Se connecter婚約発表のその日、 私は恋人と親友にすべてを奪われた。 三年付き合った恋人は、 私の成果で昇進しながら—— 隣に立っていたのは、私ではなく親友だった。 さらに私は、“関係を壊した側”として切り捨てられ、 地方の「あひるの支社」へと左遷される。 恋も、仕事も、居場所も失った。 ——けれど、それで終わりじゃない。 消されたはずの記録。 改ざんされたデータ。 そして、出張で東京に来ていた あひるの支社の代表・浅井拓真との出会い。 「それ、やっと気づいたんだ」 すべてを失った夜、私は“共犯者”を得る。 感情じゃない。 証拠で追い詰める。 奪われたのなら、取り返す。 これは、 会社と人生を懸けた復讐の物語。
Voir plus「おめでとうございます、お二人とも!」
拍手が、会議室に響いた。
——違う。
突然のことで、とても信じられなかった。
その言葉は、本来なら私に向けられるはずだった。
スクリーンに映るのは、婚約発表のスライド。
その中央に立っているのは——私の恋人と、親友だった。
「……どういう、こと?」
伊藤愛海《いとうまなみ》。
それが、私の名前だ。けれど今、この場でその名前を呼ぶ人はいない。
誰も、答えない。
代わりに向けられたのは、露骨な視線だった。
「お似合いすぎる……!」
「やっぱりこの二人だよね」 「最初からそうだと思ってた」祝福の声が、次々に上がる。
——その中心にいるのは、松村みゆ《まつむらみゆ》だった。
少し照れたように笑いながら、
それでも自然に皆の視線を受け止めている。ああ。
いつも通りだ。
彼女は、こういうお祝いの場が似合う。
大学時代、モデルの仕事で出会ったときもそうだった。
初対面なのに距離が近くて、
気づけば隣にいるような人だった。だからこそ当たり前のように距離を縮め、親友になっていた。
——信じていた。
「え、松村さんって、知らなかったの?」
「マジで?気づいてなかったんだ」 「ちょっと怖いんだけど……」笑いを含んだ声が、今度は私に向けられる。
「彼、ずっと二股だったらしいですよ」
——違う。
息が、詰まる。
「二股交際とわかりつつ、伊藤さんに隠されてた、って。松村さんが言ってましたよ。」
——隠していたのは事実。でも、まさか。2人が付き合ってるなんて、思ってもみなかった。
その瞬間、すべての視線が私に突き刺さった。
まるで、私が“悪者”であるかのように。指先が震えている。
スカートの裾を握りしめる。
そうしないと、立っていられない。——違う。
——そんなはず、ない。
頭の中で、同じ言葉が繰り返される。
なぜ、私がこんな目に。
ゆっくりと顔を上げる。
目が合った。
みゆと。
一瞬だけ。
——逸らされた。
まるで、最初から私なんていなかったみたいに。
その横で。
「憶測で話を広げるのはやめてください」
静かな声。
高山樹《たかやまいつき》だった。
助けてくれる。
一瞬、そう思った。
けれど。
「誤解があるようですが。私と伊藤さんの間に、個人的な関係はありません」
言い切った。
私を見ずに。
みゆの肩を引き寄せながら。
「噂になるくらい勘違いさせるような行動があったのなら、彼女にも非はあると思いますが」
——非。
その言葉で、すべてが決まった。
——あの人は、こんな顔で嘘をつく人じゃなかった。
「うわ、完全にヤバいやつじゃん。地味なのに意外すぎて。」
「思い込み激しいタイプか」笑い声が、広がる。
違う。
違う違う違う。
私は——
あの人の恋人だった。
そして。
あの人の仕事を、支えていた人間でもあった。
——2ヶ月前。
「結婚しよう」
そう言って、彼は私の手を握った。
「愛海がいたから、ここまで来れた」
「この昇進も、全部一緒に掴んだものだから」
そう言って、笑った。
私は、それを信じた。
彼の部署で、誰よりも働いた。
寝る時間を削って、
何度も資料を作り直して、 彼の判断が正しくなるように支え続けた。結果は出たし、会社は評価した。
——なのに。
今、この場で発表されているのは。
彼の昇進と。
彼の隣に立つ、“親友との婚約”だった。
私の名前は、どこにもない。
まるで、最初から存在していなかったかのように。
あのときの言葉が嘘だったのなら。
あの時間が全部、利用されていただけだったのなら。
私は——
何を信じていたの?
鍵を渡された日から、自然に。私と拓真は出発の準備をした。 早朝の羽田空港。まだ夜の名残を少しだけ残していた。高い天井。静かに響くアナウンス。行き交う人々の足音。大きなスーツケースを引く音が床を滑っていく。窓の外には何機もの飛行機が並び、その向こうの空はゆっくりと朝の色へ変わり始めていた。私は搭乗ゲート近くの椅子に座り、小さく息を吐く。手の中には搭乗券。足元にはスーツケース。そして隣には拓真がいる。それだけのことなのに、不思議な気持ちだった。少し前までの私は、こんな場所に座っている未来を想像できなかったから。婚約がなくなった日。すべてが終わったと思った。信じていたものが壊れて。積み上げてきた時間が消えて。頑張ってきた意味さえ分からなくなった。会社へ向かうだけで苦しかった朝もあった。未来を考えることが怖かった夜もあった。もう誰も好きになれないかもしれないと思ったこともある。あの頃の私は、自分がどこへ向かうのか分からなかった。だから今ここにいることが、少し不思議だった。「何考えてる」隣から低い声が落ちてくる。私は顔を上げた。拓真はペットボトルの水を片手に持ちながらこちらを見ていた。ラフなニットにジャケット。少し眠そうな顔。それなのに目元だけは柔らかい。会社では絶対に見せない表情だった。私は小さく笑う。「……不思議だなって思って」「何が」「こんな未来あると思ってなかったので」拓真は少しだけ黙った。それから窓の外へ視線を向ける。朝日に照らされた滑走路。ゆっくり動き始める飛行機。その景色を見ながら小さく笑った。「俺も」短い返事だった。でもそれが本音だと分かる。私たちはしばらく黙ったまま窓の外を見つめる。心地いい沈黙だった。何かを埋めるための会話はいらない。ただ隣にいるだけで安心できる。そんな関係になったことが、今でも少し信じられない。私はそっと肩を寄せた。すると拓真が何も言わず肩を抱く。自然だった。当たり前みたいに。気づけばその温度が私の帰る場所になっていた。アナウンスが流れる。ロサンゼルス行き搭乗開始の案内。周囲の人たちが立ち上がり始める。私は前を見た。これから両親に会う。拓真を紹介する。未来の話をする。少し緊張する。少し怖い。でも逃げたいとは思
夜のリビングには、食後の穏やかな空気が流れていた。ダイニングテーブルの上には、食べ終わったテイクアウトの容器がいくつか並んでいる。飲みかけのワイングラス。半分だけ残ったサラダ。シンクでは食洗機の低い音が響いていた。仕事帰りに一緒に食事をして、ソファで少し話をする。そんな時間が最近の当たり前になっている。少し前の私なら信じられなかった。誰かと過ごす日常が、こんなにも心地いいなんて。私はソファに座りながらスマホを眺めた。通知欄には母からのメッセージ。未読が三件並んでいる。思わず小さく息を吐いた。その様子に気づいたのか、キッチンから拓真の声が飛んでくる。「何」コーヒーを淹れながら振り返る。私はスマホを持ち上げた。「母です」「ん?」「最近全然連絡返さないから、いつLA来るのって」その瞬間、拓真が少し笑った。「圧強いな」「母なんで」私もつられて笑う。昔から変わらない。気になったらすぐ連絡してくるし、返事がないと追撃もしてくる。けれどその笑いは途中で少しだけ止まった。LA。両親。拓真。頭の中でその言葉が自然につながる。以前なら考えられなかった。未来を想像すると、不安の方が先に来ていたから。でも今は違う。気づけば、その未来の中に拓真がいる。それが当たり前になり始めている。拓真は二人分のコーヒーを持って戻ってきた。隣に腰を下ろす。肩が軽く触れる。その距離が自然だった。「行く?」不意に落ちてきた声に私は顔を上げる。「……え?」「LA」低く穏やかな声。まるで来月どこかへ旅行に行くかを相談するみたいな口調だった。私は少しだけ目を瞬く。「……いいんですか」「何が」「その……」言葉を探す。少しだけ緊張した。「私の両親に会うの」部屋が静かになる。拓真はしばらく何も言わなかった。それからゆっくり目を細める。「愛海が嫌じゃないなら」低い声。真っ直ぐだった。「ちゃんと挨拶したい」胸の奥が熱くなる。重すぎない。でも軽くもない。その言葉にはちゃんと未来があった。私は少し笑う。「……じゃあ、そのうち行きましょうか」拓真も笑った。安心したように。嬉しそうに。「うん」短い返事だった。でも、その一文字だけで十分だった。しばらく沈黙が落ちる。居心地の悪い沈黙じゃない。
夜のリビングは静かだった。テレビはついている。バラエティ番組らしい笑い声も流れている。けれど、二人ともほとんど見ていなかった。私は拓真の腕の中にいた。背中に回された腕。肩越しに伝わる体温。時折髪を撫でる指先。それだけで、不思議なくらい落ち着く。少し前までなら考えられなかった。誰かの腕の中で、こんなふうに安心する日が来るなんて。「今、めちゃくちゃ帰したくなくなった」耳元に落ちた声を思い出す。その言葉の余韻がまだ胸の奥に残っていた。私は小さく息を吐いた。すると頭の上から低い声が降ってくる。「愛海」「はい」拓真が少しだけ髪に顔を埋める。「今日、自分から帰りたくないって言った」どこか嬉しそうな声だった。私は思わず顔を熱くする。「……言いました」「うん」短い返事。でも、その一言だけで機嫌がいいのが分かる。少し前までの拓真なら、こんなことは隠していただろう。会社で見る彼はいつだって余裕があった。感情を見せない人だった。でも今は違う。私の前では驚くほど分かりやすい。「かなりやばい」「何がですか」そう聞くと、拓真が少し身体を離した。視線がぶつかる。近い。照明に照らされた瞳が柔らかく揺れている。「嬉しすぎる」真っ直ぐだった。飾りも冗談もない。ただの本音。その言葉に胸がぎゅっとなる。拓真は私の頬に手を添えた。親指がゆっくり肌を撫でる。優しいのに、妙に熱を持っている。私は無意識にその手へ頬を寄せた。すると拓真がふっと目を閉じる。まるで何かを耐えるみたいに。「……愛海」「え?」「最近、無自覚に煽るのやめて」思わず笑ってしまう。「煽ってません」「煽ってる」即答だった。その声が少し低い。私はまた笑う。すると拓真が腕を引き、私を引き寄せた。距離が縮まる。逃げられないほどじゃない。でも十分近い。「拓真」「ん?」「近いです」「知ってる」全然悪びれない。むしろ少し楽しそうだった。額にキスが落ちる。頬にも。鼻先にも。どれも優しくて、焦らすみたいにゆっくりだった。私は思わず目を閉じる。拓真が小さく笑った気配がした。「俺、ちゃんと待つって決めてるのに」「……」「愛海が近づいてくるから普通にしんどい」その声には困ったような響きが混じっていた。でも嫌そうじゃ
夜のリビングには、テレビの音が小さく流れていた。何の番組だったかは覚えていない。画面の中では誰かが話していて、時々笑い声も聞こえる。けれど私の意識はほとんどそちらへ向いていなかった。ソファの上で拓真の肩に身体を預ける。背中に回された腕。一定のリズムで髪を撫でる指先。その体温が心地よくて、気づけば肩の力が抜けていた。静かな時間だった。特別なことは何もしていない。出掛けるわけでもない。どこかへ行くわけでもない。ただ同じ部屋で過ごしているだけ。それなのに、不思議なくらい満たされていた。私はぼんやりと目を閉じる。すると頭の上から声が落ちてくる。「眠い?」低く穏やかな声。私は少し笑った。「……少しだけ」「寝る?」その言い方があまりにも自然で、思わず肩が揺れる。「拓真、最近甘やかしすぎです」すると隣から小さな笑い声が聞こえた。「今さら?」私は思わず顔を上げる。拓真はどこか楽しそうだった。「愛海、甘やかすとすぐ顔緩むから」「……」図星だった。悔しいけれど否定できない。拓真はそんな私を見て少しだけ目を細める。それから自然な仕草で頬にキスを落とした。触れるだけの軽いキス。けれどその優しさに胸が熱くなる。「……拓真」「ん?」「最近、幸せそうですよね」自分でも不思議な質問だった。でも聞いてみたくなった。すると拓真は少しだけ笑った。「幸せだから」迷いのない返事だった。当たり前のことを答えるみたいに。その声に嘘はなかった。私は胸の奥がじんわり熱くなるのを感じる。拓真は少し視線を落とした。「こういうの好きなんだよな」「……こういうの?」「普通の恋人みたいなやつ」少し照れたように笑う。「家具見たり」「送り迎えしたり」「くだらないことで嫉妬されたり」最後だけ少し意地悪そうだった。私は思わず睨む。でも拓真は全然気にしていない。むしろ楽しそうだった。「全部好き」静かな声だった。飾り気もない。でも本音だと分かる。私はその横顔を見つめる。樹との恋も幸せだった。大切にされていた。愛されていたと思う。けれど今振り返ると、私はどこか受け身だった。相手が決める未来に乗っていた。相手の手を取って進んでいた。自分で選んでいるつもりでも、どこかで流されていた。でも今は違う。拓真
夜。自宅の玄関を開けたはずなのに、しばらくその場から動けなかった。部屋の灯りもつけないまま、扉にもたれかかる。静かだった。冷蔵庫の小さな駆動音だけが聞こえる。なのに、胸の中だけが落ち着かない。スマホを取り出す。画面には、数分前に届いたメッセージ。【おやすみ】たったそれだけ。本当に、それだけだった。それなのに、何度もその文字を見てしまう。今日のことを思い出す。給湯室での会話。近すぎる距離。困ったように笑いながら、「最近、お前見ると近づきたくなる」そう言った顔。そして。「待つって言ったけど、正直きつい」そう打ち明けた時の表情。冗談みたいな口調だったのに。
月曜日の朝。あひるの支社は、いつも通り静かに週の始まりを迎えていた。コーヒーマシンの蒸気音。朝礼前の低い話し声。誰かが資料をめくる音。窓の外には、少しだけ白んだ冬の空が広がっている。何も変わらない月曜日。それなのに、私だけが平常心をどこかへ置いてきてしまったみたいだった。理由は分かっている。金曜日の夜。会社の前で待っていてくれたこと。何も聞かずに隣を歩いてくれたこと。「俺、かなりしつこいから」あの声が、まだ耳の奥に残っている。それに。帰り際。コートの袖を掴んだ私の手を、何も言わず包み込んだ指先。思い出すだけで胸の奥が静かに熱くなる。私は小さく息を吐いた。
金曜日の夜、時計の針が二十一時を少し回った頃。あひるの支社のフロアには、もうほとんど人が残っていなかった。昼間は絶えず誰かの声がしていたオフィスも、今は空調の低い音だけが静かに響いている。遠くの席で誰かが椅子を引く音がして、それもすぐに消えた。私は、ぼんやりとPC画面を見つめたまま、小さく息を吐いた。画面に映る数字。何度見ても、胸の奥が少し重くなる。ミスをした。致命的ではない。提出前だったし、浅井さんが最終確認で止めてくれたから。先方に影響も出ていない。誰にも責められていない。むしろ浅井さんは、驚くほどあっさりしていた。「次、気をつければいい」それだけだった。声も変
火曜日の昼休み。オフィスの空気から逃げるように、私は非常階段へ出た。重たい扉を閉めると、少しだけ冷たい風が頬を撫でる。ビルの隙間を抜ける風の音。遠くを走る車の音。誰もいない踊り場。静かな場所なのに、胸の中だけがずっと騒がしかった。自販機で買った缶コーヒーは、もうぬるくなりかけている。開けたまま膝の上に置いていたそれを見つめて、小さく息を吐いた。昨日から、ずっと苦しい。浅井さんは優しい。言葉を曖昧にしない。好きだとちゃんと伝えてくれる。待つと言いながら、諦める気はないとも言う。大事にされていることだって分かる。海辺を歩いていた時も。私が会社で距離を取ろうとした時