Masuk井伊こより、26歳。通称・いいこちゃん。 嫌いな言葉は「真面目な奴ほど馬鹿を見る」。 かつて非情な実業家の祖父に売られ、信頼した婚約者・一条怜央に裏切られたこより。 すべてを失った彼女を救ったのは、中学時代の恩師・楓だった。 だが、その楓さえも怜央の手によって絶望の淵に追いやられていると知り、こよりは決意する。 「もう一度高校生をやり直して、楓先生を救う。そして、怜央に復讐する」 圧倒的な実力と人脈を備えた大人の主人公が、周囲の生徒や教師たちを巻き込んで元婚約者に対峙する、現代の勧善懲悪物語! いいこは怒らせると怖いですよ?
Lihat lebih banyak真面目な人間が損をする。
正直者が馬鹿を見る。 そんな世の中、私は大嫌いだ――と。「う、く……」
「ほらほら、『いいこちゃん』! 何か言ってごらんよ。いつもみたいに、さ!」 「あぅっ!」思いっきり頬を叩かれ、私は唇から血を流した。
全身ぼろぼろだ。殴られ、蹴られ、水をかけられ……眼鏡もフレームから折れてしまった。そんなに、あなたは私のことが気に入らないのか。私のことを認められないのか。
私はまだ高校1年生だけど、生徒会副会長としてやれることをやってきた。 決して日の当たる役割じゃなくても、それでも皆のために頑張ってきたつもりだ。なのに今、先輩の金髪女子を中心にした集団に、寄ってたかって暴行を受けている。
理由は――何となくわかっている。副会長として、彼女を何度か注意したのだ。
年上だからって関係ない。不良には、それ相応の態度で臨まなければいけないと私は考えていた。 私のこのスタイルを、仲間たちは「真面目だね」「さすが井伊さんだ」と評価してくれていた。その結果が、今だ。なんだこれ。
「なぁ、
両親を悪く言うな。
あの人たちは、ちょっと生きるのが不器用なだけなんだ。殴られて朦朧とする中、私はリーダー格の金髪女を睨んだ。彼女はにやりと笑う。
「そうそう、いいこちゃん。あんた今日で退学なんだって?」
「……それは」 「噂になってるよ。身内のじーさんに、借金のカタに売られるんだって? 今どきそんなのある? マジヤバいんだけど」がっ、と髪をつかまれた。
「つーわけで、あんたとも今日でお別れ。あたしらが企画したお別れ会、楽しかった? いいこちゃん、友達いなくてかわいそうだからね。今まで
金髪女が私の頬を軽く叩く。傷よりも胸の方が痛んだ。
「ああ、そうそう。あんたがいなくなって、ずいぶん風通しがよくなったって生徒会の奴が言ってたよ。面と向かって言いにくいから、代わりに言っといて、だってさ。あたしって『いい生徒』だよねぇ。そう思わない? いいこちゃん?」
痛すぎて、涙も出なかった。
その後、私は高校を退学した。模範的生徒が、あっという間に中卒だ。
笑うに笑えない。泣くに泣けない。そんな元気も湧かなかったからだ。だけど、本当の地獄はここからが始まりだった。
私の祖父は、いくつもの会社を手がける実業家で、資産家だった。祖父の家に引き取られた私は、表向き、何不自由のない生活を送った。
食生活は劇的に改善したし、着る服の値段は1着5桁を下回ることがなくなった。学生時代にはいっさい興味のなかった化粧も、すぐにプロ顔負けの技術を身につけるまでになった。それらはすべて、祖父が私を、一人前の『駒』として使うためだ。
――2年後。私は18歳になった。
「以上が、本社からの指示になります。退去は一両日中にお願いします」
「ま、待ってくれ。いくら何でも急すぎる! お願いだ、会長に繋いでくれ!」 「ダメです。規則ですので」 「……この、人でなしが!」私よりも二回りは年上の男性が、青筋を浮かべて私を怒鳴りつける。
高級スーツに身を包んだ私は、冷たく事務的な微笑みを浮かべて、ただ淡々と、真面目に職務を遂行する。祖父が用意した私の使い道――それは、関連企業の中で最も「闇が深い」と噂される会社のエージェントだった。
高校中退から約2年。その間、私は祖父から帝王学さながらの教育を受けた。そして成人すると同時に、この会社に押し込められたのだ。
私に拒否権はなかった。 真面目だけど生き方が下手な両親を、これ以上経済的に困窮させるわけにはいかなかった。地上げ、債権回収、スキャンダルの封じ込め、あるいは掘り起こし……。業務内容は多岐にわたりすぎて、とてもまとめられない。
だが、あえてひと言で表現するならば、『他者を絶望に叩き落とす仕事』であった。私の愚直なまでの真面目さが、情を斬り捨て、ひたすら後ろ暗い仕事に邁進することを可能にした。
地獄を突き進むことに向いていたのだ。 一生知りたくない適正だった。私はこの2年で、普通に学生をやっていたのでは決して知り得ない知識や幅広い人脈、そして度胸を手に入れることができた。
その代償として、私はアオハルという言葉にピンとこない女に成り下がってしまった。青い春? それより目の前の職員を青ざめさせることの方が得意よ。「私って、いったい何なの? 何のために生きてるの?」
誰もいなくなったオフィスで、私はこっそりと泣いた。思いを溜め込めば苦しいし、口に出せばもっと涙が出る。
おそらく、ひとり暗い室内にいても泣かなくなったら、私は終わりだと漠然と思っていた。「また泣いているのか」
「一条さん……」同僚に声をかけられ、私は慌てて身体を起こす。
デスクに、湯気の立つコップが置かれる。甘い香りがした。コーヒーが苦手な私のために、ピーチティーを淹れてくれたのだ。 私はカップを手に、同僚の男性を見上げる。 一条
彼はなぜか、よく私に話しかけてくれた。
怜央さんといると、私は不思議と心が安らいだ。 一番は、彼の『目』だ。優しさや真剣さの中に、暗い感情がかすかに混じっている。一見完璧な彼の濁り具合を見て、「ああ、この人も同じなんだ」と私は思うのだ。
理不尽への静かな怒りが、怜央さんを支えている。私と同じように。どうやら、一緒にいて安心できるのは怜央さんも同様だったらしい。
仕事中は氷のように冷徹な彼が、私の前では時々笑う。「ふっ……鬼の目にも涙だな。いいものが見れた」
こんな風に。
「いつか、一条さんの泣き顔も見てやります」と私が生意気な口を利くと、怜央さんはまた笑った。
「俺はお前が他人とは思えないよ。生意気な妹を通り越して、まるで鏡を見てるみたいだ」
「私だって、鬼畜な兄を通り越して、頑固な自分自身を見ているみたいです。おあいこですよ。ほんと最悪」笑いながら私は言った。笑うと気持ちが楽になる。心に熱が戻ってくる。
私はカップに口を付けた。甘い物をちゃんと『甘い』と感じられたのは久しぶりだった。日々の地獄を生きる私にとって、怜央さんはわずかに差し込んだ陽の光だった。
怜央さんにとっての私も、そういう存在であった。 少なくとも、私はそう信じていた。(俺は納得いかない) 授業を受けている間、俺は悶々としていた。原因はもちろん、今朝の静森のことである。 井伊サンの味方が増えることを否定しているわけじゃない。むしろいいことだ。 だが、いくら何でも特別扱いしすぎじゃないか? 静森の境遇なんて、言っては悪いがよくあることじゃないか。勢いのある部に押され、伝統を守ることに固執して対抗しきれず、交渉も上手くいかず、廃部の危機に陥った。 よくあることだ。 確かに、井伊サンが肩入れしたくなる人物像なのは、頭ではわかる。真面目で純粋、それなりにスキルもありそうだ。 だが、静森の境遇を特別視する理由にはならないんじゃないか。 ましてや、俺の意見を差し置いて、わざわざ静森専用の試験を課すなんて。 何だよ、井伊サンのスキャンダルを暴くって。んで何だよ、井伊サンのいいところを探して、その中で駄目なところがあったら報告するって。 井伊サンは現実主義者だ。最近は特にそう。 その井伊サンが、自分自身をネタにするなんて不合理だ。しかも、静森が日和った妥協案を提示したら、あっさりとそれを受け入れた。 俺にはそんなの言ったことないくせに。 いったい何を考えているのか……。 いや、井伊サンの考えていることは常に一貫している。 真面目に生きる者が損をする、そんな理不尽な世の中を変える。 井伊サンはそのために生きている。 静森のことだって、桜庭校長のことだって、その信念に沿っての行動だろう。 もしかして、井伊サンは静森と校長が似ていると思ったのか? だからあんなに肩入れするのか? 桜庭校長、姉貴、それからクソムカつくあの男、一条怜央。彼らが井伊サンにとって特別な人間なのは、まだいい。彼らは大人だから。 だが、高校生ってくくりでは、俺が唯一無二の存在じゃないのか。 ……何でここまでイラつくのか、実のところ自分でもわかっている。 悔しいのだ。 俺という特別な人間がいながら、井伊サンが他の奴に興味を持ったことが、しかもそれが同世代の女子だったことが、どうしようもなく悔しいのだ。理屈じゃなく、感情で。 静森が仮に男だったら、電車内でつかみかかっていたかもしれない。 そんなガキくささが自分で理解できるからこそ、苛
朝の通勤・通学ラッシュの時間帯、外の湿気が電車内にもかすかに入り込んでいる。 静森さんの首筋にうっすらと汗が滲んでいるのは、暑さだけが理由ではないだろう。 私から課題を突きつけられた彼女は、大いに戸惑っていた。 「な、何で井伊さん自身を……」 「嫌ですか」 「嫌というか、完全に予想外だったというか。そ、そもそも、こんな人がたくさんいる場所で、スキャンダルを調べろなんて大胆すぎる発言ですよ」 「見て」 視線を右に向ける。 龍慈君の姿に沸き立った女子生徒数人が、浮かれた声で盛り上がっていた。他の一般客は、彼女たちのよく通る笑い声に眉をひそめている。 「不快なものほど意識が向く。堂々としていれば、私たちの会話を気にする人はいませんよ。ましてや、一言一句記憶している人は皆無でしょう。静森先輩は違うかもしれませんが」 くすりと笑う。 私は再び、彼女の耳元に口を寄せた。 「新聞部の伝統、そしてあなたを閉め出したネットメディア部と、同じ事をする必要はないですよ」 「え?」 「むしろあなたには、彼らと違うところを見せてほしいのです。どんな状況であっても、どんな課題があっても、他人を蹴落とすなんて安易な真似に走らず、信念を貫き、真偽を追う姿を」 真面目に生きる者が損をする。その悔しさを知っている彼女だからこそ、理不尽な状況を乗り越えてほしい。乗り越える強さを身につけてほしい。 すると、静森さんは私をまっすぐに見た。いい目だと思った。 「スキャンダル収集、やっぱり私は抵抗があります」 (真面目な彼女なら、そう言うでしょうね。まあ、仕方ないでしょう) 私は内心で肩をすくめた。さすがに、いきなりは酷だったようだ。 まだ、彼女を巻き込むのは早いということか。 「そうよね。ごめんなさい、この話は忘れて――」 「でも!」 しかし、静森さんは意を決して言う。 「代わりに私、井伊さんのいいところを探して、その中で駄目なところがあったら報告します。それで、どうでしょうか!?」 ――甘い妥協案だと思った。 しかし、私は興味を持った。彼女の提案そのものより、彼女の姿勢に。 正直言うと、静森さんはこちらが押せば簡単に折れると思っていた。真面目な反面
「からかうのはやめていただけますか? 静森先輩」 乱れた髪をさりげなく整えながら、私は言った。少しだけ身体を傾け、警戒していることを示す。 すると、静森さんは握り拳を作って力説した。 「からかってなんていません。私、本当にすごいと思っているんです。26歳になって、もう一度高校で学び直そうなんて、並大抵の覚悟じゃできませんよ!」 静森さんが私の実年齢を知っているのは本当だった。 私はむしろ、彼女の言葉で警戒心を緩めた。 (もしかしたら、入学式の痴漢騒ぎも仕込みかと思ったけれど……どうやら思い違いのようね。怜央なら、こんなあっさり情報開示するような子をスパイにしたてようとは思わないもの) 彼は優秀だ。人の優劣を見抜く目を持っている。そして、とても冷酷だ。 スパイを丁寧に育てるなんて発想はない。 ましてや、口の軽い人間の起用などもってのほかだ。 静森さんの話は止まらない。 「普通と違う人生を堂々と歩む、その姿に憧れます。確かに学年では私の方が上級生ですが、井伊さんにため口で話すなんてできませんよ。私、痴漢から助けていただいた時から、井伊さんのファンなんです! だから、久我先輩も同じ井伊さんのファンなんだと思って、それで『同志!』と」 「まあ、それならわかる」 なぜか龍慈君がしみじみとうなずいた。 「だがな、静森。俺としては、井伊サンを守ると決めた以上、下手な人間を味方に引き入れるわけにはいかないんだ。俺たちはお前のことを知らなすぎる」 「龍慈君、あまり彼女に強く当たるものではないわ。ただ、私や龍慈君が彼女のことをよく知らないというのは、その通りね」 私は静森さんに向き直った。 「先輩。あなたのことを教えていただけますか。次の電車が来るまで、もう少し時間がありますから。まず、どうやって私の年齢を知ったのですか?」 「新聞部として、パソコンが苦手な顧問の先生に頼まれてメール整理をしているときです。偶然、イントラネットに井伊さんの扱いについて注意喚起するメールが届いたのを見てしまったんです」 「おいおい。生徒にメール整理って、セキュリティがガバガバじゃねえか。大丈夫なのか、その先生」 「あはは……ですよね。すぐに閉じたんですが、私、記憶力には自信があって。井伊さんの情報が頭に
――怜央の講演翌日。 この日の私は、朝から体調が芳しくなかった。 ベッドから身体を起こしたときから、嫌な予感がしていたのだ。「空が真っ黒。今日は雨かしら」 窓から空を見上げて、つぶやく。 昨日の天気予報では、降水確率は10パーセントだった。 春先の天気は変わりやすいという。今日がそういう日なのだろう。「どうせなら、朝から雨が降ってくれたほうが踏ん切りがついていいのだけれど」 私には、こういう曇天が雨よりも苦手な理由があった。 途端、ずきりと膝が痛んで、私はサポーターの上から膝をさすった。 真っ黒い雲、薄暗い視界、まとわりつくような重い空気。こういう日は、古傷が痛むのだ。 古傷――怜央に婚約破棄され、階段から突き落とされたときに負った傷だ。 あの日も、今日同様、重苦しい空模様だった。 身体が、当時を覚えているのだろう。 こういう日は、生理のとき以上に精神的に参る。 それでも、ここ数年は何とかやり過ごしてきたのだが。「昨日、色々あったせいかな。いつもより身体が重い」 だからといって引きこもるわけにはいかない。まだ新生活は始まったばかりなのだ。 せっかくクラスで注目を集める存在になったのだから、ここで下手に評判を落とすわけにはいかない。 体調が悪い中でどう動くか。そのスキルを身につけられたのは、ブラック企業で働いて得た数少ない成果だと思う。 幸い、熱はない。 ベースメイクをいつもより念入りにし、朝食も気持ち鉄分多めに摂って、私は自宅マンションを出た。 駅へと向かうと、入口で龍慈君が待っていた。珍しいこともあるものだ。彼は普段、自転車通学である。 私と顔を合わせると、彼は一瞬だけためらった後、私に声をかけてきた。「はよ、井伊サン」「おはよう、龍慈君。今日は嫌な天気ね。雨が降りそう」「井伊サン、昔からこういう日は苦手だったよな。今日もヤバい感じ?」「まあ、正直……ね」 私は力なく笑った。「龍慈君がいるなんて珍しいわね。今日は電車通学なんだ」「まあ、うん。井伊サンに早めに会っといたほうがいいと思って」「昨日のこと?」 ずばり聞くと、龍慈君は顎先を指でかいた。「昨日は、ごめん。俺、ちょっと先走ったかも」「そう」「いや、別に井伊サンに何かしようって思ったわけじゃないんだ。ただ、心配になってさ。一条怜央とのこと





