author-banner
Mirai
Mirai
Author

Novels by Mirai

徒然奇縁堂日和

徒然奇縁堂日和

 御影町に住む高校生・小鳥遊成海は、幼い頃から幽霊や怪異が「視える」体質を持つ。  ある日、正体不明の化け物に追いかけられ、命の危機に陥ったところを、謎めいた和服の男・店主に助けられる。  『奇縁堂』。  そこには個性豊かな面々が暮らしている。  一人暮らしをしながら自立を保ってきた成海は当初距離を置こうとするが、一緒に食事をし、語り合ううちに、じわじわと奇縁堂の日常に溶け込んでいく。    そんな奇妙な日々の後、成海の通う高桜高校で、三年生の女子生徒が北校舎の窓から飛び降りるという事件が起きる。
Read
Chapter: 十四-④
「……あ……」 影がない。黄色のカッパ姿が、水溜まりに反射していない。「成海、その子から離れろ。……あの犬と一緒にここで祓う」 ポチにも、影がなかった。水面に映るはずの全身が、また一回り大きくなっている。 俺はコウタの背に触れる手を、ぐっと引き寄せる。 相変わらずこの子はここに居る。手に伝わる感触は、確かに存在していると教えてくれるのに。 影がない、水溜りに映らない、何でそんな事にも気付かなかったんだろう。初めて会った時から、何で、一度も。「……うっ」 突然、身体がふらついた。咄嗟に支えた右足が水溜まりの中に突っ込んで、隙間から入り込んだ水が冷たい。最悪だ。 でも、右足が動かせない。身体が重たくて、痺れている。 コウタは静かに俺から後ずさった。『静かに』と言っても、その顔は冷静ではない。現実を受け止められないとはっきり張り付いた顔で、首を横に降りながら少しずつ俺から離れていく。 その顔があまりにも寂しくて、可哀想で。「コウタ」 ここ数週間ですっかり呼び慣れた名前を呼ぶと、ハッとしたように離れていく足が止まった。 ……何を言おう。何を言いたくて、呼び止めたのか、俺自身も分からなかった。「……コウタ」 俺を見上げる目は震えていた。そんなに酷い顔をしているだろうか、いま。「……俺は別にお前と一緒に居てもいいよ。大丈夫だから」「成海!」「黙ってろッ……ごほっ」 ただでさえ引き攣った声なのに、大声を出してまた強めの咳が出た。さっきのように血は吐き出さなかったけれど、口の中にまた鉄の味が広がって吐き気まで込み上げる。喉の痛みが、ぎりぎり吐き気を抑え込んでくれていた。「……ぼく、は」 コウタは迷っている。 そりゃそうだ。迷わないわけがない。 いくらこの子が聞き分けが良くても、まだほんの八歳の子供だ。突然自分が死んでいると突き付けられて、納得なんか出来るわけがない。 あんなに探し回っていたポチも死んでいるなんて、そして自分に対しても牙を剥いているなんて、それだけでも受け入れられないはずなのに。 でも俺はこの子に、俺を殺すか、自分が死ぬか、そんな残酷な二択を迫らなければいけない。「ぼくは……!」 コウタは今にも泣き出しそうな顔をしている。 優しいこの子のことだから、きっと答えはとうに出ている。ただ少しだけ臆病だから、口に出す
Last Updated: 2026-11-01
Chapter: 十四-③
「げほっ、げほ……っ」「お、お兄ちゃん、大丈夫?」 不意にまた咳が出た。慌てて誤魔化すように胸の辺りを叩くけど、不快感は重たく残って気持ちが悪い。「ごほっ、んん……。大丈夫、咳が出るだけ。熱もないし」「でも、声変だよ……」 まあ、確かにこの咳で「大丈夫」と言われても不安になるだろうなと、自分でも思う。 さっきから咳をし過ぎたのか、だんだんと喉がヒリヒリしてきたし、それに比例するみたいに声が掠れ始めた。 ああ、もう。これじゃあ本当に晴己の理不尽な物言いに反論できない。帰りにコンビニでのど飴くらい買って帰ろう。買い物に行った凛寧たちに頼むべきだったのかもしれない。 そんなことを思いながら、俺は一度マスクを外した。咳をしすぎてマスクの中が飛沫で蒸れてしまったからだ。夏というほど気温は上がりきっていないが、湿度が高い場所でマスクを使うと、それなりに暑い。 すると、また喉の奥がむずむずとし始めた。咳払いをしてみたが、それくらいじゃすっきりはしない。 喉の奥の焼けるような痛みがする。口の中に鉄のような味が広がって、思い切って咳の原因を吐き出そうとした。「ゲホッ……!」 手の隙間から涎が垂れたような気がして、慌てて手のひらを口から離した。「……えっ」 ——血だ。 痰だと思って吐き出したそれは、真っ赤な泡混じりの液体だった。「おい、大丈夫か⁉︎」 晴己がぎょっと目を見開いて叫んだ。 どう見たって大丈夫じゃないだろ。反射的にそう言い返そうとして、全然声が出ない。 代わりにヒュー、ヒューと笛が鳴るような音が喉からして、奥で何かが蓋をしているように気持ちが悪い。けれど、手のひらにこびりついた赤色が怖くて、うまく咳をすることが出来ない。 どうしよう、これ。どうしたらいい。 喉が痛い。口の中が不味い。息が苦しい。「成海!」「……ッ!」 肩を揺さぶられて、ようやく視線が手のひらから正面を向いた。 晴己が俺の顔を覗き込んでいた。「落ち着け。深呼吸できるか? できなくてもとりあえず呼吸しろ。吸って、吐いて……」 ……あまり見ない顔だ。眠そうな目を見開いて、瞳孔が震えている。頬を伝っているのは汗だろうか。雨かもしれないけど。 心配されている、そして動揺している。だから俺も落ち着かないといけない、そう思った。 晴己の声に合わせて下手くそに呼吸
Last Updated: 2026-11-01
Chapter: 十四-②
「雨止んできたね。買い物にも行くし、そろそろ帰る?」 満足げにお腹をさする伊織が、窓の外を眺めながら言った。 俺は店内の壁掛け時計を見た——午後三時半だ。それなら時間的にも丁度良い。「俺はコウタを待とうかな。この間、雨の日も一人で探してたっぽいし」「……じゃあ私と伊織でお買い物行くね」「おう、助かる」 凛寧と伊織が身の回りの整理を始めたところで、微動だにしない晴己に視線を向けた。「……で、お前は?」「成海が残るんなら俺も居るわ。こんな雨の中で無理してまた熱出されても困る」「オカンかよ。もう平気だ。……けほっ」「どうだか。そんな咳をしてるくせに」 そんなくだらない応酬のために言い返すのも、もう面倒で、俺は口を噤んだ。勝ち誇ったようなドヤ顔が腹が立つ。 伊織と凛寧は先に店から出て行った。方向的に店の外側をぐるりと回って行かないといけなかったようで、窓の外からまた姿が見えて、振られた手を振り返す。 その姿が見えなくなると、俺はそこでやっとこの空気の静かさに気付いた。 内心、舌打ちを一つ。晴己が黙り込む時は、決まって俺に何か大事なことを尋ねる時だ。「……あのさ、奇縁堂のことなんだけど」 ほら、聞かれると思った。「ぶっちゃけ、あの人らのこと、お前はどう思ってるんだ?」「どうって聞かれてもな……」 質問の意図を図りかねて、答えに困る。この場合はどうやったらこいつの機嫌を損ねずに済むか、だ。「こほっ、悪いやつらじゃない、と思う。少なくとも凛寧と伊織は俺の心配をしてくれてるし……」 俺はとりあえず事実を口にした。それ以上でも、それ以下でもない。 明確に人間が嫌いだと言った隠神も、言い方を変えれば誠実ではあるし。ムコは夢見が悪い時に寄り添ってくれている。 ……店主は、よく分からない。俺を守ると言った割には隠し事が多くて、ずっと怪しい。最もらしいことを口にして、俺はいつもそれに上手く反論できない。 けれど、悪い印象は持たない。それが率直な感想だった。「……何だよその顔」 でも、何が気に入らなかったのか、晴己は拗ねた表情で俺をじっと見つめている。「別に。俺だって心配してるのに、とか思ってない」 ——思ってるだろ、その言い方は。何が悲しくて同い年の男に嫉妬されなきゃならないんだ。 俺はまた咳が出そうになって、鎮めるように溜息っぽく
Last Updated: 2026-11-01
Chapter: 十四、死んで花実が咲くものか
「……で、何で俺はファミレスに呼び出されてるんだよ」 合流してすぐ、開口一番に放たれたのは文句だった。 竹刀の入った袋だろう。細長い布を肩に掛けて背負った食欲大魔神——もとい晴己は、不機嫌さを隠しもせずに俺たちの前に立っていた。「成海の弁当が食えるって聞いたから、楽しみに部活頑張ってきたのに。何でファミレスなんだ」「雨が降ってんだからピクニックは中止だ、馬鹿。雨天中止だってあらかじめ言ってただろ。……けほっ」 トークアプリで送ったメッセージに既読は付いていた。が、この食欲大魔神のことだから、どうせ弁当の文字に気を取られて見逃したに違いない。「というか、咳治ってないだろ。病み上がりなのに雨の中また出歩いたのか?」「だから長引かせずにこうして休憩してるんだろうが。凛寧たちも居るから大丈夫だよ」 話し終えた後、俺はまた咳をした。 昼前、俺は伊織や凛寧と一緒にポチを探した。雨で増水した川の方まで見に行ったが、そこにポチのいた形跡は見つけられなかった。 そして一時間ほど小雨の中を探し回り、こうしてファミレスで休憩をしている。袖や裾が雨に濡れてひんやりと冷たいが、先に頼んだ温かいスープが身体をじわりと包んでくれている。咳をする度に痛む喉も、少しだけ和らいだような気がする。「まあまあ。座って晴己君」 伊織が宥めるように、空いている隣の席の座面をぽんぽんと叩いた。「店主がね、若い者同士でたまには気分転換にこういうのを食べてこいってお金をくれたんだ。晴己君も誘って良いよってことで」「……まあ、そういうことなら。あざっす」 晴己はぶすっとしたまま、伊織の隣へ着席した。 速攻で注文パネルを操作し始めたから、何を頼むのかと予想していたら、ちゃっかりレートの高いハンバーグ定食を注文しやがった。俺の金じゃないから別に良いけど。 ようやく全員が揃って、俺たちもそれぞれ食べたいものを注文していく。俺は消化に良いものが良いと思って、きのこのグラタンを頼んだ。凛寧はカルボナーラ、伊織はオムライスとピザだ。「そんで、犬探しだっけ。進捗はどうなんだ?」「全然。手がかりナシ」「……三人もいて?」 晴己は怪訝そうに眉を顰めて俺たちの顔を順番に見ていく。しょうがないだろ、本当に見つからないんだから。 伊織は困ったように後ろ髪を掻いて、悩ましげに息を吐いた。「店主か
Last Updated: 2026-11-01
Chapter: 十三-③
 奇縁堂に到着した頃、既に玄関は夕飯を用意するいい香りに包まれていた。荷物を適当に置いて店主に挨拶を済ませてから、俺は台所へと向かった。 二人の話し声が聞こえていて、俺は何と言うか一瞬迷ったのち、ただいまと声を掛けた。「……お帰りなさい」「あっ、お帰り成海。今日は豚の生姜焼きだよ」 それで正解だったらしく、二人は嬉しそうに笑顔を見せてくれた。 伊織も凛寧も純粋だと思う。素直だとも言えるし、その笑顔の裏に打算がないのが見たら分かる。だから、俺も変に意地を張らずに済んでいた。 とりあえず台所に来てしまったが、料理工程で俺が手伝うことはもうほとんど無さそうで、後はご飯や味噌汁の盛り付けくらいだった。 俺は戸棚から人数分の茶碗と汁椀を取り出す。その隣で、凛寧が受け取ってカウンターに並べてくれた。「……成海、疲れてる?」「えっ?」 俺の顔を見上げていた凛寧が、控えめに言った。 疲れている……だろうか? あまり自覚は無いが、確かに病み上がりだし、疲れていないと言えば嘘になるけど。「……顔色が良くないよ」「そうか?」 凛寧に隠し事をしようとしたって出来ないのは分かっている。心配してくれているのを無碍にするのも心苦しいし、だから、俺は正直に話すことにした。「最近ちょっとな、犬探しを手伝ってるんだ」「へえ、どんな犬なの?」 使い終わった大きな鍋を洗いながら、伊織が俺に尋ねる。「白い柴犬らしいんだ。商店街から土手に続く道の途中にファミレスあるだろ。あの辺なんだけどさ」「うーん、見たことないなあ。川に落ちたりしていないと良いんだけどね」「いや、本当にそうなんだよな……」 コウタと初めて出会ったところから土手まではまだかなり距離がある。けれど万が一というものはいつでもつきもので、迷い犬が川に落ちて死ぬリスクはゼロじゃない。ただ、それを実際にコウタの前で口にするのは憚られて、まだ伝えたことはない。 けれども時々コウタは土手の方を見ることも増えていて、何となく子供ながらに察してはいるのかもしれない。 ……明日、バイトに行く前に川も少しだけ見てみるか。たとえ本当に川に落ちていたとしたら、上から見たくらいじゃ見つかりはしないんだろうけど。「……無理、しないでね。病み上がり、だし」「そうだよ、成海。僕らも手伝おうか?」「……確かに、そうだな。人数
Last Updated: 2026-10-31
Chapter: 十三-②
 下校時間になるまで、特に変わり映えのない一日だったように思う。 体調はどうだと気遣ってくる先生やクラスメイトも、奇縁堂に行く前に一声掛けろと言う晴己も、最初こそ気恥ずかしさを感じたが、何度も同じことを言ってくるから適当に返事をしてやり過ごした。 帰りのホームルームが終わると、俺は教室に残らず早々に荷物を纏めて下校した。晴己が何かを言いたげだったが、先手を打って「今日は早く寝る」とだけ言うと、それ以上俺を引き留めることはしなかった。 と、ここまでは割といつものこと。よくある病み上がりのエピソードだ。 けれども俺の足は、いつもと違う帰り道を選んで歩いていた。 ギリギリ傘を差すくらいの小雨の中、普段は通らないファミレスの前を通って、公園の近くまで遠回りをする。 傘で狭まった視界の中、小さな黄色のカッパを来た背中が見えた。「コウタ」「……あっ、お兄ちゃん!」 声を掛けたのが俺だと気付いた黄色のカッパが振り返る。黒い大きな丸い目に、俺の姿が映る。「あれ……それ、どうしたの?」 コウタが俺の顔を指差す。その指先が示すものがマスクだということは容易に読み取れた。 俺は鼻下にズレたマスクを直しながら答えた。「ちょっと風邪引いたけど、もう大丈夫だ。お前も気をつけろよ」「……僕のせい?」 ——どうしてそうなるんだ。俺は首を横に振った。雨で濡れた体を温めることもせず放置した自己管理の問題なわけだし。 けれど、コウタは丸い目を伏せて柔らかい唇をきゅっと噛んだ。「僕が、ポチを探すの手伝ってってお願いしたから……」「違う違う。俺が雨の中を歩き回ったのに、ちゃんと身体を温めなかったのが悪いんだ。コウタもちゃんと風呂入って温まるんだぞ」「ちゃんと入ってるよ! 上がる前に一分間数えるんだ。僕もう百まで数えられるよ」「へー、凄いじゃんか。次は目指せ千の位だな」 他愛もない話をしながらも、俺たちの目線はそれぞれ違うところを向いている。 他所の家の塀、植え込みの影、そうやって居なくなった犬の姿を探していく。 ——事の発端は、二週間前に遡る。 雨の降っていた日の夕方。その日は、バイトがない日だった。 俺は夕飯の献立を考えながらスーパーに向かっていて、反対側の歩道へ渡るために信号待ちをしていた。 すると、突然『僕の犬を知りませんか』と通りすがりの子供に声
Last Updated: 2026-10-31
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status