組織の襲撃を退けた翌朝、神殿は穏やかな光に包まれていた。昨夜愛の女神が現れた場所に、新しい石版が出現していた。「これは何かしら?」私は石版に近づいた。美しい文字で、メッセージが刻まれている。「読めますか?」エリザベス姉が確認した。「『真の敵は、愛を失った王の血を引く者』……」王の血を引く者?「それって、王族のこと?」「でも、王族で愛を憎んでいる人なんて……」私は考え込んだ。エリザベス姉は愛を取り戻している。他に王族で、愛を憎む人がいるのかしら。「『その者は、愛する人を失った悲しみから、愛そのものを憎むようになった』」石版の続きを読む。「『しかし、愛を憎む者も、元は愛に満ちていた。真の愛で包めば、心は癒やされるであろう』」愛する人を失った悲しみ……それは理解できる。でも、だからといって愛そのものを憎むなんて。「誰のことでしょうね」セラフィナが首をかしげた。「王族で、そんな過去を持つ人が」その時、神殿の外から馬の蹄の音が聞こえてきた。「誰か来るわね」私たちは警戒した。まさか、組織の増援?でも、来たのは一人の騎士だった。「エリザベス女王陛下はいらっしゃいますか?」騎士が神殿の入口で呼びかけた。「私です」エリザベス姉が前に出た。「何用ですか?」「緊急事態です」騎士が息を切らしていた。「王都で、クーデターが発生しました」クーデター?「誰が?」「それが……」騎士が困った顔をした。「もう一人の王女様が」もう一人の王女?「まさか……」エリザベス姉の顔が青ざめた。「オリヴィア?」オリヴィア王女?私は初めて聞く名前だった。「オリヴィア王女とは?」「私の妹です」エリザベス姉が重い口調で答えた。「ずっと行方不明だった」妹?エリザベス姉に妹がいたなんて。「どこにいたの?」「分からなかったのです」エリザベス姉が悲しそうに言った。「十年前に、突然姿を消して……」十年前……何があったのかしら。「詳しく聞かせてください」騎士が説明してくれた。今朝、王都で突然武装集団が現れた。彼らは王宮を占拠して、オリヴィア王女の統治を宣言した。「オリヴィア王女は、愛を禁止する法律を制定すると発表しました」愛を禁止する法律……「それって、まさか……」私は直感した。「オリヴィア王女が、
山小屋に戻ると、愛の騎士団の仲間たちが心配そうに待っていた。「お帰りなさい」マーサが駆け寄ってくる。「無事でよかった」「みんな、集まって」私は緊急事態を伝えなければならない。「大変なことが分かったの」愛の騎士団のメンバー全員が集まった。エリザベス姉、マーサ、ソフィア、トム、老婆……みんな真剣な顔をしている。「明日の夜、組織が私たちを襲撃してきます」私の言葉に、みんなの顔が青ざめた。「襲撃?」「どれくらいの規模で?」次々と質問が飛んできる。私は地下で見聞きしたことをすべて話した。組織の規模のこと。影の支配者のこと。愛の根絶計画のこと。「愛の根絶……」エリザベス姉が震え声で言った。「そんな恐ろしいことを」「でも、なぜ愛を憎むのでしょう?」ソフィアが疑問を口にした。「愛は美しいものなのに」「きっと、深い恨みがあるのよ」私は推測した。「愛に裏切られた過去が」「それでも、世界中の愛を憎むなんて」トムが拳を握った。「許せない」みんなが同じ気持ちだった。愛を憎む組織は、絶対に許せない。「どうやって戦いましょう?」マーサが現実的な問題を口にした。「相手は大勢よ」確かに、数的には圧倒的に不利。でも、負けるわけにはいかない。「愛の力で戦います」私は指輪を見つめた。「昨夜、指輪の力が強くなったの」「どのように?」エリザベス姉が尋ねた。「光で敵を撹乱できました」「それは素晴らしい」でも、それだけで大勢の敵と戦えるかしら。「みんなの愛を合わせれば、もっと強くなるはず」私は仲間たちを見回した。「一緒に戦ってくれる?」「もちろんです」みんなが口々に答えた。「愛のためなら、何でもします」頼もしい仲間たち。この人たちがいれば、きっと勝てる。「では、作戦を立てましょう」セラフィナが地図を広げた。「敵は複数のルートから攻めてくるでしょう」「山小屋は守りにくい場所ですね」カイルが指摘した。「別の場所に移った方がいいかも」「でも、どこに?」「森の奥に、古い遺跡があります」老婆が提案した。「そこなら、守りやすいかもしれません」古い遺跡?「どんな場所ですか?」「昔、愛の女神を祀った神殿でした」愛の女神の神殿……それは心強い。「案内してもらえますか?」「もちろんです」私た
王都の夜は静寂に包まれていた。街灯の光が石畳を薄っすらと照らし、時折夜警の足音が遠くで響く。私たちは下水道の入口に身を潜めていた。「ここから入ります」セラフィナが重いマンホールを持ち上げた。「音を立てないように」私とカイルは頷いて、慎重に下水道に降りた。暗くて、湿っていて、臭い。でも、愛のためなら我慢できる。「この先です」セラフィナが懐中灯で道を照らしながら案内してくれる。下水道は思った以上に複雑だった。いくつもの通路が分岐して、まるで迷路のよう。「迷子にならない?」私が心配すると、セラフィナが微笑んだ。「大丈夫です。何度も通った道ですから」しばらく歩くと、前方に明かりが見えてきた。「あそこが組織の入口です」セラフィナが指差した先に、金属製の扉があった。「警備は?」カイルが尋ねた。「通常は二人います」「今夜は?」「確認してみましょう」セラフィナが慎重に扉に近づいた。しばらくして戻ってくる。「一人だけです」「ラッキーね」でも、一人でも警備がいるのは厄介。「どうしましょう?」「任せてください」セラフィナが自信に満ちた顔をした。「元組織のメンバーですから」彼女は扉に向かって歩いていく。「おい、誰だ?」警備の男性が声をかけた。「セラフィナです」「セラフィナ? 生きていたのか」男性が驚いた。「ええ、何とか」セラフィナが近づいていく。「緊急の報告があります」「報告?」男性が油断した瞬間、セラフィナが動いた。素早い動きで男性の首筋を押さえる。「す、すまない……」男性がゆっくりと倒れた。気絶しただけのようで、息はしている。「大丈夫?」私が心配すると、セラフィナが頷いた。「殺してはいません。しばらく眠っているだけです」ほっと安心した。いくら敵でも、人を殺すのは見たくない。「急ぎましょう」セラフィナが扉を開けた。「長時間は持ちません」私たちは組織の本拠地に侵入した。中は想像以上に広くて、複雑だった。石造りの廊下が縦横に走り、無数の部屋がある。「まるで地下都市ね」私は驚いた。「これほど大きな組織だったなんて」「組織の歴史は古いのです」セラフィナが説明した。「何百年も前から存在していました」何百年も?それほど古い組織が、なぜ愛を憎むのかしら。「影の支配者の
山小屋での朝は静かだった。鳥のさえずりと、遠くで流れる小川の音だけが聞こえる。私は窓辺に座って、外の景色を眺めていた。緑豊かな森が広がって、とても平和に見える。でも、私たちを狙う敵がいることを忘れてはいけない。「おはよう」カイルが起きてきて、私の隣に座った。「よく眠れた?」「ええ、あなたは?」「君がそばにいたから、安心して眠れた」その言葉に、胸が温かくなった。真実を知った今、彼の言葉がより深く響く。「セラフィナは?」「まだ眠ってるみたいだ」昨夜は遅くまで話し合っていたからね。カイルの記憶を取り戻す方法について。「リア」カイルが私の手を取った。「本当に、記憶を取り戻した方がいいと思うか?」「なぜ?」「もし、残酷な記憶だったら……」カイルが不安そうに言った。「君を傷つけるかもしれない」「傷つかないわ」私は彼の手を握り返した。「真実を知りたいの」「でも……」「あなたが私を愛してくれたことは分かったから」私は微笑んだ。「他に何があっても、もう怖くない」カイルがほっとしたような顔をした。「そう言ってもらえると、安心する」その時、セラフィナが起きてきた。髪を整えながら、私たちに近づく。「おはようございます」「おはよう」私たちは挨拶を交わした。「今日から、カイルの記憶回復を始めましょう」セラフィナが提案した。「どのように?」カイルが尋ねた。「特別な魔術を使います」セラフィナが説明した。「記憶の封印を解く魔術です」記憶の封印を解く魔術……そんなものがあるの?「危険じゃないの?」私が心配すると、セラフィナが首を振った。「適切に行えば、問題ありません」「でも、痛みはあるかもしれません」痛み……カイルが苦しむのを見るのは辛い。でも、真実を知るためには必要なこと。「やってみましょう」カイルが決意を固めた。「俺の本当の記憶を知りたい」「分かりました」セラフィナが頷いた。「では、準備をしましょう」セラフィナは小屋の中央に魔法陣を描き始めた。複雑な図形と文字が床に浮かび上がる。「この中に座ってください」カイルが魔法陣の中央に座った。私は心配で、彼のそばにいたかったけれど、セラフィナに止められた。「魔術の邪魔になります」「でも……」「大丈夫です」カイルが私を見つめ
憎しみの炎を消してから一週間が過ぎた。 愛の騎士団は順調に活動を続けていたが、私の心には新たな不安があった。 カイルの過去について、まだ知らない真実があるような気がしてならない。 「リア、また考え込んでるな」 朝食の席で、カイルが心配そうに声をかけた。 「大丈夫?」 「ええ、大丈夫よ」 私は微笑んで見せたが、彼は納得していないようだった。 「嘘だ」 カイルが私の手を取った。 「君の顔を見れば分かる」 やっぱり、隠せないのね。 「実は……」 私は正直に話すことにした。 「あの敵の言葉が気になってるの」 「隠された記憶のことか?」 「そう」 私は頷いた。 「本当に、まだ秘密があるのかしら」 カイルが困った顔をした。 「俺にも分からない」 その時、愛の騎士団本部の扉が勢いよく開かれた。 入ってきたのは、見知らぬ女性だった。 年齢は三十代前半くらい。 美しいけれど、どこか危険な雰囲気を漂わせている。 「お探しの方はいらっしゃいますか?」 マーサが警戒しながら尋ねた。 「ええ」 女性が私を見つめた。 「リア・エルドリッジ王女に、お会いしたくて」 私の本名を知っている。 「どちら様ですか?」 私は立ち上がった。 「私のことをご存じのようですが」 「セラフィナ・ダークブレード」 女性が名乗った。 「元・黒き刃組織の幹部です」 黒き刃組織? 聞いたことのない名前。 「どんな組織ですか?」 「暗殺者の組織です」 セラフィナがさらりと言った。 「あなたの夫君も、かつてはメンバーでした」 カイルの顔が青ざめた。 「俺が……暗殺者組織に?」 「覚えていないのも無理はありません」 セラフィナが冷たく微笑んだ。 「記憶を封印されているのですから」 記憶の封印……やっぱり、隠された真実があったのね。 「詳しく教えてください」 私は彼女に向き合った。 「なぜ記憶が封印されたの?」 「組織を裏切ったからです」 セラフィナが説明し始めた。 「カイルは元々、組織の最精鋭でした」 最精鋭の暗殺者…… 「でも、ある任務で変わってしまった」 「どんな任務?」 「王族の少女を殺す任務です」 私の血の気が引いた。 まさか…… 「その少女とは?」 「あなたです、リア様」 やっぱり。 「最初
カイルの隠された記憶が明らかになってから、城の中は重い空気に包まれていた。愛の騎士団の仲間たちも、ショックを隠せずにいる。特にマーサは、カイルを見る目が微妙に変わっていた。「あの……カイル様」夕食の席で、若い女性騎士が恐る恐る声をかけた。「本当に、あんなに多くの人を……」「ああ」カイルが重く頷いた。「映像の通りだ」その声に、自己嫌悪が滲んでいる。「でも、記憶がないから……」「記憶がなくても、事実は変わらない」カイルが自分を責めるように言った。「俺は殺人者だ」「違うわ」私は立ち上がった。「あなたは変わったのよ」「変わったって……」「愛を知って、人間らしくなった」私はカイルの前に座った。「今のあなたは、絶対に無実の人を殺さない」「どうして、そう言い切れる?」「あなたの瞳を見れば分かるから」カイルの瞳を見つめる。そこには、深い後悔と愛がある。過去の冷酷な殺し屋の目じゃない。「みんなも、分かってくれるわよね?」私は愛の騎士団の仲間たちを見回した。でも、みんな複雑な顔をしている。特に、トムの表情が厳しい。「トム?」「俺の……妹がいたんだ」トムが重い口を開いた。「五年前に、暗殺者に殺された」私の血の気が引いた。まさか……「若い女性で、金髪で……」トムが続けた。「犯人は捕まらなかった」カイルの顔が青ざめた。映像の中にあった、金髪の女性。もしかして……「描写を聞く限り……」カイルが震え声で言った。「俺が殺したのかもしれない」「カイル様」トムが立ち上がった。その目に、怒りの炎が宿っている。「もし本当なら……」緊張が走った。仲間同士で争いが起こるかもしれない。「待って」私は二人の間に立った。「まだ確証はないわ」「でも、可能性は高い」トムが拳を握った。「妹は何も悪いことをしていなかった」「すまない……」カイルが頭を下げた。「もし俺が殺したなら……」「謝って済む問題じゃない」トムの声が震えていた。「妹の命を返せるのか?」返せない。もちろん、返せない。命は、一度失えば二度と戻らない。「でも」私は必死に説得した。「カイルを責めても、妹さんは戻らない」「それは分かってる」トムが苦しそうに言った。「分かってるが……納得できない」その気持ち、理解できる。