Masuk婚約発表のその日、 私は恋人と親友にすべてを奪われた。 三年付き合った恋人は、 私の成果で昇進しながら—— 隣に立っていたのは、私ではなく親友だった。 さらに私は、“関係を壊した側”として切り捨てられ、 地方の「あひるの支社」へと左遷される。 恋も、仕事も、居場所も失った。 ——けれど、それで終わりじゃない。 消されたはずの記録。 改ざんされたデータ。 そして、出張で東京に来ていた あひるの支社の代表・浅井拓真との出会い。 「それ、やっと気づいたんだ」 すべてを失った夜、私は“共犯者”を得る。 感情じゃない。 証拠で追い詰める。 奪われたのなら、取り返す。 これは、 会社と人生を懸けた復讐の物語。
Lihat lebih banyak鍵を渡された日から、自然に。私と拓真は出発の準備をした。 早朝の羽田空港。まだ夜の名残を少しだけ残していた。高い天井。静かに響くアナウンス。行き交う人々の足音。大きなスーツケースを引く音が床を滑っていく。窓の外には何機もの飛行機が並び、その向こうの空はゆっくりと朝の色へ変わり始めていた。私は搭乗ゲート近くの椅子に座り、小さく息を吐く。手の中には搭乗券。足元にはスーツケース。そして隣には拓真がいる。それだけのことなのに、不思議な気持ちだった。少し前までの私は、こんな場所に座っている未来を想像できなかったから。婚約がなくなった日。すべてが終わったと思った。信じていたものが壊れて。積み上げてきた時間が消えて。頑張ってきた意味さえ分からなくなった。会社へ向かうだけで苦しかった朝もあった。未来を考えることが怖かった夜もあった。もう誰も好きになれないかもしれないと思ったこともある。あの頃の私は、自分がどこへ向かうのか分からなかった。だから今ここにいることが、少し不思議だった。「何考えてる」隣から低い声が落ちてくる。私は顔を上げた。拓真はペットボトルの水を片手に持ちながらこちらを見ていた。ラフなニットにジャケット。少し眠そうな顔。それなのに目元だけは柔らかい。会社では絶対に見せない表情だった。私は小さく笑う。「……不思議だなって思って」「何が」「こんな未来あると思ってなかったので」拓真は少しだけ黙った。それから窓の外へ視線を向ける。朝日に照らされた滑走路。ゆっくり動き始める飛行機。その景色を見ながら小さく笑った。「俺も」短い返事だった。でもそれが本音だと分かる。私たちはしばらく黙ったまま窓の外を見つめる。心地いい沈黙だった。何かを埋めるための会話はいらない。ただ隣にいるだけで安心できる。そんな関係になったことが、今でも少し信じられない。私はそっと肩を寄せた。すると拓真が何も言わず肩を抱く。自然だった。当たり前みたいに。気づけばその温度が私の帰る場所になっていた。アナウンスが流れる。ロサンゼルス行き搭乗開始の案内。周囲の人たちが立ち上がり始める。私は前を見た。これから両親に会う。拓真を紹介する。未来の話をする。少し緊張する。少し怖い。でも逃げたいとは思
夜のリビングには、食後の穏やかな空気が流れていた。ダイニングテーブルの上には、食べ終わったテイクアウトの容器がいくつか並んでいる。飲みかけのワイングラス。半分だけ残ったサラダ。シンクでは食洗機の低い音が響いていた。仕事帰りに一緒に食事をして、ソファで少し話をする。そんな時間が最近の当たり前になっている。少し前の私なら信じられなかった。誰かと過ごす日常が、こんなにも心地いいなんて。私はソファに座りながらスマホを眺めた。通知欄には母からのメッセージ。未読が三件並んでいる。思わず小さく息を吐いた。その様子に気づいたのか、キッチンから拓真の声が飛んでくる。「何」コーヒーを淹れながら振り返る。私はスマホを持ち上げた。「母です」「ん?」「最近全然連絡返さないから、いつLA来るのって」その瞬間、拓真が少し笑った。「圧強いな」「母なんで」私もつられて笑う。昔から変わらない。気になったらすぐ連絡してくるし、返事がないと追撃もしてくる。けれどその笑いは途中で少しだけ止まった。LA。両親。拓真。頭の中でその言葉が自然につながる。以前なら考えられなかった。未来を想像すると、不安の方が先に来ていたから。でも今は違う。気づけば、その未来の中に拓真がいる。それが当たり前になり始めている。拓真は二人分のコーヒーを持って戻ってきた。隣に腰を下ろす。肩が軽く触れる。その距離が自然だった。「行く?」不意に落ちてきた声に私は顔を上げる。「……え?」「LA」低く穏やかな声。まるで来月どこかへ旅行に行くかを相談するみたいな口調だった。私は少しだけ目を瞬く。「……いいんですか」「何が」「その……」言葉を探す。少しだけ緊張した。「私の両親に会うの」部屋が静かになる。拓真はしばらく何も言わなかった。それからゆっくり目を細める。「愛海が嫌じゃないなら」低い声。真っ直ぐだった。「ちゃんと挨拶したい」胸の奥が熱くなる。重すぎない。でも軽くもない。その言葉にはちゃんと未来があった。私は少し笑う。「……じゃあ、そのうち行きましょうか」拓真も笑った。安心したように。嬉しそうに。「うん」短い返事だった。でも、その一文字だけで十分だった。しばらく沈黙が落ちる。居心地の悪い沈黙じゃない。
夜のリビングは静かだった。テレビはついている。バラエティ番組らしい笑い声も流れている。けれど、二人ともほとんど見ていなかった。私は拓真の腕の中にいた。背中に回された腕。肩越しに伝わる体温。時折髪を撫でる指先。それだけで、不思議なくらい落ち着く。少し前までなら考えられなかった。誰かの腕の中で、こんなふうに安心する日が来るなんて。「今、めちゃくちゃ帰したくなくなった」耳元に落ちた声を思い出す。その言葉の余韻がまだ胸の奥に残っていた。私は小さく息を吐いた。すると頭の上から低い声が降ってくる。「愛海」「はい」拓真が少しだけ髪に顔を埋める。「今日、自分から帰りたくないって言った」どこか嬉しそうな声だった。私は思わず顔を熱くする。「……言いました」「うん」短い返事。でも、その一言だけで機嫌がいいのが分かる。少し前までの拓真なら、こんなことは隠していただろう。会社で見る彼はいつだって余裕があった。感情を見せない人だった。でも今は違う。私の前では驚くほど分かりやすい。「かなりやばい」「何がですか」そう聞くと、拓真が少し身体を離した。視線がぶつかる。近い。照明に照らされた瞳が柔らかく揺れている。「嬉しすぎる」真っ直ぐだった。飾りも冗談もない。ただの本音。その言葉に胸がぎゅっとなる。拓真は私の頬に手を添えた。親指がゆっくり肌を撫でる。優しいのに、妙に熱を持っている。私は無意識にその手へ頬を寄せた。すると拓真がふっと目を閉じる。まるで何かを耐えるみたいに。「……愛海」「え?」「最近、無自覚に煽るのやめて」思わず笑ってしまう。「煽ってません」「煽ってる」即答だった。その声が少し低い。私はまた笑う。すると拓真が腕を引き、私を引き寄せた。距離が縮まる。逃げられないほどじゃない。でも十分近い。「拓真」「ん?」「近いです」「知ってる」全然悪びれない。むしろ少し楽しそうだった。額にキスが落ちる。頬にも。鼻先にも。どれも優しくて、焦らすみたいにゆっくりだった。私は思わず目を閉じる。拓真が小さく笑った気配がした。「俺、ちゃんと待つって決めてるのに」「……」「愛海が近づいてくるから普通にしんどい」その声には困ったような響きが混じっていた。でも嫌そうじゃ
夜のリビングには、テレビの音が小さく流れていた。何の番組だったかは覚えていない。画面の中では誰かが話していて、時々笑い声も聞こえる。けれど私の意識はほとんどそちらへ向いていなかった。ソファの上で拓真の肩に身体を預ける。背中に回された腕。一定のリズムで髪を撫でる指先。その体温が心地よくて、気づけば肩の力が抜けていた。静かな時間だった。特別なことは何もしていない。出掛けるわけでもない。どこかへ行くわけでもない。ただ同じ部屋で過ごしているだけ。それなのに、不思議なくらい満たされていた。私はぼんやりと目を閉じる。すると頭の上から声が落ちてくる。「眠い?」低く穏やかな声。私は少し笑った。「……少しだけ」「寝る?」その言い方があまりにも自然で、思わず肩が揺れる。「拓真、最近甘やかしすぎです」すると隣から小さな笑い声が聞こえた。「今さら?」私は思わず顔を上げる。拓真はどこか楽しそうだった。「愛海、甘やかすとすぐ顔緩むから」「……」図星だった。悔しいけれど否定できない。拓真はそんな私を見て少しだけ目を細める。それから自然な仕草で頬にキスを落とした。触れるだけの軽いキス。けれどその優しさに胸が熱くなる。「……拓真」「ん?」「最近、幸せそうですよね」自分でも不思議な質問だった。でも聞いてみたくなった。すると拓真は少しだけ笑った。「幸せだから」迷いのない返事だった。当たり前のことを答えるみたいに。その声に嘘はなかった。私は胸の奥がじんわり熱くなるのを感じる。拓真は少し視線を落とした。「こういうの好きなんだよな」「……こういうの?」「普通の恋人みたいなやつ」少し照れたように笑う。「家具見たり」「送り迎えしたり」「くだらないことで嫉妬されたり」最後だけ少し意地悪そうだった。私は思わず睨む。でも拓真は全然気にしていない。むしろ楽しそうだった。「全部好き」静かな声だった。飾り気もない。でも本音だと分かる。私はその横顔を見つめる。樹との恋も幸せだった。大切にされていた。愛されていたと思う。けれど今振り返ると、私はどこか受け身だった。相手が決める未来に乗っていた。相手の手を取って進んでいた。自分で選んでいるつもりでも、どこかで流されていた。でも今は違う。拓真
月曜日の朝。あひるの支社は、いつも通り静かに週の始まりを迎えていた。コーヒーマシンの蒸気音。朝礼前の低い話し声。誰かが資料をめくる音。窓の外には、少しだけ白んだ冬の空が広がっている。何も変わらない月曜日。それなのに、私だけが平常心をどこかへ置いてきてしまったみたいだった。理由は分かっている。金曜日の夜。会社の前で待っていてくれたこと。何も聞かずに隣を歩いてくれたこと。「俺、かなりしつこいから」あの声が、まだ耳の奥に残っている。それに。帰り際。コートの袖を掴んだ私の手を、何も言わず包み込んだ指先。思い出すだけで胸の奥が静かに熱くなる。私は小さく息を吐いた。
金曜日の夜、時計の針が二十一時を少し回った頃。あひるの支社のフロアには、もうほとんど人が残っていなかった。昼間は絶えず誰かの声がしていたオフィスも、今は空調の低い音だけが静かに響いている。遠くの席で誰かが椅子を引く音がして、それもすぐに消えた。私は、ぼんやりとPC画面を見つめたまま、小さく息を吐いた。画面に映る数字。何度見ても、胸の奥が少し重くなる。ミスをした。致命的ではない。提出前だったし、浅井さんが最終確認で止めてくれたから。先方に影響も出ていない。誰にも責められていない。むしろ浅井さんは、驚くほどあっさりしていた。「次、気をつければいい」それだけだった。声も変
火曜日の昼休み。オフィスの空気から逃げるように、私は非常階段へ出た。重たい扉を閉めると、少しだけ冷たい風が頬を撫でる。ビルの隙間を抜ける風の音。遠くを走る車の音。誰もいない踊り場。静かな場所なのに、胸の中だけがずっと騒がしかった。自販機で買った缶コーヒーは、もうぬるくなりかけている。開けたまま膝の上に置いていたそれを見つめて、小さく息を吐いた。昨日から、ずっと苦しい。浅井さんは優しい。言葉を曖昧にしない。好きだとちゃんと伝えてくれる。待つと言いながら、諦める気はないとも言う。大事にされていることだって分かる。海辺を歩いていた時も。私が会社で距離を取ろうとした時
月曜日の朝。あひるの支社のオフィスは、いつも通り静かに一週間を始めようとしていた。コーヒーマシンの音。誰かがキーボードを叩く規則的なリズム。窓の向こうには、まだ少し白い冬の光。それなのに。まるで昨日から時間が進んでいない気がしていた。土曜日の海。沈んでいく夕日。指先に残る体温。——「俺と、そういう普通をやってみない?」思い出した瞬間、胸の奥がまた熱を持つ。日曜を一日挟んだはずなのに、身体だけがまだ土曜日のままだった。浅井さんの隣を歩いた距離感。繋いだ手。帰り際、車を降りる時に少しだけ触れた指先。そして、別れ際に言われた言葉。“急がない。でも、諦める気もない”