LOGIN井伊こより、26歳。通称・いいこちゃん。 嫌いな言葉は「真面目な奴ほど馬鹿を見る」。 かつて非情な実業家の祖父に売られ、信頼した婚約者・一条怜央に裏切られたこより。 すべてを失った彼女を救ったのは、中学時代の恩師・楓だった。 だが、その楓さえも怜央の手によって絶望の淵に追いやられていると知り、こよりは決意する。 「もう一度高校生をやり直して、楓先生を救う。そして、怜央に復讐する」 圧倒的な実力と人脈を備えた大人の主人公が、周囲の生徒や教師たちを巻き込んで元婚約者に対峙する、現代の勧善懲悪物語! いいこは怒らせると怖いですよ?
View More(俺は納得いかない) 授業を受けている間、俺は悶々としていた。原因はもちろん、今朝の静森のことである。 井伊サンの味方が増えることを否定しているわけじゃない。むしろいいことだ。 だが、いくら何でも特別扱いしすぎじゃないか? 静森の境遇なんて、言っては悪いがよくあることじゃないか。勢いのある部に押され、伝統を守ることに固執して対抗しきれず、交渉も上手くいかず、廃部の危機に陥った。 よくあることだ。 確かに、井伊サンが肩入れしたくなる人物像なのは、頭ではわかる。真面目で純粋、それなりにスキルもありそうだ。 だが、静森の境遇を特別視する理由にはならないんじゃないか。 ましてや、俺の意見を差し置いて、わざわざ静森専用の試験を課すなんて。 何だよ、井伊サンのスキャンダルを暴くって。んで何だよ、井伊サンのいいところを探して、その中で駄目なところがあったら報告するって。 井伊サンは現実主義者だ。最近は特にそう。 その井伊サンが、自分自身をネタにするなんて不合理だ。しかも、静森が日和った妥協案を提示したら、あっさりとそれを受け入れた。 俺にはそんなの言ったことないくせに。 いったい何を考えているのか……。 いや、井伊サンの考えていることは常に一貫している。 真面目に生きる者が損をする、そんな理不尽な世の中を変える。 井伊サンはそのために生きている。 静森のことだって、桜庭校長のことだって、その信念に沿っての行動だろう。 もしかして、井伊サンは静森と校長が似ていると思ったのか? だからあんなに肩入れするのか? 桜庭校長、姉貴、それからクソムカつくあの男、一条怜央。彼らが井伊サンにとって特別な人間なのは、まだいい。彼らは大人だから。 だが、高校生ってくくりでは、俺が唯一無二の存在じゃないのか。 ……何でここまでイラつくのか、実のところ自分でもわかっている。 悔しいのだ。 俺という特別な人間がいながら、井伊サンが他の奴に興味を持ったことが、しかもそれが同世代の女子だったことが、どうしようもなく悔しいのだ。理屈じゃなく、感情で。 静森が仮に男だったら、電車内でつかみかかっていたかもしれない。 そんなガキくささが自分で理解できるからこそ、苛
朝の通勤・通学ラッシュの時間帯、外の湿気が電車内にもかすかに入り込んでいる。 静森さんの首筋にうっすらと汗が滲んでいるのは、暑さだけが理由ではないだろう。 私から課題を突きつけられた彼女は、大いに戸惑っていた。 「な、何で井伊さん自身を……」 「嫌ですか」 「嫌というか、完全に予想外だったというか。そ、そもそも、こんな人がたくさんいる場所で、スキャンダルを調べろなんて大胆すぎる発言ですよ」 「見て」 視線を右に向ける。 龍慈君の姿に沸き立った女子生徒数人が、浮かれた声で盛り上がっていた。他の一般客は、彼女たちのよく通る笑い声に眉をひそめている。 「不快なものほど意識が向く。堂々としていれば、私たちの会話を気にする人はいませんよ。ましてや、一言一句記憶している人は皆無でしょう。静森先輩は違うかもしれませんが」 くすりと笑う。 私は再び、彼女の耳元に口を寄せた。 「新聞部の伝統、そしてあなたを閉め出したネットメディア部と、同じ事をする必要はないですよ」 「え?」 「むしろあなたには、彼らと違うところを見せてほしいのです。どんな状況であっても、どんな課題があっても、他人を蹴落とすなんて安易な真似に走らず、信念を貫き、真偽を追う姿を」 真面目に生きる者が損をする。その悔しさを知っている彼女だからこそ、理不尽な状況を乗り越えてほしい。乗り越える強さを身につけてほしい。 すると、静森さんは私をまっすぐに見た。いい目だと思った。 「スキャンダル収集、やっぱり私は抵抗があります」 (真面目な彼女なら、そう言うでしょうね。まあ、仕方ないでしょう) 私は内心で肩をすくめた。さすがに、いきなりは酷だったようだ。 まだ、彼女を巻き込むのは早いということか。 「そうよね。ごめんなさい、この話は忘れて――」 「でも!」 しかし、静森さんは意を決して言う。 「代わりに私、井伊さんのいいところを探して、その中で駄目なところがあったら報告します。それで、どうでしょうか!?」 ――甘い妥協案だと思った。 しかし、私は興味を持った。彼女の提案そのものより、彼女の姿勢に。 正直言うと、静森さんはこちらが押せば簡単に折れると思っていた。真面目な反面
「からかうのはやめていただけますか? 静森先輩」 乱れた髪をさりげなく整えながら、私は言った。少しだけ身体を傾け、警戒していることを示す。 すると、静森さんは握り拳を作って力説した。 「からかってなんていません。私、本当にすごいと思っているんです。26歳になって、もう一度高校で学び直そうなんて、並大抵の覚悟じゃできませんよ!」 静森さんが私の実年齢を知っているのは本当だった。 私はむしろ、彼女の言葉で警戒心を緩めた。 (もしかしたら、入学式の痴漢騒ぎも仕込みかと思ったけれど……どうやら思い違いのようね。怜央なら、こんなあっさり情報開示するような子をスパイにしたてようとは思わないもの) 彼は優秀だ。人の優劣を見抜く目を持っている。そして、とても冷酷だ。 スパイを丁寧に育てるなんて発想はない。 ましてや、口の軽い人間の起用などもってのほかだ。 静森さんの話は止まらない。 「普通と違う人生を堂々と歩む、その姿に憧れます。確かに学年では私の方が上級生ですが、井伊さんにため口で話すなんてできませんよ。私、痴漢から助けていただいた時から、井伊さんのファンなんです! だから、久我先輩も同じ井伊さんのファンなんだと思って、それで『同志!』と」 「まあ、それならわかる」 なぜか龍慈君がしみじみとうなずいた。 「だがな、静森。俺としては、井伊サンを守ると決めた以上、下手な人間を味方に引き入れるわけにはいかないんだ。俺たちはお前のことを知らなすぎる」 「龍慈君、あまり彼女に強く当たるものではないわ。ただ、私や龍慈君が彼女のことをよく知らないというのは、その通りね」 私は静森さんに向き直った。 「先輩。あなたのことを教えていただけますか。次の電車が来るまで、もう少し時間がありますから。まず、どうやって私の年齢を知ったのですか?」 「新聞部として、パソコンが苦手な顧問の先生に頼まれてメール整理をしているときです。偶然、イントラネットに井伊さんの扱いについて注意喚起するメールが届いたのを見てしまったんです」 「おいおい。生徒にメール整理って、セキュリティがガバガバじゃねえか。大丈夫なのか、その先生」 「あはは……ですよね。すぐに閉じたんですが、私、記憶力には自信があって。井伊さんの情報が頭に
――怜央の講演翌日。 この日の私は、朝から体調が芳しくなかった。 ベッドから身体を起こしたときから、嫌な予感がしていたのだ。「空が真っ黒。今日は雨かしら」 窓から空を見上げて、つぶやく。 昨日の天気予報では、降水確率は10パーセントだった。 春先の天気は変わりやすいという。今日がそういう日なのだろう。「どうせなら、朝から雨が降ってくれたほうが踏ん切りがついていいのだけれど」 私には、こういう曇天が雨よりも苦手な理由があった。 途端、ずきりと膝が痛んで、私はサポーターの上から膝をさすった。 真っ黒い雲、薄暗い視界、まとわりつくような重い空気。こういう日は、古傷が痛むのだ。 古傷――怜央に婚約破棄され、階段から突き落とされたときに負った傷だ。 あの日も、今日同様、重苦しい空模様だった。 身体が、当時を覚えているのだろう。 こういう日は、生理のとき以上に精神的に参る。 それでも、ここ数年は何とかやり過ごしてきたのだが。「昨日、色々あったせいかな。いつもより身体が重い」 だからといって引きこもるわけにはいかない。まだ新生活は始まったばかりなのだ。 せっかくクラスで注目を集める存在になったのだから、ここで下手に評判を落とすわけにはいかない。 体調が悪い中でどう動くか。そのスキルを身につけられたのは、ブラック企業で働いて得た数少ない成果だと思う。 幸い、熱はない。 ベースメイクをいつもより念入りにし、朝食も気持ち鉄分多めに摂って、私は自宅マンションを出た。 駅へと向かうと、入口で龍慈君が待っていた。珍しいこともあるものだ。彼は普段、自転車通学である。 私と顔を合わせると、彼は一瞬だけためらった後、私に声をかけてきた。「はよ、井伊サン」「おはよう、龍慈君。今日は嫌な天気ね。雨が降りそう」「井伊サン、昔からこういう日は苦手だったよな。今日もヤバい感じ?」「まあ、正直……ね」 私は力なく笑った。「龍慈君がいるなんて珍しいわね。今日は電車通学なんだ」「まあ、うん。井伊サンに早めに会っといたほうがいいと思って」「昨日のこと?」 ずばり聞くと、龍慈君は顎先を指でかいた。「昨日は、ごめん。俺、ちょっと先走ったかも」「そう」「いや、別に井伊サンに何かしようって思ったわけじゃないんだ。ただ、心配になってさ。一条怜央とのこと