転移女社長、借金工房を救うため公爵と契約結婚します

転移女社長、借金工房を救うため公爵と契約結婚します

last update최신 업데이트 : 2025-11-07
에:  吟色연재 중
언어: Japanese
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かつて日本で化粧品ブランドを立ち上げた女社長・天野澪。 すべてを失った夜、最後に手に取ったのは自分で調香した一本の香水だった。 その瓶が砕け、香が光へと変わった瞬間――彼女は異世界に“転移”する。 目を覚ますと、そこは香りが生活を支える王都・ルーメン。 倒れていた澪を助けたのは、小さな香工房の老職人だった。 弟子たちと共に働き、再び「香りで人を救う」日々を見つけた矢先―― 師匠の死と共に、工房には借金と契約違反が残されてしまう。 職人たちは路頭に迷い、店は取り壊し寸前。 それでも澪は諦めなかった。 「人の手で作る香りには、まだ価値がある」 その信念で工房を継いだ彼女の前に現れたのは、 冷静で誠実な南領公爵、レオンハルト・ラウヴェン。 彼は言う。 「形だけでいい。──あなたが動ける権限を、今すぐ用意する」 工房を守るために、澪は公爵との“契約結婚”を受け入れる。 利害だけで結ばれたはずの婚姻は、やがて 「信頼」と「愛情」を静かに混ぜ合わせていく。 灰のような現実の中で、 香りはもう一度、人を癒すことができるのか。 壊れかけた工房を舞台に、 異世界で再び立ち上がる女と、不器用な公爵の あたたかくて少し切ない再生ラブストーリー。

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契約の灯
朝の白は、紙の上だけ硬い。 窓の外はまだ淡い金色で、鳥の声はここまで届かない。香の煙が薄く立って、光を割る。 机の上には二枚の紙。片方には婚姻の字、もう片方には保全の字が、刻まれた印のように沈んでいる。 向かいの男は、濃紺の礼服に薄い手袋。黒髪は短く、灰青の瞳は余分な影を持たない。 レオン・ヴァルド公爵。その筆先は、私の方ではなく紙の端へ向いたまま動きを止める。 「……この契約は、愛ではなく責任の分配だ。そう理解しているな、ミオ・アマネ」 名を呼ばれても、頷かない。指先を静かに組む。呼吸は浅く、胸の奥だけが重い。 「ええ。……愛を選べるほど、余裕はもうありませんから」 朱が、硝子の小皿で軽く揺れた。公爵の手が印をとり、紙の白に赤が触れる。乾いた音。朱はゆっくりと滲み、輪郭を持って止まる。 「どうして、そこまでして守る」 視線がこちらを探る。硬い問いではない。ただ、真っ直ぐで逃げ道がない。 「——約束をした人が、いるんです」 言ってから、喉の内側に熱が立つ。視界の端、紙の白が一瞬だけ橙に染まった気がした。火の色。あの夜の、奥の方でまだ消えていない灯。 紙の白が、熱ににじむように見えた。朱の輪郭が少し揺れて、私の指先から力が抜ける。音が薄れ、耳の内側で呼吸だけが出入りする。 遠ざかる。光も、紙も、朝の気配も。 指先に紙の乾きが残った。 白い光。今度の白は冷たい質だ。蛍光灯。壁際の時計は動いているのに、ここだけ止まって見える。 社名のロゴが半分剥がれかけたオフィス。机の上に積んだ請求書、試作品の瓶、画面の消えたスマホ。椅子は二つ、片方は空いたまま。 守りたかった人たちの顔が、順番もなく浮かんでは消える。名前を呼んでも、声は出ていない。 私は、社員たちの名を心の中で呼んだ。 全部、私が選んだ人たちだった。 「守りたかったのは……人だったのに」 小さく言うと、言葉は机の縁で消えた。最後に調合した一本を、手のひらで包む。ラベルには黒いペンで「Resurge」とある。再生。笑ってしまう。こういうときの名前は、いつも少しだけ大げさだ。 「……最後くらい、いい匂いに」 ふたを回そうとして、滑った。瓶が机の角を越えて落ちる。その先にあるはずの音が、どこにも届かない。床も空気も、受け止めない。 白いものが、薄く立ちのぼる。湯気に似て、温度
last update최신 업데이트 : 2025-10-20
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灰の匂いと手の跡
朝よりわずかに手前の光が、部屋の角にたまっていた。 火皿の赤は夜より穏やかで、灰は薄く重なる。板が小さくきしみ、布の感触が肩の力を抜かせる。 外で荷車の軋む音。扉の隙間から、冷たい風が指先を撫でていく。 喉の渇きは、昨日より明らかに引いていた。 「……ここ、夢じゃないですよね」 口に出して、ほんのり恥ずかしい。 火の向こうで、背の高くない男は眉ひとつ動かさない。 「夢なら、火はつかんだろう」 灰の上で赤が小さく揺れた。湯の音が続く。 ひと呼吸おいて、静けさが戻る。 「昨日……私、道に倒れてたんですよね」 「ああ。夜更けの路地で。瓶を抱えてな」 「瓶?」 「割れてた。ただ、香りだけは残ってた」 胸が詰まる。毛布の端を探す。 ラベルの黒い字が浮かびかけ、湯気が視界をやわらげた。 男は、こちらを一度だけ見た。視線は刺さらない。ただ静かに、こちらを見ている。 「名前は?」 「……ミオ。天音ミオ、です」 「長いな。じゃあ、ミオでいい」 その名が、部屋の空気に混ざった。 火が、わずかに明るく見えた。 扉が軽く揺れて、冷たい空気がすっと入る。 外の通りで木箱が擦れる。すぐに扉が開き、明るい声。 「おはようございます。……あら、新人さん?」 短い髪の女が、腰の紐をきゅっと締め直しながら笑う。 続いて肩幅のある若い男が、薪を抱えたまま覗き込む。 「ああ、拾った」 火の向こうの男——ルカが短く言う。 「またか。師匠の拾癖は直らないな」 若い男が肩で笑う。女は、こちらに歩み寄って布のエプロンを差し出した。 「手が動くなら、手伝ってもらおうかしら」 「……はい」 布に触れた瞬間、喉の奥の緊張がほどける。 帯を結ぶ手は、思ったより迷わない。 腰に重みが乗る。体がここに馴染む。 ルカが棚の端を指で叩く。 小瓶がいくつか並び、ひとつだけ口が白く曇っている。 「これは昨日、お前が抱えてたやつに似てる」 「……これは」 「こっちでは“香守瓶(こうしゅびん)”って呼んでる。香りを閉じる道具だ」 白い口の縁に指の腹を当てる。冷たくて、なめらかだ。 「……私も、香りを作ってました。前の場所で」 「前の場所?」 「……遠い国です。きっと、もう戻れません」 口をついた。 扉の向こうの空気が、わずかに広がる。 けれど誰
last update최신 업데이트 : 2025-10-20
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火の底に残る音
朝の光が、瓶の面で薄く跳ねた。灰は低く静かで、火皿の赤は昨日よりやわらかい。 湯の音。木のきしみ。 メラが布をしぼり、トーリが薪を肩で揺らす。いつもの朝、みたいな空気。 「今日の火、昨日より明るい気がしますね」 言ってから、指先で瓶の口をなぞる。ルカは火を見たまま、短く息を置いた。 「火は、見る人の気持ちで変わるんだ」 「じゃあ……私のせいかも」 「それなら、悪くない変化だな」 メラが笑って、棚の上を軽く叩く。 「そういう日は仕事がはかどるのよ。トーリ、薪は小さめで」 「はいはい。師匠の火、今日はご機嫌そうだし」 「火の機嫌じゃなくて、あんたの雑さの問題よ」 小さな言い合いに、赤が小さく応える。瓶の列が、呼吸みたいに整う。 昼に寄るころ、光の色がほんの少し変わった。灰の表面が詰まり、赤の通り道が狭くなる。 ルカは、しばらく黙って火を見ていた。 「師匠、火が……」 メラの声が低く落ちる。 「ああ、風が変わってきたな」 「風?」 「天気が怪しい。……今日はなるべく外に出るな」 言い終えて、ルカは軽く咳をした。 手を口元にあて、すぐ下ろす。咳の余韻が胸に残った。 呼吸が浅く、肩がほんの少し上下していた。 誰も何も言わない。湯の音だけが戻ってくる。 トーリが、薪を一本だけ差し入れた。 「とりあえず、これで様子見ます」 「いらない。灰をほぐす。——ミオ、棒を」 渡すと、ルカの指が私の指に一瞬触れた。 薄い温度。火は少しだけ通りやすくなる。 「ありがとうございます」 「礼なら、火に言え」 口元はゆるむのに、目は笑わない。胸の奥が、少しきゅっとした。 午後、影が長くなる。 ルカが棚から小さな瓶をひとつ取って、私に渡した。 「中、ちょっと見てみろ」 「……灰が、光ってる?」 瓶の底に、ごく細い橙が沈んでいた。 火ではないのに、あたたかい。 「火はな、消えるんじゃない。形を変えるだけだ」 「ルカさんも、そうですか?」 「俺は人間だ。だからこそ、何かを残す」 返事がうまく見つからない。 瓶の中の光だけが、落ち着いてそこにいる。 ルカは火皿の灰をならし、棒を置いた。 「あとは任せる」 「……はい」 声がうまく出なくて、小さくなった。 メラが横からエプロンの裾で私の手を拭いた。 「手、震えてる。
last update최신 업데이트 : 2025-10-20
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灰の街、風の欠片
朝の色は、昨日より薄かった。 火皿の赤は戻っているのに、小さく静かに呼吸している。 濡れた布を絞る音。薪が肩でこすれる音。 隅に置かれた椅子は空のまま、光だけを受けている。 「……火、今日も大丈夫そうですね」 言って、湯を注ぐ。 湯気がゆっくり上がっていく。 メラは火から視線を外さない。 「ええ。——師匠の手がなくても、火はちゃんと燃えるのね」 トーリが薪を抱えたまま、顔だけこちらに向ける。 「……その言い方、泣かせにきてるだろ」 誰も笑わないわけじゃない。 息の置き場を探しているだけだ。 私は湯飲みを置き、火の縁に手をかざす。 まだ、少し借り物の手みたいだ。 「今日の段取り、少し詰めておきます」 メラがうなずき、帳面を指先で整えた。 昼の手前、戸口に硬い靴音が重なった。 扉が開く。灰色の外套の男が、短く名乗り、さらに短い用件だけを机に置くみたいに言った。 「香守瓶の納品、遅れてるんだ。代金は——」 メラの指が僅かに止まる。 「待ってください。師匠が病に倒れたばかりで、正式な印がまだ……」 使者は眉を動かさない。 「理由は聞いてない。納期は三日後だ」 「こっちでも代替を探してる。間に合わなきゃ“別口”に回す」 冷たい風が足元を抜けて、扉が閉まる。火がぱち、と小さく跳ねた。 トーリが顎で外を示す。 「俺、行ってくるわ。材料、足りてねえし」 メラは即座に顔を上げる。 「危ないって言ったでしょ。外、まだ風が——」 「だからこそ行くんだよ」 気づいたら、私の声がそれに重なっていた。 「私も行きます」 二人が同時に振り向く。短い沈黙。 メラが息を吐いて、肩の力を少しだけ落とした。 「……帰ってきたら、あんたの手で火を見てあげて」 「はい」 戸口で靴を履く音が、火の音と重なった。 街の色は、前より少しだけ薄く見えた。 広場では荷車が途切れず、呼び声が風に千切れていく。 市場の匂いは混じり合って、どれかひとつを掴めない。 トーリが歩みを緩める。 「あの香り……師匠のやつだ」 「え?」 斜向かいの屋台から、似た匂いが立ちのぼる。甘さが先に走って、後ろにざらつきが残る。 瓶の栓は固いのに、香りだけが大きい。 客はそれを‘本物’と指さしていた。 「くそ、真似されてる」 トーリが苦笑するでもな
last update최신 업데이트 : 2025-10-21
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紙の印、火の匂い
朝の音が、小さく揃っていた。 湯が細く鳴って、灰は静かに呼吸する。 赤い道は細いけど、まっすぐ。 「……間に合わせようね」 私が言う。 メラは火から目を離さない。 「絶対に、間に合わせるよ」 トーリが薪を肩で直す。 「納期まで……あと二日ってとこか」 「うん。がんばろう」 私はエプロンの紐を結び直す。 胸元の瓶に指を当てて、栓を確かめる。 「組合、行ってくるね」 メラが横目だけ寄せる。 「1人で大丈夫?怖いなら言ってね」 「怖いのは……置いてくわ」 メラはうなずいて、帳面の角をそろえた。 火は、こちらを見ているみたいに静かだった。   職人組合の窓口は、朝の光が白かった。 並ぶ人の息が、同じ高さで揺れる。 「すみません、納品証明をもう一度発行してもらえますか?」 私が紙を差し出す。 窓口の女性は丁寧に目を通して、視線だけ上げた。 「承知しました。印の確認と、保証人の記入が必要になります」 「その印を持っていた工房主が……亡くなってしまって」 言葉が少し止まる。 女性は責めない目で、次を置いた。 「今、ここが空欄ですね。どなたが記入されますか?」 「準備します。どうすればいいか教えてください」 「手続きはいつも通りです。早く通すなら、身分保証を付けるのが一番早いですね」 横でトーリが小さく息を吸う。 私は首だけ振って、止める。 「わかりました。いったん戻って準備します」 女性は頷き、仮の控えを渡してくれる。 紙は薄くて、手の中で少し冷たい。 組合の掲示板の前に、人が小さく溜まっていた。紙が一枚、増えている。 「香品安全の指針が臨時で改定。――登録が仮の工房は、検査に合格して、身分保証も出すこと」 読み上げる声が、途中で息を足す。 「今日中に、だってさ」 廊下の奥から、青い腕章の検査官が二人。 「工房名をお願いします」 「……アマネ工房」 「臨時検査をします。瓶を一本、開けないままで。計測は外で行います」 風の当たらない戸口の影で、検査官が細い管を瓶口に当てる。 針がわずかに震えて、静かに止まった。 「基準内です。――ただし、登録を続けるには保証人が必要です。提出期限は明日の昼まで」 「明日……昼ですね」 「そうです。提出できない場合は、納品資格を一時停止します」 トーリの
last update최신 업데이트 : 2025-10-22
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面談、紙と息、ここからの責任
火は穏やかに落ち着いていた。 紙の控えと、身分札と、昨夜の香守瓶を机にそろえる。 「書き漏れとか、ないよね?」 メラが帳面に指を置く。 「大丈夫。ちょっと気持ちだけ、落ち着かせるね」 私は瓶の口に指を触れて、すぐ離した。 「鐘があと一回鳴いたら迎えに行くから。無理しないで」 トーリが短く言う。 「うん、すぐ帰るね」 私は布で手汗を拭き、身分札を懐に入れた。 戸口の風は冷たい。深く吸って、吐く。 公爵邸の石はひんやりして、音が吸われる。 通された広間は広くて、声が立つ。 「保証の提出は明日の昼までです。出さなければ、一時的に停止になります」 机の端に座る監視役が、一度だけ紙を整えた。 「わかりました」 私は膝の上で指を重ね、息を止めないようにする。 公爵が正面に座る。 視線は真っ直ぐで、声は低い。 「選択肢は二つある」 レオンが言葉を置く。 「一つは独占契約。もう一つは、私が保証して庇護に入る形でもいい」 私は頷いてから、鞄を開いた。 風の来ない壁際に小皿。 小瓶の栓を、一呼吸だけ開ける。 石の乾きに、柔らかい香りが馴染む。 焦げの手前で止めた木。 遅れて、薄い花。 「これが、私たちの“香り”です」 私は栓を戻す。 「強く出さないで、静かに残るほうです」 監視役は黙ったまま記録に線を引く。 レオンは視線を落とし、すぐ戻した。 「保証を出すなら、責任はお互い半分ずつにしよう」 レオンが続ける。 「配合の権利はあなたたちに残す。人も道具も、こっちが奪うことはない」 「……責任を、半分ずつ持つってことね」 私は机の紙に目を落とす。 「独占されるより、ちゃんと続けられる形のほうがいい」 監視役が咳払いを一つ。 「保証の形式としては、“親族”か“婚姻”が一番有効です」 レオンの視線が一度だけ落ち、空気が浅くなる。 空気が少しだけ動く。 私は息を吸い直す。 レオンは逃げない目で言う。 「理屈だけで話そう。時間はない。工房を守るなら婚姻が一番確実だ。感情は、今は置いておこう」 私は手元のペンを取った。 重さは普通。先だけが冷たい。 「今夜は検査して、明日の朝一で保証を出します」 言い切ってから、もう一度だけ息を足す。 「その前に――紙にしておきたいです。権利と、境界。働く時間と、お金
last update최신 업데이트 : 2025-10-23
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夜の検査――火の音と手の温度
火は細くて、落ち着いている。 紙の控えを二通、角をそろえる。 瓶は三本、口を布で拭って並べた。 「手、もう少し温めとこうか」 メラが私の指先を見て言う。 「うん。手が冷えてると、字がガチガチになるから」 息をひとつ置いて、掌をこすり合わせる。 「窓、ちょっと見てくるね。さっきの人、また来るかも」 トーリが短く言って、扉の方へ視線を滑らせる。 「来ても、見るだけでしょ」 メラが声を落とす。 「火の様子、ちゃんと見せよう」 戸口の風が、細く入って止まる。 息がそろう。 扉が二度、静かに叩かれた。 青い腕章が二つ。 無表情の書記が、時刻を一つだけ読み上げる。 「一本、開けずにお願いします」 検査官の声は平らだ。 「はい。……ここでいいですか」 私は未開封の一本を持ち上げ、壁際の影にならない場所に置く。 細い管が瓶口に触れる。 針が揺れて、ゆっくり落ち着く。 音はない。 呼吸だけがある。 「数値は基準の範囲内です」 検査官が短く告げる。 「記録しました」 書記が紙に線を置く。 インクの匂いが、わずかに立つ。 もう一人の検査官が火を見る。 「火、落ち着いてていいですね」 「逃げないくらいの弱火で」 メラが釜の縁に目をやる。 「薪、一本足したほうがいい?」 トーリが薪に触れて止める。 「今は大丈夫。……このままで」 私の声に、火が細いまま続く。 路地の端に、視線がひとつ。 同業の男。 目が合って、踵がわずかに返る。砂利が一度だけ鳴る。 検査官の目が一度だけそちらへ流れ、戻る。 書記が別紙を開く。 保証の欄に指を置き、続柄のところを軽く叩く。 レオンの署名の写しへ視線が落ちる。 空気が浅くなる。 誰も、言葉にしない。 「小規模燃焼を確認します」 検査官が皿を置く。 火皿の縁がひやりとする。 立ち上がりが、少し鈍い。 香りが一度、途切れたみたいに薄くなる。 「メラ、皿を指で少し温めて」 「わかった」 メラの指が円を描く。 「風、止めるね」 トーリが窓の隙間に布を当てる。 待つ。息だけ置く。 火が細く戻る。 木が遅れて乗り、花が薄く追いつく。 検査官が一呼吸だけ待って、頷いた。 「臨時検査、合格です」 書記が最後の線を置く。 「提出は、明日の昼までにお願いしま
last update최신 업데이트 : 2025-10-26
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朝の窓口――紙の列、息の速さ
火は細いまま、芯だけが見える。 机の上で、控えの紙を二通そろえる。 封の袋と、小さな手数料の袋を脇に置く。 「手、もう一回あっためよ?」 メラが指を合わせる。 「うん。手が冷えてると紙が滑らないから」 掌を擦って、指先に熱を戻す。 「番号取ってくるね。戻るまでここで待ってて」 トーリが扉に向かう。 外は冷たい。 工房の前から通りに出ると、空気が乾いている。 庁舎の前には、すでに列ができていた。 「二十七番だった」 トーリが番号札を見せる。 「けっこう早いほうだね」 メラが肩をほぐす。 列の少し前に、昨日の同業の男が立っている。 目が合う。 踵がわずかに返る。 砂利がひとつ、鳴った。 扉が開き、列が動く。 中は静かで、紙の匂いが薄い。 「書類一式と手数料をお願いします」 若い書記が顔を上げる。 「はい。……こちらになります」 私は紙を差し出し、袋を添える。 書記が一枚ずつめくる。 保証用紙の「続柄」の欄に、人差し指がそっと触れる。 言葉は出ない。 メラが小さく息を吸って、視線を落とす。 「確認官をお呼びしますね」 奥から年長の確認官が来る。 「すみません、今期から“見本瓶”が必要でして」 確認官が柔らかく言う。 「ひと口ぶんで大丈夫です。最新のラベルでお願いします」 一瞬、胸が固まる。 すぐ、頷く。 「すぐ戻ります。必ず間に合わせます」 声はまっすぐに出た。 「昼まで受け付けていますので」 確認官が時計を見て頷く。 「……午前は混みますから、早い判断が助かります」 列の後ろから、低い声が落ちる。 「番号札、ここに置いとく。戻ったらこの位置に差し込んで」 同業の男が自分の札を少し上にずらす。 「助かります、ありがとうございます」 私は頭を下げる。 男は顎で小さく合図した。 外に出る。 息が白くはならないが、喉が少し締まる。 小走りで工房へ戻る。 「火、すぐつけるね」 トーリが薪を選ぶ。 「皿、先に温めておくね」 メラが指で縁を撫でる。 「外では“香り”を出して、内では“息”を合わせる。……いつもどおりで」 私は小瓶とラベルを出して並べる。 細い薪が一本。 火はすぐ細く立つ。 皿の縁が柔らかくなる。 「ここ、冷やさないようにね」 メラが息を落とす。
last update최신 업데이트 : 2025-11-01
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臨時協議会――同じ火の下で
受領票の裏をもう一度めくる。鉛筆の細い字が指に当たる。「午後二時くらいから始まるみたい」「一人での保証は保留になるって」。息をひとつ飲む。「行こ。座ってるだけでも席は取れるから」メラが上着の裾を整える。「戻ったら火、見ておくね。扉は開けておくよ」トーリは鍵束を確かめて、ポケットに入れた。「続柄の欄は空けておくね。そこは会議で決めよう」私は用紙のその欄に人差し指を置いて、離す。紙の角が、少しだけ指に吸い付く。外の空気は乾いている。庁舎の前、石段に列。昨日の同業の男が、目だけで合図。「今日は荒れそうだよ。……朱が乾く前に決めないと、こっちが不利になる」低い声。言い切らないまま、前を向く。「ありがとう。番号、戻しておくね」私は軽く頷く。メラが肩越しに息を合わせる。トーリは一歩下がって、周りを見る。鐘が二度、小さく鳴る。扉が開き、列が流れる。議場は広くない。椅子の布が冷たい。前方の卓で、議長が紙を整えた。「今期の安全ルールです」議長は短く読む。「見本瓶の提出は必須です。単独保証は基本的に保留。共同保証には“同一生計証明”が必要になります」墨の線が一行ずつ進む気配。若い書記が横で小声を落とす。「……朱が乾くまで、触らないでくださいね」確認官が立つ。「同居の条件は三つあります。住む場所を一緒にすること。お金を一緒に管理すること。緊急時にお互いが連絡できること」板の床が小さくきしむ。呼吸が幾つか重なる。「見本瓶をお願いします」促されて、私は包みを開く。火は弱いまま逃がさない配合。光へ透かす手元を、確認官の目が追う。「火、きれいですね。弱いのにちゃんと安定してる」短い評価。後ろの席で、商人風の男が囁く。「……この香り、最近もう市場に出てるやつに似てるって聞いたけど」メラが一瞬だけ視線で私を見る。私は目を伏せ、瓶の口を支え直す。逃がさない。今はそれだけ。「次の方、どうぞ」議長の声が少しだけ低くなる。レオンが立つ。外の光を背にして、卓に一枚置いた。「保証枠の上限に達しています」レオンは短く続ける。「今日中に共同保証の意思確認が必要です。私は“外側の責任”を半分引き受けます」言葉を置いて、黙る。余白が残る。監視役の男が紙をめくる。「形式としては、親族か婚姻が一番有効です。仮婚
last update최신 업데이트 : 2025-11-07
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