復活を遂げたボスはその形態を微妙に変化させている。それはさっきまでの無骨ながらシンプルな騎士然とした姿ではなく、きっちりと魔物の姿をしていた。 鎧に包まれていたように見えたその姿形自体は大きく変わらず、しかし決定的に印象を変えてしまう変化がその身に起こっていたのだ。死の淵から蘇り、俺の前に立ちふさがる魔物……その背には、まるで蜘蛛の脚のような、いくつかの関節を持った爪のようなものが三対生えていた。背中側で肋骨のような曲線を描くそれは、微細な筋肉の動きを反映してか小さく震えていた。「はぁ……」 その変化に、自らが置かれている現状にため息が出る。少し時間を経て出来事を整理した俺の心は……悲しみの色に染まっていた。 しかし魔物は待ってくれない。そんな人の感情の機微など読み取れるはずもなく、読み取れたとしても考慮するはずもなく……あろうことか、爪の先端、第一関節から先の部分をミサイルのように撃ち出してきた。 六つの発射物が、魔物の意思に従って空中に軌跡を描く。そのすべての矛先は、俺に向いていた。 一瞬このままここから逃げ出してしまおうかという考えもよぎるが、そうすれば倉井さんが邪魔をしてくるのは明らか……。そうなった場合、この期に及んで俺はまだ……倉井さんたちに刃を向けることが出来ない……。 俺を追尾してくる爪の弾道を躱しながら、魔物に近づく。しかしその弾丸の旋回性能はかなり高いらしく、地面に衝突してその役目を終えたのが六発中たったの二発だった。 魔物に接近した時には既に残り四発の弾に追いつかれているため、仕方なくボスの足元を潜り抜けるように再び距離をとるしかなかった。幸いボスは弾道の操作にある程度集中を求められるらしく、動きを鈍くしている。 ボスの足元を通ったことで、四発中二発がボスの脚に命中。大したダメージにはならないようだが、少なくとも弾丸の追跡は二発まで減らせた。 こうして逃げ回っているのもじれったくなって、背後に向かって氷の刃を振る。氷結した斬撃が、残る二つも打ち落としてくれた。 空中で氷の破片と結晶の破片が舞う。それを合図代わりに、進路を真反対に変え来た道を逆戻りした。 弾丸の操作から解放されたボスも、近接に切り替えこちらに走ってくる。そうして正面から剣と剣を衝突させた。 再び全身を重い衝撃が駆け巡る。し
「まだ分からないですか? 水瀬さん」 困惑する俺に、倉井さんが半笑いの声で話しかけてくる。俺はその声に、未だ唖然とした表情を浮かべることしかできなかった。「だから……はぁ、なんて言ったらいいですかね? 本当ならもう、自分の置かれてる立場がどんなものか少なからず分かるものだと思いますが……そうですか、この期に及んでまだ信じられないですか……。ああ、いや……別に責めてるわけじゃないですよ? そういう表情、結構味付けとしてはいいですからね」「あじ、つけ……? 倉井さん、あなた何言って……」 俺の絞り出すような声に、倉井さんはため息を吐く。そして肩をすくめて笑って見せてから「仕方ないですね」と語り始めた。「金儲けですよ、金儲け。自分の命を危険にさらして、長い時間と多大な労力を使って、それで大真面目にクリーナーやってくなんて……ばかばかしいですよ。もっと安全に、もっと効率的に、楽して稼ぎたいじゃないですか。そのためなら……こんなおもちゃを自前で作るのも苦じゃなかったですよ」 倉井さんの指が俺を捉え続けているカメラをこつんとつつく。俺はその言葉を聞きつつも……やっぱりまだ飲み込むことができなかった。耳に流れ込んでくる言葉たちの理解を、脳が拒む。何も信じられなくなって、ただ虚ろな眼差しをカメラのレンズに注ぐことしかできなかった。「じゃ、じゃあ……ハナさん、ハナさん……は?」 救いを求めるようにかすれた声を絞り出す。しかしハナさんはもうさっきからずっとグズグズで、答えられるような状態じゃなかった。その様子にすら慣れているのか、倉井さんは誰に頼まれるでもなくハナさんに代わってその答えを俺に伝えた。「ハナさんもずっとそうですよ。こうやって僕と撮影を始めてから、ずっと繰り返してきました。君みたいなお人よしを巻き込んで、そうやって上級のダンジョンまで誘って……その死に様をカメラに収める。まぁ万人に売れる映像じゃないですけど、買う奴は……大枚はたいて買ってくれますよ。水瀬さん……なんか妙に強いんでちょっと焦りましたが……今回はダンジョンの特性に助けられましたね。僕たちが手を貸さない限りこのボスは倒せないでしょうし……あなたが死ぬまで何度でも、ここのボスには頑張ってもらいますよ。人の体力は有限ですからね」「人が……死ぬのを、撮る……のか? なんでそんな……そ
ボスの巨体が、壁面にダイナミックに影を踊らせる。その影は俺の炎によって映し出されていた。「くそ……」 動きが読みやすいとは言ったが、決してその動きは隙が多いわけではない。戦闘経験がまだまだ浅い俺からすれば、攻めるに攻められなくてもどかしかった。だが、欲張ってはいけない。欲張ったら死ぬ。いけそう、ではなく……確実に”いける”タイミングでないと攻撃を差し込んではならない。これがゲームなら一回や二回試みているだろうが、忘れてはならない……ここはダンジョンなのだ。 ランカーのせいで痛い目を見たからだろうか、ダンジョンをゲームと重ねることに強い忌避感がある。あのランカーは目の前で無残にも死んだため、もう憎たらしいとかそういうふうにも感じないが……反面教師としては講師としての役割を意外と果たしていたのかもしれない。 振り下ろされた巨剣に回避が間に合わず、やむを得ず剣で受け止める。重量の差から、普通に考えたらまず受け止められないであろうそれを……一瞬ではあったが受けられた。 重い衝撃は手のひらから腕の骨に伝わり、そのまま背骨を走り抜け腰を軋ませる。踏みしめた両足は結晶の床を少し砕き、つま先を沈ませた。「……ぐ」 すぐにこのつばぜり合いの勝敗は決する。それは見かけ通りの……俺が押し負けるという形で均衡を崩した。 斬るというよりは押しつぶすと言った方適切なその攻撃の下からなんとか転がりだし、すぐに敵の方を見る。ボスは力を込め続けていた刃がその対象を突然失ったために、剣が地面にめり込んですぐには抜けなくなっている。そこに好機と駆け寄ると、ボスは力任せに大検を地面から引き抜いた。 地面がめくりあがり破片が宙を舞う。俺はその振動も降り注ぐ破片もものともせず、さらに駆け寄った。 ボスは振り上げた刃をそのまま俺めがけて振り下ろす。だが、こちらもそう来ることはもう分かっていた。 本能はその場から飛びのいて逃げたがっている。だが今はそれを抑え込んで、恐怖心を突き破って跳躍した。 結果、俺と刃の軌跡が交わらなくなる。紙一重ですれ違い、そして俺の体は……。もうどうあがいても防御が間に合わないボスの胴体の高さまで達していた。 今までの中での最大の好機。俺がミスらなければ……さっきまでの小突きとは比べ物にならない大打撃をあいつに与えられる。
ボスは掲げた大剣を振り下ろす。足場を粉々に打ち砕いてしまいそうなほど強烈な一撃だったが、その縦一閃は何にも命中することはなかった。「何……?」 ハナさんはその奇妙な動作を怪訝そうに見つめる。しかしその瞬間、それは起こった。 さっき一度止まったはずの振動が、再びあたりに響きだす。それもさっきより激しく。そうして……何か不可解な力がフィールドを駆け巡るのを感じた。「これは……!?」 重力、だろうか……?感覚としてはそれと近い圧迫感のようなものが肌に触れる。しかしそうした感覚があるだけで、俺の体が押しつぶされるわけでもなければはるか天井まで浮かび上がらせられるわけでもない。俺の体は依然微動だにせず、ただ何らかの不可視の力が場に流れているのを感じるだけ。 だが、その違和感もそこまで。すぐにいったいどんな力がこの場に働いていたのかを理解する。 このダンジョン特有の次元のギミック。それが正しいダンジョンの特性であれ、あのときの合体のような何らかの異常事態であれ……その現象が存在している事実には変わりない。 景色が、塗り替わっていく。回転……。そう呼ぶにふさわしい変化。そして……この空間が完全に黒に染まる前に、その回転は停止した。 ボスエリアの半分が白で、半分が黒。次元の塗り替わりが90度で止まったのだ。 フィールドの中央に立つボスは、丁度その境界に立っていて、二つの次元に映る像が鏡映しのため……まるで二刀流をしているように見えた。その体も半身が白く、半身が黒い。「ハナさん……!」 今までとは違って、俺たち自身もその二つの次元の様子を同時に認識できているため……急いでハナさんの安否を確認する。ハナさんは俺とは逆側の次元……黒い空間に居た。「クソ……!」 このダンジョンの性質を考えれば、その分断は攻略において好都合だが……それは俺たちにそもそもこのボスが倒せるということが前提となってくる話だ。急いでハナさんの方へと駆け寄ろうとするが、しかし不可視の壁に阻まれる。向こう側が見えるとはいえ、出入り自由というわけではないらしい。「ハナさん! ハナさん……!」 扉でもノックするようにその境界の壁を叩きながら、ハナさんの名前を呼ぶ。ハナさんもそれにすぐに気付いて、こちらへ駆け寄ってくれた。「みーちゃん……あたしなら大丈
ここから一人抜け出すわけにもいかなくて、結局俺も二人の後に続く。まるで俺が立ち入るのを待ちわびていたかのように、ボス部屋の扉は背後で閉まった。「扉……」 一瞬それが再び開けるか否かを確かめようかと考えたが、早く二人に追いつきたくてそれは諦めた。ハナさんは……もしかしたらまだ揺れているのか、未だ何もしゃべらない。カメラは回っているだろうに……その後姿はどこか落ち込んでいる様子ですらあった。そんなんなら……本当に、入らなければよかったのに……。しかしもう過ぎたこと、ボスは……もう俺たちの目の前に佇んでいた。「これが……ここの……」 倉井さんがその巨躯を足元から徐々に登っていくようなカメラワークで動画に収める。このダンジョンと同じように、全身が白い結晶で構成されている。人型の……騎士然とした見た目だが、今はその大剣を地に突き立て片膝を立てて彫像のように微動だにしない。まぁ、それはともかく……。「この感じなら……たぶん、このボスも……二つの時空にまたがって存在してますよね……」「そうっぽいですね」 俺の言葉に倉井さんは頷く。さっき意見のすれ違いがあったばかりなのにまるで何も起きてなかったみたいな態度で接されるのは……本来ならありがたいことなのかもしれないが、今は正直どこかムッとしてしまった。「うごかない……ね」 ハナさんも、立ち止まってボスを見上げる。ボスは……まるで何かを待ち構えているかのようにその影を落としていた。まるでそれがこのボスの”領域”の境界線を引いているような感じがして……ほとんど無意識だけど、なんとなく誰もそこまで近づこうとはしなった。 倉井さんは飽くまでさっきから態度を変えないのを貫いているが、俺とハナさんに関してはそうでもなく……いまいち気まずい時間が流れる。ボス部屋に入ってなお、まだ戦いが始まらなかったのがその気まずさに拍車をかけている感じはあった。「はぁ……」 仕方なく空気を変えようと少し声を張る。「もう。俺も分かりましたから……やるならもうやりましょう。戻るなら戻る。今ならたぶん……それも出来るはずですから……」「みーちゃん……怒ってる……?」「え……? 俺、が……?」 声を張ったばかりに、どうやらそれを怒りの発散と勘違いされてしまったみたいだ。と、思いつつも……自分で今の言葉の内容を振
その後、ずっとゼロのままだった探索進捗はこれまでの難航具合が嘘だったかのように順調に進んだ。依然敵との戦闘にはやや苦戦を強いられるが、先ほどの反省も活かして俺は少し弱めの武器……別の日に潜ったダンジョンで手に入れた大剣を使うことで火力のバランスもとれて復活回数を劇的に少なくすることに成功した。この大剣は目立った能力こそ無いものの、リーチと攻撃力のわりに軽くて扱いやすく一応とっておいたものだ。現に役に立ってくれているから、その判断は正解だったのだろう。 もちろん、攻略が順調に進んでいるのはその大剣だけが理由じゃない。なんならこの”もう一つの理由”の方が戦闘において恩恵が大きいまである。それは……倉井さんのスキルだった。 倉井さんは、シールドを張ることができるスキルを持っていたらしく……このダンジョンの仕組みを理解してから、ある役割に名乗りを上げたのだ。それは……異なる二つの時空間での連絡係。 黒の空間と白の空間の境、そこにこじ開けた亀裂に……あろうことか自身をシールドに閉じ込めて挟まる形で居座ったのだ。こうすることで同時に両方の空間の状況を見て、俺やハナさんにそれぞれ指示をだす。とんでもない荒業だし、そもそもそんな事可能なのだろうかとは思ったのだが……なんか普通にできてしまっていた。 ともあれ、今は戦闘中ではないので全員で白の空間を歩いている。かれこれどれほどの時間が経ったか……鹿間さん仕込みのメモ術で何となくの道順は記録してあるが、実際のところもうそろそろ片付いてもいい頃合いだった。「さて……あとはボス部屋かゲートが見つかればなんだけど……」 研修の時に教わった基本、「出口のゲートをまず見つけておけ」。それに準じたいところではあったけれど、敵が強いせいでそう思う通りには事が運ばない。結局……未だゲートは見つからないまま、もうだいぶ進んでしまった。 こっちの空間を構成する白い鉱石は……手に取って眺めている分には奇麗なのだが、四方八方これに覆われているとなんだかチカチカして目の奥が痛くなってくる。ふと目覚めてしまった夜中に見る携帯の画面くらい目に優しくない感じだ。 ただそれでもあの黒い空間よりはかなりマシ。あっちは深海か宇宙にでも投げ出されてしまったかのような感じがして落ち着かない。 結局のところ人間にとってもっと恐ろしい