嫁になるというものである。  人の命と引き換えに採掘される宝石、水没した文明都市にある月、砂漠の中に潜む一粒の青い砂。  簡単には手に入れられない宝を所望されたマリック。  しかし、初恋の相手・ミアを易々と諦めることなどできるはずがない。  マリックは愛する彼女を花嫁にするため、宝を探すことを決意するが……!?
Read
Chapter: サムシング・フォー #4-4
 マリックがあらゆる公務に追われ、ミアが王太子妃としての教育に明け暮れている間に結婚式当日はやってきた。 昨晩から王宮の外で国民たちがお祭り騒ぎし楽しんでいる様子が窓から見えており、マリックはいよいよこの日が来たと朝からソワソワ落ち着かない。化粧やヘアセットに時間がかかるミアと違い、準備を早々に終えたマリックはミアの部屋の前をウロウロと何往復もしていた。背中に隠した手にはミアにサプライズするブルースターの花束。今朝がたマリックが早起きをして摘み、不器用ながらも精一杯にラッピングした。「ふぅ」 緊張をごまかすように息を吐くと、準備が終わったのかガチャンと内側から扉が開かれた。ビクリとマリックは姿勢を正す。 顔を出したのはミアの側付きの侍女だ。侍女はマリックの姿を見つけると幸せそうな笑みをますます深めて「あらあら、まあまあ」と口元に手を当てた。だらしなく緩む頬を隠すためであろうが全身に漏れている。「ミアさま、マリックさまがお待ちです」 急かすというよりもマリックを招き入れてもいいかと確認するような口調だ。呼びかけに部屋の奥から「はい」とミアの承諾を含む返事が聞こえる。「入るぞ」 念のため声をかけ、マリックは侍女が開けてくれていた扉からそっと中を覗いた。こんな時くらい堂々としていればよいのに、待たされた時間に比例して緊張が増し体がうまく動かない。震える手で扉を押し開けて体を隙間にねじ込み、マリックは息を呑む。――綺麗だ。 パールホワイトをベースとして金をあしらったウェディングドレスに身を包み、ところどころにマリックが贈った青色のアクセサリーが煌めく。もとより陶磁器のように美しい肌によくマッチした色合いの衣装と装飾品はまさにミアのためだけに作られたもの。彼女の薄桃色の髪は綺麗に結われてシルエット全体に華やかさを与え、アメジストの双眸が一
Last Updated: 2026-01-05
Chapter: サムシング・フォー #4-3
 青色のものと言われて人は何を思い浮かべるだろうか。 空や海といった手に入らぬものから宝石やドレスに靴、ティーカップや皿、絨毯に毛布、文房具まで。 ミアと約束をしてから一週間後、マリックのもとにはサラハ国内に五万とある青いものが集められた。もちろん手に入らぬものは置かれていないが、それにしてもどこを見ても青、青、青……。見ているうちにだんだんと夢か現実かもわからなくなるような圧巻の光景だ。 青色のものを集めてくれとしか頼まなかったマリックのせいでもあるが。「これは……、想像していた以上に大変だな」 マリックは腰に手を当てて届けられた品物をざっと眺める。 花嫁に身に着けさせるものとして、さすがに装飾品にはなり得ないだろうと思われるものは除外していく。大きな絨毯、象の置物、ガラス製の重石や食器、絵画。グラスはミアが持つものに選んでもよいかもしれないなと一時は保留して、しかし、後になってそれは間違いだったとやはり除外した。 当然と言えば当然であるが、残ったのはドレスやスカート、リボン、宝石、アクセサリー。その他にはスカーフやハンカチ、ヘッドドレスなど身に着けるものだった。それでも数千種類はある。一体どこからこんなに集めてきたのだろうかとマリックはそれらを手に取り眺めた。 そこからの選別作業は更に気が遠くなるようなものだった。似たようなデザインの中から、デザイナーとともにすでに用意されている服装やアクセサリーと合わせて違和感のないものを選んでいく必要があったし、品位を損なわないものであることも重要だった。偽物の宝石などは論外だ。宝石は鑑定士を呼びつけ真贋を見極めた。衣服や布類の生地や色味についてはデザイナーだけでなく実際に衣装を製作している職人にも良し悪しを判断してもらった。 ほとんど寝ずの作業が続き、三日が経ってようやく百
Last Updated: 2026-01-04
Chapter: サムシング・フォー #4-2
 結婚準備のひとつに衣装選びがある。 マリックとミアの結婚式では場面に合わせて朝と昼、夜の三回色直しが行われることとなった。 両親や親族、国政に関わる貴族たちへの挨拶にはフォーマルなものを。国民への声明発表時には華やかで伝統的なものを。外交関係にある諸外国の要人を招く晩餐会にはクラシックながらダンスや食事に備えてカジュアルなものを。ただし、どれもデザインは統一感のあるものにと決まった。採寸や試着は別々に行うため、実際の衣装のお披露目は当日まで互いに秘密だ。 が、王宮のデザイナーとの打ち合わせの最中、ひとつだけミアがあることを告げた。「これまでマリック王子が私のために集めてきてくださったものを装飾品として身につけたいのです」 彼女の要望にマリックもデザイナーも顔を見合わせる。先に返答したのはデザイナーだった。「それは名案です。おふたりの愛の象徴ですし、結婚までの美しいストーリーがお客様がたにお衣装を通して伝われば結婚式も盛り上がります」 なるほど。そんなことまでミアは考えているのかとマリックが感心すると、ミアは曖昧に微笑んだ。それは、やや的外れだがそういうことにしておこうと考えている時のミアの反応だ。初めて見る人には分からないため相手の気を悪くさせることはない。何度かそうしたミアの反応を見てきたマリックにだけ分かる表情と言える。 結局、衣装に関する打ち合わせはデザイナーの機嫌もよいままにつつがなく終わった。 デザイナーが去ってふたりきりになった部屋でマリックはミアに問う。「本当の理由はなんだったんだ?」 問われたミアはマリックの質問の意味を考えていたが、すぐ自身の告げたわがままに思い当たったらしい。ミアは照れくさそうにはにかんだ。嘘やいたずらがばれた子供みたいな笑い方がいじらしい。
Last Updated: 2026-01-03
Chapter: サムシング・フォー #4-1
 砂漠から戻ったマリックとミアはみなからあたたかく迎えられた。マリックが不在の間に仕事はいくつも溜まっていたが、旅の疲れもあるだろうとマリックにはしばらくの休暇が与えられた。 マリックは休暇を使って早速ミアを両親に紹介し正式に婚約を伝えた後、ミアを連れてサラハ国中を回った。ミアのことを今までいかに考えていなかったか、砂漠でマリックが感じた自身の情けなさを払拭するための自己満足に近い行為であったが、ミアは大層喜んだ。 旅商人であるミアはやはり自由に外を旅するほうが性に合っているらしい。目にするものすべてに興味と好奇心を抱く彼女は幸せに満ちていた。マリックもミアとの旅には満足感を覚えた。 婚約の契約を交わしてから三か月以上。ようやくふたりは本当のカップルのように日々を過ごすことができたのだった。 休暇最終日の夜。城へと戻ったマリックは不満を露わにする。「休暇とはなぜこうも短いんだ」 旅の心地よい疲れと控えた仕事への嫌悪感を全身で表現するかのようにマリックはだらしなくソファに寝そべった。ミアは旅行先で手に入れた品物をひとつひとつ手に取りながら諭すような口調で相槌をうつ。「楽しい時間というのはあっという間に感じるものですし、それだけよい休暇だったということなのでしょう」「それはそうだが……。仕事がなければもっと楽しめる」「私は働くことも楽しいと思いますけど」 ミアは窓の外、どこか遠くへと視線を投げた。商人の仕事を気に入っていた彼女から仕事を取り上げてしまったのはマリックだ。ミアは嫌味や皮肉を言ったつもりは一切ないだろう。だが、マリックにはミアの言葉が引っかかる。「……旅商人に戻りたいと思うか?」
Last Updated: 2026-01-02
Chapter: サムシング・フォー #3-8
 名前を呼ばれた少女が顔をあげる。前髪の隙間から夜の訪れを告げるアメジストがばっちりとマリックを捕えた。「ミア! 本当にミアなのか?」――どうしてこんなところに。信じられない。夢でも見ているのだろうか。 マリックが駆け寄ると少女はホッと安堵したように肩を下げた。そのやわらかな笑みはたしかにミアのものだ。 マリックはただ衝動のままにミアを抱き寄せた。ぎゅっと彼女の背に手を回せば、ミアもまた控えめにマリックの背に手を回す。マリックを労わるような優しい手つきで彼女は二度、三度とマリックの背を撫でた。「会いたかった」 マリックの心からの想いに応えるようにミアが腕の中でかすかにたじろいだ。背中に回っていた彼女の腕が離れ、決して強くはない力でマリックの胸元を押す。マリックはそれを合図に体を離した。名残惜しいがミアの嫌がることはしたくない。それに。離れたほうがミアの顔がよく見える。「どうしてここに」 マリックはようやくそこで疑問を口にした。ミアはまだ抱擁されたことへの恥じらいがあるのか俯いたまま小さな声で答える。「マリック王子がおひとりで残られていると従者の方がお話されているのをお聞きして」 いても立ってもいられなくなったとミアは付け足して苦笑する。「私のせいで、ごめんなさい」「いや。ミアのせいなど……! ただ俺がそうしたかっただけだ」 ミアの謝罪をかき消すように精一杯強がる。だが、マリックの態度を見てもミアは申し訳なさそうな顔を崩さない。本当に自分のことを責めているらしかった。 マリックはできるだけ丁寧な手つきで彼女の頭を撫で、絹のようにサ
Last Updated: 2026-01-01
Chapter: サムシング・フォー #3-7
 少女はニシシと子供っぽく笑うと、マリックを砂から立ち上がらせて「それにしても」とマリックの姿を上から下まで見つめる。「お兄さん、どうしてこんなところに? 王子さまじゃなかったの?」「俺は正真正銘サラハの第一王子、マリック・ル・サーラだ。お前こそ、俺に金を返すと言ったくせに一度も返しに来なかったではないか!」「それは誤解だってば! わたし、ちゃんとあの後王城へ行ったのよ。でも、王子さまはいないって言われて……で? なんであなたはひとりでこんなところにいるの?」「それは……っ……」 純粋な少女の問いに、マリックはどう応えようかと迷い口をつぐむ。 愛する女性のために青い砂を探しているなど、馬鹿げた話をどうして素直に言えようか。 逡巡していると少女のほうが先に口を開いた。「あ、もしかして。砂漠の夢を探してるのってあなたのこと?」「砂漠の夢?」「うん。不老不死を司る砂時計、そこに使われていた青色ジルコニアのことよ」 少女はもう一度自らの首に提げていた砂時計を持ち上げる。彼女の手の動きに合わせてガラス瓶の中の青い砂がキラキラと揺れた。「その話、知っているのか?」 砂漠の夢と呼ばれていることは知らなかったが、おそらくマリックが探しているものに違いない。興奮したマリックは思わず少女にすがるように飛びついていた。サラハに住む多くの女性ならばマリックの甘い顔が急に近づくだけで心臓を止めてしまうだろう。しかし、少女は彼の行動にも驚いた様子はなく、無垢な笑みを浮かべた。「そりゃ、もちろん。妖精た
Last Updated: 2025-12-31
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status